出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1547 西條八十『少年愛国詩集』と帝国在住軍人会『新興日本軍歌集』

 前回、「現代詩人叢書」に西條八十『蝋人形』があることを示しておいたが、『西條八十全集』(国書刊行会)には書影掲載されているけれど、やはり収録されていない。それはアンソロジー詩集という理由にもよっているのだろう。

西条八十全集 (1)

 西條に関してはすでに『近代出版史探索Ⅱ』380で処女詩集『砂金』『同Ⅱ』396などで『西條八十童謡全集』とそれらにまつわる数編を書いている。だがここでその後入手した西條の詩集にもふれておきたい。これも前回の百田宗治の『静かなる時』の巻末広告に、『西條八十童謡全集』(大正十年)が見え、これもかつて「吉行淳之介と冨山房『世界童謡集』」(『古本屋散策』所収)で言及している。『西條八十童謡全集』『近代出版史探索Ⅴ』994の冨山房「模範家庭文庫」のうちの『世界童謡集』を取りこんだ一冊で、ほるぷ出版の「名著複刻日本児童文学館」として、昭和四十九年に復刊されている。菊変型版、上製三七一ページ、定価は二円五十銭とある。

砂金 (愛蔵版詩集シリーズ)  

 同書によって「肩たたき」が西條の童謡、「風」がロセッティの訳謡であることを知った。前者は「母さん お肩をたたきませう/タントン タントン タントントン」、後者は「誰が風を見たでせう/僕もあなたも見やしない/けれど木の葉を顫はせて/風は通りぬけてゆく」と始まるもので、私なども子どもの頃から馴染んでいたが、西條によるものだとは認識していなかった。それにスティーヴンソンの「寝台の舟」が吉行淳之介の短編「寝台の舟」にタイトルも含め、そのまま使われていることを考えれば、『西條八十童謡全集』は広範な波紋と影響をもたらした一冊のようにも思えてくる。

 そうした童謡全集の延長戦上に大日本雄弁会講談社とタイアップしたようなかたちで、西條の『少年詩集』『少女純情詩集』が続いて、昭和十三年には『少年愛国詩集』が刊行されていく。函入上製のちがいはあるけれど、菊半截版のフォーマットと恩地孝四郎による装幀は前回の新潮社の「現代詩人叢書」と同じで、昭和十年代に入り、『少年愛国詩集』も出現してきたのである。西條はその「はしがき」で述べている。

 少女純情詩集 復刻(叢書日本の童謡)  

 支那事変に於ける皇軍の勇ましい活躍、また銃後国民の涙含ましい団結の姿は、おのづから私のペンを動かした。書かずにはゐられない気持に駆られて、私は数多感激の詩篇を綴つた。しまひには自ら、南支の硝煙弾雨の中を渡鳥のやうに彷徨して、この広古の聖戦の感動深い光景を心身に体得した。
 この間に生れた時局中、殊に皇国の少年諸君に是非読み味はつて貰いたひ作品をすぐつてこの集に収めた。(中略)
 未来の大日本帝国を雄々しく背負つて立つ若き諸君! これは君等の花やかな首途を祝ほぐ明朗愉快な軍歌集である。冀はくは常住坐臥、高らかに吟誦し、以て興国の大精神を奮起して欲しい。

 そして「進軍の歌」「愛国の詩」「希望の詩」「偉人の詩」「物語詩」の五つのセクションに及ぶ六十余の「軍歌集」が深川剛一の口絵と挿絵を巻頭にして、伊藤幾久造、川上四郎など九人の画家が続いていくのである。

 私は「軍歌」や「愛国詩」に通じていないし、それらの歴史も確認していない。だが講談社に代表される大手出版社とマス雑誌がそのような分野を開拓したと想像するに難くない。そういえば、澁澤龍彦が軍歌愛好家で歌い出すと止まらないというエピソードはよく知られているけれど、そうした時代の子であったことを象徴しているのかもしれない。

