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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1400 『雨雀自伝』、『新思潮』、潮文閣

 本書1388の『雨雀自伝』は戦後の昭和二十八年に美作太郎の新評論社から刊行された。戦前の美作に関しては拙稿「日本評論社、美作太郎、石堂清倫」(『古本屋散策』所収)などで既述しているが、『雨雀自伝』は後に未来社から出版された『近代出版史探索Ⅱ』204の『秋田雨雀日記』に基づくもので、一八八三年=明治十八年の出生から一九五三年=昭和二十八年までの雨雀の生活と文化活動をたどった明治、大正、昭和にわたる記録である。

  古本屋散策  秋田雨雀日記

 本書1386の『若きソヴエート・ロシヤ』、及び前回の映画『戦艦ポチョムキン』との関連で、題字を雨雀、カバーデザインを村山知義とする『雨雀自伝』をあらためて読んでみた。すると『戦艦ポチョムキン』への言及はなかったけれど、かつて見逃していた事実に気づいたので、そのことを書き留めておきたい。それは明治四十年から翌年にかけてのことで、島崎藤村から連絡があり、十月に創刊される小山内薫の『新思潮』の仕事を手伝わないかと提案された。小山内と築地小劇場に関しては『近代出版史探索Ⅱ』345、344で、近代演劇の主著『演出者の手記』(原始社、昭和三年)を取り上げ、その半年後の急逝にもふれている。

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 だが当時の小山内はまだ若く、演劇革命をめざし、新しい時代の演劇運動は新しい文学運動の上に樹立されるべきだと主張していたので、『新思潮』の仕事はその運動のための準備だったとして、雨雀は次のように述べている。
(創刊号)

 「新思潮」の出資者は、長谷川しぐれの親戚にあたる木場辺の旦那で、雑誌の編集所は大川端に近い浜町河岸の、ちょっと妾宅のような二階建で、潮文閣と呼んでいた。(中略)
 「新思潮」は思い切って高踏的な雑誌で、表紙は、当時としては珍しいマーブル紙で、中はラフ紙を使っていた。表紙にはギリシャ神話を題材とした名画を写真版にして出していた。このことは自然主義全盛期で、すべてが簡素で直接的で非幻想的であることを傾向としているときに、こんな雑誌をつくるということは、それ自身に、何か当時の日本文壇に対する一つの抗議的意味が示されているように感ぜられた。この雑誌には北原白秋、吉田白甲、草野紫二、佐藤迷羊、長谷川しぐれ女史などが翻訳または創作を発表していた。小山内
自身は、チェーホフの長篇小説「決闘」を連載していた。また、この雑誌には野口米次郎の英詩が載ったり、岩野泡鳴の「新体詩史」が連載されたりした。私はこの雑誌の呼物の一つであったイプセン会の記事を受け持たされた。私は、イプセン会ではその月の研究作物を読み、簡単な梗概を書き、会の当日には書記役をつとめさせられた。これは私にとってはもっとも好意ある仕事であったし、後年戯曲創作に興味を持たせられた動議ともなったものである。

 少しばかり長い引用になってしまったが、小山内と第一次『新思潮』についての雨雀の肉声がこめられていると思われるので、ほとんどそのまま引いてみた。ここでしか私は見ていないけれど、吉田はビョルンソンなどの北欧戯曲、草野はツルゲーネフ、佐藤はトマス・ハーディの翻訳を寄せ、イプセン会は柳田国男、田山花袋、正宗白鳥たちがメンバーだった。『新思潮』は翌年三月に六号まで出して廃刊となったが、それをスプリングボードとして、小山内は明治四十二年に自由劇場を創設し、雨雀もその会員になっていったのである。そうした意味で、第二次『新思潮』も同じく小山内を編集発行人として続けられていくのだが、第一次とは意味の異なるものとなっていた。

 この第一次から第四次までの『新思潮』は臨川書院から復刻が出されている。しかしまだ見る機会を得ていないのが残念でもある。それは第一次の出資者の「長谷川しぐれの親戚にあたる木場辺の旦那」が数井市助で、彼の名前が復刻に記載されているのかを確かめたいと思っていたからだ。それだけでなく、『近代出版史探索Ⅱ』217で潮文閣が万有文庫刊行会と同じであり、この円本時代の「抄訳叢書」である万有文庫が矢口達によって企画編集され、そこに『同Ⅵ』1145などの河原万吉がゾラ『居酒屋』などの翻訳者として加わっていたことを既述しておいた。

 (第四次)

 しかも潮文閣=万有文庫刊行会は譲受出版として、これも『同Ⅵ』1188のゾラ『制作』の第百書房と同じで、発行者が高島政衛となっている。つまり第一次『新思潮』の発行所は潮文閣で、それは発行者を高島とする万有文庫刊行会、第百書房へとつながり、先の『同Ⅱ』217でもふれておいた戦時下の『新偉人伝全集』や『青年文化全集』にも及んでいることになる。

 それは『新思潮』の発行所の潮文閣が高島の営む印刷所で、『新思潮』の発行所も兼ねたことをきっかけとして、そこに集った矢口や河原などの外国文学研究者、翻訳者たちを中心として出版も手がけるようになったからではないかと推察されるのである。それに雨雀にしても矢口にしても、『近代出版史探索Ⅳ』705の『文芸百科全書』を手がけた島村抱月門下だったことも関係していよう。

 なお『同Ⅵ』1188での高橋正衛は政衛の誤植であることを付記しておく。


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