あまりにもお粗末なでっち上げ
A : それは笹沢左保の『木枯し紋次郎 さらば手鞠唄』(新潮社、平成10年)だ。これは『小説新潮』に連載された「帰って来た木枯し紋次郎シリーズ」の一冊で、その中に「顔役の養女」という一編があった。あなたは読んでいないのかな。
小田 : 確かに出ていたね。かつては私もファンだったけれど、「帰って来た木枯し紋次郎シリーズ」は読んでいない。確か5、6冊出ていたはずだが、読みそこねてしまった。昭和40年半ばには中村敦夫主演でテレビ化され、ブームにもなっていたし、懐かしい。でも現在ではまったく読まれていないと聞いている
それは笹沢だけでなく、近年は司馬遼太郎や藤沢周平も読まれなくなり、古本屋でもピタリと売れなくなったとのことだ。
A : 笹沢の木枯し紋次郎はわかるような気がするが、司馬や藤沢もそうなのか。それならば、柴田錬三郎や山田風太郎も同様かもしれない。
そんなことをいっていると、脇道にそれてしまうので、笹沢の「顔役の養女」へ話を戻すと、この作品は何と東海道が舞台なんだ。紋次郎は駿河から遠江の街道を旅している。そこに医王山が出てくるので、そのまま引いてみる。
袋井で東海道から北へそれて一里(四キロたらずの道)をたどると、小高い山のうえに真言宗の古刹がある、一千年以上も前の創立とされ、医王山薬王院と号し一般には油山と呼ばれている。
渓谷に沿った参道は昼なお暗き杉の樹海の中を抜けていくが、山の中腹には瑠璃の滝が落ちている。油山寺はかつて、孝謙天皇の祈願所であった。
その孝謙天皇の眼病を治したのが、瑠璃の瀧の水だったと伝えられている。以来、霊水として瑠璃の滝は広く知られるようになり、いまでは眼病を治そうと水をもらいに来る人々が絶えなかった。
紋次郎と道中を一緒にしたおもよは父親のために、この霊水をもらいに来たのである。その父は駿河一の大親分の安東の文吉で、父娘ともども紋次郎と旧知の関係だった。
小田 : それはまったく意外だし、おもしろいねえ。T応寺も医王山系列で、油山寺は名刹として知られている。しかも眼病治癒の寺ということになるのか。瑠璃の滝は見たことはないけれど、今でも油山寺に存在しているようだ。
A : つまりT応寺の家康眼病治癒伝説はこの医王山の故事からとられているんじゃないかな。
小田 : ビンゴというべきだね。薬師如来を始めとして、すべてがフェイクなんだから、T応寺と眼病治癒伝説もそれを模倣して作られたことになるのかもしれない。
それが紋次郎のエピソードであれば、楽しめる話でもある。でも自治会問題のコアに当たると考えると、何とも言いようがない。本当にもう少しまともなでっち上げ話を聞かせてもらいたいと思うよ。
A : 私は薬師如来とT応寺の話を聞いていて、スケールはまったく異なるけれど、『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)を想起してしまった。
小田 : やっぱり出てくると思った。
A : 所謂「古史古伝」の話というのはおもしろいし、あなたも嫌いではないはずだし、バブル期は偽史の時代でもあった。
小田 : あらためて考えると、本当にそうだ。でもトータルとしての「古史古伝」ではなく、『東日流外三郡誌』だけでも簡略に紹介しておくべきだろうね。
A : 時代も異なっているし、それはいえる。では私のほうから試みてみる。
市浦(しうら)村は津軽半島の中ほどに位置し、中世の発掘調査が進む十三湊を始めとして縄文時代から近世にかけての多彩な歴史と遺跡、伝説が残されている小村だった。
昭和50年代に『東日流外三郡誌』は市浦村の公誌である『みちのくのあけぼの—市浦村史資料編上巻 東日流外三郡誌』として刊行され、地方史資料として大きな反響をよんだ。それは津軽の闇の古代・中世史を敗者の視点から記した東北の原日本を描いたとされる禁断の書とされ、しかもそれが小村とはいえ、公的出版として刊行されたことにもよっている。

