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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1200 メレジュコーフスキイ『神々の死』と折口信夫

人類最古の記録はすべて神話と歴史が区別されてゐないのが
実際でないか? 且、さういふ神話的歴史もしくは史詩に於
て、僕等は古代人の思想と生活とを窺ふことが出来るのだ。
岩野泡鳴『悲痛の哲理』(『泡鳴全集』
第十五巻所収、国民図書、大正十一年)


                    
 本探索1191などのダンヌンツィオではないけれど、大正時代にどうして彼が人気を集めていたのか、現在から見るとよくわからないところがある。それはメレジュコーフスキイも同じで、このロシア作家は前回の『世界文芸全集』のうちの三巻を占めている。それらは『神々の死』、『神々の復活』前後編で、「基督と反基督」三部作の第一、二部に当たる。

 f:id:OdaMitsuo:20210830102614j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210830102826j:plain:h120(『神々の死』)

 しかしダンヌンツィオの『死の勝利』は『世界文学全集』へと引き継がれ、戦後に至って、三島由紀夫訳『聖セバスチャンの殉教』の翻訳まで見ているが、メレジュコーフスキイは『世界文学全集』にも収録されず、大正時代だけで終わってしまったようにも映る。もちろん昭和十年代における『神々の死』の新潮文庫、『神々の復活』の岩波文庫化は承知しているけれど。

f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』) 聖セバスチャンの殉教 (クラテール叢書) (『聖セバスチャンの殉教』)
 f:id:OdaMitsuo:20210830105501p:plain:h120(『神々の死』)f:id:OdaMitsuo:20210830105024j:plain:h123(『神々の復活』)

 そこでメレジュコーフスキイ(メレジュコフスキー)を、その時代のニュアンスを反映させている『世界文芸大辞典』で引いてみた。すると写真、自筆原稿の掲載を含めて三段一ページに及び、重要な作家の位置づけにあるとわかる。ただ長いこともあり、引用できないので抽出し、新たなデータも補足してみる。彼は一八六五年貴族の家に生まれた文学者で、ペテルブルグ大学時代は実証主義に傾倒したが、家族の不幸も重なり、生来の神秘主義的傾向ゆえに芸術的意識と宗教的意識の相克に悩まされ、キリスト教と異教(ギリシア思想)の問題に取り組んだ。それが先述の三部作で、その第一部の『神々の死』はキリスト教と異教の闘争が最も激しく表出していた四世紀のローマを舞台としている。

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 主人公のジュリアンはローマ帝国の皇帝の家に生まれながら、背信と奸計に充ちた宮廷生活の犠牲となり、生への呪いと死の恐怖の中で過ごすばかりだった。そうした中でギリシア的な美と力と英智と悦びに包まれた世界を憧憬するようになった。その一方で、キリストの有する様々な偉大さにも心を惹かれたが、周囲の力は彼をキリストから離れさせ、古い神々のほうへと走らしめ、反キリストとして戦いを続けるが、破れ去る運命にあった。

 これは安藤礼二の『光の曼陀羅』(講談社)で教えられたのだが、この『神々の死』は明治四十三年一月の『ホトトギス』増刊第三冊に、島村苳三訳『背教者じゆりあの―神々の死』として刊行されていたのである。しかもエピグラフのように引いておいた泡鳴の『悲痛の哲理』も『文章世界』の同年一月号に発表されている。これらの双方をリアルタイムで読み、衝撃を受けたのは折口信夫であり、彼は昭和十三年の「寿詞をたてまつる心々」(『折口信夫全集』第二九巻所収、中公文庫)で、次のように書いていた。

光の曼陀羅 日本文学論 折口信夫全集 第29巻 雑纂篇 1 (中公文庫 Z 1-29)

 故人岩野泡鳴が『悲痛の哲理』を書いたと前後して、『背教者じゆりあの―神々の死』が初めて翻訳せられた。此の二つの書き物の私に与へた感激は、人に伝へることが出来ないほどである。私の民族主義・日本主義は凛としてきた。
 じゆりあん皇帝の一生を竟へて尚あとを引く悲劇精神は、単なる詩ではなかつた。古典になじんでも、古代人の哀しみに行き触れない限りは、其は享楽の徒に過ぎない。(後略)

