出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル181(2023年5月1日~5月31日)

ー@23年4月の書籍雑誌推定販売金額は865億円で、前年比12.8%減。
書籍は483億円で、同11.6%減。
雑誌は382億円で、同14.2%減。
雑誌の内訳は月刊誌が324億円で、同15.1%減、週刊誌が57億円で、同8.9%減。
返品率は書籍が31.9%、雑誌が42.3%で、月刊誌は41.2%、週刊誌は47.9%。
村上春樹の6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』(新潮社)の重版合わせ35万も焼け石に水のようで、
最悪のマイナスと返品率ということになろう。
これに定価値上げのことを考えれば、さらなるマイナスで、23年下半期はどのような出版状況を迎えることに
なるのか、予断を許さない。

街とその不確かな壁


1.日本図書館日本図書館協会の『日本の図書館 統計と名簿』が出されたので、その「公共図書館の推移」を示す。

日本の図書館 2022: 統計と名簿

■公共図書館の推移
    年    図書館数
専任
職員数
(人)
蔵書冊数
(千冊)
年間受入
図書冊数
(千冊)
個人貸出
登録者数
(千人)
個人貸出
総数
(千点)
資料費
当年度
予算
(万円)
1971 8855,69831,3652,5052,00724,190225,338
1980 1,3209,21472,3188,4667,633128,8981,050,825
1990 1,92813,381162,89714,56816,858263,0422,483,690
1997 2,45015,474249,64919,32030,608432,8743,494,209
1998 2,52415,535263,12119,31833,091453,3733,507,383
1999 2,58515,454276,57319,75735,755495,4603,479,268
2000 2,63915,276286,95019,34737,002523,5713,461,925
2001 2,68115,347299,13320,63339,670532,7033,423,836
2002 2,71115,284310,16519,61741,445546,2873,369,791
2003 2,75914,928321,81119,86742,705571,0643,248,000
2004 2,82514,664333,96220,46046,763609,6873,187,244
2005 2,95314,302344,85620,92547,022616,9573,073,408
2006 3,08214,070356,71018,97048,549618,2643,047,030
2007 3,11113,573365,71318,10448,089640,8602,996,510
2008 3,12613,103374,72918,58850,428656,5633,027,561
2009 3,16412,699386,00018,66151,377691,6842,893,203
2010 3,18812,114393,29218,09552,706711,7152,841,626
2011 3,21011,759400,11917,94953,444716,1812,786,075
2012 3,23411,652410,22418,95654,126714,9712,798,192
2013 3,24811,172417,54717,57754,792711,4942,793,171
20143,24610,933423,82817,28255,290695,2772,851,733
2015 3,26110,539430,99316,30855,726690,4802,812,894
20163,28010,443436,96116,46757,509703,5172,792,309
2017 3,29210,257442,82216,36157,323691,4712,792,514
2018 3,29610,046449,18316,04757,401685,1662,811,748
2019 3,3069,858453,41015,54357,960684,2152,790,907
2020 3,3109,627457,24515,05458,041653,4492,796,856
20213,3159,459459,55014,89356,807545,3432,714,236
20223,3059,377463,84914,09756,626623,9392,764,325

 本クロニクル173で、21年の個人貸出数が5.4億冊で、20年の6.5億冊にくらべ、1億冊以上減少している事実に注視しておいた。
 ところが表に見られるように、22年は6.2億冊と回復してきている。この21年のマイナスと22年の回復の原因を突き止めていないのだが、コロナ禍によるとは判断できないし、何に起因するのだろうか。ただ他の数字はほとんど変わっていないにしても、図書館数が22年は減少を見ている。これはこの30年間で初めてなので、23年も注目する必要があろう。
 その一方で、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で示しておいた書店数と書籍販売冊数との対比だが、22年の書店数は1万1495店、前年比457店減、書籍販売冊数は4億9759万冊、同3073万冊減となり、後者はついに5億冊を割りこんでしまった。
 図書館貸出冊数は6億2393万冊であるので、その差は1億2634万冊となり、こちらも戻ってしまっている。安易な判断は下せないし、23年のデータを見てからということになろう。しかし図書館と書店の関係は『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で下しておいた結論を修正する必要はないだろう。
  

odamitsuo.hatenablog.com
2.トーハンと未来屋書店から出版社に対して、152店舗(直営店114店、コンセ店10店、及び準直営店28店)の日販からトーハンへの帳合変更が、店舗リストともに伝えられてきた。
 帳合変更は9月1日、スタンド商品供給店舗929店は7月以降、順次取引を開始。

 本クロニクル172で、『日経MJ』の専門店調査「書籍・文具売上高ランキング」を示しておいたが、未来屋は第5位、売上高は485億円に及ぶ。
 今回の帳合変更で、そのすべてが日販からトーハンへと変更となる。ダイエーのアシーネから始まった未来屋も長きにわたる歴史を重ねてきたことになるが、これがどのような行方をたどることになるのだろうか。

odamitsuo.hatenablog.com
3.『FACTA』(6月号)が「COVER STORY」として、「朝日を潰す社長『中村史郎』の正体」という記事を発信している。

