出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1338 『我観』創刊号

 前回三宅雪嶺が創刊した『我観』第一号が手元にある。これは近代文学館の「複刻日本の雑誌」(講談社)の一冊で、当たり前だが、古本屋で入手した本探索1327の『日本及日本人』の実物よりもきれいであり、現存する最良の『我観』創刊号をもとにした複刻だとわかる。

(創刊号) (複刻版)

 『我観』については『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に解題もあり、創刊号書影を示した上で、半ページ余にわたって、大正十三年の創刊から昭和二十年の廃刊に至るまでトレースされているので、詳細はそちらに譲り、ここではこの第一号に限りたい。判型は四六倍判、本文一六〇ページに、「創作」の九三ページが加わるので、『日本及日本人』よりも倍近く厚いし、それもあって、『日本及日本人』にはなかった背タイトルも見受けられる。表紙レイアウトは先行する本探索1277の『思想』の影響を受けてなのか、上部に横書きタイトル、下部に収録文と著者名が収録されているので、それらの内容を示しておく。そのフォーマットは本探索1276の大正十四年創刊の改造社『社会科学』も同様であった。

(終刊号)     

 * 灰燼中より出現《題言》
 * 三宅雪嶺「第二次山本内閣の性質」
 * 中野正剛「復興の経綸」
 * 杉森孝二郎「大震災の意義」
 * 福田徳三「経済復興は先づ半倒壊物の爆破から」
 * 桝本卯平「天は人為の差別を悪む」
 * 北昤吉「震災を機として」
 * 片上伸「エレメンタルな力の発動と文学」
 * 創作/尾崎士郎「凶夢」
 *  〃/正宗白鳥「彼女の生活」
 *  〃/水守亀之助「ある時代(戯曲)」
 *  〃/佐藤春夫「五分間」

 『我観』が大正十二年九月の関東大震災の直後に創刊されたことは表紙に見られる寄稿から明らかだし、拙稿「講談社と『大正大震災大火災』」(『古雑誌探究』所収)でふれておいたように、誠文堂を始めとして他社からも同類の大震災特集雑誌、書籍が出されていたはずだ。それもあって、『思想』の影響に加えて、創刊号と他誌との差別化のために、『日本及日本人』には見られなかった「創作」も組みこまれたと考えられる。

 古雑誌探究

 その露払いといっていいのか、「創作」ページの前に無署名の「文界雑俎」が置かれ、大震災下における文学者たちの消息が報告され、「麹町区の住民泉狂花君が推されて自警団の団長になつてゐる」などはここで初めて知る。また尾崎士郎「凶夢」はおそらく宇野千代との結婚に至る前の三角関係の渦中の起きた大震災を描いている。地震と火事、避難する群衆の混乱と暴行隊の幻影などが三角関係と重なり、二重の「凶夢」として浮かび上がる。この「大正十二年十月四日朝」と脱稿が記された作品はその後単行本に収録を見ているだろうか。

 それはひとまずおくとしても、この関東大震災の余燼覚めやらぬ中にあっての創刊で、「『我観』発行宣言」もなされたことは特筆すべきだろう。それは「本年九月初め、我が首都付近に大震災あり、続いて大火災あり、幾年かの東洋の誇りが一空に帰し、政教社及び東方時論社亦た災を免れず、曩に他を憐みし者が他に憐まるゝとは、抑ゝ何を暗示するか」と発し、続けている。

 欧州の神話に、鳳凰(フェニックス)は自らの身を祭壇に焼き、灰燼中より若かき姿を以て出現するとあり。幾多の言論機関が帝都の焦土とかすると共に、我らの思想発表機関は新基礎の上に出現するの適当なるを認む。新たなる雑誌は『我観』と称し、新たなる社は『我観社』と称し、日本国に生存する固有の日本人はもちろん、太陽の下に生存する全世界人類の協同し、造化の功を補ふを望む。
 十人十色といひ、各雑誌に特色あり、多く売りて称すべきあるも、我等の従事する所は、自ら商品とせず、主張し報道するが為めに発行し、出入相ひ償ふを得ば素なり。発売するを以て商品とするは、芸術品を商品とすると同様にして、芸術品に商品なるありとし、真の芸術家は決して之を商品とせず、日本人の立場に於て全人類は貢献すること、『我観社』より発行する雑誌『我観』を以て為し得ずと限るべからず。我等は二十世紀の文明文化が言論文芸に欺かる力を与へたるを思ひ、新雑誌『我観』発刊の主旨を述ぶ。

