「奢灞都南柯叢書」の『黄金宝壺』と『タル博士とフエザア教授の治療法』の二冊を刊行した南宋書院について、一編補足しておきたい。日夏によれば、平井の「友人稲田稔が南宋書院を起して赤書印刻をやり始め」、その影響を受け、平井が急速に左傾したとされ…
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