出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1301  高橋亀吉の履歴書

 『近藤栄蔵自伝』で、片山潜の在米日本人社会主義者のメンバーに高橋亀吉が挙げられているのを初めて知った。高橋の名前を目にしたのはかなり前のことで、確か谷沢永一の『完本紙つぶて』(文藝春秋、昭和五十三年)においてだったと思う。

完本・紙つぶて―谷沢永一書評コラム 1969ー78

 あらためて『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫、平成十一年)を確認してみると、昭和「51・.2・25」付の「経済学教科書を捨てよ現実を視よ」で、「大正末期以来の経済現象を最も現実的に洞察してきた」「独学在野エコノミスト」としての「高橋亀吉著作集の編纂が望まれる」との言及があった。その後実際に『高橋亀吉著作集』は刊行されなかったにしても、講談社学術文庫に『昭和金融恐慌史』『経済学の実際知識』が入ったので、そのうちに読むつもりでいたが、紛れてしまい、現在に至るまで読まないままで時が流れてしまった。

紙つぶて(完全版) (PHP文庫)  昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)   経済学の実際知識 (講談社学術文庫)

 そうしたところに久しぶりに高橋の名前を目にしたことになり、彼がアメリカの片山の近傍にいたことを教えられたのである。そこで確か高橋の自伝に類するものが日経新聞社編『私の履歴書』にも収録されていたことを思い出し、探してみると、その第十三集に見出されたので、それを読み、その「履歴」を知ることになった。彼の「履歴」をたどってみよう。

 高橋は明治二十四年山口県都濃郡に生まれ、父は和船の小造船業を営んでいた。彼は左足に障害があったので、船大工はできず、家業も衰退しつつあり、商人として身を立てるつもりでいた。そこで三十九年に大阪の袋物問屋に丁稚奉公に出て、その一年後には一旗揚げたいと考え、朝鮮の城津に向かい、押しかけ店員のかたちで、居留日本人の日用品と守備隊用足の二田商会に入った。折からの日露戦争に乗じ、電信線の架設請負や朝鮮語通訳もこなすようになり、城津商話会模範店員の表彰を受けるまでになったが、小店経営は大商社にかなうはずがないこと、また大資本を扱う商人でなければ、商人らしい活動はできないことを自覚した。そのためには大学に入り資格を得るしかないと考え、たまたま新聞広告で早稲田の通信商業講義録(二年課程)を終えれば、英語の試験だけで入学できることを知った。それは明治四十二年のことで、彼は十八歳だった。

 高橋は高等小学校三年時に夜学で英語の手ほどきを受けていたので、英語の独学の自信はついていたが、問題は学資の貯蓄と勉強時間の捻出だった。しかしそれらもクリアし、入学試験にも合格し、その上一年半後の進級試験は商科予科で首席を占め、特待生となったのである。また高橋は中学校にいかず、実際に商業の実務、経済活動の体験を経たことは後にどれだけプラスになったか計り知れないとも述べている。卒業後、戦争成金会社の筆頭の久原鉱業に入社したが、大正七年に恩師の尽力で東洋経済新報社に転身し、経済記者となった。

 当時の東京経済新報社は社長兼主幹が三浦鉄太郎、編集長が石橋湛山の名コンビだったが、経済記者の社会的評価は低く、物質的にも恵まれないにもかかわらず、社内はリベラルで、居心地もよかった。そして経済記者としても時の問題に取り組み、それを研究し評論する努力を重ねる中で、生きた真の経済理論を身につけることができるという希望を持つに至った。当時は第一次世界大戦を背景として、従来の経済理論では説明できない一大変革期だった。そうして「町学者」の立場で書き上げたのが先述の経済の応用問題としての『経済学の実際知識』に他ならない。

 そして第一次世界大戦後の大正八年十一月に東洋経済特派員として、一年四カ月の欧米視察に赴くことになった。

 出発に際し、三浦、石橋両氏から、ニューヨークの片山潜氏あての紹介状をもらった。もと、片山氏は東洋経済記者として両氏と親しかった友人であり、片山氏のもとに行けば、三等旅行する方法を教えてくれるであろうとの配慮であった。こうして片山潜氏と知り合ったことが、のちに私を社会運動に導く契機となった。
 私がニューヨークについたのは大正八年のクリスマス前であったが、間もなく一月元旦のレッド(赤)のアレスト(逮捕)で片山潜氏は地下にもぐった。私は潜氏が共産党と関係のあることをはじめて知った。しかし、一週間に一度ぐらいは現われて、同時の田口運蔵君(のちにモスクワに行き、ソ連代表として最初に来日したヨッフェ氏を案内して帰国した人)と中華料理を食べながら話し合っていた。私は、その田口君の下宿に片山氏の紹介で同宿していたので、しばしば同伴して雑談したが、片山氏はしきりに日本の実情を聞き、批判したものであったが、そこに現われた片山潜氏は熱烈な愛国者であり、親切な好々爺であって、別れに際しては、欧州諸国の友人に紹介状をくれた。(後略)

 これが高橋の側から語られた片山と田口が絡むアメリカ体験であり、そのニューヨーク滞在は四ヵ月だったとされるが、さらなる贅言は慎もう。それでも付け加えておけば、このアメリカ体験が高橋を日本資本主義の実情と研究をふまえた社会運動へと導き、そのためのテキストとして、社会主義陣営でも『経済学の実際知識』が読まれるようになった。

