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古本夜話1385 高杉一郎、国際文化研究所外国語夏期大学、『国際文化』

 エロシェンと神近市子をたどり、かなり迂回してしまったが、高杉一郎に戻る。彼は『スターリン体験』(岩波書店「同時代ライブラリー」、平成二年)において、「国際文化研究所の外国語夏期大学」という一章を設け、駿河台の文化学院で、昭和四年七月十五日から八月十五日まで一ヵ月間開かれた大学に言及している。

スターリン体験 (同時代ライブラリー)

 これは本探索1320でも触れたように、秋田雨雀が一九二七年=昭和二年に十月革命十周年記念としてモスクワに招かれ、帰国後に蔵原惟人や村山知義と創立し、所長となった国際文化研究所主催によるものだった。その学生募集広告には「教材は新興科学と新興芸術の代表作を使う。従来の語学講習会にあきたらず、世界最深の文化の精髄にふれようとする者は来れ!」とあった。もはや時代状況からいって、大学の社会科学研究会(RS)は解散を命じられ、そのような「新興科学と新興芸術の代表作」のテキストを読む場所はなくなっていたのである。

 高杉は東京文理科大学の学生で、直面する社会問題を解く鍵は「新興科学と新興芸術」に象徴されるマルクス主義の中にあるのではないかと考え、フランス語クラスを申しこんだ。すると「一種の解放区のような感じ」で、四百名近い受講生が集まり、エスペラントクラスには日大予科の語学教師の新島繁、『近代出版史探索Ⅱ』395の矢川徳光もいて親しくなった。フランス語講師は小牧近江、佐野碩、佐々木孝丸で、小牧と佐々木はいうまでもなく本探索で繰り返し触れているし、佐野も同様である。

 佐々木はエスペランティストでもあり、高杉は彼の勧めでエスペラントの独習を始め、「柏木ロンド」のメンバーも紹介された。これも高杉が、「柏木ロンドの人々」という一章を割いているように、日本のプロレタリア・エスペラント運動の源泉となった集まりで、比嘉春潮、中垣虎児郎、永浜寅二郎、大島義夫、伊東三郎、清美陸郎、大栗清実がメンバーであり、彼らは外国語夏期大学のエスペラント教師だったことになる。『近代出版史探索Ⅴ』981の比嘉がここにもいたのである。

 この国際文化研究所は昭和四年にプロレタリア科学研究所へと改組されていくのだが、一方で高杉のほうは八年に改造社に入り、二年間の出版部の仕事を経て、十年に創刊された『文藝』へと移り、応召まで編集主任を務めていく。太田哲男『若き高杉一郎』(未来社、平成二十年)は高杉へのインタビューをベースとして、その「改造社の時代」をたどり、主として改造社における『文藝』の仕事に焦点を当てているけれど、その前史としての外国語夏期大学にもふれている。

若き高杉一郎: 改造社の時代

 そこで高杉=小川五郎は夏期大学が「ひとつの《事件》だったよ。その雑誌『国際文化』は魅力のある雑誌だった。裏表紙には目次がエスペラントで書かれていた。そこには中国からの留学生も参加していた」と語られている。この雑誌は未見だが、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に立項、及び意外な人物が見出せるので、それを引いてみる。

 「国際文化」こくさいぶんか 総合雑誌。昭和三・一一~四・一〇。全一二冊。国際文化研究所機関紙誌。編集発行人小川信一(大河内信威)、東京上落合の国際文化研究所発行。白揚社発売。「国際文化」はソ連邦を先頭とする国際プロレタリア文化―科学、文学、芸術、哲学、教育、スポーツ、技術などの研究および紹介に関する論文、プロレタリア芸術作品の写真、翻訳の紹介、国際文化資料、国際文化ニュースの報道のために刊行され、編集スタッフは昭和三年一〇月に蔵原惟人が中心になって発足した国際文化研究所(所長秋田雨雀)のメンバーで、編集長がはじめ蔵原、のち小川、編集員が秋田雨雀、藤枝丈夫、林房雄、永田一脩、仲小路彰、佐々木孝丸、辻恒彦であった。掲載されたものでは山田清三郎の『プロレタリア文学運動史概観』の連載などが目立つ。そして、ナップ改組による同研究所の解散、プロレタリア科学研究所の創立、機関誌「プロレタリア科学」の発刊によって廃刊となった。

 ここで少しばかり驚かされるのは編集員として『近代出版史探索』133などの、後のスメラ学塾の仲小路彰の名前が挙がっていることで、彼もまた国際文化研究所に集った一人であったのだ。それは編集長が小川信一=大河内信威で、子爵で東京帝大教授の大河内正敏の息子であったこと、もしくはプロレタリア科学研究所のメンバーとなる三木清の関係から『国際文化』に結びついたのかもしれない。

 ただ『国際文化』の解題において、主要論文として挙げられているのは山田清三郎の「プロレタリア文学運動史概観」だけなので、高杉が語っていた「魅力のある雑誌」のニュアンスは感じられない。この雑誌は見られないにしても、細目だけでも一見してみたいと思う。

 なお『若き高杉一郎』で明らかにされたのは、エスペラントを学ぶきっかけを得ただけでなく、『改造』への関心を高めたほかに、夏期大学で後の夫人となる日本女子大生の大森順子と出会ったことである。高杉にとって夏期大学は「ひとつの《事件》」どころか、後の人生を決定する場でもあったことになろう。そうしたエピソードは後述するつもりだ。


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