ここで宮嶋資夫の『坑夫』に関して、ほとんど知られていないエピソードを付け加えておこう。
私の手元にある大杉栄、伊藤野枝共著『乞食の名誉』は大正十二年九月二十八日の発行で、同年十二月一日の九版となっている。これは大杉の「死灰の中から」に、伊藤の「転機」「惑ひ」「乞食の名誉」の三編を収録し、いずれも大杉と野枝をめぐる辻潤、神近市子などのもつれた関係を小説仕立てで描いた作品集といっていいだろう。
その発行年月日からして、大杉たちの虐殺後に出版された一冊で、遺族の生活資金捻出のために企画されたものだとばかり思っていた。それは奥付の検印紙のところに近藤の捺印もあり、その事実を裏付けているはずだった。この近藤は『近代出版史探索Ⅱ』331の『一無政府主義者の回想』の著者だと見なせよう。ただ同書ではアルス版『大杉栄全集』のことに記述が多く占められていることもあってか、『乞食の名誉』の編集と出版事情にはふれていない。それに版元の聚英閣は本探索1236などでも言及してきているけれど、『乞食の名誉』は裸本で、巻末広告などの記載もなく、そのまま放置していたのである。
ところがアナキズム文献を揃えている静岡の水曜文庫に立ち寄ると、『乞食の名誉』とエマ・ゴールドマンの野枝訳『婦人解放の悲劇』(東雲堂、大正三年)が並んで置かれていた。しかも前者はカバーつきで、そこには「社会文芸叢書」と銘打たれていた。それだけでなく、刊行月と奥付裏広告も私の所持するものと異なり、五月の出版で、大杉の「序」の「五月八日」と符合することに気づいた。『乞食の名誉』は二人の死後出版ではなく、生前に出され、私の入手したのはたまたま死後の重版ゆえに、近藤の印が押されていたことになる。
また奥付裏には「社会文芸叢書」の広告が見え、それは次のようなラインナップであった。
1 | 上司小剣 | 『生存を拒否する人』 |
2 | 荒川義英 | 『一青年の手記』 |
3 | 大杉栄、伊藤野枝 | 『乞食の名誉』 |
4 | 宮嶋資夫 | 『坑夫』 |
しかし『坑夫』が収録されている『宮嶋資夫著作集』第一巻の「解題」において、「社会文芸叢書」版はなかったように思われたし、それだけで『乞食の名誉』の二冊目の購入はためらわれた。そこで帰ってから紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』を繰ってみると、「社会文芸叢書」も取り上げられ、その『一青年の手記』の書影を示した上で、四冊しか出なかったが、「そのすべてをそろえることはきわめて困難なシリーズ」とあった。またその特質は「シリーズとして同じ体裁ではなく、各自装幀を異にしている点」だと説明されていた。
ところで4の『坑夫』ということになるが、これは『恨なき殺人』のタイトルで、大正九年七月に刊行となっている。この中編は『宮嶋資夫著作集』第一巻になどとともに収録されている鉱山を舞台とする作品で、鉱山を異にする坑夫たちの争い、そこで起きた殺人をテーマとしている。宮嶋の鉱山生活から生まれた中編に他ならないけれど、そのまま「社会文芸叢書」に収録し、タイトルとするほどの作品ではない。おそらく当初の『坑夫』のままでは発禁処分のリスクもあり、『恨なき殺人』と改題されたと考えられる。本探索1349で既述しておいたように、『坑夫』は大正五年に近代思想社から出版され、発禁処分を受けていたし、それから四年が経っていたにしても、その懸念は払拭されていなかったのであろう。
そのような状況におかれていたけれど、紅野の言を引けば、『坑夫』は「ただちに発売禁止となった故、多くの人の眼に触れず、同時代評もほとんどなく、黙殺どころか抹殺に近い処置を受けたのである。従って『社会文芸叢書』の一冊として、ここで蘇えることは大いに意義があった」ことになる。しかしこれも紅野によれば、「多くの伏字」による「発売禁止とならぬような処置」が施され、やはりタイトルも『恨なき殺人』とあらためられての刊行となった。
それでも紅野もいうように、この「社会文芸叢書」は「そのすべてをそろえることはきわめて困難なシリーズ」とされるので、『恨なき殺人』は私も未見だし、古本屋で出合うことも難しいだろう。また1の『生存を拒否する人』の巻末広告において、4は藤井真澄『最初の奇蹟』が予定されていたが、どういう事情なのか、『近代出版史探索Ⅱ』205の新潮社「現代脚本叢書」に移されたという。だがこの『坑夫』を含んだ『恨なき殺人』の刊行によって、昭和三年の平凡社の円本『新興文学全集』第三巻の『宮嶋資夫・江口渙集』での『坑夫』の収録も実現したように思われる。
『新興文学全集』に関しては拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)を参照されたい。
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