出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1055 生田春月『相寄る魂』

 本連載1050などの生田春月『相寄る魂』全三巻はもはや単行本も入手できないし、読者もいないと思われる。『新潮社四十年』で確認してみると、大正十年に前巻と中巻、十三年に下巻が出されている。『相寄る魂』は大正十年から十二年にかけて書かれた二千枚に及ぶ長編自伝小説で、これは明らかに江馬修の『受難者』、それに続いて大正三年に生田長江の紹介により、新潮社から刊行された島田清次郎の『地上』のベストセラー化に刺激され、書かれたものであろう。

f:id:OdaMitsuo:20200716111540j:plain:h115(『相ひ寄る魂』 、新潮文庫)f:id:OdaMitsuo:20200716112743j:plain:h110(『受難者』)f:id:OdaMitsuo:20180920161915j:plain:h115

 その後、『相寄る魂』は前回ふれた昭和六年の『生田春月全集』第四、五巻に前編、後編として収録された。単行本にしても全集にしても、『相寄る魂』は稀覯本となっていたようだが、幸いなことに昭和五十六年に『生田春月全集』は飯塚書房(本郷出版社発売)によって復刻された。これを公共図書館の相互賃借ルートで読むことができたので、ここで言及しておきたい。
 f:id:OdaMitsuo:20200704172533j:plain (新潮社版)

 全集収録の『相寄る魂』は「不幸なる青年の物語」というサブタイトルが付され、第一巻「二つの湖水」、第二巻「大都会にて」、第三巻「都会の黄昏」、第四巻「裏日本の秋」の四部仕立てとなっている。詳細な春月伝は出されていないので、この『相寄る魂』がそれに準ずるものとも考えられるし、とりわけ第三、四巻は大正時代の文学、出版、社会思想に関わる人々を登場させ、バルザックの『幻滅』のような群像ドラマを形成している。「大都会にて」で、主人公の龍田純一が上京し、日本橋に至るのだが、そこで「彼が田舎で愛読した小説の版元春陽堂のいかにも老舗らしい土蔵造りの店の向側には、欧米の新しい文化を輸入する関門と云はれる丸善の洋館が高く聳えてゐた」と描写されるのは、そのことを象徴していよう。
幻滅

 実際に春月が当時の社会主義者や『青踏』関係者とどのように交流していたかは不明だけれど、後者の生田花世とは結婚するわけだから、それらの近傍にいたはずだし、それは第三巻において、「新しい女」江東奈枝子、その夫の隅田順を登場させていることにも表出している。隅田と淳一は大菅左門の家や社会主義者の会で知り合っていたが、二人の家を訪ねるのは初めてだったし、奈枝子と会うのも同様だった。彼女のことは次のように説明される。

 奈枝子は九州の女で、彼女がこれ迄『ブリュウ・ストッキング』に書いて来た小説や雑文によれば、小さな時から同じ町の医者の家に貰はれて、その家の妻となる内約があつて、その家からの学資で上京して、上野の某女学校に入学して勉強をしているうちに、彼女の才気といかにもジプシイ娘のやうな野生的な愛らしさと、その奔放な情熱的性格とが、受持の英語教師の愛するところとなり、つひにその教師と恋愛関係に陥つた為め、彼女は学校を逐はれ、教師もその為めに職を失はねばならなかつた。その教師が即ちこの隅田順である。

 隅田は奈枝子を有名にするためにあらゆる努力を惜しまず、「彼女の名で、婦人問題を論じたエンマ・ゴルドマンの著書を訳したり」する一方で、スティルネルの『唯一者とその所有』の翻訳に取り組んでいた。
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 ここまで記せば、奈枝子が伊藤野枝、隅田順が辻潤をモデルにしているとわかるだろう。ちなみに大菅左門が大杉栄である。全員を挙げられないけれど、その他にも貝塚湖泉が堺利彦、赤畑荒村が荒畑寒村、草間微風が相馬御風、長成安郎が安成二郎である。だが純一が最も共感を寄せているのは隅田で、それは隅田が妻の奈枝子を大菅に奪われ、「男子としての面目を踏み潰されてゐる人物」であっても、「隅田順の一種消極的な根強い力は、彼が何物にも囚はれず、何物をも棄却し、世間の名聞名利、これを一切塵埃視し、一切のものを否定し去つたところにある」からで、それと同時に「言葉の厳密な意味に於ける虚無主義者である」ことによっている。それは純一=春月の自らの投影でもあり、そのために純一は勇敢で新しい価値を創造しようとする大菅左門よりも、隅田順に共感を覚えるのである。

 そしてそれは第四巻において、大正五年の所謂「葉山事件」として表出する。純一は郷里の『松陽新報』で、次のような記事を読む。

 無政府主義者大菅左門は、葉山の日陰の茶屋に於て刺殺された。その下手人は、彼の情婦神山高子(三〇)である、なぜ彼女がこの凶行に及んだかと云ふと、大菅左門を中心として、今春以来葛藤を重ねてゐた自由恋愛のためらしく、大菅を取巻く彼の妻岡よね子、新しい恋人江東奈枝子、及び今回の下手人神山高子の関係は、極めて奇怪なものであつたが、最近高子が大菅に疎んぜられ、奈枝子の方が愛される事深きに及び、嫉妬の情遣る方なく、この刃傷に及んだものらしい云々。