 安藤はこの「寿詞をたてまつる心々」「死者の書 初稿」の「真の序文」と捉え、「じゆりあん皇帝」は「ローマの国教キリスト教を廃し、オリエント起源の『光の神』ミトラを崇拝し、わずか三十二歳で、戦いのなかに死んだ『背教』の皇帝」=「背教者ユリアヌス」と見なす。

 そしてメレジュコーフスキイがユリアヌスに仮託して求められた神の位相が語られている。

 古代の神々(「ギリシア」)と異教の神々(「ミトラ」)によって、キリスト教をまったく新しく甦らせることなのである。「古代」と「異教」は結合する。ペルシアの沙漠に生まれたゾロアスター教が発展し、戦闘的な太陽神ミトラへの信仰が生まれる。その沙漠の太陽神ミトラが、ユリアヌスにおいては、地中海の陶酔の神ディオニュソス、そして太陽神ヘリオスと固く結び合わされるのだ。ミトラ―ディオニュソス、そしてミトラ―ヘリオス、輝きわたる光となった猛きディオニュソス。この神々の結合によって、一神教は新たな局面を迎える。

 そして安藤は『背教者じゆりあの』における「神」への言及部分を六ヵ所挙げている。島村訳は未見なので、ここでは米川正夫訳からひとつだけ引いてみる。師の新プラトン主義者ヤムヴリコスとジュリアンの会話からである。

 思索は光の探究である。所が、『彼』は光を探究しやしない。何故と言つて『彼自身』光だからである。『彼』は人間の魂を滲透して、それを自分の中に摂取するのだ。其時人間の魂は一切の私情を離れて、理智も、善行も、思想の王国も、美も―すべての物を超越して只一人、『光の父』の無限無窮な懐の中に憩らふのだが。つまり魂が神となる—と云ふより寧ろ、魂が永劫に亘つて己れは神である(後略)。

 これがメレジュコーフスキイがたどりついたキリスト教とギリシア異教の神が一体化する地平、及び「神」の概念ということになる。そこに泡鳴が『悲劇の哲理』で示唆した日本の「神話的歴史もしくは史詩」もオーバーラップされ、折口は昭和十四年に『日本評論』で『死者の書 初稿』を連載し、同十八年に青磁社から『死者の書』を上梓に至るのである。

f:id:OdaMitsuo:20210830203542j:plain:h120(『死者の書』)

 その一方で、メレジュコーフスキイはロシア革命後の一九二〇年にパリに亡命し、反共主義者として活動し、晩年はファシズムを擁護し、ヒトラーのロシア侵攻までも歓迎するようになっていた。『世界文芸大辞典』がいうごとく、彼の神秘主義は「露西亜資本主義の急激な発達と、これに伴う労働運動の激化に怖れをなして、現実の世界を逃避し別の世界―基督と反基督の闘ひによつてもたらされる第三帝国を願望する崩壊貴族インテリゲンチャの心理」だったことになる。それは現実的にヒットラーの「第三帝国」として実現したのである。


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古本夜話1199 新潮社『世界文芸全集』

 前回の譲受出版と同様に、ずっと新潮社の円本『世界文学全集』にふれてきたが、この企画も昭和を迎えていきなり出現したわけではなく、大正時代の翻訳出版の集積があって結実した円本全集に他ならない。その主たるベースとなったのは大正九年から刊行され始めた『世界文芸全集』である。

 ところが古本屋でもこの『世界文芸全集』全巻揃いを見たことがなく、もちろん私も所持しているのは八冊だけにすぎない。それもあって、最終的に何冊出たのかだが、『新潮社四十年』(昭和十一年)によれば、全二十五巻、『新潮社七十年』(同四十二年)には三十二巻まで刊行とある。これは前者の「新潮社刊行図書年表」を追っていくとわかるのだが、既刊単行本や叢書が次々と『世界文芸全集』に加えられていった経緯から生ずる巻数のカウントちがいで、二十五巻以後の刊行が散発的なことに起因しているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20180806153457j:plain:h110 

 『日本近代文学大事典』や矢口進也『世界文学全集』(トパーズプレス)は『新潮社七十年』にならって、全三十二巻を採用している。しかし書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』では全三十三巻となっている。このような長期にわたる散発的な全集の書誌の難しさを実感するけれど、ここでは三十二巻のリストを挙げてみる。
 
世界文学全集 全集叢書総覧 (1983年)