 これは大正十二年十月一日付で、我観社の名前で出されているけれど、「灰燼中より出現《題言》」と同様に、雪嶺による「宣言」と見なしていいだろう。少しばかり長く引用したのはここに関東大震災が雑誌にとってもターニングポイントで、雑誌も貌の見える読者に向けてのリトルマガジン的「芸術品」から、限りなく大量生産大量消費の「商品」へと向かっていく出版状況を暗示しているように思えてならないからだ。書籍に関しては円本以前と以後におけるパラダイムチェンジが語られているが、雑誌にあっては大震災をはさんでといっていいかもしれまい。

 なお編輯発行人兼印刷人は稲垣伸太郎とあるが、ここでしか見ていないし、どのような人物なのだろうか。



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出版状況クロニクル175(2022年11月1日~11月30日)

22年10月の書籍雑誌推定販売金額は845億円で、前年比7.5%減。
書籍は484億円で、同5.9%減。
雑誌は360億円で、同9.7%減。
雑誌の内訳は月刊誌が296億円で、同10.8%減、週刊誌は64億円で、同4.3%減。
返品率は書籍が34.1%、雑誌は43.8%で、月刊誌は43.4%、週刊誌は45.5%。
8、9月に比べてマイナス幅が大きくなってきていることからすれば、
20年、21年の書籍推定販売金額よりも22年の大幅な減が予測される
そのような出版状況の中で、22年の最後の月へと入っていく。



1.『出版月報』(10月号)が特集「出版物の価格を考える」を組んでいる。
 出版科学研究所の水野敦史による時宜を得た好企画で、各種グラフと表も併せて「出版物の価格」の推移と出版、社会状況をトレースしている。
 そのうちの総務省「家計調査(二人以上の世帯)」に基づく「消費支出と品目別支出額の推移(月額平均)」を示す。

 
■消費支出と品目別支出金額の推移(月額平均) (円)
西暦(年)消費支出書籍雑誌固定電話
通信料
携帯電話
通信料
インターネット
接続料
2000 317,3289084495,8302,383
2001309,0548574535,4243,225
2002305,9538874174,5774,697650
2003301,8418423974,2435,635861
2004 302,9758724184,0626,1091,106
2005300,5318604203,6726,4201,253
2006 294,9438233903,4956,9631,315
2007297,7827893703,2957,2831,509
2008 296,9328053743,1017,6751,715
2009291,7377683852,9077,9331,841
2010 290,2447643722,8598,0551,992
2011282,9667313612,8477,9901,974
2012 286,1697133322,8248,1312,003
2013290,4546953292,7608,3262,009
2014 291,1946903072,5918,7832,022
2015287,3736772832,4989,2512,107
2016 282,1886302792,2589,8672,199
2017283,0276232632,03210,2082,323
2018 287,3156272531,78210,5082,293
2019293,3796512471,76010,6112,341
2020277,9267062301,62810,5812,549
2021279,0247292341,54210,4242,730


 これはダイレクトな「出版物の価格」の推移を伝えるものではないけれど、出版物、出版市場、社会メディア環境の変容を如実に物語っているといえよう。
 消費支出は2000年の317,328円に対して、2021年は279,024円で、38,304円、12.1%のマイナスとなっている。物価指数、税金などの「非消費支出」の上昇に賃金指数が追いついていないことも明らかだ。
 それとパラレルに「書籍」も908円から729円、「雑誌」は449円から234円に減少し、後者に至っては半減ということになる。ここに雑誌の凋落と雑誌を中心とする書店の衰退がそのまま映し出されている。
 それに対して、2021年の「携帯電話通信料」と「インターネット接続料」はそれぞれ10,424円、2730円で、合わせて13,154円である。「書籍」「雑誌」の963円に対して、13倍の支出となり、出版物が占めていた社会的役割が失墜してしまった現実をあからさまに照らし出している。
 もはや出版とジャーナリズムの時代だった20世紀ではなく、新たな21世紀を迎えていることを否応なく自覚しなければならない。



2.日書連加盟店が10月1日時点で2756店、47店減となった。

 日書連加盟店は本クロニクルでもずっと定点観測してきたように、ピーク時の1986年には1万2935店あったわけだから、ほぼ5分の1になってしまったのである。
 それと対照的に、公共図書館は1980年以後増え続け、2021年には3316館を数え、日書連加盟店を上回る事態が続いている。
 どうしてそのような逆転状況が生じたかは『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で詳述しておいたが、これからも書店数と図書館数の差は開いていくばかりであろう。
  