 いうまでもなく、神山は神近市子であり、「葉山事件」で大杉は現実に彼女に刺されたけれど、死んではいない。それを承知で、ここで春月は大杉を殺してしまったことになる。そして純一は「それにしても、隅田順はどうしてゐるだらう?」と問うている。

 先述したように、この第四巻が脱稿されたのは大正十二年十一月だから、おそらく春月は九月の関東大震災での軍部による大杉の虐殺を知り、その死をこのように変奏したことになろう。それは伊藤野枝も同様だったので、このような純一の問いも書きこまれたのであろう。


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古本夜話1054 生田花世と横瀬夜雨編『明治初年の世相』

 横瀬夜雨は中村武羅夫の『明治大正の文学者』には出てこないけれど、『現代詩人全集』では『河井醉茗集・横瀬夜雨集・伊良子清白集』として一冊が編まれている。また戸田房子の『詩人の妻 生田花世』において、夜雨は花世の詩作の師として登場している。
f:id:OdaMitsuo:20200708131312j:plain:h120

 『現代詩人全集』第四巻収録の三人は『近代出版史探索Ⅱ』221の山県悌三郎の内外出版協会の投書雑誌『文庫』派三羽烏と称され、この一巻はそれを象徴しているといえよう。その記者や選者だった醉茗によって、夜雨も清白も見出されていた。明治三十八年に、野口竹次郎が『女子文壇』を創刊し、四〇年から醉茗が編輯主任を務め、夜雨もその詩欄の選者となり、花世の詩が当選した。それからの夜雨と花世のことは『日本近代文学大事典』によるよりも、戸田房子に語らせたほうがいいだろう。
近代出版史探索Ⅱ

 彼は茨城県真壁郡横根村の豪農の二男だったが、幼い時に佝僂病にかかり、十五歳の頃には歩行も困難な躰になってしまった。したがって学歴は小学校だけで、あとは自宅の二階にこもり、読書と詩作にふける日を送っていた。逃れられない病苦を負った孤独な夜雨にとって、「文庫」の存在は大きな慰めであり、詩は生きるよりどころであった。彼は強靭な克己心で詩境を開拓していった。筑波山や利根川、武蔵野など、生れ育ち、親しく目にしていた郷土の山河を繰返し歌い、名を成したのだった。
 当時文学に憧れて、「女子文壇」に寄っていた投稿少女たちは、夜雨のロマンチシズムの濃い恋愛詩や抒情詩に娘心をゆすぶられ、病む青年詩人にひそかな思慕をよせるものが少なくなかった。文通での指導を受けているうちに、花世も、師の一生解放される望みのない病苦が痛ましく、側にいて助けてあげたいという思いが募っていった。彼女は人並みに生れなかった自分の躰を省みて、結婚の相手には病弱な身障者がふさわしい、とひそかに考えていたのだった。師に対する敬愛はやがてひたむきな思慕に変っていった。

 すると夜雨からも自分の許にきてほしいとの申し出があった。だが花世の父は許してくれず、彼女は自分の感情を殺すしかなかったけれど、そのうちに夜雨が他の少女を愛し始めたようなので、自然に遠ざかることになった。

 少しばかり長い引用と補足になってしまったが、明治末期の詩人としての夜雨のイメージ、及び生田花世の前史の一端を伝えられたであろうか。

 これは生田花世とクロスしていないし、しかも三十年近く前になるはずだが、浜松の時代舎で、横瀬夜雨編『明治初年の世相』を購入している。同書は昭和二年に新潮社から出された一冊で、その後見かけていないことからすれば、貴重な文献資料であるかもしれないし、色彩鮮やかな明治初年の錦絵からなる造本の古書価は四千円とされている。
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 この『明治初年の世相』は夜雨の詩人としての仕事とは別の、祖父が蒐集した資料に基づく世相史や歴史考証であり、やはり同時期に『天狗騒ぎ』(改造社)や『太政官時代』(梓書房)なども上梓されているようだが、これらは未見である。『明治初年の世相』の「序」は思いがけずに内田魯庵によるもので、昭和二年の時点で、「明治初期の研究は近時の最も興味ある題目の一つ」だが、「有体に云へば明治の研究はマダ漸く緒に就いたばかり」で、「所詮は今日は材料蒐集の時代」だと述べている。
f:id:OdaMitsuo:20200715152046p:plain:h120(崙書房復刻版)