 ちなみに手元に『新興日本軍歌集』という一冊がある。昭和七年に編纂兼発行社名を小原正忠、発行所を牛込区原町の帝国在郷軍人会本部として刊行された一冊で、菊半截判の半分の小型本である。もちろん並製だが、二三五ページ、一一三の軍歌が並ぶ。その中には相馬御風歌、中山晋平曲「帝国在郷軍人会々歌」も楽譜付きで収録されている。そこで『日本近現代史小辞典』を繰ってみると、版元の立項が見出されたのである。

日本近現代史小辞典 (角川小辞典 25)

 帝国在郷軍人会 ていこくざいごうぐんじんかい
(設立1910・11・3~1945・8・31、明治43~昭和20)
 退役軍人団体。日露戦争を契機に軍国主義思想の宣伝・普及と国民の軍事能力維持の必要性が痛感され、寺内正毅陸相、田中義一軍事課長らの指導のもとに、各地にあった退役軍人の尚武団体を統合して結成された。(中略)市町村単位に分会がおかれ、1914年(大正3)10月には海軍軍人も加入した。大正後半期には工場分会も設置し、労農争議に介入するなど社会運動の抑圧にも活動した。満州事変以後は軍部の身代わりとして活躍し、国体明徴運動などの推進力となった。36年(昭和11)9月25日公布の帝国在郷軍人会令により、陸海軍大臣の所管に属する軍の公約機関となり、戦時下の国民動員に大きな役割を果したが、第2次世界大戦敗戦により解散した。

 
 帝国在郷軍人会は『新興日本軍歌集』だけでなく、それに類する多くの出版活動も展開していたにちがいない。しかもそれらは各分会との直接の買切取引であったはずだから、多大の利益が保証されていたことになろう。しかしまだ救いは『少年愛国詩集』と軍歌が重なっていなかったことで、西條のことを考えても、何となく安堵した次第である。


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古本夜話1546 百田宗治詩集『静かなる時』

 これも浜松の時代舎で、百田宗治の詩集『静かなる時』を買い求めている。これまで『近代出版史探索Ⅵ』1008で百田が詩話会と新潮社の『日本詩人』の中心人物であり、椎の木社と詩誌『椎の木』を主宰していたこと、また同1031で百田のポルトレを紹介しておいた。

  

 だが古本屋で百田の詩集を見つけたのは初めてで、裸本で疲れた状態にあったけれど、それは記憶の片隅に残るものだった。どこで見たのか、その記憶をたどってみると、『日本近代文学大事典』の百田の立項のところではないかと思い出し、繰ってみると、まさに『静かなる時』の書影が掲載されていたのである。それでいて解題は施されておらず、立項のほうに「民衆詩派と別れ、詩集『静かなる時』(大正一四・八 新潮社)の『跋』には「この一巻の詩集を以てわたしはその過去半生涯の詩人としての業績の最後のものとし、そして潔く、然り潔くいまはこの一巻に結実を置いてゐる過去の表現生活に一のアデユーを告げたいと思つてゐると書いた」とある。確かめてみると、「跋」の半ばほどにそれが見つかる。とすれば、百田にとって、この詩集は「民衆詩」に別れを告げる重要な一冊ということになろう。

 しかも百田は実生活も含め、そのことに自覚的であったようで、エピグラフとして次のような詩句が掲げられている。「星々輝きいで/風わたり/地は湿りぬ――いまぞ/殺戮をはる時」と。これは出版年のことを考えれば、関東大震災のメタファーとも受け取れるし、『静かなる時』自体も大正九年から十二年にかけて書かれ、本来は十二年九月刊行予定だったとされる。そして次ページにはこれまでの詩集が列挙され、まさに『静かなる時』がこれまでの詩に「アデユーを告げ」る一冊であるかのようだ。またその装幀も百田自身によるもので、その暗闇の中で銀色に光る三日月によって書影が記憶されていたことになろう。