3.『朝日新聞』(10/30)と同(11/6)の「朝日歌壇」に次のような短歌が寄せられていた。

  ただいまと言える書店が閉店し駅前が消え新幹線来る 

                       札幌市  港 詩織

  こころざし高き山根屋書店主の訃報の朝に彼岸花咲く
                       長野市  細野 正昭

  駅近く書店営み歌に生き沓掛喜久男氏逝きて閉じた
                       長野市  栗平たかさ

 第一首と第二首は「高野公彦選」、第三首は「永田和宏選」だが、第二首と第三首は同じ書店と書店主を詠んでいる。
 第二首の「評」として、高野は「頑張って個人書店を維持してきた沓掛喜久男さん(朝日歌壇の常連)への弔歌。」と述べている。
 第一首の書店は不明だが、第二首、第三首は前歌に見えているように、長野市坂城町の山根屋書店で、創業一世紀の歴史を有する老舗である。沓掛は三代目店主として長野県書店商業組合理事も務めたが、9月に亡くなり、閉店となったという。
 第一首の書店にしても、駅前に位置していたことからすれば、日書連加盟店であったはずだし、そのような老舗にして好立地の書店でさえも、閉店せざるを得ない出版状況に追いやられてしまったのである。
 本クロニクル170などでも沓掛の歌を引かせてもらってきたが、もはやそれもかなわない。このような書店状況を背景として、自由民主党議員145人による「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」が発足している。
 出版業界の官僚ともいえる出版文化産業振興財団(JPIC)と政治家がコレボレーションしたところで、何ができるというのか。単なるパフォーマンスにすぎないだろう。悪質な冗談のように思うのは私だけではあるまい。



4.『朝日新聞』(11/22)が「クールジャパン機構崖っぷち」という記事を発信している。
 それによれば、経産省の官民ファンド「クールジャパン機構(海外需要開拓支援機構 CJ機構)」は2013年にアニメなどの海外展開を支援するために設立されたが、累積赤字額は309億円に拡大し、経産省は25年度に黒字転換して存続をめざすが、財務省は統廃合を検討中とされる。

 『出版状況クロニクルⅣ』で、経産省のクールジャパン構想とその内実に対して批判しておいたが、やはり予測どおりになってしまった。
 クールジャパン機構は官民ファンドのひとつとして、これまで56件の投資を決めたが、ほとんど失敗している。その代表的なものは映像コンテンツの海外展開で、アニメ配信会社「アニメコンソーシアムジャパン」や衛星放送会社「WAKUWAKU JAPAN」を立ち上げたが、ネットフリックスなどの台頭で失敗に終わり、これらの投資だけで60億円にのぼる。
 コミックにしてもアニメにしても、近代出版史が証明しているように、その成長は民によるもので、官とは全く無縁の存在だったのである。それをまったく弁えずにクールジャパン機構を立ち上げた経産省の罪は重いというしかない。
出版状況クロニクル〈4〉2012.1~2015.12



5.ゲオHDは23年3月までにセカンドストリートを800店とし、メーカーなどの過剰在庫を安く仕入れ、販売する「オフプライスストア」やアウトドア専門店も展開する一方で、中古CDの買い取りを終了。

 21年のリユース市場規模は2兆6988億円、前年比12%増で、25年には同45%増の3兆5000億円という成長が見こまれているので、セカンドストリートの出店も加速しているのだろう。
 本クロニクル168で、近隣の閉店したTSUTAYA店舗がセカンドストリートになったことを既述しておいたが、そのようなテナントチェンジが取次問題を忖度することなく、各地で起きているのかもしれない。
 ゲオの店舗数は1107で、5年前より100店以上減少しているけれど、CD、DVDの販売の終了予定はないとされる。
 しかしゲオHDの売上総利益の構成はリユース事業が過半を占める状態になっているので、経営の主軸がレンタルからリユースへと転換していくことは必然だと見なせよう。
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6.ノセ事務所より2022年上期の46紙に及ぶ「ブロック紙・地方紙一覧」レポートが届いた。その全国紙も含めた現況を引いてみる。

 前回調べたときは40万部以上発行する地方紙は10社だったが、今回は中日新聞(192万部)、北海道新聞(85万部)、静岡新聞(53万部)、中国新聞(51万部)、信濃毎日新聞(41万部)、西日本新聞(43万部)、神戸新聞(40万部)にとどまった。
 東京新聞(39万部)を含めた主要8紙の合計発行部数は544万部で21年上期比4.1%減。河北新報と新潟日報は40万部を下回った。
 一方、46紙のうち夕刊を発行する社は21年に15紙あったが現在は10紙にとどまっている。
 静岡新聞の朝刊、夕刊ともに50万部を超えるケースは稀有である。
 全国紙(朝刊)の発行部数は、読売新聞686万部、朝日新聞は429万部、毎日新聞は193万部、日本経済新聞は175万部、産経新聞は102万部。


 このレポートは各紙の読書欄の現在にも及んでいるが、以前とは異なりつつあるように思われる。
 例えば、『東京新聞』『中日新聞』の場合、『日本読書新聞』出身の書評担当者が退職後は明らかに変わってしまった印象が強い。
 それは『北海道新聞』『信濃毎日新聞』なども同じで、かつては小出版社の人文書にも目配りを見せていたが、最近はどうなのであろうか。
 しかしそれよりも、新聞の凋落も加速していて、『朝日新聞』は早くも400万部を下回ったと伝えられているし、地方紙にしても次回には40万部を割りこむところも出てくることは確実だ。
 それは1で示した「消費と支出と品目別支出金額の推移」とも連鎖しているのである]