 明治初年からすでに六十年が過ぎているので、「マダ正確なる歴史の現れない」との言は、この時代に多くの資料の集積を見ているにもかかわらず、いまだもって正確な明治の歴史が立ち上がってこないことを意味していよう。それは私たちにしても、戦後六十年に当たる平成末期を迎えても、敗戦と占領の現実を充全に把握しているかどうかは疑問であることと通底しているのだろう。そのような中にあって、「夜雨は先代から伝ふる明治前後の雑誌三十四種を蔵す。病臥摂養の傍ら反復精読して随時抄録し、類別編纂して厖然たる一巻をなした」のが、この『明治初年の世相』ということになる。

 魯庵の「序」に続いて、夜雨の「緒言」が置かれ、同書編纂の事情と経緯、その背景がうかがわれる。夜雨によれば、関東大震災時に古い三種の土蔵が崩れ、建て直すためにその中のものを運び出させたら、「こんなものが何処に入つてゐたらうと思ふ書き物もあつた。維新前後の数ばかり沢山な新聞も始めて見たのである」。それを昨秋、河井醉茗が見て、「えらいものを持つてゐる」といったので、その重要さに気づいた。

 それから『近代出版史探索Ⅱ』234の大原社会問題研究所の高野岩三郎博士が譲り受けたいとのことで、木村毅から醉茗を通じて申しこまれてきた。魯庵もそれに賛成であり、夜雨も「貴重な文献であつて、其散佚は国家的損害だとすれば、お譲りする事に異議の有りやら筈はない」と述べている。その行く末にはふれられていないが、大原社会問題研究所へ譲渡されたと思われる。このような明治文献資料の収集は魯庵や木村の名前から推測されるように、日本評論社の『明治文化全集』の編纂も進んでいたことと密接に結びついていたはずだ。

 夜雨はそれらを譲渡する前に、『明治初年の世相』と題するアンソロジーを編んだ。その「覚え書」で、彼は「此小さな本」と断わっているが、取り上げられた項目は六百余に及んでいる。それらはことごとく明治初年のリアルタイムの出来事や事件などのレポートと見なしていいし、新聞というメディアの始まりの機能を示して興味深い。それは醉茗を通じて『現代詩人全集』を企画中だった新潮社に伝えられ、当然のことながら、日本評論社の『明治文化全集』の進行は知っていたこともあり、夜雨の明治初年新聞アンソロジーは新潮社で刊行することになったのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200708145214j:plain:h115(『現代詩人全集』)

 残念なことに『新潮社四十年』や『新潮社七十年』には単行本ゆえに取り上げられていないけれど、そのように考えても間違っていないと思われる。


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古本夜話1053 新潮社『現代小説全集』

 あらためて『新潮社四十年』や『新潮社七十年』に目を通していると、双方において、大正十四年四月から刊行の『現代小説全集』 に関する注視に気づいた。この全集に対して、これまで目を向けていなかったのは何よりも実物を入手していなかったことに尽きるのだが、最近その一冊を見つけたことによって、新潮社の社史の中に『現代小説全集』 のことを再発見したといえよう。
 f:id:OdaMitsuo:20180806153457j:plain:h118  
 『新潮社四十年』は「予約募集」と銘打った内容見本を示し、次のように述べている。

 所謂円本時代の前に於て、我が社では、各方面に亙る全集を無数に出版してゐるが、大正十四年に刊行した「現代小説全集」の如きは特筆に値するであらう。これは島崎藤村、徳田秋声、菊池寛、芥川龍之介等、当時文壇に於けるベストメンバアと称すべき十六氏の代表作を、各一人一巻に収めたもので、堂々たる大冊であつた。現存作家の作品を内容とした全集として、これほど大規模なものは、これ以前には無かつた筈である。或は円本流行の機運は、この叢書あたりから生れ出たのでは無からうか。

 確かに入手してみると、「堂々たる大冊」で、『新潮社七十年』の説明によれば、「菊大判六百ページ、表紙はロンドン特製レザー・クローズ、特製極美本天金函入、会費毎月払四円五十銭、入会金四円五十銭」だった。手元にあるのは『泉鏡花集』で、函無しの裸本だが、その「特製極美本」のイメージは伝わってくる。ちなみに作品明細は挙げられないけれど、善十五巻をリスト・アップしてみる。内容見本には「十六氏」とあったが、実際に刊行されたのは全十五巻である。
f:id:OdaMitsuo:20200709172830j:plain f:id:OdaMitsuo:20200711092903j:plain:h120(『現代小説全集』)

1  『芥川龍之介集』
2  『泉鏡花集』
3  『菊池寛集』
4  『久保田万太郎集』
5  『久米正雄集』
6  『佐藤春夫集』
7  『里見弴集』
8  『志賀直哉集』
9  『島崎藤村集』
10  『谷崎潤一郎集』
11  『田山花袋集』
12  『近松秋江集』
13  『徳田秋声集』
14  『正宗白鳥集』
15  『武者小路実篤集』

 これらに収録されたのは自選による代表作で、「年譜」もまた自筆によるものが多いとされる。『泉鏡花集』の場合、口絵写真に鏡花肖像が掲げられ、続いて「鏡花小史」としての言葉もしたためられ、「玄武朱雀」を始めとする十編の作品が収録されている。

 『新潮社七十年』『現代小説全集』 全巻の書影を示し、9の「『島崎藤村集』五千四百部の印税」を持参したところ、藤村が「本も一冊出して……これだけ印税が……入ればいいなあ……」といったという中根駒十郎の証言を紹介している。印税が十パーセントとすれば、二四三〇円であり、しかも『泉鏡花集』所収の作品と同様に、ほとんどが明治後半の短編や中編の旧作だったと考えられるのでいってみれば、『現代小説全集』は藤村だけでなく、編まれた作家全員にとっても、僥倖の企画だったことになる。そのような僥倖を藤村は改造社の『現代日本文学全集』で再び味わい、その体験を「分配」(『島崎藤村全集』7所収、筑摩書房)で書いている。このことに関しては拙稿「円本・作家・書店」(『書店の近代』所収)を参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h110(『現代日本文学全集』)書店の近代

 ところでこの昭和円本時代の始まりとされる改造社の『現代日本文学全集』の企画は、『現代小説全集』発刊の一年後の大正十五年十一月に発表されている。これは全三十七巻、別冊一冊、菊判三〇〇ページ、六号総ルビ付三段組だった。『現代小説全集』 と同じように予約出版であったが、異なっていたのは定価で、『現代日本文学全集』のほうは画期的な一円という定価設定で、これが円本の嚆矢とされたのである。そして新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』、春秋社の『世界大思想全集』、春陽堂の『明治大正文学全集』、第一書房の『近代劇全集』が続き、昭和円本時代の幕が切って落とされた。最終的にこの円本は三百種以上に及んだとされ、本連載の目的のひとつはそれらを追跡することだった。

 f:id:OdaMitsuo:20190208103344j:plain:h113(『世界文学全集』)現代大衆文学全集 (『現代大衆文学全集』)
世界大思想全集 (『世界大思想全集』) 明治大正文学全集(『明治大正文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208105436p:plain:h120(『近代劇全集』)

 それもあって、この円本の誕生の背景に言及してきたが、突如として『現代日本文学全集』が出現したわけではなく、明治後半から大正時代にかけて、先行する多くの予約出版形式があった事実にもふれてきた。例えば、「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)において、国民文庫刊行会が明治末から昭和にかけて、日本古典の集成「国民文庫」、欧米文学の「泰西名著文庫」「世界名作大観」、初めての『国訳大蔵経』などを刊行していたのである。

古本探究

 私見によれば、国民文庫刊行会などの予約出版形式は読者への直接販売を採用し、取次・書店ルートを経ないことによって、「非売品」と謳われていたのである。改造社の『現代日本文学全集』はそれを出版社・取次・書店という近代出版流通システムへと移行させることによって、かつてない成功を収めたといえるであろう。しかしその先行する企画や造本が、新潮社の『現代小説全集』 に求められたのではないかという視座は有していなかった。やはり出版史は実物を入手し、比較することが不可欠であるとの思いをあらたにした次第だ。


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出版状況クロニクル147(2020年7月1日~7月31日)

 20年6月の書籍雑誌推定販売金額は969億円で、前年比7.4%増。
 書籍は489億円で、同9.3%増。
 雑誌は480億円で、同5.5%増。
 その内訳は月刊誌が395億円で、同5.7%増、週刊誌は84億円で、同4.6%増。
 返品率は書籍が37.6%、雑誌は37.7%で、月刊誌は37.4%、週刊誌は39.2%。
 総合、書籍、雑誌のいずれもが大幅増で、しかも返品率も大幅減という、かつてない数字となったが、これも先月と同様に、新型コロナウイルス下における送品、返品メカニズムによる「奇妙なプラス」というべきもので、残念ながら「出版状況が大きく改善したわけではない」(『出版月報』6月号)。
 確かに本クロニクル144と145で示した「衣料品・靴専門店13社」の6月売上高は7社が増収となってきているけれど、書店状況とは異なることはいうまでもないだろう。
 


1.出版科学研究所による20年上半期の出版物推定販売金額を示す。
 

■2020年上半期 推定販売金額
推定総販売金額書籍雑誌
(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)(百万円)前年比(%)
2020年
1〜6月計
618,346▲2.9351,670▲3.0266,675▲2.9
1月86,584▲0.649,5830.637,002▲2.2
2月116,277▲4.071,395▲3.244,882▲5.2
3月143,626▲5.691,649▲4.151,977▲8.1
4月97,863▲11.747,682▲21.050,181▲0.6
5月77,0131.942,3839.134,630▲5.7
6月96,9827.448,9789.348,0045.5

