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【自治会、宗教、地方史】No. 43 第二部17 独断専行を看過してきた地区住民、O寺と仏像のお開帳の歴史(続き)

独断専行を看過してきた地区住民、O寺と仏像のお開帳の歴史(続き)

小田 : 私も同感で、登記簿などを調べてみると、3ヵ所の土地は同じ昭和52年に売られている。それは同年に自治会エリアが市街化区域と市街化調整区域に分断され、この3ヵ所はいずれも農地で市街化調整区域に位置することになり、それ以後は売買できなくなる土地だった。だからその施行前に売ったということになる。

 それから2ヵ所の隣接地も売られたのは自治会名義ゆえで、J寺と自治会名義の土地が繋がっている事実を抹消したかったんじゃないかと思う。その事実を抹消してしまえば、J寺の土地名義が単独ですっきりする。

 それらに加えて、土地を売った金はそのまま薬師堂の改装、仏具などの購入に使われたとにらんでいるし、それはお開帳経費も同様だ。

A : つまりそれらは確信的にして計画的に実行されたと。

小田 : これはいうまでもないけれど、それらを差配したのは政教一致の当時者の先代で、しかも南部地区の開発や耕地整理事業に関しても実力者で、市街化区域と市街化調整区域の線引き問題についても深く関わっていたと推測される。

 それはJ寺の敷地の拡張や個人名義の農地の取得などにも及んでいるが、ここではO寺問題だけに限っているので、あえてふれないことにする。

A : じゃあ、先代は市会議員となり、市議会議長も務め、政教一致の実力者として、まさに薬師如来の指定文化財化を始めとして、何でも自分のいうことは通るくらいの勢いですべてを進めていったわけだ。

小田 : そう考えるしかない。

A : そのために使われたコストも自治会から捻出されたもので、積み上げれば数千万円に及ぶんじゃないの。

小田 : そうだね。昭和49年の薬師堂改装から考えても、法人化にするまで40年を閲していることからすれば、火災保険料、定番の宗教行事だけでも、一千万円を軽くオーバーしてしまうはずだ。もちろんお開帳経費などは別だ。それにボランティアというしかない宗教行事のための人件費などを加えれば、新公会堂の建築費くらいにはなるだろうね。

 その先代とすれば、自分の腹は痛まないお布施の感覚だから使って当たり前という感じなんだと思う。
 まあ、そういう政教一致的独断専行を看過していた我々も悪いんだけれどね。

A : ところで、先代はそうした痕跡というか、所謂ボロは出していないのか。

小田 : もちろん、それは見つけられる。58年に薬師堂として登記したことで、J寺のものになったと満足したであろうし、61年のお開帳の際に、T応寺の「縁起」ともいうべき 文書を出している。
  それは当時の自治会長名でのものだが、先代の名前で「誌」となっているので、実質的に彼が書き、発表したものだと見なしていい。
 
A : それは自治会員に配られたものなのか。

小田 そうではないと思う。お開帳というよりも、自治会に対して、薬師堂としてのお披露目の意味もあって、試しに出されたのじゃないかと察せられる。

 この文書を見出したのは図書館における郷土資料コーナーで、フアィル化された文書の背タイトルはT応寺ではなく、「T王寺」とあった。それはT応寺がT王寺として届けられたことを意味している。

A : 今度は逆なわけだね。

小田 : そういうことで、さすがにT応寺だけでは認められないことも懸念し、逆にT応寺=T王寺としたんだと思う。
 これは「旧T王寺の由緒」と薬師如来のことを述べていて、次のように始まっている。

  「初設の年暦月日は正確にはわかりませんが、本尊の薬師如来は定朝法師の真作であると言われています。」

 この一文は昭和50年の指定文化財答申として、先代が文化財専門委員会に提出したものに基づいているのは明白で、「定朝法師」との言葉がここでも使われていることにも表われている。

 これに続いて、歴史的事実によらない徳川家康の眼病を薬師如来に祈念すると、たちまち治癒したなどというエピソード、歴史の時系列を無視した記述がなされ、薬師如来が眼病に霊験の著しいものだとも述べられている。これも先の文化財答申に見えていたストーリーで、繰り返されているだけだ。

 一応は僧職にあるのだから、もう少し歴史的素養があってしかるべきなのに、それらはまったく感じられず、手前勝手なものでしかない。

A : それらは長いのかしら。