出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1189 ヴィゼッテリイとゾラの英訳

 前回の井上勇も『制作』の翻訳に際し、「ヴイゼツテリイ監督のもとに出版された英訳」も参照したと「覚書」に記していた。前々回の山本昌一は『ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学』の「ゾラと荷風・枯川」において、従来の所謂「ヴィゼッテリイ本」ヴィゼッテリイ書店」に対して異議を表明している。そこでは拙訳『パスカル博士』の「あとがき」の「ヴィゼットリー親子の刊行による英訳」という言も引かれ、ゾラの英訳本の訳者と出版社と刊行の時期はそれぞれ異なるので、「ヴィゼッテリイ本」を書誌的にはっきり認識すべきだと山本は述べている。

f:id:OdaMitsuo:20210814100331j:plain:h115 ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学  パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 そのことに言及する前に、『リーダーズ・プラス』(研究社)に恰好のヴィゼッテリイの立項を見出しているので、まずはそれを示しておく。人名ハイフン、発音記号などは省略する。

リーダーズ・プラス

 Vizetelly ヴィゼテリー Henry Richard ~(1820-94)⦅イタリア系の英国の出版業者;版画家としてIllustrated London News /に寄稿;この雑誌に対抗する自分の雑誌Pictorial Timesを1843年に創刊;Illustrated London News の特派員としてParis(1865-72)および Berlin(1872)に派遣された;普仏戦争に際してParis攻囲戦を目撃し,のちに息子のErnest と共にParis in Peril (1882)を書いた;また出版業者としてフランスおよびロシアの作家の作品を翻訳出版したが、Zolaの作品の出版によって、猥雑性をめぐる2度の訴訟に巻き込まれた;回想録Glances back through Seventy Yearsを出版(1893);弟のFrank(1830-83)もIllustrated London Newsの海外特派員であったがSudanで殺された。息子のEdward Henry(1847-1903)とErnest Alfred(1853-1922)もジャーナリスト;2番目の妻との間の息子Frank Horace(1864-1938)は米国に帰化(1926),New York の Funk and Wagnalls社の編集陣に加わってStandard Dictionaryなどの編集を行なった⦆

 先にこれを挙げたのは山本の「ヴィゼッテリイ本」の解題が、この父子関係をふまえないとよくわからないからである。ここには一族と出版の関係が簡略に示されているが、ゾラの英国亡命の世話をしたことにはふれられていない。なおここではヴィゼテリーとされているが、これからは山本に従い、ヴィゼッテリイを使用する。

 山本はゾラに関する「ヴィゼッテリイ本」を次の三種類に分類している。ヘンリィが中心となり、ヴィゼッテリイ書店から出版したV版、ヘンリィの二男であるアーネストが訳し、編集したシャトー・アンド・ウィンダス社(Chatto & Windus)のC版、長男エドワードがハチンソン社(Hutchinson)から出した訳書を3番目のH版とするものだ。

 そして山本は「ルーゴン=マッカール叢書」のV版十五冊、C版十二冊、H版四冊のリストと各書影も掲げ、「ヴィゼッテリイ本」の実像を提示し、次のように記すのだ。

 V版、C版、そしてこのH版が、ヴィゼッテリイ父子がかかわった、主としてルーゴン=マッカール叢書についての大よそである。改めていうまでもないが、ヴィゼッテリイ書店はゾラだけを出版したわけではなく多数の書を刊行しているのであって、それはヴィゼッテリイから出版されている本のうしろの広告を見れば一目瞭然である。これはシャトー・アンド・ウィンダスの書も同様であって他に多くの書を刊行しているのも広告を見ればわかるのである。ただヴィゼッテリイ書店は当時の英国の出版協会などがゾラの英訳書などを中心にヘンリィ・ヴィゼッテリイを告発し、ヴィゼッテリイ書店が立ちゆかなくなったために、C版の刊行になったことは知られている通りであるが、ここではこの点には立ち入らない。

