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古本夜話1393 アラン『文学論』とシモーヌ・ヴェイユ

 片山敏彦はアランの『文学語録』を翻訳し、昭和十四年に創元社から刊行している。この邦訳名「語録」は原タイトルの Propos de Littérature(1944)を反映させ、「プロポ」のアランの翻訳を意図したのであろう。だが私の所持するのは、やはり創元社版であるけれど、戦後の昭和二十五年の改訂版の『文学論』だ。戦前、戦後版の相違は確かめていないが、例によって均一台で拾った一冊で、それももはや古本屋にしても商品価値は低く、放出されたことになろう。

 (『文学論』、創元文庫版)

 しかしあらためて『文学論』を読んで見ると、プラトンからヴァレリーに至るまでの精緻な文学エッセイで、「プラトンの著作が解るといふだけなら大したことではない。必要なことはみづからプラトンになることだ。困難な思索をみづから実行することだ」というアフォリズム的な一節を見出してしまう。このようなフランスのモラリストの文脈によって、アランは日本へと受容されたと考えられる。

 それに片山が昭和十四年の「訳者あとがき」に記しているところによれば、フランスにおいてアランは次のような人脈と環境の中にあった。

 十年前にフランスで、アランの芸術論へ私の留意を促したのは高貴(ノーブル)な魂の詩人マルセル・マルチネだつた。アランの仕事の協力者であるアレクサンドル教授はマルチネの親友の一人であつた。又、あの詩人の家ではロマン・ロランの妹さんにもお目にかかつたし、老詩人のエドワール・デュジャルダンとその夫人にもあつた。(中略)
 当時ソルボンヌ大学の英文科の学生としてエミリー・ブロンテの「嵐の丘(ママ)」などを読んでゐたマルチネの娘さんが、紙片に、アランの講義の場所を書いて教えてくれ、私はその講義を聴きに行つてみた。霧の深い初冬の夜で、場所はモンパルナスの大通りに近いコレジュ・ド・セヴィニの講堂だつた。時間の三十分前に行つてももう据るところはない位多数の聴講者が集まつてゐたが、その人々の多様さに私は驚かされた。白髪の老人、黒衣の老婦から大学生、女子学生までさまざまな人々がゐた。(後略)

 さらに長くなってしまうのでアランの登場シーンは省略してしまったが、この一九二〇年のフランスのアランを取り巻く人脈とこの光景に、おそらく片山は日本の昭和十年代を重ね合わせ、アランをめぐって「楽しい知識」(ニーチェ)を求める人々を浮かび上がらせようとしているのだろう。それゆえに片山は「この訳著を、アランの姿に触れた十年前の霧の深い初冬の夜の思ひ出に捧げる」と述べているであろう。

 そうしたアランの文人モラリスト的イメージは戦後になっても存続し、私たちにしても彼が人生論の著者のようにも錯覚していたのである。例えば手元に角川文庫のアラン『思想と年齢』(原亨吉訳、昭和三十年初訳、同四十三年十二版)があり、巻末の「角川文庫目録」を見ると、同じく『幸福論』(石川湧訳)、『精神と情熱に関する八十一章』(小林秀雄訳)、『信仰について』(松浪信三郎訳)、『人間論』(井沢義雄訳)が収録され、昭和四十年代前半まではアランがよく読まれていたとわかる。それもあって、昭和三十五年には白水社の『アラン著作集』全八巻も編まれたと考えられる。

 アラン著作集 2 幸福論

 それに加えて、「角川文庫目録」のアランの隣にはヒルティの『幸福論』『人生論』(いずれも秋山英夫訳)、ラッセルの『教育論』『幸福論』(いずれも堀秀彦訳)が並んでいる。そしてアラン、ヒルティ、ラッセルに共通するタイトルとして『幸福論』が選ばれているように、外国の思想家たちも人生論の著者として受けとめられ、読まれていたのである。それはまだ消費社会を迎えていなかった昭和四十年代前半までが、いかに生きるべきかという人生論の時代であったことを示唆し、実際に『近代出版史探索Ⅳ』606の大和書房や青春出版社にしても、人生論をコアとして立ち上がっているし、実際に人生論が売れていたことを伝えていよう。

人生論 (1956年) (角川文庫) (ヒルティ『人生論』) 教育論 (1954年) (角川文庫) (『教育論』)

 しかしそれはヒルティやラッセルついても同様だろうが、彼ら以上にアランに関しては弊害とか、ある種のバイアスもたらしていた。吉本隆明は「情況への発言(一九八九年二月)」(『情況へ』所収、宝島社)で、次のようにいっている。「おれたちは十代や二十代のころからアランについて小林秀雄や桑原武夫に永いあいだだまされていて、アランを文学芸術好きのセンスのある断章的な哲学者だというイメージをこしらえあげていた。だがアランがラジカルなアナーキズム系の思想家だということを、かれらはいちども紹介しないし、解釈もしなかった」と。桑原は『芸術論集』(岩波書店、昭和十六年)などを訳しているし、そこに片山も加わるとはいうまでもないだろう。

情況へ 

 ここで吉本は『甦えるヴェイユ』(JICC出版局)の著者として発言している。実際にジャック・カポー『シモーヌ・ヴェーユ伝』(山崎庸一郎、中條忍訳、みすず書房)を読むと、アランがヴェーユに与えた深い影響を知ることができる。また本探索1291において、『社会批評』でのヴェイユとジョルジュ・バタイユのコラボレーション、『近代出版史探索Ⅵ』1194のバタイユ『青空』のモデル問題にもふれているが、それらの事実もアランからの思想的影響と不可分ではないはずだ。しかしヴェイユはともかく、人生論が自己啓発書へと入れ替わってしまった現在に至って、再びアランが読まれるようになるとは思われないのである。

甦えるヴェイユ(『甦えるヴェイユ』)  シモーヌ・ヴェーユ伝  


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