 しかもそれは冒頭の「吠える犬」の光景と通底しているし、当初はそのタイトルとするつもりだったようなので、その十ページに及ぶ長詩の前半を引いてみよう。

  夜は深い、
  夜はそのかぎりない暗黒の層で続いてゐる、
  ――その底で犬が吠える、
  一匹が吠える、
  つゞいて他の一匹が、
  そして、無数のうら哀しい号音の断続と充満――。
  

  それはものがなしいメロデイをつくつて
  遠く虚空の円天井の方に失はれて行く、
  地上に起伏する山脈のやうに
  高く低く、あらゆる町と平原をつらぬいてこだましてゆく、
  

  凍りついた片眼の新月の方にむかつて  
  その唸きは一つのメロデイアスをつくつて連続する。
  

  移動する雲々の間の
  不思議な月かげ、
  宏大な織物の奥に
  點綴し、煌めく星、
  地上は連綿とつゞいて、
  その果を遠く絶海のきり出しの彼方に失はせる・・・
  

  夜は文明の頽廃するときである、
  夜はその幾世紀の障壁をくゞり抜けて
  原始のパントミイムのたちあらはれる時である……
  

  あらゆる建築物は空虚は幽霊のやうに立ち、
  四辻には人影もなく、
  荒涼たる風が白く引裂かれたやうに空中を走る、
  宮殿も議事堂も、
  官街も株式取引所も、
  閴(げき)として声ない寂寞に眠る、
  いま都会はそのあらゆる繫栄と光輝を失つて、
  遠い伝統と歴史を逆流した一個の虚しい広野となる。

 この「吠える犬」は大正時代の詩人たちのアンソロジー『山村慕鳥・福士幸次郎・千家元麿・百田宗治・佐藤惣之助』( 『日本の詩歌』13 、中央公論社)や『近代詩集Ⅱ』(『日本近代文学大系』54、角川書店)などにも収録されていないので、すこしばかり長い引用を試みてみた。『近代出版史探索Ⅶ』1352において、宮嶋資夫の関東大震災と大杉栄たちの虐殺、それらに伴う彼の「遍歴」を見てきている。百田も「五月祭(メーデー)の朝」(『百田宗治詩集』所収)を書き、民衆詩の先端を担っていたことからすれば、この「吠える犬」はその時代の百田の心象風家に他ならないと見なすこともできよう。もちろん本探索の萩原朔太郎『月に吠える』の影響も考えられる。

   (『月に吠える』)

 とりわけ夜の底で犬たちが吠え、それが「高く低く、あらゆる町と平原をつらぬいてこだましてゆく、/凍りついた片眼の新月の方にむかつて」というセンテンスは、そのまま『静かなる時』の表紙と装幀とコレスポンダンスして、それを表象している。この時代にあって、詩は想像する以上に強いインパクトを秘め、伝播していったと考えられるし、大正が詩の時代であったことも大きく影響しているのだろう。

 それは『静かなる時』の巻末広告にも顕著であり、詩話会編『明治大正詩選』第七版出来の広告とともに、新潮社刊行の詩集、及び「現代詩人叢書」の「文字通り飛ぶが如き売行」も謳われている。百田の詩集も含まれているので、それらをリストアップしてみる。

1 野口米次郎 『沈黙の血汐』
2 西條八十 『蝋人形』
3 川路柳紅 『預言』
4 室生犀星 『田舎の花』
5 佐藤惣之助 『季節の馬車』
6 三木露風 『青き樹かげ』
7 千家元麿 『炎天』
8 生田春月 『澄める青空』
9 百田宗治 『風車』
10 日夏耿之介 『古風な月』
11 白鳥省吾 『愛慕』
12 野口雨情 『沙上の夢』
13 堀口大学 『遠き薔薇』
14 萩原朔太郎 『蝶を病む』
15 福田正夫 『耕人の手』
16 正富汪洋 『世界の民衆に』
17 深尾須磨子 『斑猫』
18 大藤治郎 『西欧を行く』
19 多田不二 『夜の一部』
20 金子光晴 『水の流浪』

