出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

感謝の言葉 と「出版流通販売インフラの変貌と現在の危機」

 前回で【自治会、宗教、地方史】の掲載が終わり、いよいよブログを終了いたします。
 最後に、小田光雄の文字通りの遺稿となりました2024年2月29日号『新文化』第一面記事を転載したいと思います。 
 これは末尾に書かれていますように、2024年1月18日に論創社主催の講演会で、「出版流通販売インフラの変貌と危機/70年代半ばからのパラダイムシフト」と題した講演の一部を要約したものです。
 新文化通信社より転載許可をいただきましたので、掲載いたします。

 小田光雄は現在の出版状況を見届けることなく逝ってしまいましたが、2年前にこのような出版パラダイムの変遷をまとめておりました。ブログの掉尾を飾るにふさわしい一文だと思われます。出版をめぐる状況は時々刻々と変化しておりますが、小田光雄の最後の警鐘としてお読みいただければ幸いです。

 2009年より17年にわたりブログをご愛読いただき、感謝に堪えません。2024年6月に亡くなった後も変わらず応援してくださいまして、ありがとうございました。おかげさまで遺稿までたどり着くことができました。

 ブログには書籍化に至らなかった記事も多々ありますので、いましばらくは閲覧可能な状態を維持していく所存です。大いに活用していただけますよう、ご案内いたします。

 今までご愛読いただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

                                             小田啓子

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「出版流通販売インフラの変貌と現在の危機 70年代半ばからのパラダイムシフト」

                                             小田光雄

業態転換した書店界 郊外店・FC・レンタル・複合化・・・

 出版物販売金額は1996年の2兆6564億円をピークとして減少し続け、21世紀に入って凋落の一途をたどっている。23年は1兆612億円であるから、定価値上げを考えれば、実質的に1兆円を割りこんでしまった。日本の近代出版業界は出版社・取次・書店という流通販売システムによって、雑誌を中心として稼働してきた。それに戦後の56年における再販委託制の実施と相俟って成長してきたわけだが、80年代に入って社会状況や書店も変貌し、すでに制度疲労を起こし、近代出版流通システム自体が実質的に崩壊し始めていたのである。

 90年代の出版状況に関しては拙著『出版社と書店はいかにして消えていくか』(ぱる出版、1999年、後に論創社、2008年)で詳述したとおりだ。

出版社と書店はいかにして消えていくか: 近代出版流通システムの終焉

 さてここでは少しばかり時間を巻き戻し、1970年代半ばに現実となった日本の消費社会化、それに伴う出版流通販売インフラのドラスチックな変貌について考えてみたい。

 その前に消費社会化の定義にふれておけば、第三次産業就業人口が50%を超えた時点をさしている。つまりここで、それまでの農業や工業をベースとする第一次、第二次産業社会から物販やサービスを中心とする第三次産業社会へと移行したことになる。それは生産社会から消費社会への転換であり、つまり近代から現代への移行だったし、すべての分野でパラダイムチェンジが起きていた。

 ちなみに出版社・取次・書店という近代出版流通システムが誕生したのは1890年代に他ならず、その前史も含めれば、一世紀近くにわたって、生産社会を背景として営まれてきたのである。70年代までの出版業界とそれを取り囲む業態の内実を見てみる。

1890年代から1975年までの近代のパラダイム】

1 出版社 約4000社
2 取次 東販、日販、大阪屋、栗田、中央社、太洋社の6大総合取次、及び神田村専門取次
3 書店 1960年代後半は商店街の中小書店を中心とし約2万6000
4 キオスク、スタンド 現代において実質的に消滅
5 古本屋 神田を始めとする古書街の形成、リバリューとリサイクル
6 貸本屋 60年は約3万店
7 図書館 全国で800館