 山本は島崎藤村や島村抱月を研究する過程で、日本の自然主義者たちが読んだフランス語の英訳本に興味を持ち、その探求と収集を始め、このような実証的地平に至ったことになる。私などには想像もつかないほどの長い年月と洋書購入費を投じての成果であり、それだけでも顕彰すべきだと思われる。

 私はたまたま拙稿「ヴィゼッテリー社のゾラとドストエフスキーの英訳」(『古本屋散策』所収)で書いているように、古書目録でC版のHis Excellencyの一冊だけを入手している。山本の丹念な収集に対して貧しい極みだが、同書を参照して、「ルーゴン=マッカール叢書」の最後の未邦訳『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』を翻訳するに至ったこともあるので、シャトー・アンド・ウィンダス社の出版物に少しばかりふれてみよう。

ウージェーヌ・ルーゴン閣下―「ルーゴン=マッカール叢書」〈第6巻〉 (ルーゴン・マッカール叢書 第 6巻)

 『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の英訳His Excellency に関して、山本はV版の一八八六年本、C版の一九〇〇年本を挙げている。だが私の手許にあるのは一八九七年本、四六判上製、本文三五九ページである。山本がC版書影として掲載しているのはThe Fortune of the Rougons (『ルーゴン家の誕生』)で、イラストは異なるものの、レイアウトは同じで、それは一九九六年本であることからすれば、「C版は一冊一冊全部デザインが異なり表紙の色の鮮か」という特徴を共有していた。確かにHis Excellencyの表紙は色褪せているけれど、鮮やかな臙脂色だったことがうかがわれる。 

 本扉の前のページに「ルーゴン=マッカール叢書」既刊として、『パリの胃袋』『金』『夢想』『壊滅』『パスカル博士』がリストアップされ、『夢』の訳者はEliza.E.Chaseだが、その他にはE.A.Vizetellyとあるので、アーネストが翻訳したことになろう。だが『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』の「序文」はアーネストと明記されているものの、訳者名は付されていない。父のヘンリィが訴えられたこと加え、この小説が政治をテーマとすることから、あえて訳者名を伏せたのであろうし、そうした「忖度」が「序文」に感じられる。

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション) 金 (ゾラ・セレクション) 夢想 (ルーゴン・マッカール叢書) 壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書) The Dream (『夢』)

 同書の巻末にはシャトー・アンド・ウィンダス社の一九〇二年九月の出版目録が三〇ページに及び、千冊以上の小説と文学作品が掲載され、同社が予想外に大出版社であることを教えてくれる。それらを詳細にたどってみたいけれど、ここではゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」に限定するしかない。そこには前述の他に『制作』『生きる歓び』『ジェルミナール』『ムーレ神父のあやまち』『ルーゴン家の誕生』『プラッサンの征服』が加わり、翻訳、序文を伴う編集はアーネスト・A・ヴィゼッテリイとあるので、実質的にC版はアーネストが担ったことが確認できるのである。

制作 (上) (岩波文庫) 生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション) ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)

 なお J・フェザー『イギリス出版史』(箕輪成男訳、玉川大学出版部)を繰ってみたが、ヴィゼッテリイ書店事件への言及は見られなかった。

イギリス出版史

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古本夜話1188 第百書房、井上勇訳『制作』、高島正衛

 ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の大正時代の譲受出版に関して、ずっとトレースしてきたので、ここでもう一冊付け加えておこう。

 それは本探索1179でも挙げておいた井上勇訳『制作』で、大正十一年に聚英閣から刊行されているが、この前後巻2冊は未見である。私が入手しているのは大正十五年十二月の三版、第百書房の上製新書版上下巻で、おそらく聚英閣版を踏襲した譲受出版だと思われる。この井上訳『制作』はフランス語からの直訳で、下巻に削除部分が見えているけれど、次の新訳と完訳は平成十一年の清水正和訳『制作』(岩波文庫)を待たなければならなかったので、八十年間はこの井上訳でしか読むことができなかったのである。

f:id:OdaMitsuo:20210814100331j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210814100052j:plain:h120(聚英閣版)制作 (上) (岩波文庫) 制作 (下) (岩波文庫) (岩波文庫版)