7.宮後優子『ひとり出版入門 つくって売るということ』(よはく舎)読了。

ひとり出版入門: つくって売るということ

 著者の宮後はBOOK&DESIGNギャラリーを営み、3章はひとり出版社の運営で、よはく舎も含め、8社が紹介されている。
 取次は鍬谷書店で、9月刊行、10月重版となっているので、何よりだ。



8.『群像』(10月号)に古賀詩穂子「本屋の“売場”と“場”」が掲載されている。

群像 2022年 10 月号 [雑誌]

 古賀は21年1月コロナ禍野の中で、名古屋の金山駅近くにTOUTEN BOOKSTOREをオープンし、その後の本屋状況と展開を伝えている。
 古賀は取次出身で、「本のある空間にまつわる企画・運営を行う会社」を経て、2階建25坪の本屋、カフェ、ギャラリーをオープンし、「ギャラリー展示」と「イベント企画」を継続し、現在へと至っている。
 のひとり出版社と同じく、現在の出版状況において、本屋をオープンするのであれば、このような業態しかないと思う。だがこれは少し前の話になってしまうけれど、コンセプトは異なるにしても、同じく本屋、カフェ、ギャラリーを兼ねてオープンした友人が苦戦していたことを想起してしまう。
 そのことはともかく、名古屋に行ったら、一度訪ねてみよう。



9.チョムスキーの新刊『壊れゆく世界の標』(NHK出版)を読んでいると、重要な独立系メディアとして、オンライン雑誌、コミュニティ・ラジオ局と並んで、次のような出版社と雑誌が挙げられていた。
 出版社はヴァーソ・ブックス、ヘイマーケット、マンスリー・レビュー、シティライツ、ザ・ニュープレス、雑誌はジャコビン、ネイション、プログレッシブ、インジーズ・タイムズである。


壊れゆく世界の標(しるべ) (NHK出版新書 687)

 これらの出版社と雑誌を挙げたのは、それこそ「壊れゆく世界の標」のようにして、旧来の出版社に加え、新たな出版社や雑誌が立ち上がっていることを示唆されたからだ。
 たまたま最近、クロポトキンの『相互扶助論』のデヴィッド・グレーバー序文の最新版テキストを注文したところ、A4判のイラスト入りが送られてきた。これまで見たことがない編集と挿絵、装幀と造本で、出版社はPM PRESSである。
 2007年に創立された社会科学書の小出版社で、アメリカのオークランドにある。おそらくPM PRESSも重要な独立系出版社に位置づけられるのではないだろうか。念のためにタイトルなども示しておく。
Peter Kropotkin,Mutual Aid An Illuminated Factor of Evolution、PM PRESS 2021

www.pmpress.org



10.国文社の廃業がSNSで言及されているので、本クロニクルでも取り上げておく。

 すでに数年前に実質的に廃業したと仄聞していたが、業界紙などでも報道されなかったこともあり、これまでふれてこなかった。
 国文社は戦後の1949年創業で、印刷屋も兼ねていた詩集出版社だったと思われる。それは谷川雁の詩集『天山』(1956年)や『谷川雁詩集』(1960年)などに明らかで、私たちが知った時代には桶谷秀昭の『近代の奈落』『増補版土着と情況』などを刊行し、リトルマガジン『磁場』も創刊していた。
 これらの編集に携わったのは橋川文三門下の田村雅之で、吉本隆明の『詩的乾坤』『村上一郎著作集』も同様だが、田村は後に村上一郎『岩波茂雄』などの砂子屋書房を設立するに至る。
 その後に「ポリロゴス叢書」などの現代思想の翻訳書が刊行され始める。これらは国文社二代目の前島哲の企画だったと思われる。
 国文社は池袋にあり、自社ビルを構えていたはずで、1980年頃に一度訪ねた記憶がある。
 いずれにしても古い話だが、本クロニクルでもふれてほしいとの要望も出されているようなので、ここにラフスケッチしてみた。

      村上一郎著作集 第1巻 東国の人びと  



11.前回の本クロニクルで、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』を批判した根本彰のブログに対する反論を掲載しておいた。
odamitsuo.hatenablog.com
 それに対して、「図書館関係者」から次のような葉書が送られてきた。