 こうした近代出版業界は80年代から21世紀に入って大いなる変貌を遂げていく。それは現代出版業界への移行であり、次のようなものだ。

1975年から2024年までの現代のパラダイム】

1 出版社 約3000社
2 取次 鈴木書店、栗田出版販売、太洋社などが倒産
3 書店 郊外店を中心とする約1万店
4 古本屋 古書街の衰退と無店舗化
5 コンビニ 約6万店
6 ブックオフ 郊外大型店とフランチャイズシステム
7 DVDレンタル複合店 TSUTAYA=CCCをメインとする郊外大型店とフランチャイズシステム
8 図書館 約3300館、図書館取次のTRCのマークシステムによる成長と大型化
9 アマゾン(マーケットプレイス) 実質的な再販制廃止と流通革命
10 スマホ市場 コミックと雑誌デジタル化と配信
11 新刊バーゲン市場 メルカリなどのリサイクルの出現

 これが現代出版業界の見取図ということになる。1、2、3、4、8は近代、5、6、7、9、10、11は現代になって出現した業態だが、3の書店だけを見ても、2万6000店から1万店というほぼ3分の1になってしまったことを直視すれば、近代が現代に駆逐されていった事実をあからさまに告げていよう。8の図書館も誕生は近代であるにしても、現代を背景としていることはいうまでもない。

郊外複合店が出店加速 オーダーリーズ方式で

 しかし、ここで留意しなければならないのは再販委託制という近代出版流通システムの改革を経ることなく、そのままのかたちで現代へと転換したことであろう。郊外店出店は75年の三洋堂書店に始まり、その後80年代からの郊外店出店ラッシュ、それに続く複合大型店の出店にしても、すべては再販委託制のメカニズムを利用してなされたものであり、それは大型店の閉店にしても、清算先送りシステムを内包しているゆえに、現在の取次の経営を直撃していると推測される。

 それに加えて、近代の中小書店が商店街に位置することもあって、土地建物も自社(己)物件だったことと対照的に、現在の書店を始めとするコンビニ、ブックオフ、レンタル複合店のいずれもがオーダーリース方式=借地借家方式によって成立している。これは80年代以後の郊外化によって、物販、サービス業が大型駐車場を備えたロードサイドビジネス化したことによっている。

 それは中村文孝氏との対談『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』(論創社)で指摘しておいたように、図書館も例外ではない。

  

 21世紀に入っての地方書店の閉店は、アマゾンのみならず、図書館の増加も大きく影響している。それに加えて2000年に大店法が廃止され、大規模小売店舗法が成立し、CCC=TSUTAYAは日販、MPDと連携し、大型複合店出店を加速させることによって、それまでの郊外店を駆逐し、ついに書店数は1万店を下回る事態となってしまったのである。

複合大型店 6年で約600店が撤退

 しかし、これらの複合大型店出店にしても、すべてがオーダーリース方式によるもので、レンタル事業が利益を上げていた時代ではよかったにしても、映画のネット配信によってレンタル事業も赤字となり、大型店を維持できず、この6年で約600店が撤退、閉店する状況を迎えている。

清算先送りのシステム 取次会社の経営直撃

 いうなれば、再販委託制とオーダーリース方式の先送りのメカニズムの清算が迫られ、それが流通の根幹というべき取次の問題へと跳ね返っている状況だと見なしていいだろう。再販委託制とリース社会の果てに生じた出版業界の現実がここにある。

 オーダーリース方式のメカニズムと書店のリスクに関しては、平山光名義で『新文化』1995年7月27日号に寄稿している。

 なお本稿は2024年1月18日の論創社主催の講演「出版流通販売インフラの変貌と現在の危機」の一部の要約であることを付記しておく。

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最後となった「出版状況クロニクル190」(2024年2月1日~2月29日)でも小田光雄本人がこの記事を紹介していました。
13.30年ぶりに『新文化』から原稿依頼があり、「出版流通販売インフラの変貌と現在の危機』(2/29)を寄稿している。
 長きにわたる『出版状況クロニクル』のエキスの要約といえるので、読まれてほしいと思う。

odamitsuo.hatenablog.com
www.shinbunka.co.jp

【自治会、宗教、地方史】編者の言葉 『壊滅』の希望

ここまでお付き合いくださった読者の方々は、未完原稿の『自治会、宗教、地方史』が、戦後社会論(郊外論)と近代出版論という小田光雄のふたつの大きな主題を、生まれ故郷の自治会というきわめてローカルな文脈で論じたものであることが、おわかりいただけたのではないかと思います。この遺稿は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』へのオマージュで始まる『〈郊外〉の誕生と死』のきわめて印象的な冒頭の章――変わりゆく故郷の風景についての私的な回想と、産業構造の変化を示す客観的なデータのコラージュ――の別バージョンであるとともに、自身の故郷がその後どのように見出されたのかの記録でもあります。