 このリードキャプション、サブタイトルは「まるで宦官支配の清朝末期」「戦後長らく日本のジャーナリズムの主軸をなした朝日新聞社はいま、音を立てて自壊しようとしている」とある。その内実は読んでもらうしかないのだが、ここで言及しておきたいのは新聞販売部数の凋落で、本クロニクル177でも伝えたばかりだ。しかしそれはとどまることがないようだ。
 直近の販売部数は朝日380万部(前年比50万部減)、読売640万部(同40万部減)、毎日180万部(同14万部減)、日経150万部(同20万部減)、産経90万部(同10万部減)で、実質的に朝日は300万部とされている。
 これらの新聞販売部数も考えてみると、読売を除いて最盛期の『週刊少年ジャンプ』600万部にも及んでいないし、朝日はその半分にも至らないということになる。まして電子の戦いとなれば、新聞はコミックに太刀打ちできないであろうし、誰も予想していなかったメディア状況を迎えようとしている。
 前回のクロニクルで、百貨店の凋落を伝えたが、百貨店、新聞、出版も近代の装置に他ならず、そのいずれもが同じ状況に追いやられているのだ。

facta.co.jp
4.三洋堂HDの連結決算は売上高177億9800万円、前年比5.6%減、営業損失は2億5900万円(前年は500万円の利益)、当期純損失は4億9600万円(同2億7500万円の損失)。
 部門別売上高は「書店」109億9100万円、前年比10.9%減、「文具、雑貨、食品」17億3700万円、同7.4%減、「TVゲーム」15億7200万円、同64.5%増、「レンタル」12億8600万円、同13.9%減。

 上場ナショナルチェーンにして複合型書店としての三洋堂も2期連続赤字で、ビュッフェ事業や駿河屋のFC業態にも進出しているが、「書店」事業を回復する手立ては見出していない。
 それは有隣堂も同様で、店売事業本部売上はピーク時から100億円減少し、8期連続の営業赤字であることも明らかにされている。
 書籍、雑誌売上が減り続ける一方、店舗経費、無人レジ、キャッシュレス手数料などは上昇し、人件費もしかりだ。
 日経新聞の2023年賃金動向調査によれば、小売業などの非製造業の賃上げ率が3.39%で、1993年以来、30年ぶりの高水準になっている。だが書店はその賃上げ原資も確保することもできないだろう。



5.KADOKAWAの連結決算は売上高2554億2900万円、前年比15.5%増、営業利益は259億3100万円、同40.0%増、当期純利益は126億7900万円、同9.9%減で、売上高と営業利益は過去最高額。
 その要因は「ゲーム事業」で、売上高303億5100万円、同55.7%増、営業利益も142億1800万円、同173.4%増。
 「出版事業」は売上高1399億9000万円、前年比5.3%増、営業利益は131億5500万円、同24.3%減、紙の新刊点数は5500点、返品率は24%。

 ゲーム事業はフロム・ソフトウェアの「ELDEN RING」のヒットによるもので、KADOKAWAも「映像」「webサービス」に加え、電子書籍、コミックいう分野へと移行し、書籍市場らテイクオフしつつあるように思われる。の三洋堂でも「TVゲーム」の成長を見ているけれど、書店シェアは限られていよう。
 それから24%の低返品率だが、これは取次ルートからアマゾン、TRCの直取引のシェアが高くなっているゆえなのだろうか。
ELDEN RING Windows版|オンラインコード版



6.メディアドゥの連結決算は売上高1016億円、前年比2.9%減、営業利益は23億9300万円、同14.9%減、当期純利益は10億5700万円、同33.0%減の減収減益。LINEマンガ移管によって120億円減収となったことによる。
 セグメント別では「電子書籍流通事業」売上高は943億3100万円、同4.5%減、セグメント利益は52億4800万円、同9.8%増。

 メディアドゥはクレディセゾンの電子コミックサービス「まんがセゾン」で、5のKADOKAWAのコミック4万冊の配信を開始している。
 このようにメディアドゥの「電子書籍流通業」はアメーバ状に拡がり、多くの出版社との提携が進んでいるのであろう。それもトーハン筆頭株主というポジションも効力を発揮しているはずだ。めざすところは「電子書籍流通事業」のトーハン化と見なすべきかもしれない。
 また講談社もアメリカでマンガ配信サービス「K MANGA」を始め、『進撃の巨人』『東京ベンチャース』など400作品がラインナップされている。



7.学研HDとポプラ社が出版事業や海外展開を主とする業務提携契約を締結。

 学研HDはベトナムの教育・出版事業の大手でタイやシンガポールでも事業展開しているDTP社と、こちらも業務締結しているので、ポプラ社の児童書もそれらの中に加えられていくのだろう。
 だが一方で、学研プラスの「地球の歩き方」などの旅行ガイド出版事業を譲渡したダイヤモンド・ビッグ社は解散に至っている。
 様々な業務提携や事業譲渡の中で、消えていく会社もあることを伝えていよう。