 2020年上半期の出版物推定販売金額は6183億円で、前年比2.9%減。だが電子出版は1762億円で、同28.4%増となり、合わせると7945億円、同2.6%増となっている。
 電子の内訳は電子コミックが1511億円、同33.4%増、電子書籍が191億円、同15.1%増、電子雑誌が60億円、同17.8%減。
 2020年上半期シェアは書籍44.3%、雑誌33.6%、電子出版22.2%となり、電子コミックだけで19%に及んでいる。
 それらのことから考えれば、20年の売上高は電子コミックの成長に左右されることになるけれど、それは書店売上とリンクしていない。このような電子コミックと書店状況はどのような関係で推移していくのか。
 新型コロナウイルス影響下におけるこれらの行方はどうなるのか。これが20年下半期の問題となろう。



2.日販GHDと日販の決算が出された。
 連結27社を含めた日販GHDの連結売上高は5159億円、前年比5.5%減。
 取次事業は3年連続の営業赤字だが、それ以外の7事業がすべて黒字となり、営業、経営利益は大幅に伸張し、当期純利益は7億8100万円。
 それらの8事業の内訳を示す。


■日販GHD決算
内訳売上高前年比(%)
取次事業4,758億1500万円▲5.7
小売事業610億1,500万円▲2.6
海外事業68億5,500万円9.3
雑貨事業19億3,300万円7.8
コンテンツ事業17億3,000万円22.5
エンタメ事業17億4,000万円8.7
不動産事業29億4,700万円12.7
その他53億400万円24.2


次の表は日販単体売上高である。

■日販単体売上高内訳(単位:百万円)
金額増減額増加率(%)返品率(%)
書籍204,916-11,94294.530.9
雑誌123,462-14,14189.747.4
コミックス67,4012,264103.525.8
開発品26,909-6100.040.8
合計422,690-23,82594.736.7

 日販GHDの連結決算は、売上高の92%を占める取次事業の赤字を、8%弱の七事業の黒字で補い、営業経常利益を伸ばし、最終利益を黒字転換させたことになる。いびつな決算の印象を否めない。
 前回の本クロニクルのトーハンの決算で見たように、単体、連結ともに経常赤字だったわけだから、日販GHDも無理をして黒字にすることもなかったように思われる。
 それゆえに今期の黒字化にはどのような「忖度」がこめられているのだろうか。これからそれがどのように露出していくのか、問題はそこにあると思われる。



3.楽天ブックスネットワークは川村興市専務が代表取締役社長に就任。

 その経歴を見ると、日本電気、CCC、MPD常務取締役を経て、16年楽天入社、大阪屋栗田取締役、18年同専務取締役とある。
 『出版状況クロニクルⅤ』の2016年7月のところで、川村の大阪屋栗田の取締役就任を既述しておいた。その際に社長が講談社の大竹深夫、専務が元日販の加藤哲朗だったことも。
 しかし楽天BNとなった現在、監査役などとして残っているにしても、もはや経営陣から出版社や取次の人間はいなくなったしまった。
 そういえば、先月、旧知の元栗田の社員から電話があり、その後の栗田の人々の消息を尋ねたところ、ほとんどが音信不通で、行方も知れないということだった。
 これも現在の出版業界を象徴していよう。
出版状況クロニクル5



4.書協の新理事長に河出書房新社の小野寺優社長が就任。
 それを機として、『文化通信』(7/20)が「本や読書の喜びを発信したい」との大見出しで、一面インタビューしている。そこでの「出版社で営業、編集を30年やってきて、この間、なにが一番変わったと感じていますか」の問いに対する発言を紹介したい。それは次のようなものである。

 本の売れ方、読まれ方ですね。ネットが本格的に普及し始めてから、売れるものと売れないものが驚くほど二極化してきました。おそらく、人々が本を選ぶときに、ネット書店のランキングやレビューを手掛かりにするようになったからだと思います。
 その結果、書店の平台からは買うけれど、棚から自分の目で丹念に選んで買うということが少なくなって、いわゆるロングセラーが激減した。中でも、実績のない新人作家の作品は、非常に売り出しにくくなりました。
 これは書籍出版社にとって大変厳しいことです。ロングセラーが経営の基盤となって、その上に新刊がのるという本来の収益構造が逆転してしまった。
 この傾向は、簡単には変わらないでしょうが、出版の多様性を考えると、今後の大きな課題だと思っています。


 これは当たり前の発言のように思われるかもしれないが、13年間営業に携わり、書籍出版社の河出書房新社の社長も務め、これまでと異なり、初めて非オーナーの書協理事長となった小野寺ならではのものだと見なせよう。
 しかし残念なことに、現在の最も深刻なコロナと出版状況に関しては語られていない。



5.日書連の加盟書店数は2986店、前年比126店減となり、3000店を割る。
 東京書店組合も307店、同17店減。

 これは4月1日現在のデータであり、まだコロナ禍による書店閉店は少ないと考えられる。だからそれが顕著になるのは5月以降と推測されていたが、6月は近年にない119店という三ケタの閉店となっている。
 しかもこれまでの閉店はナショナルチェーンが目立っていたけれど、6月は中小書店が多い。東京だけでも10店を数え、6月時点で、東京書店組合も300店を割ったと思われる。東京の古本屋は600店とされるので、その半分以下になってしまった。
 現在45都道府県に書店商業組合があるけれど、解散する組合も出てくるにちがいない。