郊外の誕生と死  〈郊外〉の誕生と死

基本的に、小田光雄の分析は構造的なものを志向していました。一人称的な視点を保持しつつも、インサイダー的な業界論からは距離を置こうとしていました。書店員、書店経営者、出版社経営者・編集者、翻訳者、著述家という特異な体験がベースにあったからこそ、特定の利害関係を代表して語るのではなく、近代的な出版‐取次‐書店構造、制作‐流通‐販売構造を、巨視的に語ろうとしたのでしょう。しかし、当事者にして俯瞰的なウォッチャーでもあるというスタンスに変わりはないものの、『自治会、宗教、地方史』は自治会長としての活動報告と分析が主軸に置かれている点で、当事者性のほうが強く出ています。

『自治会、宗教、地方史』は、ミステリー小説を愛好していた書き手による、推理小説的なテクストでもありました。鹿島茂氏を選考委員とする2019年の第29回Bunkamuraドゥマゴ文学賞の受賞に際して語ったように、小田光雄が目指したのは「売れない物書き」でしたが、それに加えて父が何より自負していたのは、「読み巧者」であることでした。「出版状況クロニクル」でも、戦後社会論でも、近代出版論でも、父は既存の資料を深く読み込み、そこから潜在的なつながりを浮かび上がらせていくスタイルの書き手でした。ところが、『自治会、宗教、地方史』には、みずから現場におもむいて自分の足で情報を稼ぎ、それらをつなぎ合わせていく部分が少なからずあります。「出版人に聞く」シリーズのやり方を、みずからに当てはめていたのかもしれません。

自伝的な側面が強く現れていますが、父が『自治会、宗教、地方史』を自身の著述活動の総決算として書いたわけではないことは、強調しておかなければなりません。2023年秋に老人憩の家の改修計画の白紙撤回を宣言し、それからさほど間をおかずして着手された原稿は、同年末にはいまあるかたちにまとまっていたようです。つまり、掲載した原稿は、自身の病を知る前に書かれたものであり、父のなかには「これが最後の著作になる」という意識はまったくなかったはずです。『自治会、宗教、地方史』は小田光雄の仕事の本筋につらなる原稿ではありますが、その到達点ではありません。

父はこの原稿にそこまでの未練はなかったのかもしれないという気すらします。病を知った後、第二部を書き切ろうとした形跡はありませんし、どう始末をつけるかについて何か言い残すこともありませんでした。『自治会、宗教、地方史』を最終的にどのようにまとめるつもりだったのかは不明なままです。ですから、ここでは、ありえた結末についてではなく、なぜそもそも老人憩の家の改修にそこまで熱心に取り組んだのかについて、物書きで読み巧者の小田光雄という観点からというよりも、先祖代々の地元での生活者としての小田光雄という観点から、推測をめぐらせてみたいと思います。

地元愛のようなものではなかったでしょう。地元のつきあいはとりたてて濃密ということはありませんでしたし、地元の行事に大いにかかわるようなこともありませんでした。だからこそ、わたしたち家族にとっても、父の熱の入れようは不思議なことであり、突然の白紙撤回はさらに驚きでした。そして、なぜか、どちらについても父はその理由を語りませんでした。

そのような不可解な沈黙が何か腑に落ちたような気がしたのは、先日、父と高校時代からの友人で、ずっと付き合いのあった方が訪れたとき、高校時代の父について訊ねたときのことです。まったく予想どおり、「よく本を読んでいた」という答えが返ってきました(同じような話は通夜や葬式で何度も耳にしましたし、中学時代の同級生だという方は、父が本を薦めてくれたことを、まるでごく最近のことであるかのように、とても感慨深く語ってくれました)。しかし、それに続いて返ってきた、「いつもはシャイなのに、ときどき急に、みんなを喜ばせようとするところがあった」という話は、思いがけないものであると同時に、まったくよくわかるものでもありました。たしかに父にはそのようなサービス精神があったからです。