8.民事再生法を申請していたマキノ出版はブティック社と資産譲渡契約を交わし、ブティック社がマキノ出版の雑誌、書籍、ムックの版権、ウェブサイト事業を引き継ぐ。

 本クロニクル179からマキノ出版の民事再生をトレースしてきているが、マキノ出版のグループ会社のマイヘルス社や特選街出版はすでに破産しているので、のダイヤモンド・ビッグ社と同じく、消えていくことになろう。



9.楽天ブックネットワークは第9期決算(2022年12月期)を公表。
 売上収益39億1700万円、営業利益1億7500万円、経常利益2億1600万円、純利益2億9200万円。
 これは新たな収益認識基準に基づき、収益を総額から純額に変更し、監査法人との協議で「代理人取引」へと移行し、収益認識学は「顧客から受け取る対価から仕入れ先に支払う額を控除した純額」で計上する方式に変更したことによる。

 本クロニクル173で、『日経MJ』の「卸売業調査」によるデータを挙げ、売上高は477億円で赤字であろうことを報告しておいた。
 このような「新たな収益認識基準」がトーハンや日販に導入されることはないと思われるが、インヴォイス制のこともあり、書店も含め、変動することも考慮に入れておくべきかもしれない。



10.『キネマ旬報』は6月20日発売の7月上下旬合併号で隔週刊発行を終了し、月刊化。

キネマ旬報 2023年6月上旬号 No.1923 (6月上旬号)

 近年は上下旬合併号も多くなり、それこそ『キネマ旬報』も5のKADOKAWA傘下に入っていたが、存続するためには月刊化に移行せざるをえなかったのであろう。
 私も本クロニクル178、179と続けて取り上げているし、キネマ旬報社の『日本映画俳優全集・男優編』『同・女優編』を始めとする事典類、「映画史上ベスト200シリーズ」は座右の銘の書として、絶えず参照している。それも本体の長きにわたる『キネマ旬報』の持続発行があってのことだと実感しているが、月刊であっても本当に続いてほしいと思う。
  折しも詩人で映画監督の福間健二の74歳の死も伝えられてきた。

日本映画映画俳優全集・男優編 キネマ旬報増刊 10.23号 創刊60周年記念出版   キネマ旬報 増刊 12・31号 日本映画俳優全集 女優編    アメリカ映画200 (1982年) (映画史上ベスト200シリーズ)  



11.海野弘が83歳、原尞が76歳でなくなった。

 海野は平凡社の編集者で、多彩な領域を横断する評論家として、ずっと触発される存在であった。愛着があるのは『モダン都市東京』『プルーストの部屋』(いずれも中央公論社)だが、近年は辞書代わりとして、『陰謀の世界史』『スパイの世界史』『ホモセクシャルの世界史』(いずれも文春文庫)の三部作を重宝させてもらっていた。
 草森伸一に続いて、オールラウンドの評論家としての海野も失ってしまったことになり、それは雑誌の終わりの時代を象徴しているかのようだ。

 原は実作者として、早川のポケミスと創元推理文庫を出自としていて、同じようにそれらを読んできた私などは面識がなかったけれど、彼に親近感を抱いていた。
 そうした意味において、二人はまさに「僕の伯父さん」ともいえたのである。

モダン都市東京―日本の一九二〇年代 (中公文庫) プルーストの部屋〈上〉―『失われた時を求めて』を読む (中公文庫) 陰謀の世界史 (文春文庫) スパイの世界史 (文春文庫) ホモセクシャルの世界史 (文春文庫)



12.外岡秀俊遺稿集『借りた場所・借りた時間』(藤田印刷エクセレントブックス)読了。

  週刊東洋経済 2023年4/22号[雑誌](ChatGPT 仕事術革命)

 冒頭の「チョウチンアンコウとAI」を読んだだけでも、外岡が卓越したジャーナリストで、文学者であったことを彷彿とさせる。
 ちょうどチャットGPTが騒がれ始め、『週刊東洋経済』(4/22)も、ChatGPTの特集を組み、たちまち3刷となっているので、外岡が存命ならば、必ずチャットGPTにも言及したと思われる。外岡の68歳の死は本当に残念だ。
 私も外岡には二度ふれているが、『借りた場所・借りた時間』の解説は久間十義が寄せていて、私なりのミッシングリンクを理解したように感じられた。 
 なお同書の出版は北海道の印刷所で、取次は神田の専門取次JRCだけなので、書店注文の際にはそのことを伝えたほうがよいと思われる。



13.『本の雑誌』(4月号)が短歌出版社対談として、藤枝大(書肆侃侃房)と村井光男(ナナロク社)の「この百年で一番、詩歌を読む人が増える時代が来る!」を掲載している。

本の雑誌478号2023年4月号

 この対談は短歌出版の現在について教えられることが多かったのだが、やはりもう一人の死者のことを思い出してしまったので、ここで続けて書いておきたい。
 それは講談社の元編集者の鷲尾賢也のことで、彼は歌人の小高賢であり、2014年に亡くなり、『出版状況クロニクルⅣ』でその死を追悼している。
 彼は講談社退職後も、現役の編集者にして歌人だったので、この対談を読んだらどのような感慨を抱いたであろうかと思った。その死からすでに10年近くが経とうとしている。



