出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1044 杉浦盛雄『名古屋地方詩史』、馬場伸彦『周縁のモダニズム』、井口蕉花

 春山行夫は名古屋の詩誌『青騎士』を揺籃の地とし、モダニズム詩人としての始まりを告げたといっていいだろう。

 実は古田一晴『名古屋とちくさ正文館』(「出版人に聞く」シリーズ14)のインタビューに際し、参考文献として杉浦盛雄『名古屋地方詩史 』(同刊行会、昭和四十三年)、及び「モダン都市名古屋のコラージュ」というサブタイトルが付された『周縁のモダニズム 』(人間社、平成九年)を名古屋の古本屋で入手している。前者には春山が「序」を寄せ、後者は最初の「都市とモダニスト」の章が「産業都市とレスプリヌーヴォー 春山行夫」から始まり、春山の若き日の写真の掲載と先の「序」の引用もあるので、ここでもそれを引いてみる。

名古屋とちくさ正文館 f:id:OdaMitsuo:20200622111832j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200622113046p:plain:h120

 名古屋市地方の詩史は、その黎明期がわが国の新しい詩の黎明期とほとんど時期がおなじだった。私自身の歩みからふりかえっても、私は『青騎士』の運動から出発し、大正十三年(〈1924〉二十二才)に上京して四年後に『詩と詩論』の運動をおこした。『青騎士』から『詩と詩論』への道は一筋であった。東京にはすぐれた先輩詩人たちがたくさんいたが、新しい詩ないし新しい詩のエスプリという点では、私は最尖端の一人であった。つまり私をおくりだした『青騎士』は、名古屋地方にはじめて詩の運動をおこした雑誌だったというだけでなく、日本の新しい詩のエスプリと理論を予見した先駆的な雑誌の一つでもあった。

 そして春山はその出現が「カボチャの種から突然にユリが咲いたというような奇蹟」ではなく、当時の名古屋には若々しい詩や芸術のエネルギーが渦巻き、「名古屋の青春が自ら生みだしたオリジナルな時代感覚」に基づき、「若い詩人や画家がいっぺンにたくさん現われた地方都市はほかになかった」とされている、つまりこの春山の「序」は『名古屋地方詩史 』がその事実を明らかにする記録であり、「詩史としてのレーゾン・デトール」に他ならないことを浮かび上がらせている。

 それを体現するかのように、『名古屋地方詩史 』の第一編「明治・大正期」は序説「現代詩の黎明」に続いて、第一章「芸術詩派」の「モダニズム詩派の発生」において、シュルレアリスムの源流と『青騎士』が、その創刊号の書影も示され、論じられていく。『青騎士』は大正十一年九月創刊、十三年六月通巻十五号の「井口蕉花追悼号」で終刊となるが、「この地方における芸術派大正詩の最も重要な詩誌で、中央や地域の詩人の作品をのせ、日本超現実主義詩の種苗圃ともなった多彩な詩活動を展開した」とまずは紹介される。創刊したのは井口蕉花、春山行夫、斎藤光次郎、岡山草三(東)、高木斐瑳雄の五人で、名古屋詩話会と緊密な関係を通じて、同人を増やし、作品の掲載を拡大していった。創刊の提案は斎藤からなされ、このタイトルは岡山によるものだったが、その「編輯後記」は春山が書き、「斯く、青騎士の現われたことに拠つて所謂中京詩壇の一大転機を促さなければならない」と宣言している。

 残念なことに『青騎士』は『日本近代文学大事典』に立項されていないけれど、拙稿「南天堂と詩人たち」(『書店の近代』所収)で示しておいたように、大正時代は詩のリトルマガジンも多く出され、大正十二年には岡本潤や萩原恭次郎たちの『赤と黒』、翌年には小野十三郎たちの『ダムダム』も創刊されていたことからすれば、『青騎士』も新しい詩の時代のトレンドに呼応していたのである。
書店の近代

 その特色はシュルレアリスムと連動していたことで、春山を始めとして、井口、棚夏針手、山中散生、佐藤一英が『青騎士』同人として、日本の超現実主義の源流をなす詩を書き続け、それらは全国各地の詩活動に大きな刺激をもたらしたのである。これらの五人の詩にふれるのは無理なので、ここではやはり『日本近代文学大事典』に立項されていないが、春山に大きな影響をもたらしたと思われる井口を取り上げてみたい。

 井口は明治二十九年名古屋市に生まれ、前述したように、大正十三年に二十七歳で亡くなり、没後に春山たちの編集により、『井口蕉花詩集』(名古屋東文堂書店、昭和四年)が刊行されているようだが、もちろん未見である。彼は小学校卒業後、転写紙製造に携わりながら、独学で英仏露語に通じ、短歌、詩作、評論に筆をとり、『文章世界』の投書家で、本間五丈原の筆名を用い、十二秀才といわれるほど有名であったという。春山も同じように正規の学歴を有さず、独学で英仏語を取得していたが、それは彼が年少の頃から知っていた井口を範としていたからではないだろうか。

 それはともかく、「鋭い心象を持った天才的な視覚型の人」の作品を見てみよう。『青騎士』大正十三年三月号掲載の「落葉を焚く」の前半の部分である。

  晩秋の落葉を溜(た)めてある朝ひそひそと焼けり
  静かに火を挙げればわが賢明(はしこさ)と怜悧なる手温みより
  すべて飽くなき初冬の感情(こゝろ)は素朴の匂ひにうち霑(ぬ)れ
  宿世さびしい庭の大気に音なく鎧ふ風に流れて
  いみじい思念の中に花くづおれるかとも見え
  或は尼僧の影の忍びかに行過ぎるかの様(よう)に白く烟り靆(なび)きぬ