改修計画を立ち上げた頃、父は地元のお年寄りに、「いい建物になるから、期待していて」というような言葉をもらしていたそうですが、老人憩の家の改修計画は、「地元にたいする貢献」であるとか、「自治会長としての使命」というような大きく構えたものではなく、もっとささやかな、ほとんど気まぐれのような、しかし気まぐれだからこそいっそう本心のものである、サービス精神の現われだったのだと思います。だからこそ、それを声高に言うのは気恥ずかしかったのでしょう。

「自分がやっているのは文学なんだ」と父はよく口にしていました。「文学者」を気取ることはありませんでしたし、「文学を書いている」というつもりはなかったと思います。父にとって、「文学をやる」とは、現実を〈ありのまま〉に捉えつつ、想像的にも捉えること――〈いま・ここ〉がさまざまな時代や場所や物語の偶然にして必然の結節点であると捉えること――であり、そのうえで、現実に抗って別の可能性を夢見ることであり、夢見られた可能性を引き寄せようとする生き方を意味していたように思います。

しかし、それを他人に押しつけるのは、何よりも自由を重んじる父にそぐわないことでもありました。自治会の民主化を目指す一方で、効率性に重きを置くような会社文化の導入にはつねに警戒心を抱いていました。自治会という生活にいちばん近いコミュニティは、自己利益の追求や経済的合理性のような原理とは別の精神で運営しなければならない。一方において、自治会の風とおしをよくするために、議論をオープンにするべきだ。その一方で、無理に強制をしてはならない。遥か昔から続く贈与(マルセル・モース)や相互扶助(ピーター・クロポトキン)の精神に則って、自由や平等という近代的な理念を掲げ、経済的合理性のような現代的なマニュアルは退ける。それが小田光雄の肌感覚としての「正しさ」であったのだと思います。

『自治会、宗教、地方史』がそのような理想を夢見た人間の敗北の記録であることは否定できません。しかし、小田光雄の遺稿は、そのような理念自体の敗北を証明するために書かれたわけではないはずです。

エミール・ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」のなかで父がとりわけ愛したのは、ジャン・マッカール(『大地』『壊滅』の主人公)というキャラクターでした。悪徳にまみれた家族に生まれ、親も姉たちも甥姪たちも破滅していくなか、大地を愛し、人間を愛し、真っ当に生き、にもかかわらず、弟のように愛した仲間を普仏戦争に続くパリ・コミューンの戦闘の最中で殺めてしまったジャンは、そのような悲劇を引き受けながら、再生の希望を諦めることなく、未来に向かって歩み去っていきます。

大地 (ルーゴン・マッカール叢書 第 15巻)   壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書)

おそらく『自治会、宗教、地方史』は、ゾラの『壊滅』のように読まれることを望んでいるのではないでしょうか。息子としては、そのように思えてならないのです。

                                              小田透


『自治会、宗教、地方史』の連載はこれで終わりとなります。2009年9月1日に「何でも書いてやろう」と思って始まった「出版・読書メモランダム」は、次回、小田光雄の最後の原稿となった新文化通信社への寄稿をもって、幕引きとなります。

ちなみにブログの第一回は「柴野京子『書棚と平台』を批評する」でした。
『新文化』2026年3月5日号のトーハン会長近藤敏貴氏の発言にもありますように、今まさに喫緊の課題となっている出版流通の取次をめぐる内容でした。
 odamitsuo.hatenablog.com

【自治会、宗教、地方史】補遺 老人憩の家の改修をめぐる顛末

老人憩の家の改修をめぐる顛末

土地を担保にして自治会が法人として銀行から資金を借り入れ、市からの助成金とあわせて、老朽化した老人憩の家を改修する。それが、小田光雄が自治会長として構想した計画でした。

この改修計画は自治会の総会の承認を得て、建設準備委員会を立ち上げ、民主的に進められましたが、同時に、小田光雄が主導したプロジェクトでもありました(父は借り入れの保証人を引き受けるつもりでいました)。