 それに井上は「訳者序」にいうがごとく、「此の『制作』こそ、近代文芸史上にゾラのうち建てし記念塔」とみなし、ゾラの情熱の力が最も強く表現された作品として翻訳に臨んでいる。それは『制作』のコアが、ゾラとその友人にしてモデルでもあるマネやセザンヌたちの印象派との関係を通じての自伝的な「巴里青年芸術家の真相」を描くことにあると見なしているからだろう。

 それはともかく、私にとってまさに意外で印象的だったのは、クロージングにおける主人公のクロードの葬儀の場面で、思いがけない人物が登場してくるのである。そこ引いてみる。

 再従兄で、名誉勲章を持つて、大変な富豪で、巴里でも名高い大きな呉服店の主人であつた。立派な服装をして、美術に対する造詣が如何に深いか、その服装で見て貰ほうといつた様子をしてゐた。(中略)立ち上るや、枢車の直ぐ後の先頭に立つて、会葬者を如何にも物慣れた、慕しさうな態度で導いていつた。

 何と彼は『ボヌール・デ・ダム百貨店』のオクターブ・ムーレで、クロードの新聞死亡記事を見て、葬儀に連なっていたのである。井上にしても「大きな呉服店」という訳語からすすると、『ボヌール・デ・ダム百貨店』は未読だったと思われる。

 ボヌール・デ・ダム百貨店

 井上に関しては『近代出版史探索』196でその著書『フランス・その後』を取り上げているが、ここでは『日本近代文学大事典』における立項も紹介しておこう。

 井上 勇 いのうえ・いさむ 明三四・四・三〇~昭六〇・二・六(1901~1985)ジャーナリスト、翻訳家。東京生れ。大正十二年、東京外語英仏語部卒。同盟通信社外信部部長、パリ支局長、時事通信社取締役を歴任。エラリー・クィーン、ヴァン・ダインなど推理作家の作品のみならず、レマルク『凱旋門』(昭二二 板垣書店)、バルビュス『地獄』(昭二七 創芸社)、ロラン『ジャン・クリストフ』(昭二八 三笠書房)などフランス文学の翻訳を手がける。
 凱旋門 上巻   ジャン・クリストフ〈第1〉 (1953年) (三笠文庫〈第178〉)

 この立項を挙げたのは、中学時代に創元推理文庫で読んだエラリー・クィーンやヴァン・ダインは多くが井上訳であった。彼に加えて、イアン・フレミングの訳者である井上一夫がいて、二人の井上の翻訳によって、海外ミステリの世界に馴染んでいったことになる。

 しかし『ナナ』『制作』『テレーズ・ラカン』などのゾラの翻訳者としての言及はなされていない。井上は戦後の昭和二十年代にあって、フランス文学の翻訳も多いことから考えれば、どうして『制作』が再版されなかったのかという問いも生じてしまう。

 井上のもう少し詳しい翻訳書リストを求めて、日外アソシエーツの『現代翻訳者事典』(昭和六十年)を繰ってみたが、井上一夫のほうは見出されたけれど、勇は物故者ゆえなのか、収録されていなかった。彼は近代翻訳史から忘れ去られてしまうのであろうか。

 だがそうした一方で、第百書房と発行者の高島正衛はすでに近代出版史の中に埋もれてしまったといっていい。『近代出版史探索』170で佐藤耶蘇基『飢を超して』の版元が第百出版社、『制作』と『罪の渦』の第百書房がともに発行者を高島とすること、『近代出版史探索Ⅱ』217で昭和円本時代の万有文庫刊行会と潮文閣がこれもまた高島が発行者であることを指摘しておいた。したがって、第百出版社、第百書房、万有文庫刊行会、潮文閣はいずれも高島正衛を経営者とするもので、第百書房と万有文庫刊行会は小石川区水道端町という住所も同じである。