 これだけでは井口の詩の在り処を充全に示せないと思うけれど、そのイメージの一端を伝えられればと願う。『名古屋地方詩史 』にはこの「落葉を焚く」の他に、「編物をする少女よ」と「嬌春譜」の二編の詩、及び『青騎士』総目次も収録されていることを付記しておこう。

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古本夜話1043 春山行夫訳、レヂス・ミシヨオ『フランス現代文学の思想的対立』

 少しばかり飛んでしまったけれど、春山行夫に関して続けてみる。彼は第一書房からレヂス・ミシヨオ『フランス現代文学の思想的対立』を翻訳刊行している。同署と春山について、小島輝正は『春山行夫ノート 』(蜘蛛出版社)で、次のように述べている。

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 春山行夫の仕事に接したのは、まずは昭和12年8月に出た訳書『フランス現代文学の思想的対立』(Régis Michaud :Modern Thought and Literature in France ,1934)であった。そのころ私は旧制高校生で、大学の仏文学を志望していたので、フランス文学関係の本を手当たり次第に読みあさっていたのである。この本は、その後四十年以上たったいまでも私の書棚に残っている。敗戦後の窮乏生活で眼ぼしい本をはじから売り払ったあげくのことだから、どこか手放しがたい思いがこの本には残っていたのであろう。
 当時の春山行夫の存在意義は、むろんこれだけに止まらない。私のみならず、私の年代で西欧文学を志したものは、当時の欧米の新しい文学の紹介者として、またそれを兼ねた編集者、出版人としての彼に絶大な恩恵を蒙っているはずである。昭和10年から15年にかけて、当時の第一書房の編集局長であり、かつ雑誌「セルパン」の編集長春山行夫が残した業績はきわめて大きい。

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 さらに小島は続けている。春山の本領は「昭和初期のモダニズム詩の理論家ならびに実作者」、「同世代あるいは直後世代に及ぼした影響力の点では最も強力なイデオローグであった」と。

 小島は大正九年生まれだが、春山の影響は昭和三年生まれの澁澤龍彦たちの世代まで続いていたようだ。澁澤の「アンドレ・ブルトン『黒ユーモア選集』について」(『澁澤龍彦集成』Ⅶ、桃源社)によれば、戦後を迎えても、『フランス現代文学の思想的対立』はフランスの新文学の恰好な手引きで、春山の編集になる『セルパン』ならぬ、戦後創刊の『雄鶏通信』等を通じて、海外文学情報を得ていたとされる。
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 あらためて『フランス現代文学の思想的対立』を読んでみると、この全十四章からなる一冊が驚くほどのフランスの新しい文学者と作品を含んでいることに気づく。例えば、第六章の「冒険家、世界旅行家」において、フランス伝統のコスモポリタニズムの復活者として、ヴアレリィ・ラルボオの名前を挙げ、まだ翻訳されていない『A・O・バルナボオト』や『罰せられない悪徳、読書』に言及している。これは戦後になって翻訳され、いずれも岩崎力訳で、前者は『A・O・バルナブース全集』(河出書房新社)、後者は『罰せられざる悪徳・読書』(みすず書房)として出された。又彼がジョイスの『ユリシーズ』の仏訳者であることも。
f:id:OdaMitsuo:20200622100937j:plain:h110 (『A・O・バルナブース全集』) 罰せられざる悪徳・読書(『罰せられざる悪徳・読書』)

 澁澤との関連でいえば、第九章は「ダダの叛逆とシュルレアリストの実験」を挙げるべきだろう。まずそこではフランスにおける十九世紀半ばからの詩の革命がたどられ、ロマン主義時代の異端者やボヘミアンの一人として、ネルヴァルが語られている。「『夢は第二の人生である』といったネルヴァルは、ただ一度しかあったことのない不思議な女の幻を追ひつつその生涯を終へた。彼はファウストを翻訳し、東洋へ旅立ち、イジスの神秘的な面衣(ブエイル)を取り去ることに失敗し、パリの最も陰惨な区域に属する街の街燈で首を縊つた。彼はその死後に、亡霊が牧歌的な光景の中から出てくる散文や詩の魔術的エッセイを残した」と。ネルヴァルの初めての翻訳刊行は昭和十二年五月の『夢と人生』(佐藤正彰訳、岩波文庫)だから、この紹介とほぼ同時に出されていたことになる。だが主要な著作の翻訳は、こちらも戦後を待たなければならかなかったのである。
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 そしてボードレール、ランボー、マラルメに言及した後で、ミシヨオは二十世紀の新しい反逆者の詩人、詩として、イジドール・デュカス=ロオトレアモン伯『マルドロオルの歌』、また笑劇(フアース)として、アルフレッド・ジャリィ『ユビュ王』『フォストロル博士の身振りと意見』を上げている。これらも戦後の出版となるのはいうまでもあるまい。

 それからダダイズムを経て、シュルレアリスムが出現するのである。それをミシヨオは次のように書いている。

 シュルレアリスムは、一九二四年アンドレ・ブルトンによつて編輯された『シュルレアリスト革命』La Révolution Surréaliste といふ雑誌によつて出現した。(中略)この名称はギヨオム・アポリネエルから借用したものであつた。また最初のシュルレアリストの作品として、同時に自働的記述(オートマテイク・ライテング)の実験としてフイリップ・スウポオとアンドレ・ブルトンによつて『磁場』(一九二一年)が書かれた。ダダと同じく、シュルレアリストの主張(プログラム)も革命的且つ破壊的であつた。それは従来行はれてきたもの、即ち、イメヂ、言語、感情、論理などの一切に背向したものであつた。それはまた伝統的な言語の破壊を主張し、ダダの挑戦を取りあげ、〈言語の革命〉と呼ばれたものを支持した。「未成年時代(インフアンシイ)から俗語(スラング)を通つて精神錯乱へ」、あらゆる方法が現実から脱出し、その向ふ側の物を見出すために役立つた。それをこの主義の支持者達は〈超現実性〉と呼び、純粋の想像、夢、直観、空想などの領域と考へた。