 一方で大正十四年に普通選挙も議会を通り、昭和三年にその実施が予約され、社会運動は政治的発言を得ることになる、無産政党運動が台頭してきた。そこで政治研究会が設立され、無産政党の政治組織、綱領の研究がすすめられ、高橋はその中央委員兼調査部長に選任されたが、共産党の策謀により、綱領研究会に出席権がないとされ、政治研究会から脱会するに至った。

 この前後から『中央公論』『改造』『解放』などの総合雑誌で、日本資本主義の現状をめぐって高橋と共産党員との論争が始まり、彼は反左翼的社会運動に巻きこまれ、大正十五年に平野力三によって結成された日本農民党の顧問、後に会長となった。そして昭和三年の普選第一回の総選挙に安部磯雄、大山郁夫と並ぶ無産党の一人として立候補したが、次点で落選した。それからも様々な政治的策謀に巻きこまれ、高橋は社会運動家、政治家は自分に合わないことを痛感し、「足を洗うことにした」のである。

 こうした高橋の個人史と社会運動史は片山との接触を通じてリンクしたと推測されるが、それはこれまで見てきたように、現実の政治に翻弄され、挫折したと見なすべきであろう。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1300  IWW、ビル・ヘイウッド、吉原太郎

 『近藤栄蔵自伝』には暁民共産党事件と相前後して、ビー・グレー事件が起きたことへの言及がある。この事件に関しての詳細は近藤にしても判然としないし、実相はつかめないとされるけれど、次のようなものだった。

 前回の反軍プロパガンダに対する警視庁特高課の捜査によって、大正十年十月に横浜でビー・グレーという外人が取り調べられ、彼が上海から数万円を所持して来日し、それが日本の共産党組織運動のための資金だと判明した。このビー・グレー事件は近藤の『コムミンテルンの密使』でも語られているが、まさにビー・グレーは謎めいた「コムミンテルンの密使」ということになろうか。ただこの事件は『日本近現代史辞典』などにも見当らず、ビー・グレーにしても同様である。しかしこのビー・グレーが日本から追放されると同時に、上海へ渡り、日本共産党の代表と称し、資金を得て帰国し、そのまま行方不明になってしまった人物がいて、それがさらにビー・グレー事件を謎めいたものにしている。

  

 その人物とは吉原太郎で、IWWの首領ビル・ヘイウッドの関係者である。ヘイウッドとその自伝『闘争記』は拙稿「小田律と天人社」(『古本探究Ⅲ』所収)で、IWWに関してはこれも「IWWについて」(『近代出版史探索外伝』所収)ですでにふれている。IWWは世界産業労働者同盟のことで、ヘイウッドはその創立メンバーにしてラディカルな労働運動家だった。もちろん本探索1287の『エマ・ゴールドマン自伝』にも出てくる。なお『闘争記』 の訳者は前回の暁民共産党の高津正道で、もう一人の共訳者はシンクレア『オイル!』と同じポール・ケートだが、プロフィルは不明である。荒畑寒村は『寒村自伝』(筑摩書房)において、吉原はヘイウッドの傘下にあって、やはり謎めいた人物で、コミンテルンから資金代わりに得た数十のダイヤモンドを所持していたと証言している。

闘争記―I.W.W.首領ヘイウッドの手記 (昭和5年) 近代出版史探索外伝 エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 石油!

 この吉原のほうを近藤の証言から引けば、「一見したところヤクザの親分といった感じのする男」で、IWWに属して、アメリカ各地の「血みどろな闘争」に参加し、ロシアに渡り、片山潜と連絡をとり、コミンテルンから日本の共産党運動を促進するように命令された。そしてその資金として宝石一袋をもらってきたけれど、途中で泥棒に盗まれてしまったという話で、IWWはともかく、コミンテルンや宝石の件は保証の限りではないとの観測だった。だが吉原は堺や山川にしきりに接近し、取り入ろうとしていたのである。

 その後の吉原に関して、江口渙が『続わが文学半生記』(新日本文庫)で、コミンテルンの資金の日本人領収書が警視庁の手に入っていたという事実にふれている。

(青木文庫版)

 (前略)という驚くべき奇怪な事実の裏には、当時の有名な国際的スパイ吉原太郎の動きがあったことを見おとしてはならない。吉原太郎はもとはアメリカの革命的労働組合I・W・Wに加盟していた。確か一九一九年頃だと思う。片山潜がアメリカからソヴェトにはいったあとを追って彼もまたソヴェトにはいった。もうそのときは日本の参謀本部のスパイになっていた。その上、ソヴェトにはいると、たちまちゲー・ぺー・ウーのスパイにもなった。そして相方の秘密情報を一人で売ったり買ったりしていたのだ。一九二一年には日本に帰ってきていた。それから後は東京と上海を股にかけて、いよいよ国際スパイとしての怪腕をふるい、日本の革命運動の中に金に汚れた黒い手をふかくつっこんでさんざんひっかきまわした。彼は額に刃傷のあるにがみ走った美男である。一九二二年の春に高津正道たちが検挙された暁民共産党事件も、吉原太郎にスパイされたのであり、高尾平兵衛が赤化防止団を襲撃して逆に防止団長米村嘉一郎にピストルでうち殺された事件も吉原太郎にそそのかされたのである。その後、大庭柯公がソ連で彼の手にかかったものだと言われている。