14.『神奈川大学評論』(23・102号)の「境界」特集に安彦良和が「百年の今昔―シベリア出兵と満州・ウクライナ」を寄せている。

www.kanagawa-u.ac.jp

 これは高橋治の未完に終わった『派兵』(朝日新聞社)を枕として始まり、それを資料として『アフタヌーン』連載中の『乾と巽―サバイバル戦記』(講談社)からウクライナ戦争へと続いている。
 歴史コミックの実作者ならではウクライナ戦争論であるし、『乾と巽』はまだ2巻までしか読んでいないので、続けて既刊の巻までは追いかけなければならないと思った次第だ。
 私も高橋の『派兵』について言及しているし、安彦の『虹色のトロツキー』(中公文庫)や『王道の狗』(講談社)のファンなので、ここで紹介してみた。

派兵 全4冊   乾と巽―ザバイカル戦記―(1) (アフタヌーンKC)  虹色のトロツキー 1 (中公文庫 コミック版 や 3-19)  王道の狗 (1) (ミスターマガジンKCDX (941))



15.『人文会ニュース](No143)が届き、菊池壮一の図書館レポート「図書館、出版業界を取り巻く情勢と提案」が掲載されていた。

jinbunkai.com

 このタイトルであるから、必然的に『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』への言及もあると考えていたが、まったくない。
 菊池は元リブロで、他ならぬ中村文孝の弟子だと語っていたし、『文化通信』に長きにわたって「書店員の/図書館員の目」を連載もしている。
 それなのにこれまで『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に関し、言及もしなければ、取り上げてもこなかったし、今回も同様なのである。

 ここで彼がTRCに属していることを初めて知ったが、「菊池の私見」だと断っているのだから、テーマからして言及があってしかるべきだろう。
 このような菊池の対応に関して、私はボクシング用語の「ホームサイド・デシジョン」というタームを想起してしまった。これは勝手に私訳すれば、「出版業界忖度判断」とでも称すべきもので、菊池のみならず、人文会も梓会も同様なのであろう。
 図書館業界に至ってはいうまでもない。だがで見ておいたように、我々の一冊を直視せずしてこれからの日本の図書館を語ることはできないはずだ。



16.高須次郎『出版をめぐる攻防』(論創社)が刊行された。

 出版権をめぐる攻防  再販/グーグル問題と流対協―出版人に聞く〈3〉 (出版人に聞く 3)

 著者は緑風出版の経営者で、『再販/グーグル問題と流対協』(「出版人に聞く」3)にも示されているように、持続して小出版社の著作権問題に取り組んできた。
 今回の同書は電子書籍と2014年の著作権法改正をめぐる問題にスポットを当てた記録であり、今後の電子出版問題の基本文献にすえられよう。



17.『日本近代文学館』(No.313)に書肆山田の鈴木一民代表から、書肆山田の刊行物の多数の寄贈が記されていた 。

www.bungakukan.or.jp

 書肆山田も実質的に廃業したことを意味しているのであろう。



18.今月の論創社HP「本を読む」〈88〉は「高橋徹、現代企画室、山根貞雄『映画狩り』」です。
ronso.co.jp

 『新版図書館逍遥』(論創社)は7月下旬刊行予定。

古本夜話1398 中野重治『空想家とシナリオ』

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』の「中野重治」、『往きて還りし兵の記憶』の「務台理作と中野重治」「その後の中野重治」において、いずれも主として前者は戦前、後者は戦後の中野に関して言及している。ここでは戦前の中野にふれてみる。

征きて還りし兵の記憶

 高杉は中野が「なつかしい作家」「同時代の作家」で、「中野文学の愛読者」であると書き出している。その中野に会ったのは高杉が『文芸』の編集者になってからのことだった。

 中野さんの作品のなかでも私がとくにすきな「空想家とシナリオ」は、もっとずっとあとになってから、やはり私たちの『文芸』のために書いてもらった作品である。いろいろな作家の生活をのぞき歩いている編集者のひとりとして、私は戦争中の中野さんの生活態度を、どんなことがあったにせよ、じつに立派だったと思っているが、そのことはこの作品によく出ていると思う。あれを読むたびに、私の眼のまえには軍国的ファシズム下の日本の知識人の全生活がうかびあがってくる。

 この『空想家とシナリオ』は昭和十四年に『文芸』八月号から十一月号にかけて連載され、改造社から単行本として刊行されているが、いずれも未見で、また各種の日本文学全集に見当たらず、テキストは『方法の実験』(『全集・現代文学の発見』第二巻所収、学芸書林、昭和四十二年)によっている。

(改造社) 

 『空想家とシナリオ』の主人公は車善六といって、二十二歳で東京市の区役所に努め、戸籍係をしている。その名前と戸籍係という設定にも含みがあることは明白だ。彼は空想家であるので、昔の有名な非人頭の車善七とおなじく、偉大にして下づみの人間でなければならないと心がけている。また彼は文学青年で、短編小説なども書いているが、原稿料はめったにはいらず、友人が文学雑誌の仕事をしていることもあって、短い紹介文などの仕事をくれる。それで少しばかりの収入を得ているが、三十円以上にはならない。