1 フロオベエル  中村星湖訳 『ボワ゛リイ夫人』
2 ゲエテ  中島清訳 『ヰ゛ルヘルム・マイステル』前編
3 メレジユコフスキイ  米川正夫訳 『神々の死』
4 ストリンドベルヒ  阿部次郎、江馬修訳 『赤い部屋』
5 ゲエテ  中島清訳 『ヰ゛ルヘルム・マイステル』後編
6 メレジユコフスキイ  米川正夫訳 『神々の復活』前編
7 ゾラ  宇高伸一訳 『ナナ』
8 スタンダアル  佐々木孝丸訳 『赤と黒』前編
9 メレジユコフスキイ  米川正夫訳 『神々の復活』後編
10 バーナード・ショウ  市川又彦訳 『ショウ一幕物全集』
11 ゾラ  木村幹訳  『居酒屋』
12 スタンダアル  佐々木孝丸訳 『赤と黒』後編
13 トルストイ  米川正夫訳  『戦争と平和』1
14   〃     〃       〃    2
15   〃     〃       〃    3
16   〃     〃       〃    4
17 ジョルジュ・サンド  福永渙訳 『モーブラア』
18 エドワード・リットン  中村詳一訳 『ポンペイ最後の日』
19 モーパッサン  広津和郎訳 『美貌の友』
20 ユーゴー  豊島与志雄訳 『レ・ミゼラブル』1
21  〃      〃       〃       2
22  〃      〃       〃       3
23  〃      〃       〃       4
24 トルストイ  原久一郎訳 『アンナ・カレーニナ』1
25    〃       〃      〃     2
26    〃       〃      〃     3
27 ロマン・ロラン  豊島与志雄訳 『ジャン・クリストフ』1
28   〃        〃          〃      2
29   〃        〃          〃      3
30   〃        〃          〃      4
31 バルザック  布施延雄訳 『従妹ベット』
32 クープリン  梅田寛訳 『ヤーマ』

f:id:OdaMitsuo:20180911113032j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210828110603j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210828110306j:plain:h120

 こうしてあらためてリストアップしてみると、この『世界文芸全集』の特色は長編小説の完訳と普及にあったことが浮かび上がってくる。それも大長編の原語からの訳で、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』、ユーゴー『レ・ミゼラブル』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』などに明らかだし、『レ・ミゼラブル』は円本の『世界文学全集』にも引き継がれていった。そして私たちは戦後に出された各社の世界文学全集において、必ずこれらの大長編小説の収録も見ているが、その発祥はこの『世界文芸全集』にあったことになる。

f:id:OdaMitsuo:20180911142905j:plain:h115(『世界文学全集』)

 先に異なる叢書などで『世界文芸全集』収録のものが出されていたことにふれたけれど、『レ・ミゼラブル』の場合を見てみる。これは大正七年から八年にかけて、「翻訳叢書」として刊行されている。この「叢書」は『世界文芸全集』がB6判であることに対し、菊半截判と一回り小さい。私が入手したのは第三巻までだが、第一巻は大正十年十四版、第二巻は同九ね八範とあり、好調な売れ行きを伝えている。

 『アンナ・カレーニナ』や『ジャン・クリストフ』も同様で、『戦争と平和』だけは「縮刷全訳叢書」として刊行されていて、それらが順次定版としての『世界文芸全集』へと移され、その巻数が増えていったと思われる。それが全巻の把握と確定を難しくしているのだろ。ただ「翻訳叢書」と『世界文芸全集』をトレースしてくると、その結実というべき『世界文学全集』と異なるところが見えてくる。それは奥付で、「翻訳叢書」と『世界文芸全集』には翻訳者の検印がない。これは当時の翻訳が買切で、印税が発生しなかったことを意味している。『ナナ』がベストセラーとなり、大正十二年の新潮社の新社屋がナナ御殿と称されたのも、印税なきベストセラーゆえに、いかに利益が上がったのかを象徴しているように思える。

f:id:OdaMitsuo:20210723104645j:plain:h110(『世界文芸全集』) f:id:OdaMitsuo:20210803165141j:plain:h110(『世界文学全集』)

 それに対して、『世界文学全集』は全館の奥付の検印紙に訳者の押印が認められ、円本時代に至って訳者にも印税が支払われようになったことを告げている。昭和円本時代は大正と異なり、作家だけでなく、訳者にも大きな富がもたらされたことになろう。