6.京都の三月書店が閉店したようで、『朝日新聞』(7/12)の「歌壇」に次の一首があった。

  毎日を定休日とするお知らせが貼られた朝の三月書房
                    (西宮市) 佐竹由利子

 本クロニクル142で、三月書房の閉店は伝えておいたが、ついに「毎日を定休日とする」ことになってしまった。
 この一首は永田和宏と佐佐木幸綱の二人の選者が挙げていて、詩集や歌集を多く売っていた三月書房への挽歌のようでもある。
 そういえば、まだ三月書房は挙がっていないけれど、6月の京都の閉店は13店を数え、リーブル京都が5店にも及んでいることを付記しておく。
odamitsuo.hatenablog.com



7.能勢仁、八木壮一共著『平成の出版が歩んだ道』(出版メディアパル)が出された。

f:id:OdaMitsuo:20200724104450j:plain:h110 昭和の出版が歩んだ道

 たまたま4、5、6を書いた後に届いたので、ここに挙げておく。サブタイトルに「激変する『出版業界の夢と冒険』30年史」とあるようにコンパクトな平成出版史である。
 2013年刊行の『昭和の出版が歩んだ道』の続編で、両書を座右に置けば、昭和、平成を通じての出版業界の変容を学ぶことができる。
 それはの書協の小野寺発言、の書店の激減、の三月書房の閉店などの背景と事情を裏付けていよう。



8.7月の東京愛書会の古書目録『愛書』の新日本書籍コーナーに、おうふう(桜楓社)の日本文学研究書が3ページにわたり、120点ほどが掲載されていた。

 本クロニクル144で、おうふう(前桜楓社)の破産を伝え、「大学における国文学や近代文学研究の衰退」を象徴していると既述したばかりだ。
 このような高価な研究書の古書業界への流失もその破産を受けてのことだろう。だがいずこの学会にしても、出版社の出張販売すらも成立しないという現在の研究状況において、これらの読者はまだ存在しているのだろうか。
 『平成の出版が歩んだ道』には第5章「昭和・平成の古書業界の歩んだ道」も収録されているので、続けて取り上げてみた。
odamitsuo.hatenablog.com



9.日本図書普及の図書カードNEXT発行高は375億4200万円、前年比5.6%減。回収高は379億7700万円、同5.9%減、図書券は3億4600万円。
 加盟店法人は5655社、前年比190社減。それに伴いカード読取機設置店舗数は7973店、410店減。

 発行高は2000年の771億円がピークであるから、まさに半減してしまった。それはの日書連加盟書店の減少とパラレルで、しかも3年前から回収高が発行高を上回り、読者の利用の低下を示していよう。
 『出版状況クロニクルⅤ』で、1997年からの「図書券、図書カード発行高、回収高」を掲載しておいたので、必要とあれば、参照してほしい。



10.学研プラスと日本創発グループの合弁会社ワン・パブリッシングが発足し、学研プラスの定期誌『GetNavi』『ムー』『歴史群像』など10誌の発行と発売、「FYTTE」「Mer」などのウェブメディア運営といった各事業を引き継ぐ。

GetNavi ムー 歴史群像

 これは学研プラスによるメディア事業の会社分割である。
 日本創発グループは印刷会社東京リスマチックを母体とする持株会社で、学研プラスと同じく、ワン・パブリッシングの株式の49.5%を保有し、社員数は55人。
 おそらく学研はメディア事業を切り離し、介護、医療、福祉といった分野へとさらなる進出をめざしているのだろう。
 またそれは前回の本クロニクルでもふれておいたように、トーハンの不動産プロジェクトともリンクしているのである。



11.住宅設備、建築材料の大手LIXILグループの文化事業としてのLIXIL出版が終了。
 LIXIL出版は1982年から「LIXIL BOOKLET」の刊行を始め、その他にも「第3空間叢書」「建築のちから」などの単行本シリーズ、建築や都市をテーマとする雑誌『10+1』も創刊し、ブックレットも含め、400点以上を刊行してきた。

奇跡の住宅(『奇跡の住宅』「LIXIL BOOKLET」)

 近年LIXILは経営権や中国での事業をめぐる問題で、経済誌などでスポットを当てられていたが、このような出版事業を営んでいたのである。
 その終了もこれらの動向と無縁ではないはずだ。 
 LIXILの前身は伊奈製陶で、INAX出版として始まり、それを範としてTOTOもTOTO出版を始め、やはりブックレットなども出していたことを思いだす。
 企業の文化事業としての出版活動も、今世紀に入って、姿を消していったのではないだろうか。



12.『月刊ラティーナ』(ラティーナ)が休刊。
 同誌は1952年に『中南米音楽』として創刊され、83年から現在の誌名に変更され、68年にわたって刊行されてきたことになる。