 『フランス現代文学の思想的対立』のわずかな部分しか紹介できなかったけれど、それらだけでも、この一冊が多くの新しいフランス文学情報の宝庫であったことを了解して頂けただろう。しかもミシヨオはフランス生まれだが、アメリカのイリノイ大学のフランス文学教授を務め、小島が示していたように、同書を英語で書き、それは直訳すれば、『フランスの現代思想と文学』である。それゆえに必然的に啓蒙的紹介の色彩も伴うことによって、パノラマ的な同書が仕上げられたと推測できる。それに着目した春山は慧眼というしかないし、大げさなことをいえば、この一冊は連載1017のアーサー・シモンズ『表象派の文学運動 』の昭和十年代版だったようにも思える。それに春山の著作と同様に、この訳書にも二〇ページの原語も伴う著者、事項の「索引」もあり、これが小島や澁澤たちにとって、必携の一冊となっていたとも考えられる。

 またさらに同書の後半には「付録」として、春山によってそれ以後の一九三四年から三六年にかけての「人民戦線以後の文学」が九〇ページにわたって加えられ、春山の翻訳だけで終ったのではない現代フランス文学への持続する注視を示していよう。

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古本夜話1042 桜井書店とJ・A・シモンズ『ダンテ』

 ダンテといえば、本連載1032でふれたばかりだし、『近代出版史探索』71などのJ・A・シモンズの『ダンテ研究入門』(Introduction to the Study of Dante)が著名な研究書として知られている。この対になるとされるのが、やはりシモンズの『文芸復興』(第一書房、昭和九年)で、これは本連載1038の田部重治による翻訳がある。ただ前者は十年ほど前に信州の古本屋で見つけるまで、翻訳刊行されているとは思っていなかったのである。しかも版元は拙稿「桜井均『奈落の作者』」(『古本屋散策』所収)などの桜井書店で、初版刊行は昭和十九年で、私が購入したのは二十一年八月の再販である。
近代出版史探索 古本屋散策

 もちろん初版は未見だし、造本などが戦後の重版とは異なっているかもしれないけれど、後者によってそれらを見てみる。A5判上製、白地の表紙にはシモンヅ『ダンテ』、橘忠衛訳、櫻井書店とあり、索引も含め、四六〇ページに及ぶ浩瀚な一冊といってい。またさらなる特色は原書にしたがって、ダンテの引用はすべてイタリア語原文が掲げられていることで、これは初版も同様だったと思われる。訳者の橘は、この『ダンテ』を恩師で「教育学者としての阿部次郎」に捧げるとあることからすれば、時代的にいっても、阿部の東北帝大就任中の教え子ということになろう。また謝辞として、東北帝大哲学科出身で、後の教育哲学者林竹二の名前が挙げられていることも、それを伝えていよう。
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 だがこの『ダンテ』がどのようにして、この時期に「好意ある出版者とその熱心な編輯部の手」に届いたのかは明らかでない。それに昭和二十一年の「訳者再版序」によれば、「戦災によって失はれた紙型の半ばが諸種の困難な事情にも拘らず出版者の甚大な努力によつて回復され」とある。確かに敗戦下の出版状況の中で出版社の桜井均と編輯者が傾けた「甚大な努力」は何に基づいているのか、それも気になるところだ。

 桜井の娘である山口邦子の『戦中戦後の出版と桜井書店』(慧文社)収録の「桜井書店出版目録」を見てみると、昭和十八年からグンドルフ『英雄と詩人』(橘忠衛訳)、『往復書簡ゲーテとシルレル』(菊池栄一訳)、ジムメル『ゲーテ』(木村謹治訳)、シュペングラー『西洋の没落』(村松正俊訳)などの翻訳書が多く出されている。その翻訳者や編集者の延長線上に『ダンテ』の出版もあったと推測できる。また山口の同書には桜井と林がとても親しく、やはり『ダンテ』と同年に林訳のテイラー『ソクラテス』を出版したこともふれられている。ただ桜井のプロパーは文芸書だったことから考えると、これらの翻訳書企画は戦時中の企業整備によるスメル書房や日比谷出版社や大同出版社に起因しているのであろう。
戦中戦後の出版と桜井書店 f:id:OdaMitsuo:20200621102028j:plain:h112(『往復書簡ゲーテとシルレル』)f:id:OdaMitsuo:20200621102841j:plain:h117(『ゲーテ』)

 また『戦中戦後の出版と桜井書店』には聞書「桜井均の思い出ばなし」も収録され、唯一の著書『奈落の作者』(文治堂書店)と異なる桜井書店史が語られ、興味深いけれど、『ダンテ』に関することを引けば、戦後を迎え、『ダンテ』や『ソクラテス』などが思いもかけずに売れたと回想している。それが戦後の出版の始まりの一端でもあった。

 さて前置きが長くなってしまったが、『ダンテ』の内容にも言及しなければならない。シモンズはダンテを論じるにあたって、まずイタリアの初期の歴史を概観することから始めている。それを抜きにして、ダンテの著作は語れないからだ。

