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古本夜話1397 『文芸』編集者小川五郎と宮本百合子「杉垣」

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』所収の「目白時代の宮本百合子」において、『文芸』の責任編集者としてのポジションを語っている。それは昭和十年以後、海外の作家の動向から考えても、日本の文壇もファシズムと文化の問題に直面せざるをえないだろうが、「文化擁護」の立場での編集を意図すべきだというものだ。

 そのような時代の昭和十二年に宮本百合子が目白に引越したこともあって、高杉は定期的に訪ねるようになっていた。彼女は『文芸』に、「雑踏」(『中央公論』)、「海流」(『文芸春秋』)に続く「道づれ」を発表したが、作者や宮本顕治をモデルとしたことで、内務省警保局が好ましからざる作家のひとりに挙げたために、十三年には執筆停止、つまり発言も禁止された状態にあった。

 そこで高杉は「文化擁護」の立場から、十四年に『文芸』に病床日記「寒の梅」という随筆を掲載し、それに続いて、百合子も『文芸春秋』に随筆「からたち」を寄せ、彼女に対する執筆禁止は実質的に解かれたことになる。それゆえに小説の代わりに、宮本は『文芸』に「近代日本の婦人作家」を連載する一方で、『中央公論』にも「杉垣」を発表する。この作品について、高杉は書いている。

 「杉垣」は、当時、日ごとにきびしさを加えていく言論統制のもとで身動きができなくなりつつあった改造社にとどまるべきか、やめて義兄が用意した満州国政府の文化部門の椅子に坐るべきか、出所進退に悩んでいた私たち夫婦をモデルに、中野電信隊裏の杉垣にかこまれた私たちの小さな家を舞台にして(百合子はこの家に訪ねてきたことがある)書かれた作品で、発行直後に作者自身から速達で私たちのところに送りとどけられた「贈りもの」であった。
 戦後シベリアから復員してから、私は、河出書房の手に移っていた『文芸』に、この作品を「冬を越す宮本百合子」という実名小説の形で書いたことがあって、杉垣にかこまれた家も作品も、とても忘れがたい。

『近代出版史探索Ⅵ』で百合子の『伸子』を取り上げた際にも参照しているが、新日本出版社版『宮本百合子選集』全十二巻を古本屋の均一台から拾っていて、高杉の彼女に対する感慨を思うと気の毒にもなる。だがそれを確認してみると、「杉垣」は第三巻に収録され、「雑踏」「海流」「道づれ」も同様で、『選集』ゆえか、「寒の梅」「からたち」は見出せなかったけれど、「近代日本の婦人作家」は『婦人と文学』に改題され、第十一巻で目を通すことができた。

近代出版史探索VI 伸子(近代文学館復刻)  

 だがここでは「杉垣」に焦点を当てるべきだろう。この作品は慎一と峯子という若い夫婦が省線の駅から杉垣の自宅へと帰る夜の道での会話から始まっている。慎一は「東洋経済の調査部員」だが、義兄から満州の新興会社への総務部長としての転職を勧められ、帰ってきたところだった。慎一にとっては二度目のことで、一回目は「そんな荒仕事には向かない人間ですよ」と断わったが、軍関係者らしい義兄にしてみれば、慎一の仕事は認められるものではなく、再度の勧めとなったのである。しかし今回は慎一も、時代状況と会社の事情を考慮すれば、その勧めを重く考える心境になっていた。二十歳近く年上の義兄の立場からすると、「僕らぐらいの人間は将棋の駒みたいに見えて来るんだろうね、きっと。性格なんてものだって、使用価値からだけ見えているんだろうな」ということを承知しているのだが。

 この会話の場面を読んで、唐突ながら想起されたのは、笠原和夫脚本、山下耕作監督の『総長賭博』であった。しかもこの映画は昭和九年の設定で、その冒頭のシーンで重要な役割を占めるのは高杉をエスペランティストへと誘った佐々木孝丸に他ならないのである。『総長賭博』に関しては「『総長賭博』と『日本国勢図会』」(『古本屋散策』所収)、エスペランティストしての佐々木については本探索1315で言及しているが、今一度この映画の冒頭シーンにふれてみる。博徒天龍一家総長の荒川に対して、右翼の大物がこれからの時代は大陸の事業に食いこむことが肝要で、そこには武器や麻薬の利権が待っている。組を挙げて取り組むべきだと日の丸を背にして語る。それを演じているのが佐々木で、香川良介扮する総長はそのような「荒仕事」に若いものを使うわけにはいかないと応じ、同時に病に倒れ、そこから『総長賭博』という映画は始まっていくのである。

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 ここまで書けばおわかりと思うが、「杉垣」に示された満州での新興会社への転職、及びそこで語られた「荒仕事」というターム、しかもそれを断わる展開はそのまま『総長賭博』のイントロダクションへと重なってしまうのだ。もちろんこのようなケースは昭和戦前に多くありえたもので、笠原が、「杉垣」から『総長賭博』の冒頭シーンのヒントを得たとはいわないけれど、そこに佐々木と高杉の存在を置くと、あながち的外れだとも思えないリアリティを感じてしまう。

 なお高杉の実名小説「冬を越す宮本百合子」のタイトルは、評論「冬を越す蕾」(『宮本百合子選集』第七巻所収)からとられているのだが、やはり『ザメンホフの家族たち』に収録され、そのクロージングは「あくる日、三郎は結局、義兄にことわりの電話をかけた」と結ばれている。


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