 そこに田舎の父の病気が重くなったという電報が届く。ところが汽車賃もなく、葬式代に至ってはいうまでもない。細君にどうするのと問われ、「シナリオを書くんだよ」と応じる。かつて友人の口からシナリオの話が持ちこまれていたのである。善六はそれまで真面目に考えていなかった「シナリオというものについて、『シナリオの書き方』というような本を買ってきて読んでもいいと思うほどの熱心さで馴れぬ考えを廻し始めた。考えれば考えるほど映画というものはおもしろいものである。しかもテーマは『本と人生』で」、「なかなかの映画が出来るぞ、親父も癒る……」

 そして善六は田口の会社からシナリオ代を前借りすることになる。彼の構想は教育映画としての「本と人生」、もしくは「書物と人間」に他ならない。昔に比べて本は安くなっているし、誰でもそれなりの金があれば、相当な本は買えるけれど、金を貯めても買えぬだけでなく、買うことで罰せられる本すらもある。それでも「ある人々は娯しみのために本を読む。ある人々は生き死にを学ぶために書物を読む。ある人がある時ある所である本を読んだため、彼の生涯のコースが決定されたという場合もなくはないのである」。そういうことが善六の空想を刺激するのだった。

 それだけでなく、善六にとって本の前提をなる紙や活字、印刷、出版、流通、販売、古本に至る本をめぐるインフラまでが想起され、そこには必ずプロレタリアの問題も潜んでいることが感知されるのである。それはいかにも中野重治的といっていいので、少しばかり長くなってしまうけれど、そのまま引用すべきであろう。まず山の木が工場で紙となり、鉱山の鉛が活字となり、それが工場での文字印刷の基礎となるを承前として続いている。

 そこに汚い街があり、そこからぞろぞろと労働者が出てきて、そこで彼らが組んだり印刷したりし、そして活字のために鉛からくる病気になり、それから別の汚い街があり、そこで家内工業的なやり方で製本がなされている。出版屋があり、大売捌きがあり、小売店がある。また古本屋があり、古本の市がある。それらの機関にも大勢の人間が働いている。彼らのなかには学問好きがある。ことに学問を身につけたいと願っている少年や青年がある。しかも彼らは、彼ら自身値うちの高い本をつくったり扱ったりしているのではあるが、彼らはそれを、どんな値うちの本か全く知らずにつぎからつぎへとつくり出したり扱ったりしているのである。たまたまそういう本を手に入れたいと思っても、自分でつくった本が自分の手にはいるということがない。こういう関係をひと眼で教えることができるのは、映画以外にはちょっと見つからぬではないか? 少なくとも、映画によってそれを教えるとは可能ある。音響を伝えるためにトーキーがあり、色彩をじかに見せるために天然色があるとすれば、本とは何か、人は本に何を感謝すればいいかを、この仕掛けによって人に伝えることは意義があるとでなければならぬ。

 もちろんこのようなシナリオを書いたとしても、本当に映画になるのかの疑念も付け加えられているが、ここにこの小説のモチーフが表出しているといえよう。

 このシナリオの行方はこの中編を読んでもらうしかないが、中野はその前年に生活のために、東京市社会局調査課千駄ヶ谷分室の臨時雇いとなっていて、善六はそのパロディ的設定と見なせよう。

 善六は数え切れないほどの映画を見てきたと述懐しているが、ひょっとすると、中野はエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』を脳裡に浮かべて、この『空想家とシナリオ』を書いたのではないだろうか。

戦艦ポチョムキン【淀川長治解説映像付き】 [DVD]


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 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1397 『文芸』編集者小川五郎と宮本百合子「杉垣」

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』所収の「目白時代の宮本百合子」において、『文芸』の責任編集者としてのポジションを語っている。それは昭和十年以後、海外の作家の動向から考えても、日本の文壇もファシズムと文化の問題に直面せざるをえないだろうが、「文化擁護」の立場での編集を意図すべきだというものだ。

 そのような時代の昭和十二年に宮本百合子が目白に引越したこともあって、高杉は定期的に訪ねるようになっていた。彼女は『文芸』に、「雑踏」(『中央公論』)、「海流」(『文芸春秋』)に続く「道づれ」を発表したが、作者や宮本顕治をモデルとしたことで、内務省警保局が好ましからざる作家のひとりに挙げたために、十三年には執筆停止、つまり発言も禁止された状態にあった。

 そこで高杉は「文化擁護」の立場から、十四年に『文芸』に病床日記「寒の梅」という随筆を掲載し、それに続いて、百合子も『文芸春秋』に随筆「からたち」を寄せ、彼女に対する執筆禁止は実質的に解かれたことになる。それゆえに小説の代わりに、宮本は『文芸』に「近代日本の婦人作家」を連載する一方で、『中央公論』にも「杉垣」を発表する。この作品について、高杉は書いている。