 

 このように挙げてはみたものの、残念ながら一冊も入手していない。それは菊半截判並製、一六〇ページ前後の小さくて薄い本であり、これまで古本屋で見かけなかったことにもよっている。それに多くが既刊詩集よりのアンソロジーということもあり、それぞれの全集にもそのままの収録を見ていない。だが紅野敏郎『大正期の文芸叢書』には立項も解題も示されているので、それらのアウトラインはつかむことができる。紅野は百田の『風車』の「序」を引き、大正九年から十一年にかけて書いた詩と二冊の別の詩集に編み、『風車』と『吠える犬』にとして刊行する予定だったとの言を示している。

大正期の文芸叢書  

 それから三年遅れ、『静かなる時』として刊行されたことになる。もちろん関東大震災によるゲラの灰燼化もあるにしても、そこには多くの事情が絡んでいたにちがいない。それは『吠える犬』から『静かなる時』へとタイトルが変更されたことにも象徴されているだろう。


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古本夜話1545 戦前と戦後の南北社

 前回、大岡信の「保田与重郎ノート」(『超現実と抒情』所収)にふれ、審美社の『神保光太郎全詩集』に言及したこともあり、当時南北社から『保田与重郎著作集』が刊行されていたことを思い出したので、それにまつわる事情も書いておこう。

   
 
 昭和四十年代前半には橋川文三『日本浪曼派批判序説』(未来社、昭和三十五年初版)を発端としてであろうが、日本浪曼派と保田与重郎への注視が高まっていたようで、他ならぬ審美社から三号までしか出なかったけれど、『日本浪曼派研究』というリトルマガジンまでが創刊されていたのである。それをあらためて繰ってみると、南北社の広告も掲載され、『保田与重郎著作集』は出ていないけれど、「南北社現代評論選書」として、桶谷秀昭『土着と情況』、秋山駿『内部の人間』、外国文学研究者たちの季刊評論誌『批評』も刊行していたとわかる。

    

 この南北社は『日本出版百年史年表』によれば、昭和三十年四月のところに「南北社創業(大竹延、1926.7.28~)文芸書その他出版、[昭和34.4.13株式会社に改組]」とある。また『全集叢書総覧新訂版』を見ると、南北社の『保田与重郎著作集』は全七巻別巻一で完結したようになっているが、私の記憶では数冊しか刊行されず、その刊行中に南北社は倒産したらしく、古本屋で特価本として出回っていたのである。そのために桶谷の『土着と情況』や秋山の『内部の人間』を読んだのは、それぞれ後の冬樹社、晶文社版によってだった。

全集叢書総覧 (1983年)  

 この他にも南北社について言及すべきことは多々あるけれど、実はここで取り上げたいのは大正時代の南北社であり、戦後の南北社と大竹にしても、それを源流としているのではないかと思われるからだ。

 その大正時代の南北社の書籍を拾っていて、それは『近代出版史探索Ⅵ』1140の吉田東伍『地理的日本歴史』で、裸本だが、菊判上製四七五ページの堂々たる一冊である。大正三年十月初版、十二月三版とあり、発行者は牛込区通寺町の株式会社南北社、その代表者は高橋都素武となっている。ただ入手しているのはこの一冊だけで、高橋の名前をここでしか見ていない。しかしこの南北社は多くの書籍を刊行していて、それは二十四冊の書影入り各一ページ広告にも明らかなので、それをリストアップしてみる。