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古本夜話1198 廣文堂書店、小中村清矩遺著『有聲録』、石川文栄堂

 これまで譲受出版に関して、特価本や造り本出版社の多くの例を挙げてきたけれど、それらからわかるように、出版金融と人脈が錯綜し、一筋縄ではいかない世界でもある。本探索1192で、新潮社の『椿姫』の例も挙げたばかりだ。そのために先行する研究もないし、まとまった記録や資料も残されていないが、譲受出版のかたちで流通販売され、読者の手にわたった出版物はトータルすれば、膨大な量に及んだと推測できる。それは近代出版史や読書史から見て、看過すべきものではないと思われる。

 しかもそれが出版社と一部の出版物がそのまま譲受された例もあり、最近になってその事実を示す一冊に出会ったので、そのことを書いてみる。小中村清矩遺著『有聲録』で、大正四年に廣文堂書店から出されている。菊判函入、上製四七二ページの堂々たる一冊である。函は下の部分に草花をあしらい、その上に鳥ならぬ小さな虫が飛んでいるようなレイアウト、造本もシックで、出版者の見識をうかがわせているように映る。

f:id:OdaMitsuo:20210826140953j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20210826142033j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210827111111j:plain:h120(『有聲録』)

 『日本近代文学大事典』を引いてみると、著者も見出されるのである。

 小中村清矩 こなかむらきよのり 文政四・一二・三~明治二八・一〇・九(1821~1895)国学者、歌人。江戸生れ。原田氏。名は栄之助、金四郎、金右衛門。号は陽春盧(やすむろ)。国学者小中村氏の養子となり、本居内遠、伊能顚則の学統をうけ、和学講談所に講じ、明治一二年東大教授。文学博士。国史、国文の発展に寄与。貴族院議員となる。『歌舞音楽略史』『官制沿革略史』『令義解講義』など著述多く、『小中村清矩家集』は未刊のまま国会図書館に蔵されている。

f:id:OdaMitsuo:20210827113611j:plain:h120(『小中村清矩家集』)

 この立項を閲し、『有聲録』を読むと、「はしがき」は加藤弘之が寄せ、小中村の没後二十年にあたっての孫の清象による出版だとわかる。小中村は十六歳年下の加藤とともに、明治初年に大宝律令に通暁していたことから、制度調査の職務に携わり、それに津田真道、森有礼、神田孝平たちも連なっていた。

 『有聲録』は「遺著」とあるように、「日記」や「紀行」、未刊行の「詞」や「記」など、各書に寄せた「序」から編まれ、その中でも興味深いのは明治十年代後半の「日記」で、伊香保本選ではヘボンに会い、箱根の温泉ではチェンバレンと語り合っている。そして「へだてなき友となりぬことの葉も/こゝろもかよふ西の国人」という一首も詠まれ、彼らの日本語研究にしても、小中村たちとの交流が不可欠だったことを教えてくれる。それに巻末の中邨秋香「小中村清矩小伝」であらためて知ったが、小中村は本探索1107の『古事類苑』編纂委員長でもあったのだ。

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 それらのことはさておき、本題に入らなければならない。実はこの『有聲録』が譲受出版であり、版元の廣文堂書店の他の出版物もそうなったと考えられるからだ。それは奥付に鮮明に示されている。廣文堂は発行者を大倉廣三郎とするもので、住所は京橋区南槇町とされているので、廣文堂も同じくそこにあったはずだ。ところがその発行所を示す部分には新たな一枚の紙が貼られ、そこには発行所として、本郷区元富士町の石川文栄堂とある。これは『有聲録』に限ってそうなのかは不明だが、函にも本体にも廣文堂名は記載されておらず、その名前は本扉だけにあり、そちらは本を汚すことを回避するためなのか、消されていない。したがって、奥付の発行所名を張り替えることで譲受出版としたのであろう。

