出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1542 三好達治『寒柝』

 かなり前に三好達治の詩集『寒柝(かんたく)』を入手している。それは均一台から拾ったもので、著名な詩人の初版詩集とはいえ、カバーも半ば破れ、装幀も粗末であり、奥付には五千部と記載されていたからだろう。そのことに加え、『寒柝』は昭和十八年十二月刊行の戦争詩集だったのである。版元は創元社で、巻末広告には同じく三好の詩集『春の岬』『艸千里』『一点鐘』が並んでいるので、昭和十年代半ばから三好と創元社の親密な関係がうかがわれる。

      

 三好については『近代出版史探索Ⅵ』1178でゾラの『ナナ』の翻訳者、本探索1538で『測量船』の詩人として言及してきたが、『寒柝』はそのまま放置しておいたのだ。ところがこの詩集そのものを論じている人物がいて、それは久世光彦で、『花筐――帝都の詩人たち』(都市出版、平成十三年)においてだった。そこで彼はこの三十五編が収められた一四一ページの詩集について、現在書店で入手できる三好の著書やアンソロジーには見ることのできない戦争詩集だと述べている。

  花筐: 帝都の詩人たち

 そして「皇軍頌歌」「われら銃後の少国民」「軍神加藤建夫少将」などのタイトルを挙げ、また「寒柝」は「寒い冬の夜に聞こえる拍子木の音をいう」と指摘している。さらに続けて久世は「軍神加藤建夫少将」の最初の二節を引き、その勇ましい隊歌「エンジンの音 轟々と/隼は征く 雲の果て・・・」も示し、三好がこの加藤戦死直後の追悼歌「軍神礼賛、武勲称揚の一篇」を「本気の詩」として書いているという断定に及ぶ。そのとおりであろうし、『寒柝』はそのような一冊として刊行されている。

 ここであえて下世話な事実に言及すれば、この負け戦の気配も近づいていた中での戦争詩集の出版は、当時の国策取次の日配の買切仕入れという流通配本システムに依拠し、初版五千部定価一円八十銭であるので、一割印税とすれば、三好に九百円がもたらされたことになる。版元にとっても、詩集は組代印刷費も低コストなので、出版にともなるリスクはまったくない。しかも出版助成金、一定の買い上げも含まれていたはずだ。

 これが戦時下における戦争詩集出版のメリットに他ならず、私たちの想像する以上に多くの戦争詩集が刊行されたのはその事実によっていよう。それは多くの文芸書にも共通しているし、戦時下出版の事実に他ならない。それに奥付の発行者が『近代出版史探索Ⅱ』283の天野良策ではなく、編集者とも考えられる和田有司とあるのはそうした事柄と関連しているのかもしれない。

 それらの戦時下における戦争詩集と出版をめぐる経済のメカニズムはひとまず置くにしても、三好のようなフランス文学に通じたモダニスト詩人がどうして「本気の詩」としての戦争詩を書くに至ったのであろうか。それは吉本隆明の「『四季』派の本質――三好達治を中心に――」(『抒情の論理』所収、未来社、昭和三十四年、後に『吉本隆明全著作集』5収録、勁草書房、同四十五年)によって解明されることになる。

  
 吉本はこの論稿を次のように始めている。「昭和十年代も後期になると、詩といえばすぐに「四季」派の抒情詩を意味するほど、この派の詩は、たんに現代詩の一流派という問題をこえて、詩概念をくみたてるうえにおおきな限定力をおよぼした」と。ここでいわれている「四季」派とは三好を始めとする丸山薫、中原中也、立原道造、神保光太郎、津村信夫などで、昭和九年から十九年にかけて刊行された詩雑誌『四季』によっていた詩人たちをさしている。

 

 太平洋戦争が勃発すると、彼らの戦争詩はジャーナリズムをにぎやかし始めた。吉本はここで「現実社会の動きとは何のかかわりもないようにみえる「四季」派の抒情詩の本質が、社会の支配体制と、どんな対応関係にあったのか、かつて単なる便乗としかおもえなかった「四季」派の戦争詩は、かれらのどんな現実認識から生みだされたのか」という問題を簡明しようとしている。それはもちろん『高村光太郎』(春秋社)をふまえてである。

 吉本の「四季」派に関する分析は精緻極まりないので、簡略にトレースしてみる。昭和十年代のモダニズムは抒情性と伝統的感性の混合で、日本のナショナリズム、ファシズム、資本主義の支配感性は「四季」派の詩的感性と無縁でなかった。それは「詩的にいえば、『花鳥風月』的な美意識か、『防人』的な美意識かのちがいにすぎず」、「彼らの社会的無関心は、たちまち、おそるべき戦争讃歌と密通することが可能であった」ことになる。そして吉本は三好の「昨夜香港落つ」の詩を引き、次のようにいっている。この詩は『寒柝』に見えないので、全章を確認できないが、先に挙げた『艸千里』か『一点鐘』に収録されていたと思われる。

 これが、大学においてフランス文学を習得し、フランス文学を移植し、またモダニズム文学の一旗手であった詩人の「西欧」認識の危機における、かけ値なしの一頂点であったことを、わたしたちは決して忘れてはならない。日本の恒常民の感性的秩序・自然観・現実感を、批判的にえぐり出すことを怠って習得されたいかなる西欧的認識も、西欧的文学方法も、ついにはあぶくにすぎないこと――これが「四季」派の抒情詩が与える最大の教訓の一つであることをわたしたちは承認しなければならない。

 そうなのだ。吉本がこの言葉を発したのは六十年以上前のことだが、今一度かみしめなければならない。


 [関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら