出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1137 米田祐太郎、支那文献刊行会『支那珍籍全集』、伊藤禱一

 こちらは昭和円本時代になってしまうのだが、やはり漢文書に関連すると見なせる『支那珍籍全集』が刊行されている。これは『全集叢書総覧新訂版』によれば、昭和三年に甲子社から四冊出され、その後は続かなかったとされる。

f:id:OdaMitsuo:20210311113529j:plain:h113f:id:OdaMitsuo:20210311113040j:plain:h113(『支那珍籍全集』)全集叢書総覧 (1983年)

 私にしてもその一冊の第二十巻『風流八紘』を入手しているだけだが、それを手掛かりにして、言及を試みる。その編訳者による「序に」に、『風流八紘』とは次のように説明されている。

 支那の正史に現われぬ閨閣の経緯、史外史伝とでも云ふべき、門外不出の秘記異聞で、四百余州四千年を通じての風流皇帝八人を選んでの艶史である。
 新らしい国が起るには、明君があり、英傑がある。明君英傑の裏には、美くしい女が潜む。それと同じで、国が亡ぶにも、明君があり、奸臣がある。そして彼らの後には、やはり傾城傾国と云れる妖婦が居るのだ。
 ここでは多く、亡国の端を啓いた麗妃佳人に配するに、奸寧邪悪な主従の非行、時代の裏を覗ふに足るもの許りを集めた。

 それらは殷の紂王と姐妃の「殷紂王艶史」、周の幽王と褒似の「周幽王艶史」、元の順帝と三十六鴛鴦婦の「元順帝艶史」、明の正徳帝と鳳姐香玉の「明正徳帝艶史」、清の乾隆帝と廓ぞめきの「清乾隆帝艶史」、同じく康熙帝と麗驪の「清康煕帝艶史」、隋の煬帝と楽女千人の「隋煬帝艶史」、唐の玄宗と楊貴妃の「唐明帝艶史」の八編からなる。そしてこれらの三八九ページに加えて、巻末には「隋煬帝艶史」と「楊玉環全伝」=「唐明帝艶史」二編の原文=漢文が一三〇ページにわたって収録され、「艶史」らしからぬ趣を添えている。

 奥付を見ると、翻訳編修、著作者は芝区白金台の米田祐太郎、「賛輯」として宮越健太郎と武田寧信の名前が並び、装幀は木村荘八、発行所は赤坂区青山南町の支那文献刊行会、発行者は牛込区市ヶ谷富久町伊藤禱一である。また「非売品」「会費金二円」との記載はこの『支那珍籍全集』も円本時代の産物だったことを伝えていよう。

 翻訳編修の米田祐太郎の名前は平凡社の『発禁本』(「別冊太陽」)シリーズに見出すことができる。それらに米田は『紅閨記』『支那猥談集』(いずれも支那文献刊行会、昭和二年)の著訳者、川端男勇との『東西媚薬考』(文久社出版部、昭和三年)の共著者として見え、何度も発禁、摘発を重ねた人物とわかる。

発禁本―明治・大正・昭和・平成 (別冊太陽) f:id:OdaMitsuo:20210316115505j:plain:h110(『支那猥談集』)

 これらの事実からすれば、支那文献刊行会は昭和二年から支那文学、文化史関連の出版を始めていて、翌年に『支那珍籍全集』という二十巻以上の円本全集に取りかかったことになろう。ただそれでも定かでないのは『風流八紘』の検印のところに米田の押印を確認できるけれど、この全集自体が彼の企画だったのかである。もちろん米田が支那文学や漢文に通じていたことは明らかだが、発行者としての伊藤禱一のことを考えると、そうとばかりは思えない。それはこれまで多くの奥付表記によって証明してきたように、著作者と発行者のいずれかが発行所の住所と一致すれば、そちらが実質的な経営者ということになる。ところが『支那珍籍全集』は先述したように、三者三様であり、一致していないので、支那文献刊行会の背後には誰か別の人物が控えていたとの推測も可能であろう。

 実はこの伊藤は拙稿「第一書房と『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』所収)で指摘しておいたように、第一書房の編集者で、昭和二十三年に第二書房を設立し、やはり第一書房のパトロネスだった片山廣子『野に住みて』を始めとする歌集や詩集を刊行し、後にその息子の伊藤文学によってゲイ雑誌『薔薇族』が創刊されていくのである。この雑誌に関しては伊藤文学『「薔薇族」編集長』(幻冬舎アウトロー文庫)を参照されたい。

古本屋散策 f:id:OdaMitsuo:20210316221728j:plain:h115 『薔薇族』編集長 (幻冬舎アウトロー文庫)

 それらのことはともかく、伊藤禱一は林達夫他編著『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部)に従うならば、昭和四年四月に早稲田大学を中退し、第一書房に入社し、その歴史に残る仕事をすることになったという。昭和四年といえば、『支那珍籍全集』が発刊され、また中絶に終わった翌年のことであり、それは偶然の暗合だろうか。

 この当時、これも前掲書によれば、第一書房は「社屋をはじめ多くのものが抵当にはいり、内部はいわゆる火の車であった」とされる。そのような状況の中で、伊藤と支那文献刊行会は第一書房の別働隊として、発禁の可能性を多分にはらむ『支那珍籍全集』の刊行に踏み切ったのではないだろうか。それでなければ、学生の身で、二十巻を超える全集の製作費の調達は無理だったであろう。円本バブル時代は本探索1132の春陽堂に見たばかりだし、第一書房の長谷川巳之吉にしても、それを夢見なかったはずもない。

 だが良心的文芸書出版社のイメージを汚すことはできないので、その出版を伊藤に託した。それが結果として失敗に終わったとはいえ、その労に報いるために、伊藤を第一書房へと招くことになったとも考えられるし、近代出版史の複雑な関係からいっても、その可能性も大いにありうると思われる。


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古本夜話1136 至誠堂「新訳漢文叢書」

 
 続けて漢文出版を取り上げてきたけれど、明治から大正にかけて、思いがけずに新書判や袖珍判としても出版されていたのである。

 紀田順一郎の『古書収集十番勝負』(創元推理文庫)において、その勝負の六番目に「有朋堂対訳詳解漢文叢書」が挙げられていた。これは大正時代に刊行された、本探索1073、1074の「有朋堂文庫」の姉妹版で、全四十一巻とされる。だがその最終巻『靖献遺言』が関東大震災によってほとんど消滅してしまい、尋常の手段では入手できない「キキメ」となっているからだった。

古書収集十番勝負 (創元推理文庫)

 この新書判の「有朋堂対訳詳解漢文叢書」は入手していないが、それに先行して、やはり大正時代に至誠堂から「新訳漢文叢書」が出され、その一冊の第十四編『新訳大学中庸』は拾っている。こちらは新書版よりもさらに小さい袖珍本で、『全集叢書総覧新訂版』に見当らないので、その巻末広告から訳者も含め、十四冊をリストアップしてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210308102312j:plain:h120(「新訳漢文叢書」)

1 大町桂月訳評 『新訳日本外史』
2 友田冝剛評 『新訳評解文章軌範』
3 浜野知三郎註解 『新訳孟子』
4 大町桂月訳評 『新訳日本楽府』
5  〃    『新訳日本政記』
6 久保天随訳評 『新訳十八史略』
7 友田冝剛評 『新訳評続文章軌範』
8 大町桂月訳評 『新訳国史解』
9 久保天随訳補 『新訳水滸全伝』上
10  〃    『新訳水滸全伝』下
11 大町桂月訳解 『新訳論語』
12 久保天随訳補 『新訳演義三国志』上
13  〃  『新訳演義三国志』下
14 浜野知三郎訳解 『新訳大学中庸』

 手元にある14はクロス装、天金函入だが、索引も含めて二百ページに満たない一冊だ。しかしこの巻だけは例外で、9、10などは上巻が千三百ページ、下巻は千二百ページとあり、袖珍判ながらも大冊とわかる。これはいずれもほとんどに「縮刷」「全一冊」と付されているように、以前に他の出版社から刊行されていた各シリーズを「縮刷」「一巻本」、もしくは上下巻とし、「新訳漢文叢書」として復刊したと見なせよう。

 訳評解者の同じく漢学学者、漢詩人としての大町桂月と久保天随に関しては『近代出版史探索Ⅱ』223で前者、同227で後者にふれているが、二人とも特価本や造り本出版社との関係が深いことに言及しておいた。それはこの「新訳漢文叢書」と至誠堂も無縁でないよう思われる。これも拙稿「至誠堂『大正名著文庫』と幸田露伴『洗心録』」(『古本屋散策』所収)で、その店員だった藤井誠治郎『回顧五十年』の証言を引き、当時の至誠堂が出版社、取次、書店を兼ね、「版元の残本まで引き受ける何でも屋であった」ことを確認している。

近代出版史探索II 古本屋散策

 藤井の先輩店員が『出版興亡五十年』の小川菊松に他ならないし、小川は『商戦三十年』(誠文堂、昭和七年)において、口絵写真の筆頭に「旧主至誠堂 加島虎吉氏」を掲げ、加島は同書に最初の「序」を寄せている。この事実は至誠堂こそが小川と誠文堂のルーツだったことを物語っていよう。小川も記しているけれども、ここでは『出版人物事典』から加島の立項を挙げてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210131142744j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20210309161158j:plain:h110 出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [加島虎吉 かしま・とらきち]一八七一~一九三六(明治四~昭和一一)至誠堂創業者。兵庫県生れ。少年時代上京、石屋の店員などをしたのち、一八九五年(明治二八)日本橋人形町で古本貸本業至誠堂を創業、九九年(明治三二)新本・雑誌の取次、販売、さらに出版事業に乗り出し、和田垣謙三の『青年諸君』を処女出帆(ママ)、『大正名著文庫』を刊行、『新婦人』を創刊するなど旺盛な活動を続け、取次は無謀な競争時代であったが、着実に業績を伸ばした。しかし、関東大震災で大きな痛手を受け、それに出版の失敗が加わり、一九二五年(大正一四)破産した。取次部門は大誠堂を設立したが、学界再編成で大誠堂を主体に東京堂・東海堂・北隆館が出資して新しい取次大東館が誕生した。ここで取次業界は四大取次時代となる。

 ここに近代出版業界が未分化であった明治後半からの古本、貸本、出版社、書店、取次を兼ねた「何でも屋」の至誠堂の軌跡の一端が浮かび上がってくる。至誠堂は明治三十年代からの六取次、大正前年の五取次の一角を占めていたけれど、大正十四年に破産に至り、そして昭和円本時代が四大取次によって担われていくのである。ちなみに大誠堂から大東館に至る取次ドラマは小川の『商戦三十年』に活写され、その再編の内幕を教示してくれるし、その中心人物の一人は先の藤井でもあり、かれは大東館の営業部長となり、新たな取次を担っていくことになる。こうした取次ドラマは近年の取次の破産と統合などが重なってくるけれど、残念ながらそこには小川や藤井のような人々は不在であることを付記しておこう。

 ところで「新訳漢文叢書」などの至誠堂の出版物はどうなったのであろうか。小川も藤井もそれらに関する証言を残していないが、やはり特価本や造り本出版社によって引き継がれ、譲受出版のかたちで復刻されていったと思われる。


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古本夜話1135 小杉放庵、公田連太郎『全訳芥子園画伝』とアトリエ社

 前回の『国訳漢文大成』続編の『資治通鑑』を始めとする「経子史部」全二十四巻の訳注のほとんどは公田連太郎によるものである。もちろん正編も『史記本紀』などの四冊を受け持っているし、この事実からすれば、『国訳漢文大成』の企画と編集自体が公田を抜きにして語れないことを意味していよう。ただずっと留意しているけれど、公田が当時の在野の漢学者で、多くの漢文注釈書を手がけていること以外はプロフィルが鮮明ではない。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』)

 その公田が手がけたもうひとつの国訳に『全訳芥子園画伝』があり、その「註解」は小杉放庵、すなわち『近代出版史探索Ⅴ』805の小杉未醒に他ならない。この第一冊「総説」を入手している。函にはサブタイトルとして「図解南画技法大全書」が付され、本体はB5判をひと回り小さくかたちのジャケットにくるまれた和本、辛子色の表紙に題簽が貼られている。その刊行は昭和十年五月、発行人は北原義雄、発行者はアトリエ社、ジャケットと函のそこには第四回配本の記載が見えることからすれば、この予約出版もすでに三冊が出されているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210301120354j:plain:h110 近代出版史探索V

 アトリエ社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』340,352で取り上げているが、あらためて北原義雄を紹介する意味で、『出版人物事典』の立項を挙げてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人 近代出版史探索II
 [北原義雄 きたはら・よしお]一八九六~一九八五(明治二九~昭和六〇)アトリエ社創業者。詩人北原白秋の弟。福岡県生れ。麻布中卒。兄鐵雄の経営するアルス社に入社。一九二四年(大正一三)日比谷にアトリエ社を創業、月刊美術雑誌『アトリエ]を創刊。以来、『東西素描大成』『芥子園画伝』『陶磁大観』『実用図案資料大成』『現代洋画全集』『西洋美術文庫』『梅原龍三郎画集』など美術関係書多数を出版、美術書出版社として知られた。四三年(昭和一八)戦時企業整備により、アルス、玄光社その他と合併、北原出版株式会社(のちアルスと改称)を創立したが、敗戦後、五一年(昭和二六)同社より分れ、アトリエ社を復興、五三年アトリエ出版社と改称。

 ここに『芥子園画伝』も出てくるので、それなりに著名な美術書だと思われるのだが、『世界名著大事典』には立項されていないし、『全集叢書総覧新訂版』にも見出されないので、何冊出されたのかも不明である。だが幸いなことに、公田と小杉による連名の「緒言」が置かれ、解題に準ずるその内容説明と意義なども書かれているで、それも引用してみる。

 芥子園画伝は南画道の宝典である、素人も此一書あれば、画を作り易く、画を観、画を論ずるに便であり、専門作家に取つては、まことに調法極まる参考書である、たゞ、余りに調法なるが為に、或は是に頼るに過ぎて、多少の弊を受くる場合無きにしもあらず、幕末明治初期の南画は振はざりし所以、一部の因るは此処に存する、事ほどさやうに、此の書の力を思ふべきだ、書に罪なく書を見る者に過ちがある、此の用意を以て此書に対し参酌よろしくを得ば、古人の所論、古人の技法、南画道の精神について、術語等について、解釈を詳細にしたることは、我等のいさゝか努めたりとなす点である。

 ここでいう「南画」とは中国の淡彩の山水画などを特色とする絵画様式で、江戸の文化文政期には長崎から伝わってきた『芥子園画伝』を範として、文人墨客は「南画」に親しみ、流行を極めていたとされる。だがその後は蔓延状態となり、「幕末明治初期の南画は振はざりし」状況を迎えていたし、それは昭和に入っても同様だったのではないだろうか。そこで全訳を試み、あらためて、「古人の所論、古人の技法、南画道の精神」を開示しようとしたとも思われる。

 この『全訳芥子園画伝』は中村不折の康熙及乾隆版の『芥子園画伝』を原本として公田が全訳し、小杉の註解は種々の列本と照合してなされている。それはまず原文が示され、続いて公田「訳」小杉の「註」「解」が置かれるという構成である。これもその「序」「約」「註」をたどれば、康熙十八年に李笠翁が金陵の別荘である芥子園において、王安節編集の『芥子園画伝』を刊行するに至る由来が述べられている。李笠翁は明末清初の小説戯曲作家で、名を漁といい、「蓑笠して自ら江潮に漁せんとて、笠翁と号す。万暦の末に生れ、明清革命の際に当りて、意を仕進に絶ち、明の遺臣を以て自ら居り、小説戯曲を述作して欝勃せる気を吐けり、天下を周遊し、晩年、南京に住して終る。年七十余」とある。とすれば、『芥子園画伝』の刊行者の李笠翁とは明治期における旧幕臣の文人や集古会によった人々の位相に連なっていることになろう。

 だがこの一文を記しながら最も残念に思ったのは、第一冊が「総記」に当たるために図版がまったくないことである。原本の彩色が施された古版画ではないにしても、鑑賞本位でない『全訳芥子園画伝』の他の巻には「すべて一色」であっても図版が収録されているようだ。いずれ見ることができるだろうか。

 ところで最後になってしまったが、奥付に発売所として牛込区西五軒町の福山書店が示され、その住所は並記の福山印刷製本所と同じである。それだけでなく、これらはかつての福山印刷所で、拙稿「三笠書房と艶本人脈」(『古本屋散策』所収)や『近代出版史探索』15などの文芸資料研究会で、「変態十二史」と「変態文献叢書」を刊行していた。それが昭和十年に福山書店を名乗り、発売所となっているのは、ここが昭和艶本時代の予約通信販売システムを維持して、おそらく外交販売も兼ね、『全訳芥子園画伝』などの予約出版美術書も一手に販売していたことを伝えている。先の北原書店の立項のところに挙がっていた美術書類もそのような販売市場を確保していたことによって、成功したのではないだろうか。

古本屋散策 近代出版史探索

 なお付け加えておけば、戦後の美術書は全国の画材屋も販売ルートに組みこまれていたし、それは戦前から引き継がれていたとも考えられるのである。

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古本夜話1134 鶴田久作と『国訳漢文大成』

 かつて「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)を書き、その際は「世界名作大観」とダントン、戸川秋骨訳『エイルヰン物語』を取り上げのだが、『国訳漢文大成』と『国訳大蔵経』はそれぞれ二万部という成功を収めたことにふれておいた。またその後、「国民文庫刊行会の『国訳漢文大成』」(『古本屋散策』所収)を書き、『近代出版史探索』105で、『国訳大蔵経』にも言及している。ただ前者は幸田露伴との関係を主としていたので、ここで前回の「漢文学復興の機運」に連なる『国訳漢文大成』の内容と訳者たちを挙げておきたい。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』) 古本探究 古本屋散策 近代出版史探索

 だがその前にあらためて鶴田を紹介するために、『出版人物事典』の立項を引いておく。
出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [鶴田久作 つるた・きゅうさく]一八七四~一九五五(明治七~昭和三〇)国民文庫刊行会創業者。山梨県生まれ。小学校卒業後上京、国民英学会卒後、日本国有鉄道を経て博文館に入社、編集に従事。一時帰郷したが、再度上京、一九〇五年(明治三八)神田小川町に玄黄社を創業、翻訳の単行本の出版をはじめる。さらに「学校の教科書にも使用し得る」日本古典の文庫『国民文庫』五四冊の出版を計画、〇九年(明治四二)国民文庫刊行会を設立。『泰西名著文庫』『泰西近代名著文庫』『国訳漢文大成』『国訳大蔵経』などの大冊を主として予約出版で出版した。読書家であり翻訳家でもあったが、出版人として明治・大正・昭和初期を通じユニークな存在であった。

 このうちの「国民文庫」に関しては菊判上製の『国民文庫総目録』(比売品、明治四十四年)が出されていて、それらの明細を見ると、本探索1116の国民図書『校註日本文学大系』を始めとする円本時代の日本古典文学全集類の範になったことが実感される。また国民図書という社名も国民文庫にあやかっているのは明白だ。それに何よりも鶴田にあっては、近代出版社の雄として成長する博文館で編集を会得し、買切制時代の書籍出版と利益率、流通販売のメカニズムを深く認識していたことが挙げられるし、予約出版にしても外交販売にしても、鶴田と国民文庫刊行会こそが先駆者の立場にあったと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20210301101712j:plain:h110(『国民文庫』)

 それゆえに杉村武『近代日本大出版事業史』においても、その一章が国民文庫刊行会に当てられ、まだ存命していた鶴田にもインタビューし、出版企画は「すべて成功し巨額の富を残し」たとされる鶴田の名前を付した一節を残しているのだろう。 だがその鶴田しても評伝などは書かれておらず、玄黄社と国民文庫刊行会の出版目録も出されていない、編集者たちのプロフィルや編輯部の実状、著者や訳者たちの全貌も明らかではない。

 それでも幸いなことに、またしても『世界名著大事典』第六巻「全集・叢書目録」において、『国訳漢文大成』の解題と明細は見出すことができるので、その解題を示す。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)

 国訳漢文大成(88冊、19207~31)国民文庫刊行会編。邦訳された漢籍の全集で、正編(1920~24)と続編(1929~31)とからなり、続編〈文学部〉第6・17両巻は上下二冊に分かれる。各巻に解題および当該原文を付す。また1939年から41年にかけてこの内容を縮刷大冊10巻にして刊行。線(ママ)装帙入もある。以上、国民文庫刊行会刊。さらに東洋文化協会刊による正、続88冊の復刊版(1955~58)も出ている。

 この『国訳漢文大成』は玄黄社時代に刊行の「和歌漢文叢書」の成功を継承するものだとされるが、こうして全88冊の内容と訳者たちの明細を目にすると、当代の漢学者、専門家が一堂に会していることがわかる。再びの機会は得られないと思われるので、あえて列挙してみる。それらは服部宇之吉、釈清譚、小柳司気太、公田連太郎、宇野哲人、児島献吉郎、小牧昌業、山口祭常、佐久節、岡田正之、笹川臨風、塩谷温、幸田露伴、宮原民平、箭内亙、加藤繁、鈴木虎雄、久保天随、岩重憲徳などである。

 そのうちの担当の一例を挙げれば、幸田露伴は正編「文学部」の14~16の『紅楼夢』や同18から20の『水滸伝』の六冊を受け持ち、それだけでも『国訳漢文大成』の見識がうかがわれるし、他の訳者たちも多くの漢和辞典類の著者、監修者として目に入る。杉村が「国民文庫刊行会の出版物中、最大の版を重ね、最も成功したもので、同会を有名にした叢書である」と評しているのは過褒ではない。

 その『国訳漢文大成』を一冊だけ拾っている。それは正編「文学部」17の清朝戯曲『長生殿・燕子箋』で、杉村の言と各巻が二万部に達したという企画の成功を裏づけるものである。函入、菊判上製、八百ページの大冊、シックな濃紺の装幀で、まさにチャイナブルーと称んでみたくなる。また驚くのは函に「第五版 第十三回配本」とあることで、奥付を確認してみると、大正十二年初版、昭和十年五版とあり、円本時代をくぐり抜け、ロングセラーとなっていたことがわかる。 
f:id:OdaMitsuo:20210301105648j:plain:h120 

 それに編輯発行者は国民文庫刊行会代表者の鶴田久作で、しかも「比売品」との記載、及びどこにも定価表示はないことからすれば、予約出版、通信販売、外交販売をクロスさせた流通販売で、ほとんど出版社・取次・書店という近代出版流通システムに依存していない事実が浮かび上がってくる。これが鶴田と国民文庫刊行会の成功を導いた独自の流通販売システムで、それらを新たな出版ビジネスモデルとして、予約出版と外交販売市場が形成されていったとも解釈できよう。