 また江口は吉原に「一パイ喰わされた者」はかなり大勢いるとも述べている。ヘイウッドもアメリカ代表として、第二回コミンテルン大会に出席し、ずっとソ連に滞在していたことで、吉原もソ連に信用されたのであろうと推測している。ヘイウッドも片山と同じく、続けてソ連で亡くなっているので、吉原は二人が生み出した倒錯的スパイだったといえるかもしれない。ロシア革命において、ボリス・ニコライェフスキー『革命のユダ アゼーフ』(荒畑寒村訳、現代思潮社)、ロマン・グーリー『アゼーフ』(神崎昇訳、河出書房新社)が表象しているように、革命下における奇怪なダブルスパイ的存在を知っている。吉原もまた日本のアゼーフに位置づけられるだろうし、それは後に近藤栄蔵が国家社会主義者に転向していく軌跡とも重なっていくようにも思われる。

アゼーフ―革命のユダ (1970年)


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1299 『近藤栄蔵自伝』と『コムミンテルンの密使』

 前回の在米日本人社会主義団が結成される以前から片山潜に寄り添っていた人物がいて、それは近藤栄蔵である。彼は片山門下において、田口運蔵と並ぶ重要なコミンテルン関係者であり、幸いなことに田口と異なり、同志社大学人文科学研究所編『近藤栄蔵自伝』(ひえい書房、昭和四十五年)、及びその抄録ともいえる『コムミンテルンの密使』(文化評論社、昭和二十四年)が刊行されている。前田河が「セムガ」を書くにあたって、田口にロシア語表記を訊ねると、田口がさらにそれを確認するために、近藤に問い合わせたのだった。ここでは『近藤栄蔵自伝』によって、彼の軌跡をトレースしてみる。

  

 近藤は明治十六年東京小石川区生まれ井、高等小学校卒業素、片山潜の『渡米案内』(渡米協会)を読み、三十五年に十九歳で渡米し、苦学してカリフォルニア農業校を卒業し、四十三年に帰国する。養鶏や牧畜業を経営後、大正五年に再渡米し、錦絵の行商などを営み、ニューヨークで錦絵の通信販売を始める。片山がニューヨークに来たことを知り、訪問親交するようになり、『平民』に執筆し、社会主義運動に入り、山田耕筰、伊藤道夫、石垣栄太郎などとも知り合う。

 一九一八年=大正七年に富山県で米騒動が起きたニュースはアメリカにも伝わり、それはロシアの一九〇五年革命に比すべきものだと見なされた。そこで片山はまずロシアへ渡り、外から日本革命の工作に当たり、近藤は日本へ帰り、同志と共産党を結成し、内外呼応して社会革命を軌道にのせようという思いに捉われた。そしてその準備に取り掛かり、一九年に近藤はニューヨークを去り、帰国し、堺利彦と山川均を訪ね、荒畑寒村とも出会う。その一方で、アメリカにおいて、近藤に代わって、在米日本人社会主義者たちが台頭してくるのである。

 大正九年に先の三人や大庭柯公など、広い意味での社会主義者を発起人として社会主義同盟が結成され、近藤も加わり、大杉の週刊誌『労働運動』の復刊を手伝うことになった。編輯主任は『近代出版史探索Ⅱ』351の近藤憲二だった。そのかたわらで堺、山川、荒畑たちによる日本共産党結成を促していたのだが、そこに林という朝鮮人のコミンテルンの密使が現れ、近藤は山川たちによるコミンテルン日本支部準備会の決定を得て、その代表として上海のコミンテルンの極東部委員会に向かうことになった。同行したのは本探索1293のシンクレア『オイル!』の訳者の高津正道であった。

石油!

 近藤を迎えた委員会は朝鮮独立運動の大立物などの極東諸民族共産主義者グループで、運動資金として六千五百円を近藤に渡したが、帰国の途につきながら、「一生一度の大失敗」を起こすのである。これは下関の駅での「思いがけない大災難」で、駅近くの料亭において、夕食、酒、芸者にうつつをぬかし、汽車に乗り遅れ、料亭に戻ったところ、警察の臨検を受け、大金を持っていることが発覚してしまった。そこで警察署に連行、留置され、変装も見破られて素性も判明し、東京の特高課警部が登場し、一ヵ月近い拘留となった。それから山口監獄へと運ばれ、さらに東京へ護送され、市ヶ谷監獄へ収容された。しかし泳がせる目的もあってか、地下運動に使わないという条件で金は返却され、釈放となった。

 近藤はその資金をベースにして、堺の売文社の看板を譲り受け、本郷駒込に事務所を開き、堺、山川、大杉を顧問とし、あらたな「売文社案内」を配布し、警察へのカモフラージュを試みた。そして大正十年に東京、大阪、京都などで日本共産党を名乗る反軍プロパガンダのポスターを貼りめぐらす事件が起きた。それは上海決議の具体化でもあった。これは暁民共産党事件とされ、高津正道、高瀬清たちが早大で設立した暁民会と近藤の資金と共産党によるものとして検挙されるのである。また後日譚だが、この駒込の事務所は大杉に譲られ、彼の通夜の場となるけれど、大杉の遺骨を右翼に奪われるという事件も起きている。