 ダンテの著作が始まつたのは、このやうな完全な国内の分裂と外国の干渉に対する服従との時期であつた。如何にも最悪のものはまだ来てはゐなかつたが、併し軋轢と分裂の全要素は活動の原点にあつた。これがダンテやペトラルカのやうな、輝かしい過去の伝統に育てられ、自分たちの国を至高の帝国の王座であると考へ、後にロオマの偉大なる時代を顧み、前に政治的再建の諸可能性を臨む人々が、始末に負へない大衆を制し、暴悪なる簒奪者を抑へ、党争のために支離滅裂になつて疲れ果てたイタリアを再び単一の壮麗な国家にしてくれる救済者の、政治的メシアの出現をあのやうに情熱的に叫び求めた理由である。ダンテがその旅の始めに当つて自分がその真中にゐたことに気が附いたところの「荒森(Selva Selvaggia)」―その巖烈さが死にも劣らぬほどに恐ろしい繁蕪、荒牧、強頑なる森―は、全くただこの詩人の魂の難澁を表はす比喩であるばかりでなくて、また彼の国の社会的政治的な混乱を表はす比喩でもあつたのである。

 このようなイタリアの社会状況を背景にして、ダンテは一二六五年にフィレンツェに生まれ、後の『新生』につながるベアトリーチェと恋愛し、ボローニャ大学に学んだ。しかし政治闘争に巻きこまれ、ローマに使節として赴いたが、そこでフィレンツェから永久追放の宣告を受け、流亡生活が始まっていく。そしてシモンズのいうところの「最高の三大叙事詩人の一人、混沌たる中世の解釈者、未開の暗黒と混乱せる諸方言の騒音とのなかからの出現者、新しき秘義を伝へる聖職者」としてのダンテは「彼の時代の政治的、宗教的、道徳的、哲学的経験を壓縮して一つの芸術作品を作ること」に集中していくのである。それが他ならぬ『神曲』であり、シモンズはその主題と計画、そこにおける人間的関心、作者の崇高性と騎士道的ロマンスにも側鉛を降ろしていく。まさしく日本の戦後の始まりにふさわしい一冊として読まれたと想像したくなる。


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出版状況クロニクル146(2020年6月1日~6月30日)

 20年5月の書籍雑誌推定販売金額は770億円で、前年比1.9%増。
 書籍は423億円で、同9.1%増。
 雑誌は346億円で、同5.7%減。
 その内訳は月刊誌が286億円で、同1.5%減、週刊誌は59億円で、同22.0%減。
 返品率は書籍が36.5%、雑誌は46.2%で、月刊誌は46.6%、週刊誌は44.0%。
 新型コロナウイルスの影響下において、奇妙なプラスというしかないが、休業書店が多く、返品が激減したことによっている。だから6月以後の返品が恐ろしいということになる。
 このデータに象徴されるように、また大手書店POSデータ分析も参照しているけれど、実売による書店販売状況は把握できていない。
 まさに『出版月報』(6月号)がいうように、「出版状況が大きく改善したわけではない」のである。
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1.アルメディアの調査によれば、2020年5月1日時点での書店数は1万1024店で、前年比422店の減少。
 売場面積122万2302坪で、同3万8570坪のマイナス。
 この書店数の中で、売場面積を持つ店舗は9762店であるので、実質的書店は1万店を下回ってしまったことになる。
 1999年からの書店数の推移を示す。

■書店数の推移
書店数減少数
199922,296
200021,495▲801
200120,939▲556
200219,946▲993
200319,179▲767
200418,156▲1,023
200517,839▲317
200617,582▲257
200717,098▲484
200816,342▲756
200915,765▲577
201015,314▲451
201115,061▲253
201214,696▲365
201314,241▲455
201413,943▲298
201513,488▲455
201612,526▲962
201712,026▲500
201811,446▲580
201911,024▲422

 書店数は1999年に比べれば、まさに半減してしまい、それが出版物販売金額の推移と同様であることはいうまでもないだろう。ちなみにそちらは1999年2兆4607億円、2019年1兆2360億円である。
 この事実は雑誌や書籍売上が街の中小書店によって支えられていたことを示し、それらを含めて2万店を越える書店インフラが出版業界にとって不可欠だったことを、今さらながら突きつけている。その要といえる中小書店を壊滅させてしまったことの結果が、出版物売上高の半減なのである。
 だからこそ、この20年の取次と書店による大型化、複合化戦略は間違っていたのであり、それが20年のコロナ禍と相乗して、さらなる書店危機を露呈していくことになろう。



2.同じくアルメディアによる「取次別書店数と売場面積」も挙げておく。

■取次別書店数と売場面積 (2020年5月1日現在、面積:坪、占有率:%)
取次会社書店数前年比
増減(店)
売場面積前年比
増減(坪)
平均面積売場面積占有率前年比
(ポイント)
トーハン4,257▲147484,483▲8,80611439.60.5
日本出版販売3,752▲148598,267▲17,59215948.90.1
楽天ブックスネットワーク917▲62106,802▲10,1621168.7▲0.6
中央社399020,922▲268521.70.0
その他908▲3511,798▲1,772131.0▲0.1
不明・なし113030301.0
合計10,234▲3911,222,30238,570119100.0

