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古本夜話1543 北原白秋童謡集『風と笛』と紀元社「国民学校児童の読物」

 前回、三好達治の詩集『寒柝』の初版部数が五千部で、これが国策取次日配による買切制のもとでの出版だったことから、出版社にとっても詩人にとっても、大きな利益と収入をもたらすものであったことにふれた。
 

 その事実を反映してだと思われるが、戦時下においては想像以上に詩集が多く刊行されていたと考えられる。例えばここに詩集ではないにしても、北原白秋の童謡集『風と笛』がある。これは昭和十八年に紀元社から刊行された一冊で、函入菊判、上製一八一ページ、石井了介による装幀、造本、口絵と挿絵はすばらしく、本体のエメラルドグリーンの造本は戦時下の出版物と思われないほどだ。函入ゆえか、その鮮やかな色彩は八十年近くを経ているのに、いささかも褪せていない。これも浜松の時代舎で買い求めたものである。

 それらが相乗してなのか、奥付には昭和十七年十二月初版五千部、同十八年三月一万部とあり、好調な売れ行きがうかがわれるし、重版部数は一括採用なども含んで注文が殺到してたことを物語っていよう。

 石井は白秋の従弟だが、版元の芝区田村町の紀元社はここで初めて目にするし、それは発行者の金城陽介も同様である。それでも編集から出版に至る事情は薮田義雄の「後記」によって明らかだ。本探索で既述しておいたように、薮田は白秋の門人の詩人で、秘書なども務め、その長きにわたる側近だった。かつて拙稿「阿蘭陀書房と『異端者の慈み』」(『古本探究』所収)において、彼による『評伝北原白秋』(玉川大学出版部)を参照しているし、本探索1520でも、それに言及したばかりだ。

 

 薮田は「後記」で、本集の六章六十三篇は先の童謡集『月と胡桃』以後の「最も日本的にして純素朴なもの」、「名所・風物・土俗等に亙つて、児童の感情と生活を織り込」んだ「最も芸術の香気たかきもの」だと述べている。なお『月と胡桃』出版事情に関しては「柳田国男『秋風帖』と梓書房」(『古本屋散策』所収)で既述していることを付記しておく。

  古本屋散策

 薮田の「後記」で留意すべきは『風と笛』の出版が延引しているうちに、白秋が十一月二日に亡くなり、その二十日祭を控えた十一月十八日付で記されていることだ。そうした出版事情から、同書は白秋が自ら閲した最後の作品集ということになろう。それゆえに白秋追悼も兼ねた出版で、遺族のもとにも香典代わりの印税がもたらされたと見なしていい。

 薮田の言によれば、その出版の世話をしたのは与田準一で、やはり童謡詩人として白秋の近傍にいて、その正統後継者としての戦後の編著『日本童謡集』(岩波文庫、昭和三十二年)、白秋童謡選集『からたちの花がさいたよ』(岩波書店、同三十七年)にも面目躍如であろう。

 日本童謡集 (岩波文庫 緑 93-1)  からたちの花がさいたよ――北原白秋童謡選 (岩波少年文庫 224)

 その与田は昭和十年代に多くの児童書出版社に関係していたようで、そのひとつが紀元社であり、この版元は「国民学校児童の読物」シリーズを出していた。これは未見で一冊も入手していないけれど、『風と笛』の巻末広告にリストが挙げられているので、装幀、挿絵家の名前も下に付し、それを引いてみる。

1  林芙美子 『啓吉の学校』 黒崎義介
2  山本和夫 『大将の馬』 恩地幸四郎、小池巌
3  与田準一 『ヒカリトソラマメ』 恩地幸四郎、安泰
4  中村新太郎 『日本の翼』 飯塚玲児
5  前田晁 『楠公父子物語』 布施長春
6  蘭郁二郎 『奇巌城』 鈴木御水
7  山田三郎 『かたつむりの旅』 鈴木信太郎、高橋八重子

このシリーズには次のような説明が施されているので、それも添えておくべきだろう。

 紀元社の童話は国民学校の児童に、科学性と歴史性と健全な情操を与へんとして、出版元も作者も良心的に『面白くて、しかも文化性のある、教養的な良い読物を』ということを眼目として出版致して居ります。何れもA5判二百頁内外で、装幀も挿絵も有名な画家に描いていただいて、色刷の美しい口絵と挿絵が三十枚位入つて、美しい立派な本です。

 つまり紀元社は「国民学校」に寄り添った児童書出版社ということになろう。井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)で、彼が国民学校時代を語っていたが、あらためて説明しておく。「国民学校」は政府が教育界の戦時体制の実現のために、昭和十六年に国民学校令を公布、実施し、尋常・高等小学校を国民学校初等科・高等科と改称し、教科は国民科(修身、国史、国語、地理)を中心に理数科、体練科、芸能科からなり、皇国民の錬成を目的としたとされる。

三一新書の時代 (出版人に聞く 16)

 教育制度が変わると、それに伴い、教科書やサブテキストなども必然的に変わっていくし、それは「童話」も同様で、それが紀元社の場合、先のリストに挙がった「児童の物語」だったことになろう。

 『風と笛』のことを考えれば、これらも美しい児童書だと見なせるが、そうした出版状況下ゆえに古本屋で出会い、入手することは難しいだろう。


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