 『近藤栄蔵自伝』の口絵写真には大正十年九月の「売文社顧問会」、十一年四月の暁民共産党事件出獄記念」のキャプションが付された二枚も含まれ、それらの触媒が資金も担った「コムミンテルンの密使」たる近藤に他ならなかった事実を浮かび上がらせている。また前者の写真はアナキストの大杉やボルシェヴィキ派の山川たちの混住ぶりと示し、所謂「アナ・ボル協調」も近藤の存在を抜きにして成立しなかったことを告げていよう。後者は暁民共産党事件の近傍にあった人々の集合写真で、そこには『近代出版史探索Ⅳ』847の藤岡淳吉がいて、後に共生閣=聖紀書房を立ち上げた。また寺田鼎は拙稿「寺田鼎と翻訳」(『古本屋散策』所収)でふれているように、彼も後に大杉の労働運動社に住みこみ、本探索1291の早坂二郎と同じく、『近代出版史探索』95の改造社『世界大衆文学全集』などの翻訳者となっていく。

古本屋散策   (『世界大衆文学全集』22、『ゼンダ城の虜』)

 このような暁民共産党事件は近藤が上海会で約束した日本共産党の結成と反軍運動として、コミンテルンへ報告され、それが資金問題も絡んでアナキストとボルシェヴィキの「アナ・ボル協調」のかたちともなった。そして一九二一、二二年=大正十、十一年のアナ・ボルが混住する日本からのコミンテルンの極東民族大会への出席者メンバーの選抜と派遣へとつながっていったと考えられる。それらの人々は多数なのでここではリストアップしないけれど、これから個別に召喚していくつもりだ。


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1298 片山潜と在米日本人社会主義団

 前回、「大庭柯公問題」をめぐるコミンテルンの在米日本人グループと日本グループの構図にふれたが、前者は一九一九年=大正八年に片山潜を中心として結成された在米日本人社会主義団のメンバーを主としていたし、田口運蔵もその一人に他ならなかった。その前史をたどっておくべきだろう。

 片山は明治十七年に渡米し、苦学して社会問題や神学を研究し、エール大学などの学位を得て、二十八年に帰国する。三十一年には安部磯雄、幸徳秋水、木下尚江たちと社会主義研究会を始め、三十三年に社会主義協会として改組され、教育プロパガンダも展開するようになる。社会主義協会がその前年の一八八九年=明治三十二年に組織された第二インターナショナルに加盟を認められ、一九〇〇年のパリでの第二インター大会で、片山と安部がブリュッセルのビューローのメンバーに加えられる。その第二インターから一九〇四年にアムステルダムで開催される第五回大会への代表派遣招請があったので、社会主義協会、及び幸徳、堺利彦の平民社は片山を代表として派遣することを決定する。そして片山はその大会でロシアの代表のプレハーノフとともに副議長に選ばれ、満場一致で日露戦争反対を決議したことで、一躍世界に名を知られ、国際的な社会主義者としての名声を確立、その後の彼の歩みを決定づけたといえる。

 その後片山は幸徳や堺たちと日本社会党を結成するが、明治四十三年の大逆事件を受けて冬の時代が始まり、彼も予議扇動で千葉監獄に拘禁され、出所したのは大正元年で、生活を立て直すためにアメリカへと渡る。これが最後の渡米であり、最初の渡米は二十五歳、今回は五十四歳で、しかもついに日本へと戻ることはなかったのである。アメリカで片山は『平民』を創刊する一方で、日本やアメリカの社会主義誌に寄稿を続けたが、第一次世界大戦の勃発により、反戦を軸としていた第二インターナショナルは崩壊してしまった。

 しかしアメリカ社会党左派に加わっていたオランダ人のラトガースは、新たなインターナショナルの結成を構想し、アメリカに亡命していた社会主義者たちを集め、国際社会主義運動の中心となっていた。そのラトガースは片山もニューヨークへ呼びよせ、協力を求めたのである。片山はニューヨークに移ると、スペインから亡命してきたトロツキー、ブハーリン、コロンタイにも会い、ロシアでの二月革命の発生を知った。さらに十月革命をも迎え、ラトガースはアメリカを去り、日本経由でモスクワへ向かうことになった。そして新たなるインターナショナルとしてのコミンテルンの創立へと向かい、一九一九年にモスクワで二十一ヵ国三十五党派代議員五十二人の出席を得て、創立大会が開かれ、翌年の第二回大会で加入条件二十一ヵ条が採択され、各国党はコミンテルン支部として位置づけられた。二一年第三回大会には田口運蔵が代議員として参加し、二二年の第四回大会では片山潜が執行委員に選ばれることになる。

 片山の日本とアメリカにおける軌跡に伴う、このような第二インターナショナルからコミンテルンの結成に至る過程において、田口を始めとするアメリカグループ=在米日本人社会主義団が大きな役割を果たしていくようになる。