 ゾラ関連で「万有文庫」の河原万吉訳『居酒屋』を入手しているが、その判型は『制作』と同じ新書判で、これもまったく類似している。だが『罪の渦』のほうは四六判であり、これらも同じく聚英閣の井上訳『呪はれたる抱擁』、すなわち『テレーズ・ラカン』の譲受出版と見なすことができる。これらの事実を考えると、高島と第百書房は特価本業界に属する譲受出版から始まり、たまたま『制作』を手がけたこと、及びその出版に本探索1146、1147などの河原も関係したことも重なり、外国文学の翻訳を中心とする「万有文庫」の企画も生まれていったのではないだろうか。これは「抄訳叢書」とも見なせるのだが、全三十六巻の明細を確認できていない。


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古本夜話1187 三星社の水上齊訳『全訳ボワ゛リー夫人』に至るまで

 本探索1184の『ボワ゛リー夫人』がようやく出てきたので、ここで書いておく。黒川創の『国境』において、夏目漱石の仲介で明治三十四年に『満洲日々新聞』に連載されたフロオベルの『ボワ゛リー夫人』は植民地の新聞だったこともあり、ほとんど知られていないとされていた。
国境 完全版

 しかしこちらは誰の仲介なのか確認できないけれど、大正に入って内地の出版社によって単行本化されていたし、『近代出版史探索Ⅱ』227で既述しておいたように、買い求めていたのである。それは最初の版ではなく、これも譲受出版のほうで、ゾラと異なり成光館ならぬ、本探索1167などの三星社版を入手している。しかもそれは十年以上前で、山本昌一の『ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学』(双文社、平成二十四年)を読んだことがきっかけだったと思う。三星社版は函入上製、菊半截判、第一、二篇合わせて七三五ページで、大正十年六月五版発行、発行者は簗瀬富次郎である。

f:id:OdaMitsuo:20210810112242j:plain:h110 (『ボワ゛リー夫人』、三星社版) ヨーロッパの翻訳本と日本自然主義文学

 やはり同227でふれているように、プロフィルは定かでないが、簗瀬と近田澄は三陽堂、東光社、三星社という特価本出版社トライアングルの主要人物に他ならない。だが三星社は特価本出版社だけにとどまらず、『近代出版史探索Ⅳ』747の喜田貞吉が創立した日本地理歴史学会の機関誌『歴史地理』、及び喜田の弟子にあたる菊池山哉『穢多族に関する研究』(大正十二年)の発行所だった。

 山本は前掲の著作の「『マダム・ボワ゛リー』と英訳本のこと」の章において、実際に現物を入手し、書影も示した上で、『満洲日々新聞』の水上訳『ボワ゛リー夫人』が「ロータス文庫」のヘンリー・プランシャンの英訳に基づいていることを実証していく。そして最初の単行本、抄訳『マダム・ボワ゛リイ』が大正二年に『近代出版史探索Ⅱ』220の東亜堂から出され、発禁本となり、次に同四年の植竹書院の全訳と銘打たれた『ボワ゛リー夫人』の刊行までをたどる。

f:id:OdaMitsuo:20210810135819j:plain (『マダム・ボワ゛リイ』、東亜堂)f:id:OdaMitsuo:20210810113524j:plain:h127 f:id:OdaMitsuo:20210810113829j:plain(植竹書院版)

 しかしその内実として、東亜堂抄訳版は新聞連載の大幅な増補を経ているが、植竹書院全訳版は「抄訳」に対する増補は少ないとされ、それがそのまま三星社へと引き継がれていったのである。三星社と植竹書院の関係は、これも本探索1167などでもふれたばかりだが、成光館と同じく三星社グループも、大正時代後半に多くの外国文学の譲受出版を担っていたことになる。