 「杉垣」は、当時、日ごとにきびしさを加えていく言論統制のもとで身動きができなくなりつつあった改造社にとどまるべきか、やめて義兄が用意した満州国政府の文化部門の椅子に坐るべきか、出所進退に悩んでいた私たち夫婦をモデルに、中野電信隊裏の杉垣にかこまれた私たちの小さな家を舞台にして(百合子はこの家に訪ねてきたことがある)書かれた作品で、発行直後に作者自身から速達で私たちのところに送りとどけられた「贈りもの」であった。
 戦後シベリアから復員してから、私は、河出書房の手に移っていた『文芸』に、この作品を「冬を越す宮本百合子」という実名小説の形で書いたことがあって、杉垣にかこまれた家も作品も、とても忘れがたい。

『近代出版史探索Ⅵ』で百合子の『伸子』を取り上げた際にも参照しているが、新日本出版社版『宮本百合子選集』全十二巻を古本屋の均一台から拾っていて、高杉の彼女に対する感慨を思うと気の毒にもなる。だがそれを確認してみると、「杉垣」は第三巻に収録され、「雑踏」「海流」「道づれ」も同様で、『選集』ゆえか、「寒の梅」「からたち」は見出せなかったけれど、「近代日本の婦人作家」は『婦人と文学』に改題され、第十一巻で目を通すことができた。

近代出版史探索VI 伸子(近代文学館復刻)  

 だがここでは「杉垣」に焦点を当てるべきだろう。この作品は慎一と峯子という若い夫婦が省線の駅から杉垣の自宅へと帰る夜の道での会話から始まっている。慎一は「東洋経済の調査部員」だが、義兄から満州の新興会社への総務部長としての転職を勧められ、帰ってきたところだった。慎一にとっては二度目のことで、一回目は「そんな荒仕事には向かない人間ですよ」と断わったが、軍関係者らしい義兄にしてみれば、慎一の仕事は認められるものではなく、再度の勧めとなったのである。しかし今回は慎一も、時代状況と会社の事情を考慮すれば、その勧めを重く考える心境になっていた。二十歳近く年上の義兄の立場からすると、「僕らぐらいの人間は将棋の駒みたいに見えて来るんだろうね、きっと。性格なんてものだって、使用価値からだけ見えているんだろうな」ということを承知しているのだが。

 この会話の場面を読んで、唐突ながら想起されたのは、笠原和夫脚本、山下耕作監督の『総長賭博』であった。しかもこの映画は昭和九年の設定で、その冒頭のシーンで重要な役割を占めるのは高杉をエスペランティストへと誘った佐々木孝丸に他ならないのである。『総長賭博』に関しては「『総長賭博』と『日本国勢図会』」(『古本屋散策』所収)、エスペランティストしての佐々木については本探索1315で言及しているが、今一度この映画の冒頭シーンにふれてみる。博徒天龍一家総長の荒川に対して、右翼の大物がこれからの時代は大陸の事業に食いこむことが肝要で、そこには武器や麻薬の利権が待っている。組を挙げて取り組むべきだと日の丸を背にして語る。それを演じているのが佐々木で、香川良介扮する総長はそのような「荒仕事」に若いものを使うわけにはいかないと応じ、同時に病に倒れ、そこから『総長賭博』という映画は始まっていくのである。

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 ここまで書けばおわかりと思うが、「杉垣」に示された満州での新興会社への転職、及びそこで語られた「荒仕事」というターム、しかもそれを断わる展開はそのまま『総長賭博』のイントロダクションへと重なってしまうのだ。もちろんこのようなケースは昭和戦前に多くありえたもので、笠原が、「杉垣」から『総長賭博』の冒頭シーンのヒントを得たとはいわないけれど、そこに佐々木と高杉の存在を置くと、あながち的外れだとも思えないリアリティを感じてしまう。

 なお高杉の実名小説「冬を越す宮本百合子」のタイトルは、評論「冬を越す蕾」(『宮本百合子選集』第七巻所収)からとられているのだが、やはり『ザメンホフの家族たち』に収録され、そのクロージングは「あくる日、三郎は結局、義兄にことわりの電話をかけた」と結ばれている。


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古本夜話1396 小坂狷二『エスペラント文学』と日本エスペラント学会

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』所収の「日中エスペラント交流史の試み」において、国際文化研究所、『国際文化』、夏期外国語大学のエスペラント学級講座の開設が三位一体のようなかたちで、多くの社会主義的、マルクス主義的エスペランティストたちが巣立っていったのではないかと述べ、次のように続けている。これは『スターリン体験』では、言及されていなかったので引いてみる。

 スターリン体験 (同時代ライブラリー)

 このあたらしいエスペラント人口を背景にして、一九三〇年の秋ごろから、武藤丸楠を署名人として、六巻ものの『プロレタリア・エスペラント講座』が出版された。この講座は、中国共産党や中国紅軍、福建ソヴェートを紹介するエスペラントの手紙が読みものとして編集されていて、目を見はるような内容であった。講座は、いわゆるプロレタリア=エスペランティストたちを、全国的な規模でさらに大量に養成する結果とった。そして、その勢いのおもむくところ、一九三一年一月、日本プロレタリア・エスペランティスト同盟(ポ・エ・ウ)の創立となり、機関誌『プロレタリア・エスペランティスト』(のちに『カマラード』と改称)の創刊となった。滔々たるこの運動のなかで、すくなからぬ数の中国留学生もまたエスペランティストとなった。