 在米日本人社会主義団は一九一八年に片山を囲む田口、渡辺春男、間庭末吉による研究会が始まりで、これに河本弘夫、丘部杳、石垣栄太郎、猪俣津南雄、鈴木茂三郎、高橋亀吉たちが加わり、ボルシェヴィキ派とも呼ばれるようになったとされる。その近傍にいたのは本探索1290などの前田河広一郎であった。在米日本人社会主義団はコミンテルンとの動向ともリンクし、それらの情報を日本の堺利彦や山川均にも送っていたが、第三回コミンテルン大会からの日本代表派遣招請に対し、田口を送り出し、日本の情勢に関する報告書を提出する。

 第三回コミンテルン大会の決定により、イルクーツクで第一回極東勤労者会議が開催されることになり、在米日本人社会主義団からは渡辺、間庭、鈴木、野中誠之、二階堂梅吉が派遣される。一方で二一年、片山もコミンテルン本部の招請により、モスクワに向かい、コミンテルン首脳の盛大な歓迎を受け、コミンテルン代表の一人としてロシア・ソヴィエト大会に出席し、そこで初めてレーニンと会っている。それ以後、片山は日本へもアメリカへも帰ることなく、コミンテルン執行委員会幹部としてロシアにとどまり、昭和八年にクレムリン病院で七十四歳の生涯を閉じている。

 これまで記してきたことは荻野正博『弔詩なき終焉』に触発され、片山と在米日本人社会主義団、コミンテルンをめぐる、あくまでラフスケッチにすぎない。片山は死後に『自伝』(改造社)、『わが回想』(徳間書店)が出され、前者は『近代出版史探索』118などの室伏高信、『同Ⅳ』631の勝野金政の慫慂やアシストによるもので、片山の時代とジャーナリズムにおけるポジションがうかがわれるし、また戦後には『片山潜著作集』(全三巻、河出書房新社、昭和三十四年)も刊行されている。またいくつもの評伝や多くの証言も見ているけれど、ハイマン・カプリンが『アジアの革命家 片山潜』(辻野功他訳、合同出版、昭和四十八年)で指摘しているように、「誤りと欠陥に満ちている」。しかもそれは在米日本人社会主義団やコミンテルンの記録にも及んでいると推測されるし、各人によっての証言の相違や矛盾も頻出し、真相は宙吊りにされてしまう。それに加えて、コミュニズム運動の匿名性と秘密性、ダブルスパイの問題も相乗し、歴史の闇に埋れてしまった事実も多いと考えられる。

 弔詩なき終焉―インターナショナリスト田口運蔵 (1983年)    (『片山潜著作集』)

 拙稿もそれらをふまえての記述であることを了承されたい。


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル171(2022年7月1日~7月31日)

22年6月の書籍雑誌推定販売金額は861億円で、前年比10.8%減。
書籍は440億円で、同10.2%減。
雑誌は421億円で、同11.4%減。
雑誌の内訳は月刊誌が352億円で、同13.5%減、週刊誌は68億円で、同1.3%増。
これは刊行本数の増加と『an・an』のBTS特集の即日重版によっている。
返品率は書籍が40.6%、雑誌は41.1%で、月刊誌は40.2%、週刊誌は45.1%。
返品率が40%を超えるカルテットも1年ぶりだ。
売上のほうも全体、書籍、雑誌のトリプルの二ケタマイナスは近年でも初めてだと思われるし、今年の下半期を予兆するかのようでもある。
7月の取次POS調査もそれに見合う動向で、夏の只中へ向かおうとしている。

anan(アンアン)2022/6/22号 No.2303[今、世界に広がる、ボーダレスカルチャー/BTS]


1.出版科学研究所による22年上半期の出版物推定販売金額を示す。

 

■2022年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2022年
1〜6月計
596,051▲7.5352,641▲4.3243,410▲11.8
1月85,315▲4.851,0020.934,313▲12.3
2月107,990▲10.367,725▲5.740,265▲17.0
3月143,878▲6.094,434▲2.749,444▲11.7
4月99,285▲7.554,709▲5.944,577▲9.5
5月73,400▲5.340,700▲3.132,700▲7.9
6月86,182▲10.844,071▲10.242,111▲11.4

 上半期の出版物販売推定金額は5960億円、前年比7.5%減、書籍は3526億円、同4.3%減、雑誌は2434億円、同11.8%減となっている。

 これは本クロニクル159で挙げておいたが、21年上半期がコロナ禍とコミック需要でトリプルプラスだったことに対して、22年上半期はトリプルマイナスに陥り、そのマイナス幅は19、20年に比べて最も大きい。
 再び『鬼滅の刃』のような神風的ベストセラーが現われないかぎり、下半期も同様に推移していくだろう。
 それは取次と書店の体力の限界へと誘っていくことになると推測される。
鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)
odamitsuo.hatenablog.com



2.日版GHDの主要書店グループの決算が出された。
 リブロ、オリオン書房、文禄堂などのリブロプラスは1億3000万円の赤字。
 TSUTAYAを展開するプラスは1億9800万円の赤字で、前期の1億7000万円の赤字よりも拡大。
 名古屋のBOOKSえみたすを中心とするY・space は純利益2000万円で、前年比2000万円の減益。
 日版GHDの21年度小売事業は売上高616億1400万円(前年比0.8%減)、営業損失2億4600万円(前期は3億2000万円の黒字)。
 店舗数は234店で、前年比11店減。