 ちなみにこの巻の『長生殿』の訳と註は塩谷温、『燕子箋』の訳者は宮原民平で、前者は9の『琵琶記』、11の『桃花扇伝奇』、12の『漢武帝内伝』や13の『剪燈新話』なども担当し、『国訳漢文大成』の主たる訳者だとわかる。『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』によれば、東京生まれの漢学者で、東京帝大文科大学漢文科において支那文学を研究し、清国へ留学後、大正九年に東京帝大教授となり、支那文学、とりわけ戯曲小説に精通とされる。

近代出版史探索IV

 またこの一文を書いてからしばらくして、中村孝也『文集志ら菊』(大日本雄弁会、大正十年)を入手し、巻末広告を見たところ、塩谷温先生述『支那文学概論講話』が掲載されていた。そこには「詩賦文章の堂奥に入りて其秘曲を詳述し戯曲小説の傑作を網羅して論評絶妙也」とあった。これによって、塩谷の『国訳漢文大成』における翻訳の担当を了承するのである。

f:id:OdaMitsuo:20210219112639j:plain(『支那文学概論講話』)


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古本夜話1133 早稲田大学出版部『漢籍国字解全書』

 本探索1130の石井研堂の『増訂明治事物起原』における「予約出版の始」で、漢籍の複刻が挙げられていたこともあって、以前に早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』の何冊かを拾っていたことを思い出した。これらはいずれも明治末に刊行された大部のシリーズだが、後者は漢文学者の服部宇之吉の校訂によるもので、門外漢には取り付く島がないこともあり、ここでは前者にふれたい。

f:id:OdaMitsuo:20210209115102j:plain:h120  漢籍国字解全書 (『漢籍国字解全書』) f:id:OdaMitsuo:20210217174438j:plain:h120(『漢文大系』)

 『漢籍国字解全書』は近年見かけなくなったけれど、かつては古本屋などの均一台によく出されていたのである。あらためて取り出してみると、それらはタイトルに「先哲遺著」の角書が付され、白地のカバーに「先哲」が書を弟子に与えるイラストが描かれ、漢籍らしい佇まいの装幀、菊判上製となっている。いずれも明治四十三年の刊行であり、ちなみにこの『全書』『世界名著大事典』の「全集・双書目録」に解題と明細のリストアップを見出せるので、解題を引いてみる。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)   

 漢籍国字解全書(53冊、1909~20)早稲田大学編集部(ママ)編。漢籍を日本かな文で注解したものを集める。第17巻までが先哲遺著で、江戸時代学者による国字解。大18巻以降が先哲遺著追補で、早稲田大学教官による国字解である。また以上のものを多少編成を変えて、《漢籍国字解全書》(全27冊、1926-28)、《二大漢籍国字解》(《史記》8冊、《八家文》4冊、1928-29)、および追補(9冊、1932-33)の形で同出版部から再版された。

 手元にあるのは2の『孟子』、8の『近思録』、9の『老子・荘子・列子』、10の『孫子・唐詩選』、11、12の『古文真宝』上下で、これらのすべてに言及できないので、9を取り上げることにする。

 これは解題とタイトルに示されているように、『老子』『荘子』『列子』のそれぞれの原文(漢文)を掲載し、それに読み下した日本文と注釈を加えて講述した江戸時代の「漢籍国字解」の集成である。例えば、『老子』は山本洞雲の『老子諺解』を収録している。そのよく知られた「小国寡民」の章を挙げれば、原文の後に「我をして、試みに小なる国、寡き民を得て、是を治めしめば、如此ならしめん」と日本語訳と注釈が続き、それが山本の講述スタイルだったことを浮かび上がらせている。同じように『荘子』は毛利貞齋『荘子俚諺鈔』、『列子』は太田玄九『張注列子国字解』に則っている。