 私にしても、浜松の典昭堂で『有聲録』を入手することで、版元としての廣文堂と石川文栄堂を知ったのである。それに加えて驚かされたのは、その巻末広告にとして五十五冊が掲載され、ほとんどが「クロース綴函入頗美本」、つまり『有聲録』と同じ造本であったことだ。ちなみに『近代出版史探索』シリーズでふれてきた著者を挙げれば、井上哲二郎『人格と修養』、佐々木信綱『文と筆』、高楠順次郎『道徳の真義』、浮田和民『人格と品位』、黒岩周六『実行論』、大町桂月『我半生の筆』、馬場孤蝶『近代文芸の解剖』、吉田東伍『日本文明史話』、岩野泡鳴『近代生活の解剖』、大槻文彦『復軒雑纂』などである。だが一冊も見ていないし、この中で架蔵しているのも、泡鳴の『近代生活の解剖』で、それは本探索1019の『泡鳴全集』第十六巻所収としてだ。

 f:id:OdaMitsuo:20210827142858j:plain(『日本文明史話』)f:id:OdaMitsuo:20210827144454j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20210827144117j:plain:h120(『人格と修養』)f:id:OdaMitsuo:20200410112527j:plain:h115(『泡鳴全集』)

 これらの著者と出版物から考えても、大正前半において廣文堂はそれなりの版元で、発行者の大倉名からすれば、大倉書店の近傍にあったと思われる。それなのに『日本出版百年史年表』にもその版元は見当らない。そこで大正七年の『東京書籍商組合図書総目録』を引いてみた。『同目録』の編輯兼発行者の代表は大倉書店の大倉保五郎である。

 すると廣文堂は八ページ、三〇〇点余が掲載され、主体は小学校教科書、教材、学習参考書、実用書、健康書などで、先の「最新名著目録」はその一部にすぎないことが判明した。だが『同目録』をには石川文栄堂は見出せない。特価本出版社ゆえに東京書籍商組合に加入しておらず、当初は廣文堂の一部の出版物の譲受出版と推測したが、廣文堂の全目録を見る
及んで、「最新名著目録」の中でも、この一冊だけの譲受出版だったとも考えられる。それにこの『同目録』は拙稿「図書総目録と書店」(『書店の近代』所収)でもふれているが、明治二十六年から昭和十五年かけて全九冊が刊行されている。その中でも、この大正七年版は最も厚く、十センチを超え、明治末から大正にかけての出版の隆盛を伝えていよう。それとともに、大正時代の出版業界の謎の多くをも孕んでいるように思える。

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古本夜話1197 金子健二訳『全訳カンタベリ物語』

 前回、読み巧者の平田禿木が『カンタベリ物語』『千一夜物語』『デカメロン』を三大短編集成としていることにふれたが、そこまでいわれれば、これまで取り上げてこなかったチョーサー『全訳カンタベリ物語』もここで書いておくしかないだろう。同書は『近代出版史探索』14や『近代出版史探索Ⅱ』220で書名を挙げておいただけだったけれど、二十年ほど前に入手している。出版社は本探索1187などの東亜堂である。

 ただ現在にあって、チョーサーにしても、『カンタベリー物語』にしても、『千一夜物語』や『デカメロン』よりも馴染みが薄いと思われるので、これも『世界文芸大辞典』における訳者の金子健二自身による解題の最初の部分だけを示しておく。

 「カンタベリ・テールズ」“ The Canterbury Tales ” 『カンタベリー物語』英国詩人のチョーサーChaucer(1340?~1400)の最大傑作にして且世界的名篇の一。律語体物語詩篇二十一、総序歌(プロローグ)一篇、散文詩物語二篇、通計二十四篇、而して律語のもの実に一万七千行(ライン)、名実共に古今無比の大文学である。「ロンドン郊外の駅亭サザークのタバード・インに偶然一緒に泊つた二十九名のカンタベリ霊地参詣の香客(ピリグリム)が、夕食後その旅舎の主人の発企で、明朝から二十九名が一団となつて騎馬で旅行することと、各人往復の途上、二回お話を試み、又そのお話に入る前に必ず序歌を加へることとし、最後にこの旅舎に還つてから、お話の出来栄(できばえ)を批評した上で、最も成績のよかつた者に皆の伴侶で大い饗応することを約束した」といふのがこの詩篇の発端である。(後略)

 チョーサーの死によって未完に終わったが、当時の英国社会の風俗絵巻そのもので、近世英語の統一、国民文学を樹立したとされる。その範は『デカメロン』にも求められ、それに平田禿木は『千一夜物語』も加えていたのであろう。