 前回の本クロニクルでも日版GHDにふれ、その小売事業に関しても、その一部を既述しておいたが、取次の書店事業もすでに赤字となっていることが明白になった。それはさらに加速していくだろう。
 その事実はトーハンも同様で、取次の書店事業の実態も明らかになっていくはずだ。



3.CCCの決算は売上高717億円(前年は113億円)、営業利益は6億円(前年は15億円)、特別利益は231億円(前年は0)、当期純利益は128億円(前年は純損失121億円)。
 売上原価は268億円(前年は11億円)、売上総利益は448億円(前年は101億円)。

 グループ再編による大幅増収とされるが、チェーン店の大量閉店を背景としての売上高前年比6.3倍の決算は、そのまま信じるほうが難しいだろう。で日販の小売事業の赤字を見たばかりだ。
 これらの連結を含めての決算の詳細は、トップカルチャーの「非上場の親会社等の決算に関するお知らせ」でアクセスできるので、ぜひ見てほしい。
 前年のCCCの 決算公告は本クロニクル159でも掲載している。
 それこそ『選択』や『FACTA』による専門家の分析が必要とされていることは言うを俟たない。日販の動向と行方にこれもダイレクトに連結しているからだ。
moneyworld.jp



4.『日経MJ』(7/6)が実質的に「文喫」と「蔦屋書店」を一面特集している。
 そのリードは次のようなものだ。

 書店がすごいことになっている。入場料制を導入し、音楽が流れるおしゃれな空間では本は読み放題、コーヒーも飲み放題。友人同士でゆっくり半日ほど滞在できるのでコスパもいいと若者に人気だ。
イベントや有料の選書など、新しい何かと「出会う」知のエンターテインメント施設に進化している。
本を売るだけの従来像から脱皮し新たなモデルを再構築する。

 そして「書店は様々な『出会い』の場に」として、店長が選書し、「自分と出会う」「人と出会う」「本に出会う」の3つのコンセプトを備える「文喫」と「蔦屋書店」のイベントが写真入りで紹介されている。

 こうした特集に言及するのは不毛で苦痛だが、本クロニクル以外では批判も出されないであろうから、ここで書いておく。
 私は消費社会の動向とデータを観測する必要もあって、20年以上『日経MJ』を購読しているけれど、ここまでひどいタイアップ「シロサギ」特集は見たことがない。
 現在の書店状況と書店の経済から遠く離れて、様々に群がるコンサルタントたちが組み立てたファンタジーを、まことしやかに特集することはジャーナリズムというよりも、翼賛新聞のでっち上げ記事だと断罪するしかない。

 街の書店の仕事は長時間労働で、その売上の半分以上は雑誌、コミック、文庫で占められ、それに外商や配達を加え、ようやく営まれてきたのである。ところがそれでも経済的にはもはや成り立たず、閉店に追いやられてしまったのである。
 その代わりに、リードで示された「書店がすごいことになっている」と誰が信じているのだろうか。それは日販にしても、CCCにしても同様だ。要するに『日経MJ』が信じていることはないだろうし、肥大化した大型複合店がレンタルの失墜によって生じた余剰面積の再利用の業態としての提案でしかない。
 契約期間のペナルティがあるので撤退もできないし、「文喫」が日販の事業としてのシェアはわずかで、その売上も発表されていない。

 それに入場料を払って「書店員による有料の選書」を望むリピーターが無数に存在するのであれば、書店が半減してしまうことなどなかったではないか。
 また読書の本質からいっても、「推薦図書」や「課題図書」はそれにふさわしくないし、そうした本ばかり読まされれば、読書嫌いになってしまうことは自明だ。だが小中学生の「推薦図書」や「課題図書」をビジネスモデルとして、このような書店コンセプトが提案されているのであれば、それは読者を愚弄している。
 それゆえにこのような特集は、従来の懸命に働いてきた書店の営為を侮辱するものだし、それらの書店をつぶしてきた一端の責任は日販と蔦屋書店=CCCにあることを自覚すべきだろう。



5.八重洲ブックセンターの最終損益は1億円の赤字で、4期連続の1億円以上の赤字となる。

6.フタバ図書の最終損益は3億5600万円の赤字(前年は3700万円の赤字)。

 前回の本クロニクルで、丸善ジュンク堂と未来屋書店の決算を取り上げ、それに今回の日販小売事業の実態、八重洲BCやフタバ図書の赤字を重ねてみれば、大手チェーングループの書店状況が浮かび上がってくるだろう。
 いってみれば、書店は大も小も、都市も地方も、もはや回復できないほどの状態に追いやられていることがわかるだろう。
 しかもそれは今年期後半にはさらに加速していくことが確実である。



7.語学書の第三書房が破産。
 1932年創業の老舗出版社で、フランス語、ドイツ語、スペイン語などの語学書を中心とする大学テキスト、ドイツ語検定参考書を刊行していた。

 それこそ半世紀前にフランス語の単語帳を買ったことは記憶しているけれど、それ以後はまったく無縁で、書店でも見たことがなかった。
 おそらく流通販売のメインは大学生協などで、一般書店はサブだったように思われる。そのために倒産しても、書店在庫問題はほとんど発生しないであろう。



