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古本夜話 番外編その五の4 三省堂版『シャマニズム』と『民族学研究』

 番外編その五の1で取り上げた『シャーマニズムの研究』を入手したのは『近代出版史探索Ⅳ』730のハルヴァ『シャマニズム』に関連してだった。この訳者の田中克彦が「シベリアの金枝篇」とよぶ『シャマニズム』は現在平凡社の東洋文庫に収録されているが、最初は昭和四六年に三省堂から刊行されている。

   シャマニズム: アルタイ系諸民族の世界像  シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像 (東洋文庫)

 当時はこのような翻訳書がどうして三省堂から出版されたのか、その経緯と事情が不明だったけれど、『ユーラシア』の創刊と同年でもあり、連鎖していたことが推測される。それに加えて、『近代出版史探索Ⅵ』1144などで参照している『三省堂百年史』にもふれられていないが、三省堂は戦前において、民族学協会と密接な関係があり、昭和十年から『民族学研究』の発売所を引き受け、そこから派生した書籍も刊行していたのである。

季刊 ユーラシア 1971年春 創刊号 (創刊号)

 『文化人類学事典』(弘文堂)によれば、民族学協会は『近代出版史探索Ⅴ』967の澁澤敬三のアチック・ミューゼアムに置かれ、『民族学研究』も創刊され、昭和一七年には文部省直轄としての民族研究所設立に伴い、民族学協会は外郭団体として財団法人化されたのである。『民族学研究』のほうは古書目録で見かけているだけだが、翻訳書は入手していて、それはボンネルジャ著、民族学協会訳で、昭和一九年七月に初版二千部として、三省堂より刊行されている。A5判並製、参考図書、付録図版、索引を含めて二四一ページの一冊である。なぜこの時代にインドのベンガル民族誌の刊行が必要なのか、それを民族学協会調査部名で寄せられた「序」から引いてみる。

文化人類学事典  

 印度はいま史上空前の危機に際会してゐる。闘争を通しての民族的解放か永遠の奴隷的屈従かの岐路に立脚してゐる。この現時インドの政治社会的動向の強力なバロメータ―としてベンガル州の存在が浮彫にされてゐる。大東亜共栄圏の建設には少くとも東部印度の掌握は必須の条件であらう。
 インドの錯雑した民族性は殊にベンガル州において端的に象徴されてゐる。印度民族の理解の為にはベンガルに於ける諸民族の理解が捷径であるといへよう。本訳書はこのベンガルの諸民族と風俗慣習、殊に呪術宗教的観念と行事とを要約した文献である。勿論、ベンガル民族学は本書に於て取扱はれた範囲に限定さるべきものでないが、書中で研究された諸問題が単に一州のみでなく弘く印度民族の生活様式、生活感情を味到する一助となることは論を俟たない。

 そして『ベンガル民族誌』がBiren Bonnedra,L’Ethnologie du Bengale で、一九二六年にパリ大学に提出された学位論文で、この訳書が民族学協会の浅見篤によると記されていた。それからボンネルジャの「緒言」も置かれ、「民族学はひろく人類を取扱ふ科学(人類学)の一分科をなすものである。それは様々な民族の風俗、慣習並びに未開状態から文化状態にいたる進化の跡を叙述する」と始まっている。

ベンガル民族誌 (アジア学叢書 178) (『ベンガル民族誌』、大空社復刻)

 それに則り、ボンネルジャはベンガルの三つの人種集団であるインド・アーリヤ族ドラヴィダ族を挙げ、各自の宗教、伝統、様式、迷信に言及し、信仰と一般の慣習がそのまま宗教的掲載となっている事実にも及んでいく。それらをたどっていくと興味深いのだが、ここでの言及は差し控え、ひとつだけ挙げておげば、インド教徒はインド・アーリヤ族と考えられていたけれど、頭蓋や鼻を考慮すると、実際にはモンゴロイド・ドラヴィダ族に属するものだと述べている。

 それらはともかく、ボンネルジャは同書を『近代出版史探索Ⅴ』913などのフレイザーに献じ、同922や928などのマルセル・モース、エミール・デュルケに謝辞を掲げている。もちろん彼らの外にも、チェコ大学やケンブリッジ大学の教授たちへの恩義も記され、ボンネルジャがパリを中心とする民族学隆盛の環境にあったことが伝わってくる。

 やはり『近代出版史探索Ⅴ』において、柳田国男と岡正雄たちの『民族』の創刊と併走するように、パリでのモースの弟子となった松本信広や山田吉彦=きだみのる、赤松秀景たちが同じような環境にいたことを続けて既述した。そのことを考えると、彼らとボンネルジャはパリの同時代の民族学研究者であり、親交とはいわないにしても、面識があったことは確実で、それが浅見篤の翻訳へと結びついていったように思われる。

 しかしボンネルジャにしても、浅見にしても、戦後の民族学には見出されていない。『ベンガル民族誌』の巻末には、これも民族学協会訳『アツサム史』の一ページ広告が見える。この著者と訳者は誰なのであろうか。


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