 拝啓
  図書館関係者ですが、ブログを拝見しました。
  ツイッター等で N に賛同の意思を示しているのは  新(ツイッター)、嶋田(フェイスブック)、書物蔵等の常連だけで、大場を含めて後は紹介に近いと思います。
  賛同している人は意外に少ないと思います。
  ある知人と話したのですが、「非礼である」「大学教員が書く文章ではない」等で一致しました。
  あまりに非礼であるため、支持する人は少なく、今後、基本的には小田さんが優位に立つ展開になると思います。(後略)


 匿名ではあるけれど、事態を憂慮する当事者としての「図書館関係者」の見解が提出されているし、本クロニクルの性格からして、公表されることはふまえてのことだと判断するので、ここに紹介してみた。
 以下続けて、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に寄せられた、書店と建築家からの意見も示しておく。



12.書店からは難しくてよくわからないところが多いので、解説版を出してくれないかという要望が寄せられてきた。

 これは20代後半の書店員からのもので、我々としてはタイトルはゴダールによっているが、内容は淀川長治的にわかりやすく具体的にというアイテムで臨んでいる。
 だがこの指摘を受け、力量不足と説明の欠落を痛感してしまった。ただ我々は年齢的なギャップもあり、解説版の試みの任にはふさわしくないし、どなたかが試みて下されば幸いである。
 その一方で、『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に関して、オープンな論議や質疑応答などが必要とされ、JLAやTRC、公共図書館や大学図書館だけでなく、出版社、取次、書店などからも要請があれば、私も中村も気軽に参加することを約束しよう。



13.もうひとつ、公共施設を多く手がけている親しい建築家からも、次のような見解が伝えられてきた。

 図書館の運営やシステムに関しては門外漢だが、これからの図書館の建設、再建築は運営の民営化が始まっているように、土地、建物も含めて民営化され、それを自治体が借りるというシステムになっていくだろうし、すでに始まっている子ども図書館の試みはその前段階にあたるだろう。
 要するに現在の市レベルの自治体は資金不足と税収減収、これからの少子高齢化に伴う財政圧迫もあり、従来のシステムでのハコモノ行政は不可能になってきている。そのために自前ではなく、民間資金、土地、建物の賃借システムを導入するかたちでないと実現が難しい。
 まして図書館は文化施設として後発であり、優先的位置づけとはなっていないし、リニューアル、再整備にしても、行政の財政問題と密接に絡むだろうし、そうした中で、図書館建設の第二の成長を望むことは難しいのではないか。

 実際に図書館の土地、建物の民営化の例として、本クロニクル170などで、町田市の鶴川駅前図書館や紀伊國屋と荒屋市立図書館を挙げておいたが、それが将来の図書館の主流となっていくのではないかと建築家の側から語られていることになる。
 1980年代のロードサイドビジネスの成長は広い駐車場と借地借家方式によるもので、図書館の大駐車場もそれを範にしていた。とすれば、図書館の借地借家方式への移行も必然的とも考えられる。
 図書館の場合、老朽化しても、蔵書問題もあり、解体、再建設は困難で、リプレース、借地借家方式のほうがコスト的にかなっている。しかも公共建築物は50年寿命とされているので、1980年代建設の図書館はそれが近づいているのである。
odamitsuo.hatenablog.com



14.『朝日新聞』(11/28)が次の記事を発信している。
 「手取り9万円台・・・非正規司書の悲鳴」という見出しで、20代の女性司書を呼びかけ人とする雇用年限の撤廃や最低賃金の引き上げなどを求めるオンライン署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」が7万人以上の署名を集め、要望書とともに文部科学省や総務省に提出した。

 非正規司書のことも『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で指摘した重要な問題的テーマに他ならず、なぜか書名は挙げられていないが、ひとつの波紋であることは明らかだ。
 おそらく水面下でも図書館をめぐる様々な問題がくすぶり始めているのだろう。



15.『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は重版発売中。
 論創社HP「本を読む」〈82〉は「 北宋社と片山健、『迷子の独楽』」です。


ronso.co.jp

古本夜話1337 三宅雪嶺と『志賀重昂全集』

 『日本及日本人』(『日本人』)が三宅雪嶺や志賀重昂を中心とする政教社から刊行され、そこに前回の鵜崎鷺城『薩の海軍 長の陸軍』、中島端『支那分割の運命』、コナン・ドイル、藤野鉦齋訳『老雄実歴談』、『青木繁画集』、長谷川如是閑『額の男』『倫敦』、鳥居素川『頬杖つきて』、川東碧梧桐選『日本俳句鈔』第二集の一ページ出版広告を見て、あらためて政教社が書籍出版社であることを確認させられた。それに三宅も『出版人物事典』に立項されている。

