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古本夜話1386 秋田雨雀『若きソウエート・ロシヤ』

 高杉一郎は前回の『スターリン体験』の国際文化研究所外国語夏期大学のところで、秋田雨雀所長の『若きソウエート・ロシヤ』の書影を挙げている。これは昭和四年に叢文閣から刊行された一冊だが、やはり同年の再版が手元にある。

スターリン体験 (同時代ライブラリー)

 この『若きソウエート・ロシヤ』は雨雀の「自序」にも記されているように、「一九二七年の革命十週(ママ)年記念祝祭に際して、国家の客としてソウエート・ロシヤを訪ふことの出来たものの一人」の帰朝報告として読むことができよう。それは同書の巻末に「『婦人之友』サロン」という雨雀の同サロンでの講演と質疑応答が収録され、そこでは司会者の「現代ソウエート・ロシヤはある人々には夢の郷、ある人々には魔の国として想像されて居ます」という発言から始まっている。ここに一九二七年=昭和三年における日本の「ソウエート・ロシヤ」に対する相反する視座が提出され、社会的には後者の「魔の国」を想起する人々のほうが多かったと思われる。

 

 しかしここでの雨雀のレポートは「科学的精神」「帰納的方法」に基づくと述べ、自分の専門である文学と演劇、若い男女の労働者の生活、少年少女の教育の方面から見ていると断っているけれど、「夢の郷」の色彩が強い。それらの内容はモスクワと記念祭、ソウエートの労働者と農村生活、教育と文化文学と演劇及び映画、ウクライナからカフカズへの旅行日記などで占められている。それぞれのレポートは口絵のレーニンの写真入り「1917×1927/INVITATION CARD/TO THE INTERNATIONAL CONGRESS OF THE FRIENDS OF THE U.S.S.R.」などから始まって、そうしたシーンを確認するような多くの写真が収録され、図らずも「夢の郷」を浮かび上がらせる装置となっていると思われる。写真は本文三三四ページに対して二四ページに及び、それ以外にも各ページに多くの写真が挿入掲載されている。ベンヤミン的にいえば、ソウエートという夢と神話のファンタスマゴリー化を促進しているのである。

 モスクワは各国からの千人近い招待客が集まり、祝祭気分で沸き返っていた。雨雀は大劇場でのソウエート・サイウズの大会に招待された。

 大ホールの中にあふれた聴衆は床から天井まで一杯になつて、あらゆる組織された機能の代表者が舞台に送られた。苦悩の中に立つて勇敢に戦ひつゝあるスターリンの簡素なそして英雄的な姿が聴衆の前に立つた時には、大劇場全体に割れるやうな拍手が起つた。私たちの方から見て最も面白く思はれたのは廿四五歳のコムソモールカ(婦人共産党員)の真っ白な肥つた腕の波であつた。彼女たちは一斉に立つて拍手をした。此の時パリコムミユンの為に働いた八十歳以上の老人が「サ(ママ)ウエートを脅す者があれば、自分は今、年とつて居るが直ぐに武器をとつて立つことを辞するものでない!」と言つた。数千の聴衆は殆んど熱狂の極に達した。その瞬間奏楽につれてインターナショナルの歌が起り、舞台から赤い六丈程の大幡が聴衆に向つて繰り出されていく。その赤大幡には「ゼン」「全」「ALL」「TOUT」「GANZ」「BCE」の文字が記されていた。

 これはソウエートの記念祭であるのに、リーフェンシュタールのナチス党大会の記録映画『意志の勝利』を想起するのは私だけだろうか。だが残念ながら、この大会の写真は収録されていない。だがその代わりのようにして、「人類始つて以来の最大のデモストレーションと言われた完全には百万の群衆が動き始めた」赤の広場の祭典の写真は掲載されている。「ソウエート連邦社会主義共和国――ウラ!!」との叫びが発せられる中で、「軍隊の尾が武装した青年団に続き、青年××党(KUM)の尾が充実した工場労働者の尾に続き工場労働者の後に全市のあらゆる種類の労働者が続いた」。その光景はこれもリーフェンシュタールの一九三六年のベルリンオリンピックドキュメンタリーの『民族の祭典』『美の祭典』を彷彿とさせる。

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 それらに加えて、雨雀は映画『戦艦ポチョムキンの反乱』や『母』も観せられているし、その「観劇記」に明らかなように、様々な劇場で多くの演劇を見ている。その事実は雨雀がソウエートの祭典、映画、演劇が三位一体となったプロパガンダの中へと誘致されてしまったような印象をも与える。それは本探索1289のエマ・ゴールドマンが1920年代初頭のロシアにおいて、体験しなかったことであり、その後の「文化革命」の成果ということになるのであろうか。ちなみに『近代出版史探索Ⅴ』816で、昭和十二年に第一書房から刊行されたジイド『ソヴエト旅行記』の異例の売れ行きにふれているが、これはジイドの一九三六年のゴーリキーの告別式とそれに続く滞在に基づくもので、フランスではベストセラーになっていた。ジイドはコミュニズム同調者から反スターリン主義の立場に転じ、フランス共産党からも離反することになったのである。

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 しかし雨雀のほうは帰国して、国際文化研究所長となり、『国際文化』を創刊し、外国語夏期大学をも開催し、『若きソウエート・ロシヤ』の忠実なレポータにしてプロパガンダ実践者になっていったように思われる。

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