8.ベースボール・マガジン社は『ボクシングマガジン』『近代柔道』『ソフトボールマガジン』『コーチング・クリニック』『テニスマガジン』を休刊。

ボクシングマガジン 2022年 8 月号 近代柔道 2022年 8 月号 ([特製ポスター]柔道の技名称100 NAMES OF JUDO TECHNIQUES) ソフトボールマガジン 2022年 08 月号 [特集]バッテリー強化! コーチングクリニック 2022年 8 月号 テニスマガジン 2022年 8 月号

 1990年代はスポーツ雑誌もバブル化したこともあり、ベースボール・マガジン社はその総本山の趣を呈していた。当時はパリ支局も設け、ありとあらゆるスポーツの雑誌化が試みられていた。
 そのバブルがはじけた今世紀になっても、ベースボール・マガジン社は「種目別スポーツ専門出版社」として多くの雑誌を刊行していた。
 たまたま手元にある日販の『雑誌のもくろく2013』を確認してみると、『週刊ベースボール』『週刊プロレス』『週刊サッカーマガジン』を始めとして、20誌が挙がっていて、そこには休刊となる5誌も並んでいた。
 スポーツ雑誌の時代も終わろうとしているのだろう。
 そういえば、ベースボール・マガジン社の子会社である恒文社はどうなっているのだろうか。この頃出版物を見かけない。
週刊ベースボール 2022年 7/25 号 週刊プロレス 2022年 6/29 号



9.日本漫画家協会は現行のインボイス制度導入に反対し、見直しを求める声明を発表しているので、それを要約してみる。

* 日本の漫画家は多くがフリーランスで、その中には前々年度の課税売上が1000万円以下の「免税事業者」に該当するものが多い。
* インボイスを発行できない場合、出版社と漫画家の関係の悪化、もしくは免税事業者であることを理由に取引中止のリスクも考えられる。
* また課税事業者へ変更したとしても、システム導入、専門的サポートがなければ、インボイス発行に伴う事業者の事務処理負担が増加すると懸念される。
* ペンネームで活動する漫画家にとって、インボイス発行事業者になると、「適格請求書発行事業者公表サイト」に本名が公表されるので、個人情報保護への懸念を抱く漫画家も少なからず存在する。
* 日本漫画家協会はこれらのいくつかの懸念事項を払拭できない限り、現行のままインボイス制度が導入されることは看過できない。


 このインボイス制度とは2023年10月から始まる複数税率に対応した消費税の資入り税額控除の方法として、適格請求書等保存方式が導入されることをさしている。
 そのために税務署長に申請し登録を受けた課税事業者である「適格請求書発行事業者」が発行する「適格請求書」の保存が仕入税額控除の要件となり、そのために「適格請求書発行事業者登録番号」を必要とするのである。
 このインボイス制度問題は出版業界においてだけでなく、日本文芸家協会なども含んで、広範に論議されるべきだと考えられる。だが日本漫画家協会の他には地方・小出版流通センターが取り上げているだけで、出版協にも取り組んでほしいと思う。
 前回の「国際卓越研究大学法」ではないけれど、このインボイス制度も密室で決められたという印象を拭えない。



10.海賊版サイト「漫画BANK」運営者が中国当局に摘発され、60万円の罰金刑となった。

 本クロニクル163で既述しておいたように、「漫画BANK」は日本の漫画の最大級海賊版サイトで、『鬼滅の刃』なども無料で読め、被害額は2000億円を超えるとされていた。
 講談社、小学館、集英社、KADOKAWAは21年11月にカリフォルニア州裁判所に運営者の情報開示命令を出すように請求し、それで運営者が中国重慶市にいることを突き止めた。
 そこで4社は中国に事務所をもつコンテンツ海外柳津促進機構(CODA)に対処を要請し、行政処罰を求め、今回の処置となったのである。
 だが報道では運営者のプロフィルは伝えられておらず、不明のままだし、海賊版サイトの多くはベトナムにあるとされているので、新たなサイトも出現してくることは確実であろう。
odamitsuo.hatenablog.com



11.21年の図書カード発行高は345億円で、前年比18.4%減。

 2003年には図書券と合わせて、726億円だったので、まさに半減してしまったことになる。
 かつて図書カード加盟書店数は1万1000店以上を数えたが、現在では5200店ほどになってしまった。
 図書カード発行高のマイナスも書店数の減少とパラレルであることは明らかで、いずれ発行元の日本図書普及も赤字となる日を迎えることになろう。



12.富山県中新川郡立山町が町内で書店を開業する個人事業者を公募。
 条件は富山地方鉄道立山線五百石駅から徒歩5分以内のテナント型店舗で、3年以上の営業の継続。
 出店の際には入居店舗の改修、備品費などの費用の3分の2(限度額200万円)、及び営業開始から3年間の家賃(限度月額8万円)を補助する。

 詳細は立山町のホームページと、産業カテゴリー「産業振興ページ」を見てほしいが、7月29日までの受付期間である。
 書店に関する「シロサギ」に幻惑され、このような公募がなされるに至ったと考えるしかない。だが少しでも書店業の経験があれば、この条件で引き受ける人間はいないはずだ。
 本当に「シロサギ」ごっこは止めてほしい。
https://www.town.tateyama.toyama.jp/soshikikarasagasu/shokokankoka/shokorodogakari/3/1/6862.htmlwww.town.tateyama.toyama.jp



