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古本夜話1509 室生犀星『性に目覚める頃』と北原白秋『邪宗門』

 室生犀星の『性に目覚める頃』所収の「抒情詩時代」と「性に目覚める頃」には明治末期の金沢の貸本屋や書店事情が描かれ、言及されているので、それらもトレースしてみよう。

 

 犀星は十五歳のころから俳句を作り、また小品を書き、博文館の『少年世界』を読む一方で、俗悪な雑誌や講談本の女たちの口絵などに魅せられ、それらを写すために貸本屋によく出入りしていた。その店の光景は次のようなものだ。

 そこには毒毒々しいまでに彩描された侠客伝や、盗賊物や、お家騒動ものなど、その表紙の美しさを競うてならんでゐた。私はそれらを眺めるとき、心がおのづから躍ることを感じた。美しい口許が鋭い銀箔をつかつた短刀を咥へた女や、またはかひがひしく、薙刀をつかつて敵と切り合つてゐる仇討物の、その襷をかけた為めに絞られた袖口から出た繊い美しい腕などを、私はあかず眺めるのであつた。または、裾短な足許、美しい細細した足の指など、私はいつもいたいたしく見るのであつた。

 ここで「私」が感応しているエロチシズムこそは当時の旅芝居やその女形が体現していたものであり、後に「私」は女形の役者に魅せられ、金をとられてしまうのである。しかしここに描かれた女性の原型は時代劇映画などに確実に継承されていったし、現在であれば、コミックやアニメにおける「戦う美少女」(斉藤環『戦闘美少女の精神分析』所収、ちくま文庫)というコンセプトも付け加えることができよう。

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫 さ 29-1)

 このような時期を過ぎると、「私」は東京の雑誌に投稿するようになり、その賞牌として美しい銀メダルを受け取ったりしていた。その雑誌のひとつは『新声』だった。

 そのころ私は詩の雑誌である「新声」をとつてゐて、はじめて詩を投書すると、すぐに採られた。K・K氏の選であつた。私はよく発行の遅れるこの雑誌を毎日片町の本屋へ見に行つた。こ「新声」の詩壇に詩が載ることは、ことに私のやうな地方に居るものにとつては困難なことであつたし、実力以外では殆んど不可能なことであつた。そのかはりそこに掲載されれば、疑ひもなく一個の詩人としての存在が、わけても地方にあつては確実に獲得できるのであつた。(後略)

 ちなみにこの後に掲載された「いろ青き魚はなにを悲しみ/ひねもすそらを仰ぐや。」と始まる詩は「明治三十七年七月処女作」とある。この事実からすると、佐藤義亮が明治二十九年に創刊した『新声』は同三十六年に新声社が破綻したことで、正岡芸陽の第二期『新声』に移っている。選者の「K・K氏」とは児玉花外であり、犀星のこの詩が掲載されたのはこちらの『新声』においてだった。これらの経緯と事情に関しては『近代出版史探索Ⅶ』1206でふれたとおりだ。

 

 『新声』に前述の詩が掲載されたことで、「私」は同じ街にいて、やはり詩を書いている表という十七歳の同年の友を得た。彼は「麦の穂は衣へだてておん肌を刺すまで伸びぬいざや別れむ」といった美しく巧みな歌を詠んでいて、「私」を驚かせたし、「ラバア」の存在を感じさせた。実際に彼は絶えず女に手紙を書き、幾人もの女から手紙をもらっていた。「表は女性にたいしては無造作であるやうでいつも深い計算の底まで見ぬく力を持つてゐる」のだった。

 だがそれゆえにこそ、表の評判は悪く、不良少年としてその名前が知られ、警察に調べられたりしていたけれど、公園の掛茶屋の娘と深い交際をしていた。

 その表が肺を病み、寝つくようになり、わずかの間にやせ衰えてしまった。「私」が見舞いにいくと、すでに彼は死の想念に捉われ、淋しいから明日も来てくれと頼む。「私」は急に明日も来なければと思い、次のようにいう。

  「きつと来るよ。それに『邪宗門』が著いたから持つてくるよ。」
  「あ、『邪宗門』が来たのか。見たいなあ。今夜来てくれたまへ。」
 表は興奮して熱を含んで言つた。

 『邪宗門』が『近代出版史探索Ⅴ』836の易風社から刊行されたのは明治四十二年三月のことだから、この会話が交わされたのはおそらくその年の四月だったのではないだろうか。明治末期に書店は三千を数えるまでになり、出版社・取次・書店という近代出版流通システムは大正時代においてさらなる発展を遂げることを約束されていた。

 

 『邪宗門』も日本近代文学館によって複刻され、手元にある。石井柏亭の装幀、四六判函入、三五〇ページ、一二〇篇が収録され、定価一円。それらの異国情調的象徴詩と南蛮趣味は日本近代詩上に一画期をもたらし、白秋の詩人的位置を定めたとされる。関東の「邪宗門秘曲」は右ページに柏亭による三人の切支丹神父を描いた挿画「澆季」を描き、「われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。」と始まり、この『邪宗門』が北国の二人の少年に与えた影響は現在からは想像できないほどのものだったと考えられる。

 (複刻)

 「私」は『邪宗門』を持って、表を再訪し、それを出してみせる。

 「もう出たんだね。」
 表は手にとつて嬉しさうに見た。革刷のやうな羽二重をまぜ張つた燃ゆるやうなこの詩集は彼を慰めた。感覚と異国情調と新し官能との盛りあがつたこの書物の一ページ毎に起る高い鼓動は、友の頬を紅く上気せしめたのみならず、友に強い生きるちからを与へさへした。

 だがそれは二人の別れの書でもあり、「秋も半ばすぎにこの友は死んだ」と記されている。


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