 そうした大正時代における英訳に基づく『ボワ゛リー夫人』の翻訳出版が続いていく一方で、『近代出版史探索』186の中村星湖訳『ボワ゛リイ夫人』が大正五年に早稲田大学出版部から出され、同九年に新潮社の『世界文芸全集』、昭和二年に同じく『世界文学全集』20に収録されていく。『新潮社四十年』の語るところによれば、『世界文芸全集』の『ボワ゛リイ夫人』は早大出版部版が発禁処分を受けたこともあって、「我が社は、お百度を踏んで検閲当局に時、熱意の迸るところ幸ひに良き理解を得て、やうやくこの世界的名著を、一般読書界に提供できた」とある。

f:id:OdaMitsuo:20180911113032j:plain:h120(『世界文芸全集』)f:id:OdaMitsuo:20210810165128j:plain:h120(『世界文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110(『新潮社四十年』)

 それゆえに新潮社の好調な売れ行きを見て、三星社の水上訳『ボワ゛リー夫人』の譲受出版も企画され、版を重ねていったと推測される。三星社版の造本が『世界文芸全集』を模しているのは歴然である。その間に同じ新潮社から大正三年に、田山花袋訳『マダム・ボワ゛リイ』、同十三年に春陽堂から酒井真人訳述『ボワ゛リイ夫人』、昭和二年に万有文庫刊行会の本探索1146、1147などの河原万吉訳『ボワ゛リイ夫人』が刊行されている。

 これらの三冊に関して、山本はやはりそれらの書影を示し、テキストを比較照合し、花袋訳は水上訳をベースにした抄訳で、花袋名での代作ではないかとも推測している。また春陽堂の酒井訳述、「万有文庫」の河原訳の双方は、明らかに星湖訳によっているとの判断が下される。私はこれらの三冊を入手しておらず、未見であるが、大正時代の翻訳出版や譲受出版事情を考えれば、山本の見解を肯っていいと思われる。ただ同じく「万有文庫」の河原訳『居酒屋』は所持しているので、これも本探索1184『世界文芸全集』所収の木村幹訳と比較してみると、こちらの訳文は明らかに異なっているし、同じく水上訳『酒場』も同様である。

 さらに山本はフランス語からの直訳を謳っている星湖訳にしても、早稲田大学出版部版は初めての英訳であるエイヴリング訳を主として参照し、それをフランス語原文と照合したのではないかという推論を提出している。これも早稲田大学出版部版を入手していないけれど、山本が掲載している書影と造本を見て、ゾラの中島孤島訳『生の悦び』と同じ菊判の「近世文学」シリーズの一冊であることに気づかされた。その「序」において、中島はヴィゼッテリィの全訳と抄訳に基づき、フランス語原書も参照と記しているので、大正初期にあってはフランス語の場合、英訳を主とし、原書は従とされていたとも考えられる。

 そうした出版と翻訳状況において、特価本出版社も含め、大正時代を通じ、『ボワ゛リイ(ー)夫人』は様々な本訳によって流通販売され、読者へとわたっていたことになろう。


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古本夜話1186 ゴンクール『売笑婦エリザ』、アラン・コルバン『娼婦』、『ナナ』

 本探索1173のドーデ『巴里の三十年』 において、フローベールの家での晩餐会にはゴンクールの『令嬢エリザ』も供されていた。ゴンクール兄弟に関しては『近代出版史探索Ⅴ』825、826で取り上げているが、この作品は弟のジュールの死後、一八七七年に兄のエドモンが書き下ろしたもので、原文タイトルはLa Fille Elisa であり、まだ邦訳も出されていないことから、直訳され、そのタイトルで引かれていたことになる。

f:id:OdaMitsuo:20210719111237j:plain:h120 (創藝社版)