しかし、残念ながら、この計画は実現には至りませんでした。

第一部で見てきたように、O寺の土地の登記をめぐるJ寺とその弁護士との1年近くに及ぶ協議は、物別れに終わりました。O寺に併設されている老人憩の家を再建するにあたって、建物を自治会名義で登記するという同意は引き出せたものの、土地の登記についてはJ寺が譲らなかったからでした。

第二部で展開されていった迂回的な戦略――市の文化財指定を受けたO寺の定朝作なる仏像の真贋をめぐる市政とのやり取り――は、教育委員会を巻き込み、文化財課による仏像の再計測につながりましたが、登記問題の解決には至りませんでした。

(実は、仏像については、いまから20年ほど前、J寺の先代みずからが文化財保護審議委員会に調査を依頼しており、それによれば、平安時代の仏像ではなく、したがって定朝作でもないこと、鎌倉時代に作られたものであり、欠損もあれば、多数の補修もあり、新しい材が加えられている箇所もあることが判明していました。それ以後、教育委員会発行の書物にはその旨が記載されるようになったようですが、その他の文書や地区の立て札などでは、依然として定朝作と謳われていることを付記しておきます。)

老人憩の家の再建は、土地を担保とした資金調達ありきの計画であり、宗教施設ではないからこそ下りる市からの補助金ありきの計画でした。だからこそ、その両方の前提が成り立たないことが明らかになったとき、もはや選択肢は残されていませんでした。

2023年秋、小田光雄は改修計画の白紙撤回を宣言し、その旨を、一監事による単独の回状として配布しました。それは、他三名の監事に迷惑をかけないための配慮でもあれば、計画を白紙に戻すのであれば、その理由と経緯を自治会の成員に説明しなければならないという想いがあってのことだったのだと思います。自治会を民主化する――オープンで、フェアなものにする――という理念を実践してきた父にとって、ここは何としても譲れない一線だったのでしょう。

父が構想した再建計画は頓挫しました。しかし、築50年の老人憩の家がリフォームを必要としていることに変わりはありませんでした。

老人憩の家の改修問題は、父が自治会長から退いた後、しばらくのあいだ棚上げされ、2025年度になって、「再建」ではなく、「リフォーム」というかたちで実現され、その工事は2026年初頭に完了しました。それはおおむね、バリアフリー化と耐震のための補強にとどまるものであり、父の当初の構想と比べると、大きくスケールダウンされた改修であることは否めません。

ただ、先日、改修された老人憩の家で開かれた総会では、自治会がJ寺から50年間、土地建物を無償で借り受け、その間は現状維持のままとするとの契約文書をJ寺と取り交わしたとの報告がありました。

【自治会、宗教、地方史】No. 47 第二部20 ロマン主義的想像力のある偽史/個人の欲と箔付けのための偽史

ロマン主義的想像力のある偽史/個人の欲と箔付けのための偽史

小田 : 確かにそうだ。『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)のことで思い出されるのは奥野健男が刮目していて、新たな東北史の発見だと述べていたのを覚えている。彼は太宰治論でデビューしたこともあって、そこから太宰を再考できるのではないかと思ったんだろうね。

東日流外三郡誌 古代篇 上

A : それは奥野だけじゃなくて、多くの人たちが『東日流外三郡誌』に注目したはずだよ。何せそれに関連する書籍だけでも130種以上が出されたと伝えられているほどで、全国各地で、規模は異なるにしても、多くの偽書のエピソードが語られるようになったと推定される。

小田 : でもそれらは偽書にしても、それなりにスケールも大きく、ロマン主義的想像力をかき立てる物語として提出されていることは否定できないし、それなりに楽しませてくれるのも事実だ。

 でも私のところの薬師如来の一件はそれらと時代的に共通するといっても、歴史的ストーリーも組立てておらず、明らかな偽仏であるので、おもしろくも何ともない。それこそ即物的=即仏的な個人の欲と箔付けのためであることは明白だしね。

