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古本夜話1550 高村光雲『光雲懐古談』と田村松魚

 高村光太郎のことは父の光雲を抜きにして語れないし、吉本隆明『高村光太郎増補決定版』においても、『光雲懐古談』は参照され、この父と子について、「ぬきんでた器量をもって世に出た職人と、そのだいじな優等生の総領息子の関係にほかならなかった」と述べている。

   (『光雲懐古談』)

 そして高村の留学は森鷗外、夏目漱石、永井荷風のそれとも異なるもので、吉本は高村の「出さずにしまった手紙の一束」から光雲が東京の小さなあばら家でパリの息子にしたためた手紙の「身体を大切に、規律を守りて勉強せられよ」を引き、それを読んだ高村の衝撃にふれている。これは吉本思想の基調音とも見なすべきで、ここには吉本父子も重ねられているはずだ。

 父親が夜の目もみずに稼ぎためた金をだましとって、ブルジョワ息子と遊び呆ける貧乏人の息子の心理と同じものであった。もちろん、芸術というものが豊富な物質的基礎と、閑暇のうえにしか開花しないものであるとするならば、芸術を志す貧乏息子は、りちぎものの父親の金をだましとっても、ブルジョワの息子を範とするよりほかない。それでは、自分はおよばぬまでも、息子だけは――という発想をするこの父親は、否定されねばならないのか。むろん、そのいじらしい心理が否定されねばならないのだ。わたしのみるところでは、あからさまにこの問題にぶつかった留学は、近代文学史のうえでは、高村光太郎だけであった。

 それを吉本は高村だけがなした「社会的留学」であるとして、高村が味わった衝撃は「西欧と日本との眼もくらむばかりの文化と社会と人間意識の落差」に他ならず、そこから生じた父子のコンプレックスと排反を直視するしかなかった。その父のプロフィルを『日本近代文学大事典』から引いてみる。 

 高村光雲 たかむらこううん 嘉永五・二・一八~昭和九・一〇・一〇(1852~1934)彫刻家。江戸の生れ。はじめ中島光蔵、通称幸吉。仏師高村東雲の徒弟として木彫を学ぶ。岡倉天心らに見いだされて草創期より東京美術学校彫刻科を指導。三代の巨匠とうたわれた。帝室技芸員、帝国美術院会員。座談に長じ多くの談話筆記類を残したが、単行書としてまとめられたものに、『光雲懐古談』(昭四・一、万里格)があり、いくつかの版によって世に行われている。光太郎、豊国の父。 

 吉本も参照し、個々にも挙げられている『光雲懐古談』をその父子の間に置いてみる。私は吉本の高村論を読んだ後に、『高村光雲懐古談』(新人物往来社、昭和四十五年)を入手し、読んでいるのだが、吉本は万里閣版、もしくは別の版によっているのかもしれない。岩波文庫化されたのは近年になってからだ。高村は明治四十二年に帰国し、詩を書き、『近代出版史探索Ⅶ』1395などの翻訳によって文学や芸術の紹介につとめ、彫刻や絵画を手がける一方で、智恵子と結婚し、父とは異なる芸術家の道を歩んでいった。 

 幕末維新懐古談 (岩波文庫 青 467-1)

 しかしそのかたわらで、大正十一年に高村は田村松魚とともに光雲の聞書に従い、父の字でともいうべき物語を決実させている。志賀直哉の「和解」(『夜の光』所収、新潮社、同七年)が発表されるのは大正六年であり、やはり父との確執とその解決を描いた作品の影響を考えることもできよう。

 

ところで『高村光雲懐古談』の「筆録後記」は田村名で記されているので、こちらも『日本近代文学大事典』の立項を引いてみる。

田村松魚 たむらしようぎよ 明治七・二・四~昭和二三・三・六(1874~1948)小説家。高知県宿毛町生れ。本名雅新(まさとし)、別号入江新八。(中略)上杉慎吉博士の父に才を見いだされ、上杉家の学僕となり、のち、幸田露伴の門に入る。松魚という筆名は郷里土佐にちなみつけたという。(中略)三六年から四二年までアメリカに留学。その間インディアナ大学に一年学んだ。帰国後露半同門の佐藤とし(田村俊子)と結婚。万朝報社に勤務する。単行本として『三湖楼』(明三五・二 春陽堂)『北米の花』(明四二・九、博文館)『脚本家』(明四三・二、嵩山堂)『小仏像』などがあるが、結婚後はもっぱり妻の俊子を作家として世に出すことに尽力し、自分の作家活動は衰えた。俊子に去られてのち、再婚し、日暮里や神明町で骨董屋を開いていた(後略)。
 明治42年初版/ 北米の花 田村松魚 別刷図版入 博文館 田村俊子(元妻) 幸田露伴師

 この立項は瀬戸内晴美によるもので、彼女は他ならぬ評伝といっていい『田村俊子』(角川文庫)を著わし、そこに当然のことながら田村も登場していることから指名されたのであろう。どうも高村父子と田村の組み合わせはしっくりこないけれど、単純の田村の骨董屋の仕事から結びついたと考えていいのかもしれない。それは版元の万里閣も同様だ。これは以前にも、拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」(『古本探究Ⅲ』所収)でふれておいたが、吉本の指摘によれば、高村が生涯にわたって相許したただ一人の友人が水野だったという。だが水野が柳田国男の『遠野物語』の触媒であったこと、及び吉本の『共同幻想論』『高村光太郎増補決定版』の関係をリンクさせれば、それだけが見えない糸でつながっているのかもしれない。

  改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫) 古本探究 (3)


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