13.映画プロデューサーの河村光庸の死と訃報記事から、彼が1994年の青山出版社、98年のアーティストハウスの創業者であることを知った。

 これは『キネマ旬報』(7/下)で教えられたのだが、その後、河村はアーティストフイルム、スターサンズを設立し、映画配給や制作の道へと歩んでいったようだ。
 河村は本クロニクル158でふれているが、同じく161で既述しておいたワイズ出版の岡田博の軌跡と重なるもので、いずれも72歳の死であった。
 いずれ二人のことも書く機会があろう。
キネマ旬報 2022年7月下旬号 No.1898
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com



14.『世界』(8月号)の特集「ジャーナリズムの活路」で、ジャーナリストの依光隆明が「ジャーナリズムはどこに息づくか」を寄せている。
 それは依光が朝日新聞諏訪支局長を辞めるに際し、数人の住民から発せられた「あんたがいなくなると、怖い」という言葉から始まっている。
 その言葉に続いて、諏訪バイパス問題が論じられていく。これは50年前の都市計画で、2016年になって、それは山すそを通るのではなく、山中をトンネルでくりぬくプランに変更され、浮上してきたのである。
 しかしバイパスに住民の賛成は少なく、疑問の声が大きく上がり始めた。だが2014年設立のバイパス促進期成同盟は市役所、町役場を事務局として、議員や町内会まで組織化され、大政翼賛会的に推進されていく。反対する住民の支えになったのが新聞だったのだが、諏訪支局もなくなってしまう。それが「あんたがいなくなると、怖い」という言葉にリンクしていくのである。


『世界』2022年8月号(Vo.960)

 これを読んで、やはり新聞記者の森薫樹の『発の町から—東海大地震帯上の浜岡原発』(田畑書店、1982年)を想起した。2011年の東日本大震災の原発事故の30年前にリアル極まりない原発の問題をすでにレポートしていた。それはその後再読して、思いを新たにした。
 それに加えて、昨年、中村文孝との対談『全国に30万ある「自治会」って何だ!』を上梓し、その大政翼賛会をルーツとする自治会を論じたが、書評はひとつも出なかったし、行政もジャーナリズムも揃って黙殺した。
 本当に地方において、書店もなくなっていくのと同時に、「ジャーナリズムはどこに息づくか」を問わなければならないのである。
 興味をもたれた読者はぜひ『世界』の依光文に直接当たってほしい。

 全国に30万ある「自治会」って何だ!



15.『近代出版史探索Ⅵ』は発売中。

近代出版史探索VI

 今月の論創社HP「本を読む」〈78〉はまたしても宮谷の死もあり、急遽差しかえて、「けいせい出版と宮谷一彦『孔雀風琴』」です。
ronso.co.jp

 中村文孝との対談『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は遅れてしまったが、8月中旬発売。

ronso.co.jp
 戦後の図書館の始まり、日本図書館協会との関係、1980年以後の図書館の増殖とそのメカニズム、図書館流通センターなどを総合的に論じた初めての図書館本で、図書館がもたらした出版業界への影響と今後の行方を問いかけている。
 これから図書館についてふれるのであれば、必読の一冊といえる。
 これを読まずして、図書館を語ることなかれ。

 その内容は以下のとおりです。

まえがき
1 1970年から2020年にかけての図書館の推移
2 小学校、図書室、児童文学全集
3 戦後ベビーブームと児童書出版史
4 こども図書館、石井桃子、松岡享子
5 私立図書館の時代と博文館、大橋図書館
6 GHQとCIE図書館
7 国会図書館発足と中井正一
8 慶応大学日本図書館学校、図書館職員養成所、司書課程
9 都道府県立図書館と市町村立図書館
10 『中小都市における公共図書館の運営』と『市民の図書館』
11 日本図書館協会と石井敦、前川恒雄『図書館の発見』
12 『図書館の発見』の再考と意味
13 石井桃子『子どもの図書館』
14 図書館と悪書追放運動
15 日野市立図書館と書店
16 戦後図書館史年表
17 1970年代における社会のパラダイムチェンジ
18 電子図書館チャート
19 図書館法制度と委託業務会社
20 官製ワークキングプアの実態
21 元図書館員へのヒアリング
22 竹内紀吉『図書館の街 浦安――新任館長奮戦記』
23 公共建築プロジェクトとしての図書館
24 浦安の地元書店との関係
25 マーク、取次、図書館
26 図書館流通センター(TRC)の出現
27 図書館と書店の基本的相違
28 岩崎徹太と岩崎書店
29 村上信明『出版流通とシステム』
30 尾下千秋『変わる出版流通と図書館』
31 TRCの現在図書館流通システム
32 図書館のロードサイドビジネス化
33 佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』
34 『理想の図書館』と図書館営業
35 『図書館逍遥』と「図書館大会の風景」
36 鈴木書店での図書館状況報告会
37 國岡克知子と編書房
38 『季刊・本とコンピュータ』創刊
39 今井書店の「本の学校・大山緑陰シンポジウム」
40 『季刊・本とコンピュータ』の展開と座談会
41 「出版人に聞く」シリーズを立ち上げる
42 卸売業調査に見るTRC
43 本の生態系の変化
44 1970年以降の図書館をめぐる動向とその行方

あとがき

付録1 図書館の自由に関する宣言
付録2 図書館法 関係法令・規範等
関連書籍