A : それこそ薬師如来は俗物=俗仏的象徴ということになる。

 だが考えてみれば、あなたのところの自治会の例ではないけれど、全国至るところでこのような偽史めいた出来事は起こっていたんじゃないのかな。市と教育員会と歴史的思惑がクロスすれば、簡単に偽史、偽仏はでっち上げられてしまうことを教えられる。地方史や郷土史自体が歴史の神クリオに対して誠実ではありえないこともね。

小田 : そうした事実関係を痛烈に認識したこともあった、文化財指定した教育員会にそれらの説明責任を求めるべきだと考えた。それで情報公開によって、文化財指定に至る経緯と事情を確認した上で、石田茂作の調査文書、薬師如来像の大きさの真実などに関する質問を提出した。

A : それは言うまでもないけれど、あなたがこれまで話してきた事実をふまえてのことで、まともな答えが返ってくるとは思われない。

小田 : それはそのとおりで、以下がその回答だった。

 調査文書はないけれど、石田が市内各所の文化財の視察や鑑定を行なっていたのは確実だ。『文化財ガイド』において、薬師如来の大きさは指定時の四尺三寸と異なっているが、平成15年の調査では162㎝、仏像のみ124㎝となっている。ただ市の記録類は正確なサイズの記録ではないので、実測確認するしかない。文化財保護審議委員の確認も得ているので、指定文化財としての価値は確認されている。

A : これでは回答になっていない。あなたが疑義を呈している『市誌』の部分や石田の『遠江国分寺の研究』すらも読んでいないことがただちにわかるし、教育委員会のリテラシーすらも疑わせるものだ。

 それに実測確認するしかないといっておきながら、実測することや日付を約束していないし、実に形式的に返答書を出しただけに過ぎないという印象を与えるし、実施にそれで済ませられると思っていたんじゃないのかな。

小田 : そうだと思う。市民から文化財指定に疑義があると問われたことはこれまでなかっただろうし、対応に途惑ったことも想像できる。
  この文化財課の人たちは発掘調査担当者のようだったので、網野善彦が主体となった講談社の『日本の歴史』における発掘のゴッドハンド事件のことも話し、歴史における捏造や虚偽にもふれ、出版物と内容に関しても、歴史事実の重要性も伝えておいた。

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫 1901 日本の歴史 1)

 そのことに加え、弁護士にも最初にいっておいたのだが、この一件は社会的問題として扱うとも通告しておいたし、発行文書も市からの正式の返答と見なすと、これもあらかじめ伝えておいたのである。

A : そうか、あなたは講談社の『日本の歴史』のための書店販売促進キャンペーンで、網野と一緒に講演したことがあったね。それでゴッドハンド事件は他人事ではないし、あの事件が遠因で、編集者の鷲尾賢也、歌人の小高賢は辞めることになったのかもしれないし。

小田 : それで思い出したのだが、当時『見付次第/共古日録抄』を編集中だったので、その場で網野さんにも献本することを約束したんだ。網野夫人が山中共古の山梨での教会の信者であったから。

 

A : それに網野は中沢新一の叔父さんにも当たっていたから、メソジスト教会をめぐって北方史も連鎖していく。
 薬師如来をめぐる偽史よりも興味深いし、後に中沢も『精霊の王』(講談社)で『石神問答』論を書いているしね。

精霊の王

小田 : そのことはともかく、またしても『見付次第/共古日録抄』だが、教育委員会の対応が芳しくないので、この編者の一人に口添えを頼んだ。公務員の世界ではその人の肩書とポジションがものをいうことを知っていたからね。

A : おやおや、またしても人物再現法ということになるね。

編者からの言葉
小田光雄が遺した手書き原稿はここで終わっています。次回は、老人憩の家の建て替えをめぐる顛末を報告し、本ブログの最終回となる次々回では、編者の視点から、未完に終わった『自治会、宗教、地方史』を振り返ります。