 実は創藝社版『巴里の三十年』 が昭和二十四年に刊行された翌年に、これも『近代出版史探索Ⅴ』822の岡倉書房から、桜井成夫訳『売笑婦エリザ』として出版に至っている。その「序」で、エドモン・ゴンクールは同826の『ジェルミニィ・ラセルトゥウ』 と同じく、「人間の悲惨事にたいする同情の念と知的好奇の念から書かれたもの」と述べ、また「読者の心に沈鬱な瞑想以外のものをもたらすことがないやうに」書いたと記している。そして「売淫と売笑婦とは一挿話にすぎなくて、刑務所と女囚、これが、本書のねらひ」であるとも。

f:id:OdaMitsuo:20210804151217j:plain:h120(『売笑婦エリザ』) ジェルミニィ・ラセルトゥウ (岩波文庫) (『ジェルミニィ・ラセルトゥウ』)

 確かに第一篇は産婆の小娘エリザをめぐる「売淫と売笑婦」の物語だが、その序章に当たる部分と第二編は「刑務所と女囚」を描き、禁錮刑によって女の理性を永久的に殺してしまう偽善的なオーバン制度に迫り、ゴンクールの「ねらひ」が後者にあるとわかる。しかし小説としての「売淫と売笑婦」に他ならない第一篇がリアルであることと相反していない。エリザがたやすく売笑婦になったのは「少女時代から、売笑といふことを女性の最も普通の職業だと見る癖がついてゐた」からで、それは次のような事情によっていた。

 エリザは、永年、淫売婦たちのそばで、看護人として暮したが、そのころ、その女たちが、自分たちの商行為を指して、働くといふ言葉を使い、しかも深い信念をもつて使つてゐるのを耳にしたものだつた。それかあらぬか、エリザは売春といふことを、ほかの職業ほどには骨の折れない楽な職業、不景気知らずの職業と考へるやうになつてゐたのだ。

 それに貧困と怠け癖、娘特有の「肉体の弛緩状態」が加わり、エリザをして売笑婦ならしめたのだ。それゆえに主として「そのころ」、十九世紀後半の売春の社会史といっていいアラン・コルバンの『娼婦』 (杉村和子監訳、藤原書店、平成三年)において、資料として使われることになる。この一冊は前回ふれたアナ―ル学派の「売春の社会史」と謳われている。コルバンは第Ⅱ部「監禁から素行の監視」の第2章「満たされぬ性と売春の供給」で、次のように述べている。

 娼婦 〈新版〉 (上) 娼婦 〈新版〉 (下)

 一八七六年から一八七九年にかけて、(中略)文学と美術において、売春を取り上げることによる明らさまな性の表現が見られるようになった。実際に性を扱ったいくつかの作品がほぼ時を同じくして発表される。たとえば、『マルト』、『娼婦エリザ』、『ナナ』、『リュシー・ペルグランの最期』、『脂肪の魂』(中略)などである。

 『マルト』は『近代出版史探索Ⅴ』828のユイスマンスの処女作で、マルトという妾を主人公とする作品、『ナナ』『脂肪の塊』はいうまでもなく、ゾラとモーパッサン、『リュシー・ペルグランの最期』はポール・アレクシスの短編小説集で、アレクシスはゾラの信奉者として、ユイスマンスと同じく『メダンの夕べ』に作品を寄せている。モーパッサンの『脂肪の塊』もこの作品集に発表されている。『娼婦エリザ』は『娼婦』 の本文中にもう一ヵ所出てくるだけだが、コルバンの「原注」をたどっていくと、十九世紀後半の娼婦の生態とハビトゥスを浮かび上がらせるに際して、このゴンクールの作品を大いに参照しているとわかる。
 
 脂肪のかたまり (岩波文庫)

 また『ナナ』が挙げられているのはコルバンがエリザと異なる高級娼婦たちにも言及しているからで、彼女たちはドゥミ=モンデーヌ、ファム・ギャラント、舞台の女、夜食相伴の女(スープーズ)と呼ばれている。彼女たちの顧客は外国の貴族、金融界や産業界の大ブルジョワ、若い新進ブルジョワジー、地方の金持たちで、「舞台の女」=女優のナナもまた高級娼婦に分類されるのである。