(『日本人』創刊号) (『薩の海軍 長の陸軍』) (『支那分割の運命』)(『青木繁画集』) (『倫敦』)出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [三宅雪嶺 みやけ・せつれい、本名雄二郎]一八六〇~1945(万延元~昭和二〇)政教社創業者。金沢生れ。東大哲学科卒。東大編輯所、文部省編輯局に勤務したが、一八八八年(明治二一)志賀重昂、井上円了、杉浦重剛らと政教社を創立、雑誌『日本人』を創刊、一九〇七年(明治四〇)『日本』を合併して『日本及日本人』と改題、主筆となった。また出版では雪嶺の著書『真善美日本人』『偽悪醜日本人』『我観小景』をはじめ、ベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』などを出版した。二三年(大正一二)政教社を離れ、女婿中野正剛と『我観』を創刊した。四三年(昭和一八)第三回文化勲章を受賞。戦後(昭和二四~二九)に回想録『同時代史』全六巻が刊行された。

 (『日本風景論』)同時代史 第2巻 明治十一年より明治二十六年迄

 政教社の書籍に関して、岩波文庫の『日本風景論』『倫敦』は別にして、先述のものや雪嶺の著作を入手していないこともあって、これまで言及してこなかった。それでも筑摩書房の『明治文学全集』に『政教社文学集』『三宅雪嶺集』があることは承知していたし、架蔵しているのだが、何となく敷居が高い感じで、それほど親しんでこなかった。とりわけ前者は志賀重昂、杉浦重剛、陸羯南、福本日南、長澤別夫、内藤湖南篇で、馴染みがうすく、福本の「エミール・ゾラ」などを参照してきただけだった。

日本風景論 (岩波文庫)  倫敦!倫敦? (岩波文庫) 明治文學全集 37 政教社文學集  明治文學全集 33 三宅雪嶺集

 ところが志賀だけは『世界山水図説』(冨山房、明治四十四年初版、大正元年十五版)、『志賀重昂全集』(第二巻、同全集刊行会、昭和三年)を入手していた。ただ前者は教科書副読本的な学校採用書籍で、刊行は赤坂区霊南町の地球調査会事務所とのジョイント企画である。後者は重昂死後の翌年に、編輯者兼発行者を志賀富士男とするものである。彼はおそらく重昂の息子だと考えられるが、こちらは円本時代の「非売品」扱いで、刊行された全八巻の一冊であった。『日本近代文学大事典』の志賀の項のところにこの『全集』の扉が書影として示されているが、私が入手したのは函入菊判上製の一冊で、その装幀造本は『日本風景論』の著者にふさわしいギリシア文様をあしらい、その下にラクダの隊列を浮かび上がらせるというシックなものであった。

 (『世界山水図説』)   (日本図書センター復刻)

 したがって円本に則った「非売品」扱いでの全集予約出版形式、及びその装幀造本からして、単に重昂の子息が編輯者兼発行者として設立した全集刊行会から出版しただけだとは考えられず、有能な編集者と販売に通じた営業担当者がいたはずだと思われた。しかし手がかりがつかめず、取り上げてこなかったのである。そこで前回『日本及日本人』にふれるに及んで、その発行兼編輯人八太徳三郎などの政教社の編集者たちが志賀重昂全集刊行会のスタッフを務めたのではないかと思われてきたのである。

 それは先の立項でもみたように、雪嶺は他の同人たちとの間で意見の対立が生じていた。また大正九年創刊の『女性日本人』の不振、十二年の関東大震災による被害もあり、雪嶺の『日本及日本人』は九月で終刊となり、彼は中野正剛と『我観』を創刊する。他の同人たちは十三年政教社から『日本及日本人』を復刊するが、ナショナリズム的偏向が著しく、見るべきものは少ないとされる。

(創刊号)

 雪嶺と他の同人たちの対立、その際の重昂のポジション、政教社と『日本及日本人』編集部の復刊の関係は詳らかにしないが、昭和二年に重昂は亡くなっている。だがそれは円本時代の只中であり、『日本風景論』のベストセラーの著者にして地理学者、政治評論家の死が全集刊行へ向かうのは当然の成り行きだったし、政教社と『日本風景論』などの版権の問題も絡んでいたにちがいない。それゆえに発行所は政教社ではなく、新たに子息を編輯兼発行者とする志賀重昂全集刊行会が設立されたのではないだろうか。

 同会は志賀富士男の住所と同じ東京市外代々木に設けられているが、それはいずれもダミーのように思われるし、実際には彼に代わる編集兼発行者がいたはずで、それが『日本及日本人』の発行編輯人を務めた八太だった可能性も大いにありうる。だが長きにわたって留意しているにもかかわらず、八太が『近代出版史探索Ⅲ』558の井上哲次郎の関係者だったことしか判明していない。いずれ雪嶺の『同時代史』(岩波書店)も読まなければならない。


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古本夜話1336 鵜崎鷺城『頭を抱へて』と興成館書店

 前回の大正二年の『日本及日本人』第六〇四号のトップ書名記事に鷺城学人「誤られたる大隈伯」が挙げられていることにふれた。これは「人物評論」としての連載の一編のようで、武内理三他編『日本近現代史小辞典』(角川書店)を参照し、大正二年三月の政治状況を絡め、要約してみる。