ラティーナ

 私は不勉強で、この雑誌の存在を知らずにいた。その休刊を教えられたのは、私の編集担当者から、発行人の本田健治が休刊号に書いた「私の思い出のラティーナ」を送られたことによっている。
 この5ページに及ぶ回想は、まさに日本の戦後に始まるタンゴなど中南米音楽の普及の歴史で、趣味の雑誌がマニアたちで創刊され、定着、成長していった事実を教えてくれる。
 だが時代は趣味と雑誌の共立を崩壊させてしまったことを告げている。それを示すように、『月刊ラティーナ』もweb 版へと移行することが伝えられている。



13.村上春樹『猫を棄てる』を読了。
猫を棄てる

 とてもいい本だった。このような小さな本を出すことができるのは村上ならではで、「小さな歴史のかけら」を、身をもって示しているといえよう。
 かつて『日本古書通信』(2016年6月号~8月号)で、西田元次「村上千秋と春樹 父と子のきずな――村上春樹の原点」が連載されたことがあった。
 村上が『猫を棄てる』を書くきっかけは、この西田文であったかもしれないので、興味ある読者には一読を勧めたい。



14.三浦雅士『石坂洋次郎の逆襲』(講談社)を読んだ。
石坂洋次郎の逆襲

 戦後から高度成長期にかけて、ベストセラー作家にして、多くの映画の原作者だった人たちがいる。しかしそれらは松本清張を除き、ほとんどが読まれなくなっている。
 あらためてそれらを再読し、高度成長期の社会史を考えてみたいと思っているし、私も様々に試みているし、「改造社と石坂洋次郎『若い人』」(『古本探究Ⅱ』所収)なども書いている。
 三浦がいうように、石坂も「忘れてはならない作家」なのだ。その石坂が現在の社会に突きつけている「逆襲」とは何なのか。ずっと疑問に思っていた晩年の『水で書かれた物語』以後の作品の内実が明らかにされていくのである。
f:id:OdaMitsuo:20200724153231j:plain f:id:OdaMitsuo:20200724152500j:plain:h110 古本探究2



15.坪内祐三の遺稿集『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』が幻戯書房から刊行された。
みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』 東京タワーならこう言うぜ 右であれ、左であれ、思想はネットでは伝わらない。

 幻戯書房からは生前に『東京タワーならこう言うぜ』『右であれ、左であれ、思想はネットでは伝わらない。』が出ているので、三冊目ということになる。これらは同じ名嘉真春紀の編集によるものであろう。
 この本の圧巻は第3章の「福田章二と庄司薫」で、そのうちの「福田章二論」はかつて『新潮』連載で読んでいたけれど、これまで単行本未収録であったことを知らされた。
 私見によれば、福田にとって重要なのは、丸山真男、及び塩野七生との関係ではないかと考えてきた。だが前者に関しては言及されているが、後者にはふれていない。どうしてなのであろうか。



16.「TATSUMIMOOK」の一冊として、『日本昭和エロ大全』(辰巳出版)が出された。
日本昭和エロ大全 日本エロ本全史

 本クロニクル135でも、『日本昭和エロ大全』の筆者の一人の安田理央の『日本エロ本全史』を取り上げているので、屋上屋を架すように思われるかもしれないが、こちらは終わってしまった「昭和エロカルチャー」をピクチャレスクに、バラエティ豊かに総攬している。
 そこでパロディ的一句を。
  エロ本や昭和は遠くなりにけり
odamitsuo.hatenablog.com



17.論創社HP「本を読む」〈54〉は「ロジェ・カイヨワ『戦争論』と『人間と聖なるもの』」です。
 『近代出版史探索Ⅲ』は7月末に刊行。
近代出版史探索Ⅲ』

古本夜話1052 詩話会と新潮社『現代詩人全集』

 生田春月の遺稿詩集『象徴の烏賊』は昭和五年六月に第一書房から刊行され、『日本近代文学大事典』には書影とともに、「懊悩する春月を知る代表的詩集」として、この一冊だけが立項されている。これは前回の『生田春月全集』第一巻にも収録があり、確かに処女詩集『霊魂の秋』と異なる、切迫したニヒリズムを表出させている短唱を見ることができる。

f:id:OdaMitsuo:20200708150856j:plain:h120 (『象徴の烏賊』) f:id:OdaMitsuo:20200704171634j:plain:h120

 この『象徴の烏賊』がどのような経緯と事情で、第一書房から刊行されたのかは戸田房子『詩人の妻 生田花世』でもふれられていない。これは推測するに、第一書房の長谷川巳之吉が玄文社時代に詩集『麻の葉』(大正十一年)を出版したことに端を発しているのだろう。
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 この遺稿詩集も含めて、短い生涯の間に、それも十一年余で全十五冊の詩集を上梓したことは特筆すべきことだと思われるし、それは新潮社の詩の出版へも大きな影響を与えたはずだ。それゆえに新潮社は「この縁故深き詩人の霊に捧げ」んとして『生田春月全集』を刊行したのである。