1 茅原華山 『第三帝国論』
2 エレン・ケイ、本間久雄訳 『婦人と道徳』
3 ニーチェ、安倍能成訳 『この人を見よ』
4 メーテルリンク、大谷繞石訳 『知恵と運命』
5 メラジコフスキー、桂井当之助訳 『人間としてのトルストイ』
6 片上伸 『生の要求と文学』
7 北昤吉 『時間と自由意志/哲学入門』
8 松本雲舟、原正男共訳 『ルソーの真髄』
9 メーテルリンク、島村抱月訳 『モンナ・ワ゛ンナ』
10 ワイルド、中村吉蔵訳 『サロメ』
11 モウパッサン、前田晁訳 『誘惑』
12 徳田秋声 『別れたる妻に送る手紙』
13 加藤介春 『獄中哀歌』
14 永井柳太郎 『残飯』
15 本間国雄 『東京の印象』
16 松崎雙葉 『文部省要項準拠 礼儀作法精義』
17 尾島半次郎 『経験に基ける系統的書翰文教授法』
18 橋本弘 『和英対照英語の手紙』
19 早稲田大学十二学士 『早稲田生活』
20 全国各帝大大学士 『赤門生活』
21 江川薫 『南洋を目的に』
22 赤堀峰吉、中井治平 『家庭食物論』
23 田口鼎太郎 『明治皇后』
24 平岡敬一 『自由自在広告法』

(『別れたる妻に送る手紙』)(『赤門生活』)

 これらの大半に書影が付され、またすべてに丁寧な長い内容紹介、「忽三版」といった重版状況も告知されていることからすれば、これは立派な「南北社出版目録」といってもかまわないだろう。

 そこで念のために、『日本近代文学大事典』を繰ってみると、立項はないけれど、索引のところに高橋の名前だけはみつかり、その第五巻「新聞・雑誌」において、大正時代の南北社発行の総合雑誌『日本一』の編集主幹兼発行人と記されていた。そこで『日本一』は大正四年から七年にかけて発行された「大正期における日本自由主義の昂揚を背景に『雑誌界の新聞』たらんとした大衆向けの総合雑誌」として定義されている。

 だが先に挙げた南北社に収録された「南北社出版目録」は『日本一』創刊以前に刊行されているので、南北社と高橋は先にこれらの書籍出版を試み、それなりの手応えを得たことによって、雑誌創刊にまで挑んでいったことになろう。しかしその後の南北社の消息はつかめていないし、戦後の南北社との関係もたどれていない。


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古本夜話1544 大岡信『超現実と抒情』と神保光太郎「悲しき昇天」

 これも前回の吉本隆明『抒情の論理』を読んでいた半世紀前のことだが、続けて大岡信の「昭和十年代の詩精神」のサブタイトルが付された『超現実と抒情』(晶文社、昭和四十三年)にも目を通している。

 

 そこで同じように三好達治が論じられていたけれど、それは吉本の三好論とまったく異なるもので、『四季』にふれた「昭和十年代の抒情詩」も同様であった。だが同じ対象を扱っても、近代詩の読み方の多様性を教えられたようにも思った。それらに加えて、『近代出版史探索Ⅲ』492で既述しておいたように、同時期に橋川文三の『増補日本浪曼派批判序説』(未来社)を読んでいたこともあって、『超現実と抒情』で最も力作と見なせる「保田与重郎ノート―日本的美意識の構造試論」に注目し、入手した事情も絡んでいる。

日本浪曼派批判序説☆〔新装版〕☆

 だがその際に最も印象に残ったのは保田に関してではなく、そこに引用されていた神保光太郎の詩である。それは吉本が神保を「浪漫的英雄主義者」とよんでいたことと相俟って、現在でも記憶に残っているので、全文を引いてみよう。

   悲しき昇天
 ああ
 その饗宴はどこにあるのだらう
 古ぼけた部落(むら)であつた
 千年の樹の間を縫ふて
 マリアの石像が点々と風に吹かれてゐた
 われらの聖歌隊はどこにゐるのだらう
 その饗宴こそ
 私が生涯を懸けた願ひであつた
 あの人は言つた
 ――この道を行けばある
 けれども
 私はいつまで歩き続けねばならんのだらう
 陽(ひ)も落ち
 美しい一日もとつぷりと暮れてしまつた
 鴉がばたばた闇に消えた
 ――帰れ
 ――帰れ
 風が怪しく囁いてゐた
 その饗宴とは虚妄であつたのか  
 赫(かがや)かしい聖火
 絢爛の旗  
 天に轟く讃歌
 それはひとにぎりの私の夢であつたのか
 おお
 砂塵を嚥んだ風が馳けてくる
 私の五体(からだ)も私の夢もすつぽり裹(つつ)んでしまつた
 私は昇天する
 饗宴の夢を抱いたまま私は昇天する

 大岡はこの詩を日本浪曼派の「饗宴の空しさ」を象徴するもので、「当時の日本のロマンチストの内面風景を忠実に反映している作品」と位置づけた上で、「何という虚しい、千々に乱れた歌。この詩には身振り沢山な一切の浪曼派的ますらおぶりやさびしい浪士の心、放埓な夢想やデカダンスへの傾倒の、裏側の世界がある」と突き放している。それは「失意の嘆きで塗りつぶされた歌」で、そこで「詩人の精神はなおもおのれの自意識の中心から遠くへ向かって逃れつづけている」と。それは保田の文学の軌跡であり、「失敗に終った現代日本からの逃亡、そして失敗に終った〈日本〉への回帰」を意味していることになる。だが大岡は忘れることなく、「保田氏の試みが無意味に終ったとは到底考えられない」し、「むしろ保田与重郎の問題は終わっていない」と書きつけている。それは現在でも同様だと考えるしかないだろう。

 さてこの神保の「悲しき昇天」だが、『日本浪曼派』『四季』同人として、昭和十二年に『創造』に発表され、戦後になって刊行された詩集『陳述』(薔薇十字社、昭和三十年)に収録とあった。そこで古本屋で探したのだが、見つからなかった。その代わりに『神保光太郎全詩集』(審美社、同四十二年)を入手した。これには処女詩集『鳥』(四季社、同十四年)から第八詩集『陳述』までが揃い、第五詩集として『南方詩集』(明治美術研究所、同十九年)の存在も知った。

  (『南方詩集』)

 この『南方詩集』は昭和十七年に陸軍報道班員として、シンガポールに赴任し、中島健蔵たちと昭南日本学園を設立したことなどがテーマとなっている。その中の「われは知らず」はまさに昭南日本学園長就任の日に」との言が添えられ、「われは知らず」がリフレインされ、「ただ祈る/祈るのみなり/大君のみひかりの空/あけて行く/東亜の空よ」と結ばれている。それは「悲しき昇天」の帰結のようにも受け取れる。詩人も詩も『近代出版史探索Ⅳ』678の南進論、『近代出版史探索Ⅶ』1262に見られる小説における南進論と無縁ではなかったことになろう。


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古本夜話1543 北原白秋童謡集『風と笛』と紀元社「国民学校児童の読物」

 前回、三好達治の詩集『寒柝』の初版部数が五千部で、これが国策取次日配による買切制のもとでの出版だったことから、出版社にとっても詩人にとっても、大きな利益と収入をもたらすものであったことにふれた。
 

 その事実を反映してだと思われるが、戦時下においては想像以上に詩集が多く刊行されていたと考えられる。例えばここに詩集ではないにしても、北原白秋の童謡集『風と笛』がある。これは昭和十八年に紀元社から刊行された一冊で、函入菊判、上製一八一ページ、石井了介による装幀、造本、口絵と挿絵はすばらしく、本体のエメラルドグリーンの造本は戦時下の出版物と思われないほどだ。函入ゆえか、その鮮やかな色彩は八十年近くを経ているのに、いささかも褪せていない。これも浜松の時代舎で買い求めたものである。

 それらが相乗してなのか、奥付には昭和十七年十二月初版五千部、同十八年三月一万部とあり、好調な売れ行きがうかがわれるし、重版部数は一括採用なども含んで注文が殺到してたことを物語っていよう。