日本近現代史小辞典 (角川小辞典 25)

 大正元年に西園寺内閣が陸軍の師団増設要求によって倒されると、不況下にあって緊急財政、減税を求める実業家などから軍閥批判が高まった。そうした政治状況下で軍の実力者の桂太郎が後任内閣を組織すると、政友会、国民党を中心とした憲政擁護運動へと発展し、大正二年に桂はそれに対し、自ら立憲同志会を組織し、解散をもって対抗しようとした。ところが二月に議会が民衆に取り巻かれ、やむなく総辞職した。これは大正政変とよばれ、鷺城が「過ぐる政変以来」と書き出しているのはそれを意味している。その桂内閣に代わって、山本権兵衛内閣が成立するのだが、大正四年にシーメンス事件で倒れ、大隈重信が立憲同志会を与党として内閣を組織するに至る。

 このような政治的過程において、大隈は明治四十三年に政界を退き、早大総長となっていたのである。それなのに政党争いに巻きこまれるようなかたちの大隈のカムバックは間違いで、鷺城は「政治よりも本業ならざる教育に成功せるを自覚し、専ら国民教育家として立ち」続けるべきだと論じている。そして「吾輩は彼を尊敬するがゆえに之を惜み、惜むが故に此一篇を草して彼の反省を促すのみ」と結んでいる。ところがそうはならず、大隈内閣が大正三年四月からスタートしていくのである。

 この鷺城学人は『日本近代文学大事典』に鵜崎鷺城として立項されているので、それを紹介も兼ねて引いておこう。

 鵜崎鷺城 うざきろじょう 明治六・一一・一~昭和九・一〇・二八(1973~1934)新聞記者、評論家。兵庫県の人。本名は熊吉。東京専門学校(現・早大)卒。明治四〇年「東京日日新聞」の記者となり「毎日電報」紙上に人物評論を連載して好評を博す。四二年国民党に参加し、古島一雄らとともに犬養毅を助けて党勢拡張に尽力。四五年東日を退き、以後昭和初年まで「日本及日本人」「中央公論」等において軍閥、財閥の批判に健筆を揮った。大正一一年、関門日日新聞主筆となる。著に『犬養毅伝』(昭七・一二 誠文堂)『人物小春秋』などがある。

 この立項によって、「誤られたる大隈伯」に顕著なように、鷺城が政界と政党のメカニズム、その権力闘争にも通じていることが了承される。この鷺城の著作を二十年ほど前に入手し、その後、谷沢永一が『遊星群』(和泉書院)で言及しているのを目にしているけれど、機会がなくて取り上げてこなかった。それは『頭を抱へて』で、裸本だが、蓮の花と葉をあしらった瀟洒な装幀であり、大正四年に京橋区南鞘町の興成館書店から刊行されている。発行者は西川清吉で、版元名と同じく、ここで初めて目にする。

遊星群―時代を語る好書録 明治篇   

 『頭を抱へて』は前半が「ラスキン情話」「文豪と女性」「神秘的の罪」などの英国文壇物語やベルギーの犯罪事件を対象とした長めのレポートといっていい。だが後半はそれこそ「誤られたる大隈伯」の続編ともいうべき「蒸直しの大隈内閣」から始まる「人物評伝」が十七本、それに類する政治状況論が二十編以上収録され、鷺城が西洋文学事情や世情にも通じ、「時事放談」も語ることができるジャーナリストで、それなりに人気があったことがうかがわれる。これらの掲載誌の記載はないが、多くが大正三年とある。

 (大正3年5月号) 
  
 しかし「自序」に明らかだが、大正政変下での『日本及日本人』における「人物評論」連載は物議をかもしていたようで、「本年は春来舌戦の東奔西馳した」し、相次いで妻子も病み、「しばし探薪の憂を抱く身となり」、それに加えて「精神上不快なること相亜で起れり」と述べている。そうした中にあって「如何に憂事の多き時も、余は読書と述作を廃する能はず。頭を抱へて書を読み、頭を抱へて筆を執る時、楽自ら箇中にあり」とも記し、本書のタイトルもそれに基づくことが明かされている。

 興成館の西川と鷺城の関係は前から続いていたようで、巻末の出版広告には鷺城の『野人の聲』『鳥の目だま』が見え、『頭を抱へて』の正価九十五銭に対して、前者が一円、後者が九十銭であることを考えると、いずれも同じ判型造本によると判断できよう。どのような装幀なのか、見てみたいと思う。古本屋で実物に会うことができるだろうか。

(『鳥の目だま』)


