第一書房に関してふれてこなかったことのひとつに、長谷川巳之吉による岩佐又兵衛の「山中常盤」の入手がある。それは社屋を芝高輪南町から麹町区一番町へと移転させた昭和三年のことだった。『第一書房長谷川巳之吉』では次のように述べられている。
ところが、ここに長谷川の情熱を真底から揺がすような事件が出来する。それは、岩佐又兵衛の「山中常盤」の発見である。この年十二月十三日の夕刻、神田の一誠堂書店で長谷川は又兵衛筆と伝えられる「山中常盤」の八つ切写真十枚ばかり見せられる。近代的描法で描かれたその絵巻は、写真で見ても迫力があり、目を奪うに十分だった。しかもそれは、ドイツの美術批評家ルンプが二万五千ドルで買おうとしていた矢先のものであった。ここにおいて長谷川の正義感と情熱が噴出する。彼は「これだけの大芸術品を国外へ持ち出させてなるものか」と、即座に買うことを決意した。といって、それを購入する金があるわけではなかった。彼は新築したばかりの社屋を抵当にして銀行から借金する。また、それまでに収集した浮世絵を始めとする美術品、さらには電話まで一切を処分して、ついにこれを買った。まさに暴挙に類し、長谷川の生涯における一大ドラマの展開であった。
これとほとんど同じ記述が辻惟雄の『奇想の系譜』(美術出版社、昭和四十五年)にも見られるので、この部分は辻の著書を参照して書かれたと推測される。それは『奇想の系譜』こそが戦後において、岩佐又兵衛と「山中絵巻」を再発見させた先駆的な一冊であり、それを抜きにして両者は語れないからだ。それにしても、この時代の美術出版社の書籍は翻訳も含めて名著が多く、これは論創社HP連載「本を読む」34でも挙げているけれど、広末保の『もう一つの日本美』(美術選書)でも、岩佐又兵衛への言及があった。ただそれは作者不詳とされる「浄瑠璃」のカラー紹介だったが、現在では又兵衛の作品とされ、MOA美術館所蔵全作品を収録した矢代勝也『岩佐又兵衛作品集』(東京美術、平成二十五年)には「山中常盤」「浄瑠璃」「堀江物語」の三つの物語が収録されている。
ただ当時は又兵衛とその作品の存在を知っても、まだ画集は刊行されておらず、展覧会なども催されていなかった。それゆえに江戸の「奇想」の画家の出版も公開もただちに実現するような美術環境にはなく、それは辻が論じていた又兵衛以外の狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳たちも同様だったと思われる。
ところが時代は変わるもので、今世紀に入ってほぼ同時に『芸術新潮』(二〇〇四年十月号)で特集「血と笑いとエロスの絵師岩佐又兵衛の逆襲」が組まれ、『奇想の系譜』もちくま学芸文庫化されたのである。
そして改めてその後の「山中常盤」の行方、及び「浄瑠璃」「堀江物語」に関しても確認することになった。まず先述の長谷川による「山中常盤」の「発見」と「救出」後の展開だが、昭和四年に全巻が京都博物館で展覧され、それに際して朝日新聞社の村山龍平所蔵の伝又兵衛筆「堀江物語」も賛助出品された。続いて翌年には東京・三越でも展覧され、盛況だったという。「浄瑠璃」は博文館の大橋新太郎の所有となっていたが、「山中常盤」の発見とともに知られるようになる。
これらの三つの物語は慶長から元和、寛永の頃にかけて上演された「あやつり浄瑠璃」=「古浄瑠璃」の正本(テキスト)に基づく、室町時代のお伽草子の性格を受け継いだ夢幻的色彩と叙事性の強いもので、どぎつさと生々しさに満ちている。やはりそれは「山中常盤」に寄り添う辻の言葉を引いておくべきだろう。
この絵巻の特徴は、まず彩色にある。人物や建物などには、群青、緑青、臙脂、丹、黄土などの原色による、けばけばしい配色に、金銀泥でこまかな文様が加えられ、はでな装飾効果が強調されている。そして、そのような過剰なまでの装飾性が、独特な表現的性格とも結びついているのである。人物や建物や樹木などは全体に大きく力強く描かれており、とくに人物の顔や手足や姿態のクセのある表現が印象的である。一種ふてぶてしい粗放さと、同時代の風俗画に通じる卑俗さが、全巻を通じて見受けられる。
この「山中常盤」を始めとする三つの物語、辻がいうところの「古浄瑠璃絵巻群」はそれらの経緯と事情は定かではないが、戦後になって熱海美術館、後のMOA美術館に収蔵されるに至っている。そればかりか、すでに何度かにわたって公開されていることもあり、私も数年前に「山中常盤」の全巻を見てきた。その源氏の御曹司牛若を主人公とする物語絵巻は辻の言葉にあるように、「けばけばしい配色」、「過剰なまでの装飾性」、「人物の顔や手足や姿態のクセのある表現」、「一種ふてぶてしい粗放さ」、「同時代の風俗画に通じる卑俗さ」が充満する迫力を発していた。まさに『奇想の系譜』の幕開けにふさわしい岩佐又兵衛の作品だと思われた。
これは辻の「文庫版あとがき」で「この本誕生の産婆役」は「当時美術出版社編集部の森清涼子」という女性であることを知り、何の根拠もないのだが、思わず牛若の母の常盤を想像してしまったことを付記しておこう。
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