 コルバンはこれも「原注」において、「貴族階級の女性は決して、自らの裸身を人に見せなかった。であるからこそ、ミュファ伯爵はナナの肢体にあれほど夢中になったのである」と記している。この「原注」を読みながら、私も『ナナ』の新訳者なので、ゾラの「フランスを淫売屋にしてしまった第二帝政」という言、及びナナの出演するヴァリエテ座の支配人ポルドナーヴが「あなたの劇場」といわれ、ただちに「わしの淫売屋と言って下さい」と応じるシーンを思い出すのである。

 ナナ (ルーゴン=マッカール叢書)

 また同じくコルバンは「原注」で、ナナたちが性的倒錯にまみれた上流階級の男たちがたむろする中に、売春婦として繰り出す場面をプレヤード版のページ数で示しているので、それを拙訳で引いておこう。それはデヴィッド・リンチやピーター・グリーナウェイの映像を彷彿とさせる。

 それからは埃など気にすることもなく、歩道を服の裾で払い、腰を振り、小刻みに歩き、大きなカフェのどぎつい光の中を横切る時はさらに歩みを遅くした。胸を突き出し、声高に笑い、振り返る男たちをじろじろ見つめ、我が物顔に振舞っていた。彼女たちの顔は白く塗られ、真っ赤な唇と瞼の上の黒い墨が協調され、暗がりの中で通りの真っ只中に放り出された十三スーのオリエントの雑貨のような怪しい魅力を放つのだった。

 このようなシーンを含む『ナナ』の第8章は、パリのアンダーグラウンドと売春の実態の生々しさを伝え、「フランスを淫売屋にしてしまった第二帝政」のルポタージュのようでもあり、コルバンが『娼婦エリザ』以上に『ナナ』に言及していることを了承するのである。

1173


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古本夜話1185 テーヌ『英文学史』と『文学史の方法』

 ずっとゾラにふれてきたので、彼に大きな影響を与えたとされ、本探索1177で金森修も挙げていたテーヌ『英文学史』も取り上げておこう。

 テーヌの『英文学史』は一八六三年にアシェット書店から三巻で出版され、六四年に一巻が加えられ、六九年に五巻に分かれたれ、定本化されている。ゾラは一八六二年に取次も兼ねるアシェット書店に勤め、翌年にはその宣伝部主任となり、テーヌ、ミシュレ、サント=プーヴなどとも知り合い、六四年には処女短編集『ニノンへのコント』、六五年には長編小説『クロードの告白』(山田稔訳、『世界文学全集』16所収、河出書房新社)を刊行している。つまりゾラはテーヌの『英文学史』を近傍に置き、その出版と併走するようにして、デビューを飾っていたことになる。ちなみにダーウィン『種の起源』フランス語版は六二年、クロード・ベルナール『実験医学序説』の出版は六四年で、ゾラの文学者としての誕生にはそれらの著作が寄り添っていたのである。

f:id:OdaMitsuo:20210803205401j:plain:h110 (『クロードの告白』) 種の起原 上 (岩波文庫)  実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

 テーヌの『英文学史』は現在に至っても全訳されていないけれど、その第一巻の序論を中心とする翻訳は昭和七年に岩波文庫で出ていた。それは『近代出版史探索Ⅳ』601の瀬沼茂樹による翻訳編纂で、イポリイト・テエヌ『文学史の方法』であった。当時瀬沼は同604の千倉書房で円本の『商業全集』の編集に携わっていたはずだ。

文学史の方法 (岩波文庫) 銀行経営論 (1935年) (商学全集〈第18巻〉) (『商業全集』)

