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古本夜話1512 今東光『十二階崩壊』と谷崎潤一郎『痴人の愛』

 浅草の十二階といえば、ただちに今東光の『十二階崩壊』(中央公論社、昭和五十三年)が思い出される。それはその表紙に明治二十八年の浅草の百花堂発刊の彩色図絵「東京名所凌雲閣」を用いていたからだ。ただ残念なことに、『海』に連載中に今が急逝したことで、その「崩壊」までは描かれないままでの絶筆となってしまったのである。 

 十二階崩壊
 ここではまず槌田満文編『東京文学地名辞典』(東京堂)における凌雲閣の立項を抽出しておくべきだろう。それは図絵と共通する全体像の写真を伴い、凌雲閣は明治二十三年から大正十二年まで、浅草千束町二丁目にそびえ、俗に「十二階」と呼ばれていたとされる。この高塔は高さ二二〇尺、十階までは八角形の総煉瓦、その上の二階は木造の計十二階だったことによる。工科大学教師W・K・バルトンの設計で、明治二十三年に完成し、十一月に開業している。だが大正十二年の関東大震災によって六、七階から崩れ落ち、そのままでは危険なので、赤羽工科隊によって完全爆破された。ちなみに『同辞典』には明治四十四年の「浅草公園週辺」一ページ地図が掲載され、凌雲閣が国技館の近傍に接し、その周辺に動物園や植物園を兼ねた遊園地の花屋敷があるとわかる。

 

 『十二階崩壊』は大正時代の「悪魔主義者」である谷崎潤一郎の「非常勤無給の私設秘書」を自認していた今東光の回想録と見なせよう。ただそれは昭和五十年から五十二年にかけての連載なので、ほぼ半世紀後の回想となるのだが。回想の後半は今や谷崎が馴染んでいた浅草オペラ時代の隆盛や風俗、十二階下のラビリンスといわれた銘酒屋街と二千人を超える娼婦たちが描かれている。その今の記憶に残された「十二階」の回想を引いてみる。

 浅草に十二階というエッフェル塔まがいの赤煉瓦造りの塔が凌雲閣と名乗って出来上ると、はじめの頃こそ物見高い江戸っ児やお上りさんの赤毛布(あかげっと)が押しかけたものの、十二階の展望はわずかに富士山や品川の海が見え、頭をめぐらせば雲の下に筑波山が眺められるくらいのもの、その他は漠々たる坂東平野とあっては直ぐに飽きられて仕舞った。富士山なら、よく晴れた日の夕方など東京の横町から眺められたもので、ちっとも彼等にとっては興ある風景ではなかったのだ。十二階の経営者は苦しまぎれに各階を写真陳列室に当て、新橋芸者の写真を並べているうちに、洗髪のお妻の写真だけが聊か評判になったくらいのもので、エレベーターの上り下りも江戸っ児を惹きつけるほどのものではなかった。

 (中略)余程、花屋敷の方が面白かったのを覚えている。従って十二階は寂びれる一方だったが、その周囲に集って来た銘酒屋は、明治、大正、昭和と世を重ねて繁昌し、その東京の恥部は東都名所の一つとなったのだから驚くべきことだった。

 半世紀後といっても、戦後になってこのような十二階に関する証言がなされているのは貴重だし、あえて長い引用をしてみた。
 しかしこの引用からわかるように、今の眼差しは十二階ではなく、「その周囲に集って来た銘酒屋」「東京の恥部」に向けられているのは明瞭だろう。今によれば、銘酒屋とは酒は名目で、実際は売春がメインだったという。これは拙稿「マゾヒストと郊外の『お伽噺の家』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で言及しているけれど、谷崎潤一郎の『痴人の愛』(改造社、大正十四年)のヒロインのナオミは家が銘酒屋だったとされている。

 郊外の果てへの旅/混住社会論

 この作品の時代設定は大正半ばから末期にかけてなので、ちょうど『十二階崩壊』とクロスしていることは、そこに描かれた谷崎の浅草体験と重なっているのだろう。また『痴人の愛』の後半において、ナオミは郊外の「お伽噺」の家をマゾヒズムの帝国へと転化していくわけだが、図らずもそれが関東大震災後の凌雲閣の崩壊と多くの銘酒屋の玉の井への移転を背景としている事実からすれば、ナオミも「東京の恥部」であるふるさとを失った女だったことになろう。

 それらはひとまず置くにしても、今はその一方で菊池寛の反対にもかかわらず、川端康成、石浜金作たちの推薦により、帝大生でもないのに第六次『新思潮』同人となる。だが川端とは異なり、石浜は「アムンゼン金作」と称し、「夜な夜な浅草十二階下の銘酒屋街に出没し、二千に近い白首を眺めるのを楽しんでいた」のである。それは今も同様だったし、そうした石浜と「蒼白き巣窟」で話しながら、次のように思うのだった。

 僕は十二階の尖塔のあたり、傾いた月が蒼く輝くのを見ながら、文壇に出られるのもそんなに遠くないのではあるまいかとふと想ったりした。それはまさしく夢みたいな話だが、この十二階下の淫売窟から新しい文学が生まれるかもしれないではないか。

 だがここで『十二階崩壊』はほぼ終わってしまう。今がさらに十二階の崩壊とその実態、関東大震災後の状況まで書くに至らなかったことは残念というしかない。

 だが幸いなことに、『十二階崩壊』には十二階下だけでなく、同時代ももうひとつの悪所としての横浜のキヨ・ハウスというチャブ屋の実態も描かれている。このチャブ屋は谷崎家の隣にあり、近年風船舎古書目録第13号『特集都会交響楽』に「横浜チャブ屋『キヨホテル』経営者倉田治三郎・喜代子夫妻所蔵アルバム」13冊が出品されていた。これは横浜風俗文化や谷崎研究者にとっては垂涎の的ともいうべき資料だが、売れたであろうか。

(風船舎古書目録第13号)


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