 本クロニクル134で、前年のデータも示しているけれど、日販はTSUTAYAの大量閉店もあって、書店数と売場面積は352店、4万6681坪だったので、今年は148店、1万7592坪だから、どちらも下げ止まったように見える。
 一方で、トーハンは前年が84店、982坪減に対し、今年は147店、8806坪となっているので、両者とも倍近くになっている。
 このような数字のバラつきはあるけれど、日販、トーハンを併せ見れば、書店の大量閉店の流れは変わることなく続いていくと考えるべきだろう。
 それを新たに示しているのは楽天ブックスネットワークで、書店数は62店、売場面積は1万162坪減であり、後者はトーハンを上回っている。前年の楽天以前の大阪屋栗田の場合、78店減、66坪増だったことからすれば、今年は不採算書店の整理と売掛金の回収といった方向性へと急速にチェンジしていると推測できる。
 しかしにしてもにしても、まだコロナ禍が充全に反映されているとは言い難い。
 来年はどのようなデータとなって現実化するであろうか。
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3.トーハンの決算が出された。
 単体決算売上高は3834億8900万円、前年比3.5%減。
 営業利益は19億7600万円、同53.8%減、経常損失は4億7200万円、当期純損失は55億9200万円。
 経常損失の概況は「取次事業」が19億7200万円の損失、「不動産事業」が13億5200万円の利益、フィットネス事業などの「新規事業」が1億2000万円の損失。
 それに繰延税金資産28億7100万円を取り崩したことで、最終損失は56億円弱となった。
 売上内訳は次に示す。

■トーハン単体 売上高 内訳(単位:百万円、%)
金額増減額増加率返品率
書籍167,001▲2,732▲1.738.9
雑誌125,745▲7,360▲5.648.2
コミックス47,3443,4047.726.7
MM商品43,397▲6,981▲13.919.6
383,489▲13,670▲3.5.39.6


 連結決算は連結子会社28社(前期は16社)、持分法適用関連子会社12社(同5社)と拡大した。
 売上高は4082億4900万円、同2.1%減、営業利益は13億1900万円、同66.1%減、経常損失は14億5700万円、当期純損失は58億8500万円。ちなみに経営書店は286店。
 単体、連結とも創業以来、初の経常赤字を計上。

 これらの原因に関して、物流コストの上昇、新型コロナによる出版社の刊行計画の変更、子会社書店の休業、大型帖合変更のずれなどが挙げられている。
 しかし何よりもコロナ禍が露出させたのは、再販委託制に基づく近代出版流通システムの破綻のように思える。
 前掲の売上高内訳にもあるように、雑誌の返品率は50%近くに及び、近代出版流通システムの根幹ともいえる雑誌の流通販売はもはや崩壊しているといっても過言ではない。
 まして来期は4月から6月の第1四半期だけで、110億円の損失が見こまれていることからすれば、来期の決算はさらに悪化するだろう。
 日販の決算は延期されているが、こちらもトーハンと同様に赤字を計上するにちがいない。



4.3でトーハンの「不動産事業」にふれたが、『新文化』(6/11)が「社長室」欄で、「急ピッチで進む『不動産事業』」として、それらを具体的に挙げている。
 2018年度は「旧九段ビル」のホテル化、「旧九州支店」のマンション化、「旧文京営業所」の賃貸ビル化。
 19年度は「京都支店」のホテル化、「旧東北支店」「旧名古屋支店」「旧岡山支店」「旧四国支店」「旧五軒町創庫」「旧五軒町駐車場」「本社隣接駐車場」はいずれもホテル、マンション化のために現在工事中。
 愛知のロジスティクスセンターと千葉の初石グラウンドは売却され、大阪支店も移転し、跡地は再開発とされる。おそらく同じく移転する神戸支店なども同様であろう。

 トーハンの「事業領域の拡大」の一環として、所有地の土地有効活用が全社的に進められているとわかる。それらは来年竣工するという新本社ビル、その跡地の再開発も含めた一連の不動産プロジェクトの流れがすでに形成されているのであろう。
 しかし低金利バブル下の不動産プロジェクト、それに群がるゼネコンとコンサルタントたちの存在を考え、「事業領域の拡大」を長期的に見ると、今期のように順調に利益が積み重ねられていくのか、疑問である。
 またコロナ禍を経た後で、ホテル事業の先行きも不透明だし、マンション計画はサブリースであっても、人口減少に向かっていくのだから、こちらも安定利回りは難しい。
 結局のところ、立地の悪いロジスティックスセンターやグラウンドのように、売却したほうがよかったと後悔することになるかもしれない。



5.地方小出版流通センターの決算も出された。
 今期、総売上高は9億4244万円、前年比7.77%減で、7937万円のマイナスとなり、10億円を割りこんだが、営業収入で赤字は逃れたとされる。

 しかしこの決算にはトーハンと同じく、「コロナ緊急事態宣言期間」は入っていない。
 ちなみに取次出荷ベースで、4月は17.3%減(2090万円減)、5月は16.2%減(860万円減)となっている。
 そのような出版状況の中にあって、「地方・小出版流通センター通信」No.526は次のように記している。
 「新型コロナウイルスによる感染防止のため個人も会社(仕事)も4月から5月のほぼ2ケ月活動制限を強いられ、いままで経験したことがない生活状況が続き、いまも続いています。巣ごもり生活で精神的に疲れてしまいそうです。6月に入っても基に戻っているという実感はありません。この状態が秋まで続いたら、事業を何処まで継続出来るか自信がありません。」
 これこそ、取次のみならず、多くの出版社や書店の実感に他ならないであろう。
 今年の出版業界の夏はどうなるのだろうか。



6.戸田書店静岡本店が7月26日に閉店。
 JR静岡駅前の複合商業ビル「葵タワー」の地下1階から2階までの3フロアを占め、県内最大級の書店とされていた。

 本クロニクル143で、5月閉店を伝えておいたが、様々な事情で、2ヵ月後に先送りとなっていたようだ。
 それは戸田書店ばかりでなく、の取次の楽天ブックスネットワークの事情も絡んでいると推測される。
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7.岐阜の自由書房が全3店を閉店し、書店事業から撤退。