 そのことはともかく、瀬沼がテーヌの『英文学史』を翻訳するにあたって、その第一巻の「序論」である『文学史の方法』を選んだのは、それが『英文学史』の簡略なコアとして把握されただけでなく、編集者も兼ねていて、時間的制約は必然だったことから、『英文学史』全巻の翻訳は無理なので、『文学史の方法』が選ばれたと推測される。戦後版において、「序論」以外の「歴史と方法」「スタンダアル」「バルザック」の三編が追加されたのは、訳者の瀬沼にしても、テーヌの紹介者としての物足りなさをずっと感じていたことを示しているのだろう。

 だが逆に読者からすれば、『文学史の方法』によって、わかりやすくテーヌの『英文学史』のエッセンスにふれることができたのではないだろうか。テーヌはドイツやフランスにおける歴史学の変化が文学研究に起因するとして、次のように始めている。

 文学作品なるものが単なる想像の戯れでもなければ、熟しやすい頭から創りだされた独りぼっちの気まぐれでもなく、われわれをとりまく習俗の縮図であり、ある精神状態の指標であることが明らかにされた。このことから、文学上のもろもろの記念碑的な作品にもとづいて、数百年も昔に、人間がいかに感じ、またいかに考えていたか、ふたたびその仕方をみいだすことができると結論した。実際にこれを試み、しかも十分な成果を収めることができたのである。

 つまり文学作品の中に見出される「習俗」や「精神」の「感じ方」や「考え方」を歴史学の重要な問題として位置づけ、そのことを通じて、歴史学の「対象・方法・手段・法則と原因との概念」に変化が生じたことになろう。それは二十世紀のアナル学派に引き継がれていったと思われる。

 このような視座に基づき、テーヌは「歴史的記録は眼に見える具体的な個人を再構成する手段として必要な指標にほかならない」を始めとする八つの事柄を挙げていくわけだが、ここではその五の「三箇の本質的原動力—人種—環境—時代—歴史はどうして心理的力学の問題となるか、どういう時代において予見が可能であるか」に焦点を当ててみる。なぜならば、ここに人種、環境、時代をベースとする「ルーゴン=マッカール叢書」の起源をも見出せるからだ。

 テーヌは人種、環境、時代が三箇の源泉となり、「本源的精神状態」が創出されるとして、それぞれを定義しているので、簡略に抽出してみる。「人種」(la race)とは人間が出生とともに備えている「生具的・遺伝的諸性向」をさし、それらは「気質や体格にいちじるしく現れる差異性」に結びつき、民族によって異なっている。「環境」(le milieu)とはこの人種の生活している場であり、人間は自然に包まれ、多くの人間に取り囲まれながら生きている。そうした源初の永続的な集積に偶発的な「物質的・社会的諸情勢」が人間の持って生まれた性質を毀損したり、補正したりする。それに気候風土も影響を与えているのである。

 また第三の要因として、「時代」(le moment)が挙げられる。人種と環境という内部と外部の原動力の協働が創出してきた所産がその後に続くものを創り出していくのだが、そこには「習得速度」があり、それがいかなる時代をとるかで、その刻印も変わるし、全体の効果も異なってくる。このようにして、「人種」=内部の原動力(le ressort du dedans)、「環境」=外部の圧力(la pression du dehors)、「時代」=既得の推進力(l'impulsion déja acquise)が定義される。それは「一民族の場合でも、一植物の場合でも、同じこと」だとして、テーヌは続けている。

 同一の気候とは同一の土地における同一の樹液は、その植物の継続的な生育段階に応じて、相異なる種々な形態、すなわち芽・花・果実・種子と、生み出していくが、これはちょうど後につづく形態が常に先行する形態を条件として、その先行形態の死滅から生まれてくるというふうにしてである。

 これがゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の発想と創造へと結びついていったと考えるべきだろう。「人種」とはルーゴン=マッカール一族、「環境」とはナポレオン三世がもたらした社会情勢、時代とは第二帝政期に他ならないし、ルーゴン=マッカール一族の「家系樹」こそはその象徴的な体現であったのだ。


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