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古本夜話1365 島崎藤村「水彩画家」と丸山晩霞

 水彩画というと、ただちに思い出されるのは島崎藤村の「水彩画家」である。この作品は春陽堂の『新小説』の明治三十七年一月号に掲載され、同四十年にやはり春陽堂の藤村の最初の短編集『緑葉集』に収録されている。

 水彩画の隆盛が明治三十年代から四十年代にかけてであることは既述しておいたが、そうしたトレンドの中でこの短編集も書かれたことになる。しかもそれは藤村の小諸義塾の教師時代の同僚がモデルで、たまたま「水彩画家」のテキストは『島崎藤村全集』(第二巻所収、筑摩書房)を参照しているのだが、その巻頭には藤村と丸山の並立写真が掲げられている。幸いにして、丸山は『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを引いてみる。

 丸山晩霞 まるやまばんか 慶応三・五・三~昭和一七・三・四(1867~1942)画家。長野県生れ。本名健作。児玉果亭に南画を学び、本多欽吉郎の彰技堂画塾に入り油彩画を修得。明治美術会展に水彩画を出品。欧米に漫遊。小諸義塾の図画教師となり、明治三七年島崎藤村『水彩画家』のモデルとされた。大下藤次郎、三宅克己とともに水彩画の先駆者で、『最新水彩画報』『水彩新天地』『水彩画の描き方』(大正一一・一一 実業之日本社)の啓蒙書がある。山岳画を得意としたが「方寸」に俳句を寄稿、俳画も描いた。

(『水彩画の描き方』)

 ここでは丸山が大下藤次郎、三宅克己と並んで、水彩画の先駆者とされているので、彼らの関係などを補足しておこう。前回ふれておいたように、大下は三宅を通じて水彩画に引き寄せられていくのだが、三宅のほうは丸山の水彩画に魅せられ、明治三十二年に小諸に移り住み、藤村の推挙で、小諸義塾の図画教師に就任している。ここで三人の水彩画の先駆者たちと藤村がつながるし、三宅も『水彩画手引』(日本葉書会、明治三十八年)、『欧州絵行脚』(画報社、同四十四年)、『水彩画の描き方』(アルス、大正九年)などを刊行している。先の丸山の立項やこの三宅への補足で、二人も大下と同じく水彩画本の著者だと判明するけれど、やはり実用書ということもあってか、古本屋で彼らの著書に出会っていない。

 (『欧州絵行脚』)

 少しばかり前置きが長くなってしまったが、藤村の「水彩画家」に移らなければならないし、そのストーリーを紹介してみる。水彩画家の鷹野伝吉は欧米をめぐる一年の長旅を終え、「静かな田園画家の生活を送るために」、千曲川のほとりにある故郷の小諸へ帰るところから物語は始まっている。小諸駅では出立の際に「画家風情(えかきふぜい)と言へば乞食も同様に軽蔑して、碌々振向いても見なかった薄情者迄」が群をなし、「鷹野君―万歳」と狂はんばかりに歓呼の声を挙げ、家の前では年老いた母、妻、妹、娘が待つていた。北佐久の山や森や村までも豊富な画材を広げていて、「水彩画家を迎へるやうで」あった。

 ところが母親のほうは優曇草が咲いたことに恐しい前兆を見ていたし、洋行して外見は変わっても、伝吉は相変わらずの「痴児(たわけ)」なのだ。母親の予兆どおり、妻は結婚前に思っていた男に未練を示し、伝吉は音楽研究のためにオーストリアに留学していた女に懸想し、家族を解散させようとするに至る。「美術家のところに嫁(かたづ)いて来たのが、お前の不幸(ふしあはせ)」で、美術家の「乃公(おれ)は狂々(きちがい)」と伝吉は妻に語るのだ。

 この「水彩画家」の表層をなでると、洋行して箔がついたのかのごとく見え、周りも見る目が変わったようだが、所詮「金銭(ぜにかね)に関(かな)はねえ伝吉の画家根性(えかきこんじょう)」は世間からつけこまれ、家庭がうまくいないという物語として受けとめられよう。そのためにモデルと見られた丸山が藤村に激しく抗議したというのは周知の話である。

 だがそれは表層の枠組みであって、伝吉とお初という夫婦の物語、それも洋行から帰国後の「同じ夫婦の第二の結婚」「涙の結婚」の物語というべきもので、そこに伝吉の水彩画家というキャラクターが織りこまれる仕掛けとなっている。水彩画家は文学者、もしくは考えている人間とも言い換えられるだろう。それを象徴する夫婦の会話を引いてみる。

 「(前略)狂といふものは児童のやうなもので、泣いたり笑つたりして、貴方のやうに考へてばかり居ませんもの。」
 「むゝ、乃公(おれ)のはその考へる児童さ。」
 「私に言はせると、貴方は迷ひ過ぎる。」
 「迷ひ過ぎる? 迷へばこそ、画なぞかいて、斯うして一生を送るのさ。」

 この「考へる」ことの問題は『近代出版史探索Ⅴ』932のドストエフスキー、内田魯庵訳『罪と罰』に端を発し、明治四十一年の『春』、家族の問題は『家』へと引き継がれていくことになろう。

  

 藤村は「水彩画家」などにまとめられる短編を書き継ぐ一方で、『破戒』という長編小説へと向かうのである。これも拙稿「『破戒』のなかの信州の書店」(『書店の近代』所収)を参照して頂ければ幸いだ。

  書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 なお丸山晩霞の水彩画は『島崎藤村若菜集 春』(「明治の古典」6、学研)に見ることができることを付記しておく。

 


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