 その新潮社と詩の本格的な出版は大正八年の年刊『日本詩集』から始まっている。『日本詩集』は詩話会の主要事業でもあった。詩話会は本連載1022でも既述した大正時代の最大の詩人団体で、大正六年に川路柳虹、山宮允が主唱者として、様々な詩誌による詩人たちに呼びかけ、詩人懇談会が催され、それを母体として設立された。そして『日本詩集』と月刊誌『日本詩人』が刊行され、その版元を引き受けたのが新潮社だったのである。
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 年刊『日本詩集』は大正十五年までに八冊が出されたが、これも本連載1022で既述したように、大正十二年刊行の詩話会編纂「1923版」(大正十一年)の一冊だけを入手している。その「序」は「新しい詩の収穫時代」「我国に於ける詩的精神の建設時代」がここにあり、「詩を愛する精神が一般化しつつある」との言葉が見える。そして生田春月を始めとして、三十一人の詩が収録され、そこには金子光晴、佐藤春夫、高村光太郎、野口雨情、萩原朔太郎、室生犀星なども含まれている。

 また「余録」として、「大正十一年における詩論の抜萃」が十本、「大正十一年詩壇一覧」は一月から十二月までの詩、詩論、翻訳、著書、事件などを記録している。さらに三十七人に及ぶ「会員住所録」、それに「詩話会規則」も付され、「詩話会は日本詩壇の興隆を期し、壇人相互の交情を温め、壇の進歩発達を庶幾する団体である」との言も謳われている。その委員として、先に挙げなかった詩人は佐藤惣之助、白鳥省吾、千家元麿、富田碎花、福士幸次郎、福田正夫、百田宗治で、いってみれば、詩話会会員は当時のオールスター詩人たちの集合のように映る。

 それらとともに目を引くのは巻末の「新潮社出版詩書類」で、それぞれの会員の詩集だけでなく、会員の翻訳による『泰西名詩選集』、会員たちの「現代詩人叢書」である。これらはいずれも未見だが、前者は大正八年から十四年にかけて全十巻、後者は大正十一年から十五年にかけて全二十巻に及んでいる。
f:id:OdaMitsuo:20200709163520j:plain:h110(「現代詩人叢書」第一編 野口米次郎『沈黙の血汐』)

 これらの大正時代の「新潮社出版詩書類」の集大成が、昭和円本時代の『現代詩人全集』全十二巻だと見なせよう。それに関して、「日本全集は、実に国民の公選になるところの一大国民詩集であつて、我等の文化と、我等の心と魂を、百代の後に記念す可き、一大精神建築」で、「背、極上羊皮、紬織り表紙。金模様、芸術味豊な装幀」と謳われている。たまたまこれは一冊だけ入手していて、函無し裸本だが、「紬織り表紙」はからし色が鮮やかで、並製フランス装の『日本詩集』と比べて、恩地孝四郎の装幀は一世紀前の出版だと思われないほどの美しさが保たれている。
f:id:OdaMitsuo:20200708145214j:plain:h120(『現代詩人全集』第十巻『福士幸次郎集・佐藤惣之助集・千家元麿集』)

 手元にあるのは『石川啄木集・山村暮鳥集・三富朽葉集』の第六巻で、三富のことを考えれば、恩地の装幀とリンクしているように思われてならない。同巻の「三富朽葉小伝」にあるように、彼は自由詩社の『自然と印象』により、フランス近代詩と象徴主義の影響を受け、口語散文詩の先駆的作品を発表していたが、大正六年に犬吠埼海岸で遊泳中に溺死している。まだ二十九歳だった。その遺友の増田篤夫が十年かけて編纂した詩、詩論、翻訳などを含めた『三富朽葉詩集』を第一書房から刊行したのは大正十五年であった。これは浜松の時代舎で、二十年ほど前に購入し、『近代出版史探索』135でふれているが、背革金泥装のいかにも第一書房らしい装幀で、『現代詩人全集』の恩地装をも彷彿とさせる。
f:id:OdaMitsuo:20200709165644j:plain:h120 近代出版史探索

 同時代に第一書房は堀口大學訳詩集『月下の一群』、日夏耿之介『黒衣の聖母』などの所謂「豪華本詩集」を刊行していた。それに『現代詩人全集』も影響を受けなかったはずがない。両者をつないだのが第八巻所収の生田春月であるとすれば、それは必然的でもあったといえよう。なお「現代詩人叢書」『現代詩人全集』も明細を挙げられなかったけれど、双方とも『日本近代文学大事典』にリストアップされているので、必要とあれば、そちらを参照されたい。

 その後の詩話会にもふれておくと、大正十四、五年には詩壇に変化が生じ、新しい世代の詩人の台頭によって、詩話会は解散に至り、『日本詩集』も『日本詩人』も廃刊となったのである。それ以来、敗戦に至るまで、それに匹敵する詩人団体は設立されなかったようだ。


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