出版・読書メモランダム

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古本夜話1373 介山居士紀行文集『遊於処々』

 前回、中里介山の『大菩薩峠』の出版をめぐる春秋社、大菩薩峠刊行会、隣人之友社などの入り組んだ関係にふれておいたが、その後、介山居士紀行文集『遊於処々』を入手している。これは昭和九年に介山を著作兼発行者として刊行された四六判上製の一冊で、発行所は小石川区音羽の隣人之友社、発売所は日本橋本町の隣人社営業部である。本扉には、隣人社発行とも記載されているけれど、両社は同じだと考えていい。

  

 介山は『日本近代文学大事典』の立項にもあるように、国内各所の見聞を『大菩薩峠』へと取り入れているし、『遊於処々』は昭和六年の「支那漫遊記」を始めとする七編の旅行記の集成である。ここでは最も長く、介山によるスケッチ、及び口絵写真一三ページを含む「支那漫遊記」を見てみる。介山の言を引けば、「この行は予めジヤパンツーリストから上海、南京、済南、天津、北京、奉天、安東、釜山、東京の一等周遊券」を買い求めてのもので、「通券価二百〇五円余。銀安の為に普通の時よりは割がよくなつてゐる」とされる。

(『遊於処々』) 

 しかし『遊於処々』全体が『大菩薩峠』を彷彿とさせるノンシャランな記述に充ち、介山自らがその「序文」で、「其時々々のノートを生のまゝ取つたもので自分ながら謎のやうなところもあるが、又実際資料として捨て難いものもある」と書いているように、メモランダムの集積のイメージが強い。

 例えば、神戸乗船で長崎から上海に向かう長崎丸は大谷光端、谷崎潤一郎、村松梢風なども利用し、洋食の一等客は少ないが、和食は二等待遇で、介山は一等客としてキャビン一室を占領し、給仕のサービスもよく、船長や事務長も挨拶にきたとの記述が見える。『都新聞』で『大菩薩峠』の連載が始まるのは大正二年からであるけれど、介山が作家としてかなりの知名度を得ていたことを伝えているのだろう。

 上海では劇場で、『西遊記』を見て、その芸風を味わっているが、介山らしいのは市中見物において、「その各軒に掲げたる漢字の大看板の文字」に驚嘆していることだ。それは「本場の文字」「金石を貫くもの」で、「出来るならばこの看板一枚を譲り受けて土産にもつて帰りたい」とまで述べている。それは私も『近代出版史探索Ⅲ』410の江戸の看板集である、を閲しているので、よくわかるような気がする。

近代出版史探索III

 さらに上海での介山のもうひとつの「感激」は市中の支那人車夫で、「その車夫たるや雲南省の山奥から飛び出して来た、そのまゝの野性の自然物で、半裸体にハダシで走り廻つてゐる」のだ。それに「サンパンの船夫」で、介山はそこに「この野性そのまゝを活躍せしめてゐる処に上海の特質があり、支那人の生活力のある大きな表現がある」と見ているし、それが『大菩薩峠』の米友を始めとする登場人物たちへと投影されていることはいうまでもあるまい。

 やはり『大菩薩峠』との関係から引いてみれば、北京の広場の興行物のひとつもそれに類するであろう。

 一人の獰猛な支那人がとても大きな偃月刀を縦横無尽に振りまはすと一人の瘠せた青年が、素手でその中に飛び込んで格闘する、一寸でもその大刀に触れよ(ママ)うものなら肉体は両断される、いかにも蛮的な物凄いものだ、次にまたその男が三連棒(六尺位の棒を三つに折り畳めるやうにしてある武器)を縦横無尽に振り廻す、それを又一方の青年が胸を叩きながら素手で飛び込んで取り抑へるのだが、これも間違って身体に当らうものなら骨身が砕ける、誠に千番に一番の芸当だ、野天に天幕を張つてやつてゐるのだから下は何も敷いてない土間であり、剣棒を振り廻す土匪のやるな獰猛の奴は汗と泥で愈々すさまじい顔色になる、さうして、次なる芸当に取りかゝる迄に、客に向つて頻りに投げ銭を乞ふのは変りはないが、其の欲張り方が如何にもしつこいものだ、獰猛な黒い奴が銭をくれなければおれはやらない、行つてしまうといつて、眼の色を変へて見物の中へと飛び込んだ、本当に行つて了ふやうである、あわてゝ仲間の者が引止める、実際これおは蛮的な演技ではあるが、随分武術上の参考になる処は多い。(後略)

 介山が見ている臨場感をそのまま伝えたいので、省略を施さない長い引用になってしまった。この「三連棒」とはほかならぬヌンチャクのことであり、このシーンはあたかもブルース・リーの『燃えよドラゴン』に始まる香港カンフー映画のようだし、その活劇の原型もこうした街頭の興行に求めることができよう。介山も「随分武術上の参考になる処は多い」と述べていることからすれば、『大菩薩峠』の剣術シーンにも反映されているにちがいない。いずれ再読の機会を得て、それらを確かめてみたいと思う。

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 なお意外なことに、介山は昭和十四年にアメリカ旅行も試み、『米国を見る』を発表しているようだが、こちらは読む機会を得ていない。


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