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古本夜話1398 中野重治『空想家とシナリオ』

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』の「中野重治」、『往きて還りし兵の記憶』の「務台理作と中野重治」「その後の中野重治」において、いずれも主として前者は戦前、後者は戦後の中野に関して言及している。ここでは戦前の中野にふれてみる。

征きて還りし兵の記憶

 高杉は中野が「なつかしい作家」「同時代の作家」で、「中野文学の愛読者」であると書き出している。その中野に会ったのは高杉が『文芸』の編集者になってからのことだった。

 中野さんの作品のなかでも私がとくにすきな「空想家とシナリオ」は、もっとずっとあとになってから、やはり私たちの『文芸』のために書いてもらった作品である。いろいろな作家の生活をのぞき歩いている編集者のひとりとして、私は戦争中の中野さんの生活態度を、どんなことがあったにせよ、じつに立派だったと思っているが、そのことはこの作品によく出ていると思う。あれを読むたびに、私の眼のまえには軍国的ファシズム下の日本の知識人の全生活がうかびあがってくる。

 この『空想家とシナリオ』は昭和十四年に『文芸』八月号から十一月号にかけて連載され、改造社から単行本として刊行されているが、いずれも未見で、また各種の日本文学全集に見当たらず、テキストは『方法の実験』(『全集・現代文学の発見』第二巻所収、学芸書林、昭和四十二年)によっている。

(改造社) 

 『空想家とシナリオ』の主人公は車善六といって、二十二歳で東京市の区役所に努め、戸籍係をしている。その名前と戸籍係という設定にも含みがあることは明白だ。彼は空想家であるので、昔の有名な非人頭の車善七とおなじく、偉大にして下づみの人間でなければならないと心がけている。また彼は文学青年で、短編小説なども書いているが、原稿料はめったにはいらず、友人が文学雑誌の仕事をしていることもあって、短い紹介文などの仕事をくれる。それで少しばかりの収入を得ているが、三十円以上にはならない。

 そこに田舎の父の病気が重くなったという電報が届く。ところが汽車賃もなく、葬式代に至ってはいうまでもない。細君にどうするのと問われ、「シナリオを書くんだよ」と応じる。かつて友人の口からシナリオの話が持ちこまれていたのである。善六はそれまで真面目に考えていなかった「シナリオというものについて、『シナリオの書き方』というような本を買ってきて読んでもいいと思うほどの熱心さで馴れぬ考えを廻し始めた。考えれば考えるほど映画というものはおもしろいものである。しかもテーマは『本と人生』で」、「なかなかの映画が出来るぞ、親父も癒る……」

 そして善六は田口の会社からシナリオ代を前借りすることになる。彼の構想は教育映画としての「本と人生」、もしくは「書物と人間」に他ならない。昔に比べて本は安くなっているし、誰でもそれなりの金があれば、相当な本は買えるけれど、金を貯めても買えぬだけでなく、買うことで罰せられる本すらもある。それでも「ある人々は娯しみのために本を読む。ある人々は生き死にを学ぶために書物を読む。ある人がある時ある所である本を読んだため、彼の生涯のコースが決定されたという場合もなくはないのである」。そういうことが善六の空想を刺激するのだった。

 それだけでなく、善六にとって本の前提をなる紙や活字、印刷、出版、流通、販売、古本に至る本をめぐるインフラまでが想起され、そこには必ずプロレタリアの問題も潜んでいることが感知されるのである。それはいかにも中野重治的といっていいので、少しばかり長くなってしまうけれど、そのまま引用すべきであろう。まず山の木が工場で紙となり、鉱山の鉛が活字となり、それが工場での文字印刷の基礎となるを承前として続いている。

 そこに汚い街があり、そこからぞろぞろと労働者が出てきて、そこで彼らが組んだり印刷したりし、そして活字のために鉛からくる病気になり、それから別の汚い街があり、そこで家内工業的なやり方で製本がなされている。出版屋があり、大売捌きがあり、小売店がある。また古本屋があり、古本の市がある。それらの機関にも大勢の人間が働いている。彼らのなかには学問好きがある。ことに学問を身につけたいと願っている少年や青年がある。しかも彼らは、彼ら自身値うちの高い本をつくったり扱ったりしているのではあるが、彼らはそれを、どんな値うちの本か全く知らずにつぎからつぎへとつくり出したり扱ったりしているのである。たまたまそういう本を手に入れたいと思っても、自分でつくった本が自分の手にはいるということがない。こういう関係をひと眼で教えることができるのは、映画以外にはちょっと見つからぬではないか? 少なくとも、映画によってそれを教えるとは可能ある。音響を伝えるためにトーキーがあり、色彩をじかに見せるために天然色があるとすれば、本とは何か、人は本に何を感謝すればいいかを、この仕掛けによって人に伝えることは意義があるとでなければならぬ。

 もちろんこのようなシナリオを書いたとしても、本当に映画になるのかの疑念も付け加えられているが、ここにこの小説のモチーフが表出しているといえよう。

 このシナリオの行方はこの中編を読んでもらうしかないが、中野はその前年に生活のために、東京市社会局調査課千駄ヶ谷分室の臨時雇いとなっていて、善六はそのパロディ的設定と見なせよう。

 善六は数え切れないほどの映画を見てきたと述懐しているが、ひょっとすると、中野はエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』を脳裡に浮かべて、この『空想家とシナリオ』を書いたのではないだろうか。

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