 私はその方面の素養が欠けているので、これ以上立ち入らず、同巻巻頭に寄せられた「緊急の禀告(ご一読を煩し候)」にふれてみたい。これは『漢籍国字解全書』の七部十三冊の追補に関するもので、その中でも「異端邪説の巨魁」にして「不可解の奇書」である『墨子』を挙げ、本探索1105の内藤耻叟の「本邦唯一の解釈書」の『墨子講義』について、「近年物故せし高名の老僧」「翁の如き老大家」も、『墨子』を「読み得ざりしもの」として、「本全書の墨子と対照し、之を裏面に掲げ」ているからだ。それは20、21となる牧野藻洲(謙次郎)との「絶好の対照(墨子の一節)」で、内藤の訓点では文意がまったく通じず、それゆえにその部分の講義分の欠如が指摘され、牧野の稿本の部分が対照化されているのである。

 このことは一見するだけでもわかるし、それとともに『漢籍国字解全書』がもたらした波紋を想像できると思う。さてこれは余談になってしまうが、近年の私にとっての『墨子』は酒見賢一原作、森秀樹のコミック『墨攻』(小学館)で、すっかり楽しませてもらったことを記しておく。

墨攻(ぼっこう)(1) (ビッグコミックス)

 また同巻にはさまれた「続刊予告」の文言は、明治末期におけるこの『全書』の反響を伝えているのだろう。これもここでしか再現されないだろうし、大文字、傍点を駆使したものだから、それらはゴチックとして引用してみる。

 嚮に本全書の予約発行を公表するや、雷の如き喝采を以て迎へられ、忽にして出版界稀覯の盛況を呈するに至れり。是れ漢文学復興の機運の然らしめたる所なりと雖も、而かも江潮の優渥なる眷遇を荷ふに非ずんば、何を以てか茲に至らんや。故に厚意を空うせざらんが為に、黽勉事に従ひ、未だ嘗て聊も予定の発行期を過たず。予告以外に数百頁の紙数を増して幾多有益の図書を付載せるもの皆加盟諸彦の厚意に報いんとの微旨に外ならず。
 然るに、予約発売の当時に在りては、尚必須なる原本の、未だ発見せられざるが為に、已むを得ずして之を欠きたるを以て、本全書をして一大完璧ならしめ、永く学界の至宝たらしめんが為に、必ず其の欠漏を追補せざるべからざるを思ひ、博訪洽捜して十余部の有益なる珍書を発見することを得たり。而かも本全書の趣旨は敢て珍書を出さんとするに非ずして、万世に典拠たるべき根本書籍に対する国字解書を全備せんとするに在るを以て、断然割愛して左氏伝国字弁、伝習録筆記、楚辞師説の三大珍書を採るに止め、以て本全書をして大団円たらしめんとす。

 そうして13、14、15の加藤正庵『春秋左氏伝国字弁』、16の三輪執齋『伝習録筆記』、浅見絅齋『楚辞師説』の解題と「組方見本」が示され、続いて牧野謙次郎『墨子』、桂五十郎『荀子』、松平康邦『韓非子』、菊池三九郎『管子』といった「諸子講義発行予告」を見るのである。

 先述の「解題」、及びこれらの「続刊予告」からわかるのは、『漢籍国字解全書』が「予約発行」=予約出版で、「雷の如き喝采」を浴び、出版界の「稀覯の盛況」となり、さらなる「一大完璧」な「学界の至宝」たらしめんとして、相次いで増補されていったことだろう。それとパラレルに「未だ発見せられざる」「必須なる原本」や「有益なる珍書」も見出され、最終的に全53巻という「根本典籍」の「大団円」に至ったことになろう。

 この早稲田大学出版部の『漢籍国字解全書』と冨山房の『漢文大系』によってもたらされたと見なせる「漢文学復興の機運」を、さらに続けてたどってみなければならない。


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