【自治会、宗教、地方史】No. 46 第二部19 地方史・郷土史ブームと地方出版と地方開発の連動

地方史・郷土史ブームと地方出版と地方開発の連動

A : 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)の内容を簡略に説明してみる。
  江戸時代半ばに蝦夷の後裔である東北の覇者安藤(東)の系譜を引く羽州土崎の浪人秋田孝季が、その妹婿の津軽飯詰の庄屋和田長三郎とともに、安藤(東)氏の故事来歴を調査するために、諸国を行脚し、苦心惨憺して収集した雑多な資料をもとにして編纂した秘蔵の書とされる。

 それは津軽藩によって抹殺された古代以来の津軽の歴史の真実を記したものであったために、秋田家に正本、和田家に控えの副本がそれぞれに伝えられたが、前者の正本は焼失し、和田家の副本のみが残ったとされ、この「和田文書」をベースとして、『東日流外三郡誌』が編纂刊行されていったのである。

東日流外三郡誌 古代篇 上

 これでアウトラインはつかめるし、偽書の問題は齋藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物往来社、平成21年)、藤原昭『偽書「東日流外三郡誌」の亡霊』(河出書房新社、同31年)などに詳しいし、「古史古伝」に関しては『危険な歴史書「古史古伝」』 (「別冊歴史読本」、新人物往来社、平成12年)が参考になる。
 こんなところでいいかな。

偽書「東日流外三群誌」事件  偽書『東日流外三郡誌』の亡霊: 荒吐の呪縛  危険な歴史書古史古伝: 偽書と超古代史の妖しい魔力に迫る (別冊歴史読本 54)

 小田 : それでいいと思うよ。さらに偽書問題に踏みこんでいくと、色々と錯綜してくるので。
 それでもひとつだけ付け加えておくと、『東日流外三郡誌』の謎の神アラハバキは柳田国男の『石神問答』 に出てくるし、この書簡からなる著書において、最も多い書簡は山中共古によるものだ。ここでも『見付次第/共古日録抄』が関係はないにしても、つながってしまう。

柳田國男全集 15 (ちくま文庫 や 6-15)  

A : いや、それだけでなく、『東日流外三郡誌』が刊行されたのは、そちらの薬師如来の文化財指定と同じ昭和50年で、それをめぐって、複数の寺の住職が絡んでいることも共通している。

 それにこれはあなたもご存じだろうけど、『東日流外三郡誌』は弘前の北方新社からも出版され、次に東京の八幡書店が続き、全国で読まれ、億を超える売上になったと聞いている。「古史古伝」の中でも最も売れた文書だったといえる。

小田 : 私も『東日流外三郡誌』を買っている。これは地方・小出版流通センター経由で、書店でも購えたからで、その後の八幡書店版は購入していないが、村史資料として公刊されたのは郷土史家による努力と編纂によるとされるのだが、未見です。

 北方新社版は文書の発見者、保管者の和田喜八郎の協力を得て、郷土史家と教育委員が写本のすべてを原稿化したもので、全6巻に及んでいる。私が所持しているのは第2巻だけだけれど、初版は59年4月で、8月に第2刷だから、売れているとわかる。

東日流外三郡誌 第一巻 古代編  東日流外三郡誌 第二巻 中世編(一) (北方新社版)

A : この北方新社版のことは先の斎藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』にも出てくる。編者に名を連ねているのは郷土史家と和田文書の所有者とされる教育委員で、郷土史家と地元の出版社の功名心が背景にあったことが語られている。
 その出版の発端は私も知らないではない津軽書房の和田喜八郎『東日流蝦夷王国』(昭和58年)だったことを教えられる。すると私も『東日流外三郡誌』の出版に無縁でなかったことになり、私も地方史と偽史問題にリンクしてしまう。

小田 : 北方新社版『東日流外三郡誌』にしても、「書肆アクセス取扱品」というスリップがはさまれているので、それが地方・小出版流通センター経由で書店に届けられたことがわかる。

A : それから、やはり時代というものもある。昭和40年代から国鉄のディスカバージャパンや各地におけるタウン誌の隆盛もあり、柳田国男の再評価と絡んだ地方史ブームが起き、郷土史を中心とする地方出版物も多く出されるようになっていた。
 そうした出版状況を背景として、地方・小出版流通センターも立ち上げられていった。『東日流外三郡誌』にしても、そのような時代的環境の中から出現してきたといっていい。