 自由書房は1948年創業で、岐阜県を代表する書店として知られていた。
 アルメディアの『96年版ブックストア全ガイド』を確認してみると、この時代に自由書房はこの3店を含め、13店を展開していたとわかる。
 やはり三洋堂書店や戸田書店に続いて、郊外店を出店し、チェーン化を図っていたのである。
 最後に残ったのが、県庁店、高島屋店、大型複合店の鷺山店で、高島屋店には大垣書店がテナント入居し、新規店をオープンするという。



8.ブックオフGHDの決算売上高は843億8900万円、前年比4.4%増、営業利益は14億2800万円、同7.8%減、経常利益は18億9800万円、同10.5%減。
 既存店売上はトレーディングカード、ホビー、映像、ゲーム、貴金属・時計・ブラントバックなどが好調だが、書籍はほぼ横ばいで、EC売上高は113億円に迫る10.2%増。

 ブックオフも多くを見ていないので、推測であるが、書籍以外の商品をメインとする店舗が増えているのだろう。
 本クロニクル140で、ゲオが古着店「セカンドストリート」を既存店舗に出店させ、その売上が500億円に達していることを既述しておいたが、ブックオフもかつての書籍から、他の商品へと比重が高くなっているのであろう。
 ちなみにそれに伴ってか、店数の801店のうち、直営が404店、FCが397店と比率が逆転してしまっている。かつてのブックオフのコアはフランチャイズ展開にあったことからすれば、それもピークアウトしたことになる。
 だがブックオフにしても、コロナ禍から逃れられず、来期はどのような決算となるのだろうか。
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9.『出版月報』(4・5月号)が特集「ムック市場2019」を組んでいるので、そのデータを示す。

■ムック発行、販売データ
新刊点数平均価格販売金額返品率
(点)前年比(円)(億円)前年比(%)前年増減
20057,8590.9%9311,164▲4.0%44.01.7%
20067,8840.3%9291,093▲6.1%45.01.0%
20078,0662.3%9201,046▲4.3%46.11.1%
20088,3373.4%9231,0621.5%46.0▲0.1%
20098,5112.1%9261,0912.7%45.8▲0.2%
20108,7622.9%9231,0980.6%45.4▲0.4%
20118,751▲0.1%9341,051▲4.3%46.00.6%
20129,0673.6%9131,045▲0.6%46.80.8%
20139,4724.5%8841,025▲1.9%48.01.2%
20149,336▲1.4%869972▲5.2%49.31.3%
20159,230▲1.1%864917▲5.7%52.63.3%
20168,832▲4.3%884903▲1.5%50.8▲1.8%
20178,554▲3.1%900816▲9.6%53.02.2%
20187,921▲7.4%871726▲11.0%51.6▲1.4%
20197,453▲5.9%868672▲7.4%51.1▲0.5%

 19年のムック市場は672億円で、14年に1000億円を割りこんで以来、まったく下げ止まらず、1997年には1355億円だったわけだから、やはり半減してしまったことになる。それは販売部数も同様である。97年の1億4469万冊が2019年には6912万冊となっている。
 しかも返品率は5年続きの50%超で、雑誌、それも月刊誌の高返品率の一因であることは自明だろう。新刊点数はこの2年で千点も減っているにもかかわらず、返品率は高止まりしているからだ。
 『おとなの週刊現代』の大ヒットもあり、単発のヒットは続くにしても、全体的にはさらに凋落していくであろうし、コロナ以後のムックの行方も厳しいと考えるしかない。
おとなの週刊現代



10.『新文化』(6/4)が「コロナ『給付金』『借入れ』の留意点」と題し、出版業界の金融機関である文化産業信用組合の秋本康男理事長にインタビューしている。それを要約してみる。

★ 出版界は不況業種のため中小企業信用保険法の第2条5項4・5号、及び同条6項の対象となっている。
「4号認定」は最近3ヵ月間の売上が前年比20%減少した場合、「5号認定」は同5%減少した場合、「6項〈危機対応〉認定」は突発的な事故で同15%以上減少した場合に認定され、自治体が定めた限定額まで優遇融資が受けられる。
★ まずは経産省の持続化給付金を給付してもらう。月商が前年比より50%以上減少している中小企業は上限200万円、個人事業者は100万円の給付となる。
★ その他には休業補償する厚生労働省の雇用調整助成金があり、休業中の従業員の雇用を維持するために、賃金の60%以上を支払っているとき、同省から補助金が得られる。
★ これとは別枠で、今回の第一次補正予算より、3000万円まで融資を受けることができる。それは実質無担保、無利息で、5年据置き、5年返済、すなわち10年スパンの借入制度である。ただし無担保、無利息は最初の3年間だけで、4年目から利益と保証料の支払いが発生する。
★ 具体的な申請手続きとして、中小企保法の4号、5号、危機対応6項などの適用を受けるには区役所の認可が必要である。
 申請書の書き方は当行に相談してほしい。保証は今年の年末まで受付けているので、まだ時間がある。
★ コロナ禍の中での出版社は今後大量返品も懸念され、短期的に赤字になるかもしれないが、借入理由が明確であれば、与信が担保となり、それに見合った融資、条件変更もできる。
 ただ先の3000万円融資の場合、据置き期間を終えて5年で返すのはV字回復の保証もないので辛いし、やはり心配になる。額を減らし、短期返済を考えるべきだ。
★家賃補償は第二次補正予算で決まると思うが、東京都の一店舗50万円、2店舗100万円が参考基準となるのではないか。
★ これからは売上高基準で経営する時代ではなく、キャッシュフロー経営に向かうべきで、経営者による会社への貸付金、自己不動産の無償貸与は止めるべきだ。本は水モノかもしれないが、これからのビジネス戦略を再考してほしい。