 石井は白秋の従弟だが、版元の芝区田村町の紀元社はここで初めて目にするし、それは発行者の金城陽介も同様である。それでも編集から出版に至る事情は薮田義雄の「後記」によって明らかだ。本探索で既述しておいたように、薮田は白秋の門人の詩人で、秘書なども務め、その長きにわたる側近だった。かつて拙稿「阿蘭陀書房と『異端者の慈み』」(『古本探究』所収)において、彼による『評伝北原白秋』(玉川大学出版部)を参照しているし、本探索1520でも、それに言及したばかりだ。

 

 薮田は「後記」で、本集の六章六十三篇は先の童謡集『月と胡桃』以後の「最も日本的にして純素朴なもの」、「名所・風物・土俗等に亙つて、児童の感情と生活を織り込」んだ「最も芸術の香気たかきもの」だと述べている。なお『月と胡桃』出版事情に関しては「柳田国男『秋風帖』と梓書房」(『古本屋散策』所収)で既述していることを付記しておく。

  古本屋散策

 薮田の「後記」で留意すべきは『風と笛』の出版が延引しているうちに、白秋が十一月二日に亡くなり、その二十日祭を控えた十一月十八日付で記されていることだ。そうした出版事情から、同書は白秋が自ら閲した最後の作品集ということになろう。それゆえに白秋追悼も兼ねた出版で、遺族のもとにも香典代わりの印税がもたらされたと見なしていい。

 薮田の言によれば、その出版の世話をしたのは与田準一で、やはり童謡詩人として白秋の近傍にいて、その正統後継者としての戦後の編著『日本童謡集』(岩波文庫、昭和三十二年)、白秋童謡選集『からたちの花がさいたよ』(岩波書店、同三十七年)にも面目躍如であろう。

 日本童謡集 (岩波文庫 緑 93-1)  からたちの花がさいたよ――北原白秋童謡選 (岩波少年文庫 224)

 その与田は昭和十年代に多くの児童書出版社に関係していたようで、そのひとつが紀元社であり、この版元は「国民学校児童の読物」シリーズを出していた。これは未見で一冊も入手していないけれど、『風と笛』の巻末広告にリストが挙げられているので、装幀、挿絵家の名前も下に付し、それを引いてみる。

1  林芙美子 『啓吉の学校』 黒崎義介
2  山本和夫 『大将の馬』 恩地幸四郎、小池巌
3  与田準一 『ヒカリトソラマメ』 恩地幸四郎、安泰
4  中村新太郎 『日本の翼』 飯塚玲児
5  前田晁 『楠公父子物語』 布施長春
6  蘭郁二郎 『奇巌城』 鈴木御水
7  山田三郎 『かたつむりの旅』 鈴木信太郎、高橋八重子

このシリーズには次のような説明が施されているので、それも添えておくべきだろう。

 紀元社の童話は国民学校の児童に、科学性と歴史性と健全な情操を与へんとして、出版元も作者も良心的に『面白くて、しかも文化性のある、教養的な良い読物を』ということを眼目として出版致して居ります。何れもA5判二百頁内外で、装幀も挿絵も有名な画家に描いていただいて、色刷の美しい口絵と挿絵が三十枚位入つて、美しい立派な本です。

 つまり紀元社は「国民学校」に寄り添った児童書出版社ということになろう。井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)で、彼が国民学校時代を語っていたが、あらためて説明しておく。「国民学校」は政府が教育界の戦時体制の実現のために、昭和十六年に国民学校令を公布、実施し、尋常・高等小学校を国民学校初等科・高等科と改称し、教科は国民科(修身、国史、国語、地理)を中心に理数科、体練科、芸能科からなり、皇国民の錬成を目的としたとされる。

三一新書の時代 (出版人に聞く 16)

 教育制度が変わると、それに伴い、教科書やサブテキストなども必然的に変わっていくし、それは「童話」も同様で、それが紀元社の場合、先のリストに挙がった「児童の物語」だったことになろう。

 『風と笛』のことを考えれば、これらも美しい児童書だと見なせるが、そうした出版状況下ゆえに古本屋で出会い、入手することは難しいだろう。


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