 それからさらに「ザメンホフの家族」としての中国と日本のエスペランティストたちの具体的な「交流史」がたどられていく。例えば、『留日回顧――一中国アナキストの半生』(東洋文庫)を著した景梅九が大杉栄からエスペラントを教わったとか、実に興味深いのだが、これ以上立ち入らない。ここでは岩波書店の小坂狷二『エスペラント文学』を取り挙げたいからだ。

留日回顧

 その前にふれておけば、これも以前に拙稿「小林勇と鐵塔書院」(『古本探究』所収)で、この版元がプロレタリア科学研究所絡みの出版物を刊行していたことを既述しておいたが、この「プロレタリア エスペラント講座」は未見だし、武藤丸楠という名前も初めて目にするものだった。そこで『近代日本社会運動史人物大事典』を繰ってみると、武藤潔として一ページにわたって立項されていたのである。「丸楠」が本名で、その後「潔」と改名したとわかる。彼は京都帝大を中退したプロレタリア科学研究所員にしてエスペランティスト

近代日本社会運動史人物大事典

 さて小坂の『エスペラント文学』は昭和八年に「岩波講座世界文学」の一冊として刊行された菊判三六ページの小冊子、パンフレット形式のもので、これも高杉がいう「あたらしいエスペラント人口」を読者層としての出版だと見なせよう。彼のことは『近代出版史探索Ⅴ』879で日本エスペラント学会発行の『エスペラント捷径』の著者としてすでに言及している。ちなみにこちらの取次と発売所は北隆館である。

(『エスペラント捷径』)

 これも先の『同大事典』で、あらためて小坂を引いてみると、彼も一ページ以上に及ぶ立項が見出された。それは「日本のエスペラント運動を再興し、日本エスペラント学会を設立して、日本にエスペラントを根付かせた組織者であり、育ての親であった。その生涯の大半をエスペラントの普及に捧げた」と始まっていた。彼は明治二十一年神奈川県生まれ、二葉亭四迷の『世界語』でエスペラントを学習し、一高に入ると日本エスペラント協会で、本探索1304の中村精男と親しくなり、大正三年には『大成エスペラント和訳辞典』を刊行する。五年に東京帝大卒業後、鉄道省に入るが、彼を中心とする若いエスペランティストのグループが形成された。それをコアとして日本エスペラント学会が設立され、彼の自宅がエスペラント運動の拠点となり、講習会や集会所にもあてられ、大正デモクラシーとザメンホフの思想が重なるかたちで、エスペラントは推進されていった。

 そのようなエスペラント運動の流れの中で、「世界文学」におけるエスペラント文学も注視されるに至ったのであろう。『エスペラント文学』の「前書き」で、小坂は「僅か半世紀前に此の世に生まれた国際補助語エスペラントは国語文学のやうなできあがつた文学を持つてゐない」が、「今後、国際文化の発展に従つて、次第に大きな地位を占めるであらうエスペラント文学の独自の意義の重大さ」を伝えようとしている。

 それをここで要約することは任ではないので言及しないけれど、世界的にいえば、一九二〇年代から三〇年代、日本の大正から昭和にかけての時代に、国際語としてのエスペラントへの大いなる希求が広範に浸透していたとわかる。それは『近代日本社会運動史人物大事典』にも反映され、エスペラント研究会の衣笠弘志によって一三七名が立項に至っている。全員に目を通しているわけではないけれど、プロレタリア・エスペラント運動も含んで、想像する以上に多くの人々がエスペラントに関わっていたことになろう。

 それは本探索で取り上げた人々も同様であり、例えば『近代出版史探索Ⅳ』877、878の土岐善磨=土岐哀果もその一人だし、日本エスペラント学会のメンバーは、これも『同Ⅳ』879を参照されたい。


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古本夜話1395 高村光太郎訳『回想のゴツホ』

 前回、大正時代に高田博厚が高村光太郎たちと交流して彫刻を続ける一方で、叢文閣からロマン・ロランの『ベートーヱ゛ン』などを翻訳していたことにふれた。

 それは高村のほうも同様で、やはり同時代に叢文閣から『続ロダンの言葉』(大正九年、『ロダンの言葉』は阿蘭陀書房、同五年、のち叢文閣、昭和四年)、エリザベツト・ゴツホ『回想のゴッホ』、ホイットマン『自選日記』(いずれも叢文閣、同十年)を翻訳刊行している。これらのうちの『回想のゴッホ』を浜松の時代舎で見つけてきた。
 
(『続ロダンの言葉』) (『回想のゴツホ』) (『ホイットマン自選日記』)

 同書は高村も「小序」で断わっているように、『近代出版史探索Ⅴ』996の同じ叢文閣の有島生馬訳『回想のセザンヌ』の「体裁を踏襲」したもので、四六倍判のフォーマット、ページ数も同様だが、モノクロながら、それぞれ一ページ、三六点の作品を掲載している。この書影だけはかつて『高村光太郎』(「日本の文学アルバム」19、筑摩書房)で目にしていたが、実物を入手して、それが裸本だとわかった。手元にあるのはゴツホによる海岸のスケッチを表紙カバーとしていて、出版からすでに一世紀を閲していることを考えると、カバー付きはめずらしい一冊なのかもしれない。