 まさに出版業界の中小企業の金融機関に他ならない文信理事長の声なのだ。少しばかり長く紹介してみた。
 耳の痛いことも含まれているけれど、読まれた上で、文信に相談して頂ければと思う。



11.『アサヒカメラ』(朝日新聞出版)が20年7月号で休刊。
 1926年創刊で、94年にわたって刊行されてきた日本最古の写真、カメラ専門雑誌である。
 発行部数は3万1500部だったとされるが、コロナ禍による広告収入の低迷が原因という。
 なお写真界の芥川賞とされる木村伊兵衛写真賞は朝日新聞社と朝日新聞出版が共催し、引き継がれる。


アサヒカメラ

 『アサヒカメラ』7月号は書店で売っていないし、アマゾンでも品切だったので、新聞販売店ルートで入手した。
 16人の写真家たちが語っている「私とアサヒカメラ」は、同誌が多くの写真家の揺籃の地であったことを伝え、感慨深い。
 とりわけ北井一夫の「有楽町社屋の黒いソファは写真学校だった」は彼の『村へ』が連載され、それによって第1回木村伊兵衛写真賞を受賞したことが述べられている。
 私は淡交社版『村へ』(1980年)を参照し、拙稿「村から郊外へ」(『郊外の果てへの旅/混住社会論旅』所収)を書いていることを付記しておく。
f:id:OdaMitsuo:20200626170513j:plain:h110 郊外の果てへの旅



12.『全国出版協会70年史(1949~2019)』が出された。

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 戦後の全国出版協会の誕生と歴史は同書にゆずることにして、ここではその第2章のタイトルにもなっている出版科学研究所にふれておこう。
 出版科学研究所は1956年に東販の出版物研究機関として発足し、59年から『出版指標 年報』、及び『出版月報』(6月号)を発刊している。
 そして69年に出版科学研究所は東販から社団法人全国出版協会へ移管され、公益法人傘下の調査研究機関として新たにスタートした。
 それからの出版科学研究所と『出版月報』(6月号)の歩みはその章を読んでもらうしかないが、長年にわたる本クロニクルの連載にしても、出版科学研究所のデータの集積を抜きにして語れない。
 地味な仕事ではあるけれども、出版業界の長期的変動に関する第一次資料に他ならないので、さらに持続するデータの追跡を願ってやまない。



13.『股旅堂古書目録』23が届いた。
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 この23号には「〈丸尾長顕旧蔵〉昭和初期エロ・グロ・ナンセンス関連出版社書籍雑誌出版案内チラシ67枚」なども掲載され、いつもながら充実している。ただし古書価は20万円。
 それだけでなく、『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」12)の著者の飯田豊一の旧蔵書が彼の「談」二ページを添えて出品されている。
 折しも、1982年創刊のゲイ雑誌『サムソン』(海鳴館)の休刊が伝えられてきた。これは未見だが、いずれ股旅堂が特集してくれるだろう。
『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』 『サムソン』



14.集英社『KOTOBA』 40が丸ごと「特集スティーブン・キング」を組んでいる。

『KOTOBA』

キングはベストセラー作家なので、かなり雑誌特集が組まれていると思われるかもしれないが、私の記憶では『ユリイカ』(1990年11月号)以来かもしれない。現在において、もっと論じられてしかるべき作家なのに、どうしてなのか。
 今回の特集はキングが新種ウィルスによる世界破滅をテーマとする『ザ・スタンド』(深町真理子訳、文春文庫)、疫病パンディミックを扱った未邦訳の『眠れる美女たち』を書いていること、及びキングの「コロナウィルスのようなパンディミックはおこるべくして起こったものだ、我々の社会のように移動が日常的に必要な社会では遅かれ早かれ、一般の人々に感染してしまうウィルスが出現することになってたんだ」というキングのSNSでの発信などにも基づいているのだろう。
 そういえば、彼の小説、映画ともに、私の偏愛する『デッド・ゾーン』(吉野美恵子訳、新潮文庫)はトランプ大統領の出現を予告していたようだ。実際にキングは反トランプ主義者で、ツィッターで批判を続けているという。
 もう一度キングを読み直してみようと思う。
f:id:OdaMitsuo:20200626221731j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20200626222555j:plain:h115 『デッド・ゾーン』



15.ネットフリックスで大ブレイク中の韓国長編ドラマ『愛の不時着』を観てしまった。

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 おそらく全編が引用からなる映像シーンに覆われているが、それはひとつの前提としてのドラマツルギーのようにも思われた。
 ネットフリックスでしか観られないので、まだ観ていない人も多いだろうし、本クロニクルの読者には一見をお勧めする。
 それは映画におけるレンタルと配信の問題にもリンクするし、コロナ以前、以後をメタファーとして浮かび上がらせているかもしれないからだ。



16.論創社のHP「本を読む」〈53〉は「思潮社とロジェ・カイヨワ『夢について』」です。
 『近代出版史探索Ⅱ』は5月下旬に刊行された。
 続けて『近代出版史探索Ⅲ』が7月下旬発売予定。
近代出版史探索Ⅱ  f:id:OdaMitsuo:20200626111727j:plain:h110
 晧星社から片岡喜彦『古本屋の四季』が届いた。表紙の祖父江俊夫の絵がノスタルジーを喚起させるので、書影を示しておく。

