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古本夜話1553 佐藤惣之助『笑ひ鳥』と『釣魚随筆』

 これも浜松の時代舎で見つけたものだが、龍星閣の本がもう一冊あるので、続けて取り上げておきたい。それは佐藤惣之助の『笑ひ鳥』で、四六判函入、上製三二六ページの一冊である。本探索1518で『佐藤惣之助全集』にふれた際にはこのような随筆集が刊行されていたことを知らずにいた。いかにも龍星閣らしいシックな装幀で、ブラウンの函に著者名とタイトルが大きく並んでいる。それでいて本体のタイトルは小さな佐藤の字をそのまま赤に染めて使われ、詩人の随筆集への配慮が伝わってくるし、著者にしても出版者にしても、この特異なタイトルに対する思い入れがうかがわれる。

 

 そのことを物語るように、佐藤は「序〈題註として〉」で、それに言及している。

 濠洲の森林に「笑ひ鳥」といふ鳥がゐる。金花鳥のやうでもあり、山鳩のやうでもあり、彩色の美しい、愛らしい鳥である。この鳥が啼くと、まるで笑ふやうに聴えるといふので、笑ひ鳥と称えられてゐる。性質も快活でのんきで臆病らしく見える。然し果してこの鳥は鳥の世界から見たら、笑つてゐるのか、或は吼えてゐるのか、幽悶してゐるのか、人間には解らない。
 この書もそれと同じやうに、歌つてゐるのか、饒舌してゐるのか、訴へてゐるのか、独白をやつてゐるのか、今となつては著者そのものにも解らない。只、諸賢は、万一この書を手にしたら、列車の窓で、航海の船室で、街の喫茶店で、「笑ひ鳥」が果して笑つてゐるのか、愚かな囈言を吼えてゐるのかを判断して読んで頂けば、著者の意は足りるのである。勿論、時代にも、文学にも、凡ての傾向に於ても、全く白紙のまゝの態度として、自由気儘に振舞つてゐる著者を愉しく許して頂くとして――のことである。

 これだけでも一編のエッセイに他ならないように思えるし、佐藤の人柄が浮かび上がってくる。この『笑ひ鳥』と同年に刊行された平凡社の本探索1527の『大辞典』で引いてみたが、見当たらないし、この佐藤の「笑ひ鳥」に関する「題註」自体もフィクションなのかもしれないし、それが当時の佐藤の時代的スタンスの表明とも考えられる。彼の言によれば、『笑ひ鳥』は四冊目の随筆集にあたるもので、詩人としてばかりでなく、私は不明だったけれど、随筆家としても、それなりに人気があったのではないだろうか。その後佐藤が釣りの本を出していることも知った。

 『近代出版史探索Ⅳ』1052で、佐藤が詩話会のメンバーで、本探索「現代詩人叢書」に名前を連ねていることを既述しているが、『笑ひ鳥』から始めたこともあり、ここでは詩人ではなく、随筆家として佐藤に言及してみたい。それは彼が釣りにうちこみ、それらの著書も刊行していて、『近代出版史探索Ⅶ』1382の「湖畔の宿」の作詞も釣りの産物のように思えるからだ。またそのことをふまえて、『笑ひ鳥』を読むと、第1部「季節風」だけでも、「黄雀風談」「夏の心」「秋の海を往く」「月に就いて」「十一月のスウプエール」などは釣りをめぐる随筆といっていいし、彼の釣りに関する単行本も挙げてみる。

1 『釣りと魚』 武蔵野書院 昭和五年
2 『釣心魚心』 第一書房 同九年
3 『釣魚随筆』 竹村書房 同十一年
4 『釣するこゝろ』 万里閣 同十四年
5 『釣魚探究』 三省堂 同十六年

(『釣心魚心』)

 このうちの3だけが手元にある。しかしそれは竹村書房の元版ではなく、アテネ書房の名著復刻「日本の釣」集成の一冊で、以前にも竹村書房の復刻を参照し、「川漁師とアテネ書房の『日本の釣』集成」(『古本探究』所収)において、太田黒克彦『水辺手帖』を取り上げていることを思い出した。『近代出版史探索Ⅳ』849でも竹村書房の書籍にふれておいたが、釣書の他にも、長尾宏也『山の隣人』や西瀬英一郎『南紀風物詩』といった山岳書も刊行していたとわかる。

古本探究  近代出版史探索IV  (竹村書房版)

 さて佐藤の『釣魚随筆』のほうだが、四六判並製ながら、二九八ページ、タイトルが中央にすえられ、シンプルにして優雅な装幀となっている。その「自序」で、「そして一生釣をしてゐられたら、こんな幸福はないと思つてゐる一人である。もちろん私にも本業の詩があるから、釣ばかりしてゐられないが、天地を一挙に狙つてやる味は〈釣詩一如〉であると思つてゐる」し、「最後の道楽として釣のために殉じやうと決心してゐる」とまで宣言している。この「釣詩一如」という言葉を目にし、思わずマラルメの「骰子一擲」の試みを想起してしまった。フランス語に通じていた佐藤もマラルメを読んでいたはずで、そこから「釣詩一如」も導き出されたのかもしれないと考えることは楽しい。

  骰子一擲


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