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古本夜話1335 政教社『日本及日本人』

 前回の満川亀太郎『三国干渉以後』において、大正三年に彼は『大日本』の編集者となり、その六年近くに及ぶ雑誌記者生活の中で、「日本国家改造と亜細亜復興問題」を生涯の事業と決意したと述べている。

三国干渉以後 (論創叢書) (論創社版)

 この『大日本』の立項は他に見出せないで、満川の記述によってラフスケッチしてみる。月刊雑誌『大日本』は民間の志士による大日本国防義会の創立を背景とし、『二六新報』記者で、民間海運通の第一人者である川島清治郎によって創刊され、満川もその同人の一人として編集に参与した。『大日本』は当時唯一の高級政治雑誌『太陽』を範とし、四六倍判二百六十頁が原則で、三色版口絵写真と地図の添付を特色とし、内容は陸海軍中心の国防評論や国際政局に関する原稿が主であった。創刊当時は経済的にも恵まれ、発行部数も一万二千部に達したが、営業方面にはほとんど無知だったことから、翌年には行き詰まり、社友組織としてあらため、川島と満川の二人だけが残って『大日本』の発行を続けたとされる。

 満川は『大日本』の創刊も第一次世界大戦を機とするもので、それ以後『二十世紀』『東方時論』『中外』『改造』『解放』『公論』があったが、現在も続いているのは『改造』だけだと述べている。まさに大正時代は本探索1331の婦人誌、女性誌のみならず、新しい雑誌の到来を迎えていた。『近代思想』『郷土研究』『我等』『新青年』『現代』『文藝春秋』『キング』もそうであり、本探索でも繰り返し指摘してきたが、明治四十一年に実業之日本社の『婦人世界』が返品委託制を採用するに至った。それとパラレルに明治以後の人口増や全国鉄道網の普及も相俟って、書店がそれまでの三千店から昭和初期には一万店に及ぶという販売インフラの拡大をも伴うものであった。

(『婦人世界』)

 だが満川をして、『日本及日本人』や国家改造、亜細亜復興問題へと向かわせたのはそれぞれの大正の新しい雑誌というよりも、中学生時代に読んだ明治時代創刊の雑誌であり、彼は次のように述べている。

 私は雑誌『大日本』を読む事を覚えた。羯南先生病みて経営を日銀文書局長たりし伊藤欽亮氏の手に譲つてから、社中同人との間に衝突が絶へなかつた。遂に三宅雪嶺博士以下二十余名の同人が日本新聞社を退いて雑誌『日本人』に立て籠り、『日本及日本人』と改題したのであつた。私は或る号に孫文の事蹟のかいてあるのを感読した。(中略)左様だ、私は一日も早く東京に行つて、これら支那革命党の諸士とも交つて見たいと考へた。

 これには若干の説明が必要あるので、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」の一ページ半に及ぶ立項を参照しながら補足してみる。『日本及日本人』は『日本人』として明治二十一年に政教社から三宅雪嶺、志賀重昂を中心として創刊された。「当代の日本は創業の日本なり」と謳われ、当時の国際情勢野中での対外強硬と観念的な国民平等の主張を強くして始まった。それもあって二十四年までに四回も発行禁止となり、第一次は終わる。だがやはり三宅、志賀を中心として二十六年からの第二次、二十八年からの第三次が三十九年の四四九号まで続いていくのだが、四十年の四五〇号から『日本及日本人』と改題された。それは陸羯南が『日本』を伊藤に譲るに際して、政教社の方針を変更しないことが条件だったにもかかわらず、それが無視されたので、旧社員は『日本人』によることになり、『日本及日本人』とタイトルが変えられたのである。

(『日本人』創刊号)

 その『日本及日本人』の大正二年四月の六〇四号が手元にある。浜松の典昭堂で見つけた一冊で、菊倍判本文一四八ページであり、翌年の創刊号『大日本』はその倍の厚さだとわかる。表紙には三宅雪嶺主宰と記され、今月の題言「春風の心と秋水の脳」に続いて、この号のトップ記事「多くの重大問題を如何にする」「事業職業営業の区別」が並んでいる。そして中央に『日本及日本人』のタイトルが縦に置かれ、次の四本の署名記事があり、これらがこの号の目玉だと思われるので、それらを挙げてみる。

 (『日本及日本人』明治44年3月号)

 鷺城学人「誤られたる大隈伯」、中野正剛「憲政擁護根本論」、三井甲之「森博士のフアウスト訳」、管國観「新聞及び新聞記者」で、最後の「新聞及び新聞記者」は二回目の連載らしく、理想の新聞編輯局やベスト専門記者人選を行なっていて、明治と異なる大正のジャーナリズムの台頭をうかがわせているようだ。これは未見だが、『大日本』創刊の範として、おそらく満川亀太郎もこの号を読んでいたにちがいない。


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