(『回想のセザンヌ』)

 奥付には大正十年四月発行とあり、訳者高村と発行者足助素一が並び、その上の検印紙には高村の印が押され、定価四円で、大判の美術書ということもあってか、当時としては高定価だと見なすべきだろう。高村は大正三年に『青鞜』同人だった長沼智恵子と結婚し、『近代出版史探索Ⅵ』1023の抒情詩社から詩集『道程』を自費出版し、それから絵画や彫刻と併走するように、翻訳を手がけていく。そこには二人の芸術生活の上での不如意、智恵子の父の死が関係しているとも考えられるし、『回想のゴッホ』の高村の検印は一世紀前とは思えないほどにくっきりと生々しく残っている。この検印は智恵子によって押されたのではないだろうか。

 初版千部とすれば、足助のことだから翻訳印税を一割ほどに想定しているはずで、それは百円ということになる。実際にどれだけ売れ、印税もどれほど支払われたかはわからないにしても、二人の芸術生活の支えになったことは間違いないだろう。それは高村の「小序」に見える足助と田中松太郎への謝辞からもうかがえる。この田中のほうはカラー印刷技術を導入した田中半七製版所創業者で、実際に『回想のゴッホ』の印刷を手がけている。ただ気がかりなのは、このような大判の高価な美術書の流通販売で、しかも大正十二年には関東大震災も起きていることを考えると、苦戦したと見なすほうが妥当であろう。

『回想のゴッホ』の著者のエリザベストはゴツホの妹で、原書はオランダ語かドイツ語のようだが、その英訳Personal Recollections of Vincent Van Gogh (by Dreier ,1913)によった重訳である。足助の勧めによる翻訳だと明記されていることからすれば、彼が入手し、その翻訳を依頼したことになろう。「私は此を訳しながらフアン・ゴツホの精神に打たれて幾度か筆を措いた。味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向つて一つの消ゆる事無き天の火となるであらう」と高村は述べてもいる。
 
Personal Recollections of Vincent Van Gogh

 ゴツホが膨大な手紙を書いている弟のテオのことはよく知られているが、テオだけでなく、妹もまた「兄の番人」だったのであり、エリザベツトという妹の存在はここであらためて認識することになる。彼女は少女の頃に、十七歳の長兄に孤独な天才を見出していた。

 奇妙な顔で若々しくなかつた。前額には既に一ぱい皺があり、大きな、立派な眉の上の眉毛は深い物思に引寄せられてゐた。小さくて奥の方にある眼は、時の印象に従つて、或は青く、或は緑であつた。しかし斯かる一切の無骨さと醜い外観とあるに拘らず、人は其深い内面生活の紛も無い表象を通して、一個の偉大性を意識したのである。

 この妹の証言と照応するように、高村はその巻頭の「標題画」としてゴツホのアルル時代の「自画像」を掲載している。それに続いて挿画第一図に「向日葵」を引き、「大正九年冬日本に初めて将来されたゴツホの油絵、山本顧彌太氏から白樺美術館に寄贈」とのキャプションが付されている。ここでゴツホの作品が初めて日本へと到来したのはその死後三十五年を経てからであることを教えられる。山本顧彌は実業家で、白樺派のパトロン的存在であった。

 このように『回想のゴッホ』はその作品を多く収録し、当時のゴツホ関連書をしては誇るべきものだと推察されるけれど、残念ながらカラー印刷はなく、これも無いものねだりになってしまうが、私の偏愛する「カラスのいる風景」が収録されていない。私はこの絵の額入り複製を郊外のリサイクルショップで見出し、玄関の壁にかけている。それこそこれも半世紀前に読んだアントナン・アルトーの『ヴァン・ゴッホ』(粟津則雄訳、新潮社、昭和四十六年)のことを忘れないようにしている。それはアルトーによる「カラスのいる麦畑(風景)」論でもあったし、「死の二日前に描かれたあのからすたちは(中略)ヴァン・ゴッホによって開かれた或る謎めいた陰気な彼岸を通して、ありうべき彼岸や、ありうべき或る恒久的な現実に至る秘密の門を開いている」と書きつけていた。そしてアルトーはこの「からすたち」を描いた後で、ゴッホが「なおも何か絵を描いたなどということも、どうにも考えられない」とまで言い切ったのである。

ヴァン・ゴッホ (1971年)  

 それからアルトーのゴッホ論とはリンクしていないが、つげ忠男が「丘の上でヴィンセント・ゴッホは」(『つげ忠男作品集』所収、青林堂、昭和五十二年)を書き、ゴッホの謎めいた生涯と自画像史をたどり、その三十九歳のピストル時代までをたどっている。アルトーやつげ忠男ではないけれど、戦後の一時期にはゴッホの時代があったように思われるし、その嚆矢となった一冊がこの高村光太郎訳『回想のゴッホ』だったのではないだろうか。

(『つげ忠男作品集』)


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