古本屋の四季

古本夜話1041 朝日新聞社『朝日住宅図案集』

 戸川秋骨の『自然・気まぐれ・紀行』の記述からすれば、彼が住んでいた郊外は中野あたりだと推測していた。だが神谷敏夫『最新日本著作者辞典』を確認してみると、東京市外井荻とあった。そこで「郊外生活」を営み、「文化住宅」に住んでいたとされるが、彼はどのような「文化住宅」に住んでいたのだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200608162927j:plain:h110(『自然・気まぐれ・紀行』)

 そのことを考える上で、絶好の資料がある。それは四六倍判の『朝日住宅図案集』で、昭和四年に朝日新聞社から刊行されている。この一冊は「懸賞中小住宅八十五案」が付され、「凡例」にも示されているように、「昭和四年二月、東京朝日新聞社が賞金二千三百円を懸けて、保健、衛生、防寒の近代的設備と、震災、火災、盗難などに関する最新式設備を考慮した、新時代の中小住宅案を募集し、応募五百案中より厳選した八十五案をまとめたもの」である。
f:id:OdaMitsuo:20200609115816j:plain:h110(『朝日住宅図案集』)

 またその「序」を引けば、「入選図案の大部分は外観が様式であり、内部に和洋の趣味と便利を蔵し」、「大正大震災前後に流行した所謂文化住宅に比すると、全く面目を一新し、現代生活の表現として渾然たる調和を示し、昭和の一型式を創造したもの」「昭和新時代の新様式を見出さんとするもの」として提出されている。それに加えて、本連載1007などの説教強盗横行のための対策としての洋式住宅の戸締も取り入れられている。これらの「八十五案」は「朝日住宅…型」と名称され、それぞれパース、設計説明、設計図などが六ページから四ページに及び、その特色として次の事項が挙げられている。それは「入賞十六案、即ち『朝日住宅』一号型から十六号型までの図案は、そのまゝこれを何れの地に建設しても差し支えありません」とあることだ。また実際に小田急沿線の成城学園前に、入賞図案を建設した「住宅展覧会」を開くとも謳われている。

 これらの郊外を立地とする八十五に及ぶ「住宅図案」を見ていくと、九十人近い建築家たちの中で知っているのは谷口吉郎だけだが、関東大震災後の昭和初期における復興と建築ルネサンスの息吹のようなものが感じられる。何よりもこの一冊はすべてが民間の中小住宅であるし、建築家たちも大半が個人として応募しているからだ。審査委員の一人である朝日新聞社の村山長擧は「新生活者への参考に」と題する評で、次のように記している。「若き昭和は建築界にもエポックを生み、様式が謂所(ママ)新独逸式とでも総称し得る形式に傾き、東京朝日の復興が其皮切りとなつて、すばらしい流行を見るに至つた。住宅も亦同じ影響を受け、今回の答案にも著しく現れ、金銀賞の殆ど総てが此の傾向の表現であつたと云ひ得る程に変化して来た」と。

 つまりこのような指摘は秋骨たちの初期郊外の「文化住宅」に、異なる建築様式が生じ始めたことを告げているのだろう。それは拙稿「マゾヒストと郊外の『お伽噺の家』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で言及した谷崎潤一郎の『痴人の愛』のような文化住宅からのテイクオフを意味していたのではないだろうか。南博編『大正文化』(勁草書房)は初期郊外と文化住宅に関して、次のように述べている。
郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』) f:id:OdaMitsuo:20200610114246j:plain:h120

 文化住宅は、新中間層文化のシンボルであり、この段階になると洋化も、単に表面的なものではなく、住生活全体の合理化が、かなり考慮されるようになる。この文化住宅の発生には近郊の私鉄沿線が「大都市の市内の住宅難を緩和するということで、土地を分譲しはじめたことが前提になった。それは、また、この時期に交通が急速に発達したことと対応している。八年には東京市内に乗合自動車が走るようになり、銀座通りにはじめて交通整理のための交通巡査が立つようになる。(中略)九年には東京地下鉄会社ができ、(中略)そうして十一年には、西武鉄道、日蒲鉄道、翌十二年には、小田原急行電鉄が創立され、このような東京近郊の私鉄の進出が前記のように、その沿線の土地開発に大きな役割を演じたのである。
 郊外の土地に住居を持つということは、生産や労働の場所と、個人的な生活の場所とが、はっきり地理的に分離することであり、この事情からも、前にいったような、生産者意識と生活者意識の分離が促されるようになる。

 この記述は初期郊外、文化住宅、私鉄沿線の開通と土地分譲、モータリゼーションの発達が連鎖していることを浮かび上がらせ、それが戦後の郊外の祖型となったことをも伝えている。しかし『朝日住宅図案集』は関東大震災以後の昭和戦前だけでなく、戦後の文化住宅の祖型となったのだろうか。これらに示されている建築コストは三千円から五千円で、それに土地代を加えれば、都市生活者の限られた一部の層しか実現は難しかったように思われる。この時代だけに夢見られたブルジョワユートピアとしての表象だったというイメージが拭い切れない。

 『朝日新聞社図書総目録』をたどってみると、『朝日住宅図案集』は昭和四年に一冊だけ出され、それに類するものとして、五年に『朝日住宅写真集』、七年に『五室以内の新住宅設計』、十年に『今日の住宅』と、同じ判型で出されていくが、『朝日住宅図案集』は続刊を見ていない。それは賞金付きの『朝日住宅図案集』、及びそれに基づく朝日新聞社の「住宅展覧会」プロジェクトが思うように成功しなかったことを意味しているのではないだだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200610140937j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20200610141158j:plain:h115(『朝日住宅写真集』)


odamitsuo.hatenablog.com


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