 この金子による全訳は、現在の文庫判に近い判型ながら上製函入、八一六ページに及び、造本は草模様をあしらい、典雅といえる。『全訳カンタベリ物語』の大正六年の東亜堂からの出版に至る経緯と事情は定かでないが、全訳プロセスはその「緒言」に記されている。チョーサーに接したのは大学時代で、『カンタベリ物語』の「序の歌」も読み終わるか終わらないうちに「絶交」したものの、多少の未練を残していた。それから留学してチョーサーを研究するに及んで、「旧交を温むる」ことになり、帰朝後全訳の試みが芽ばえた。そして明治四十三年暮から始めて大正四年暮と五年の歳月を経て完了したと述べ、次のように記している。

f:id:OdaMitsuo:20210823113148p:plain:h120 (『全訳カンタベリ物語』、東亜堂版)

 本書出版の一理由は本邦に於ける英語及び英文学研究家に原文と対照してチョーサーを学ぶに便あらしめんが為である(中略)。予が翻訳の際かく記しては邦文としては不自然にして且重複煩雑にあらずやと覚りつゝ然も敢て原文の構造に重きを置いて寧ろ直訳に近き体すら採つた所以のものは主として如上の目的に出たものである。予は実に此目的を以て終始作文の筆を執たのである。主観的態度を離れて全く客観的に原文を訳せんとするのは予の主義であつた。

 私の場合、続けて集まった「香客」群像を描いて傑作とされる「序の歌」の「甘露のやうな春雨がしとゝゝと降つて来たので乾ききつて居た三月の大地が底の底のどん底までしっぽり濡れ、樹木と言ふ樹木は髄の奥まで雨に漬つて、蕾が其恩沢で綻びかけて来た」という始まりから読んでいった。だが小型本に全訳八一六ページを詰め込んだために、細かい字の15行×45字の組ゆえに、金子ではないけれど、ギブアップしてしまった。彼が最後に「あゝかたじけないかたじけない」と付加し、翻訳を終えている心境もわかるような気がした。

 それもあって『日本近代文学大事典』を引いてみたところ、思いがけずに、金子が見出されたのである。

 金子健二 かねこけんじ 明治一三・一・一三~昭和三七・一・3(1880~1962)英語学者。新潟県生れ。東大英文科卒。広島高師教授より文部省督学官。静岡、姫路高校校長を経て昭和女子大学長。古代中世英語専攻。著書に『英語発達史』(大七・四 健文社)「英吉利自然美文学研究』(昭三・四 泰文堂)『東洋文化西漸史』(昭一八 冨山房)『人間漱石』(昭二三 いちろ社)、翻訳に『カンタベリ物語』(大六、昭二三 東亜堂書房 本邦初訳)ほか。

 この立項を見て、東亜堂からの出版を了承できるように思われた。本探索1187の水上斎も明治十三年生まれで東大英文科で、金子もまったく同じなので、二人は友人関係にあったはずだ。水上が夏目漱石の教え子であったように、金子にも『人間漱石』の著書があったことを考えれば、金子も同様だったと見なせよう。

f:id:OdaMitsuo:20210823195516j:plain:h120

 私は東亜堂版『ボワ゛リー夫人』を見ておらず、譲受出版の三星社版しか持っていないが、その函の模様は『全訳カンタベリ物語』とこれもまったく同じなのだ。また奥付は金子の検印は見られないし、発行所の東亜堂のところに「東」の印が打たれていることからすれば、これは自費出版と目すべきかもしれない。おそらく金子は友人の水上を通じて、東亜堂からの『ボワ゛リー夫人』のような造本での出版を依頼したのではないだろうか。しかし単行本として『全訳カンタベリ物語』が売れるはずもないので、金子が自費出版したと見なすのが妥当のように思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210823193554j:plain(『ボワ゛リー夫人』、三星堂)

 戦後になって『カンタベリ物語』(『世界文学大系』所収、筑摩書房)を西脇順三郎が翻訳していることから、やはり彼が訳したエリオット『荒地』(創元社)を連想してしまった。先の「序の歌」の冒頭は、『荒地』にも影響を及ぼしているようにも思われるからだ。
 
筑摩世界文学大系 (12) 荒地 (1952年)

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古本夜話1196 平田禿木、『英国近代傑作集』、ヘンリー・ジェイムズ『国際挿話』

       
 前回の『世界文学全集』2には、これも幸いなことに「世界文学月報」が残されていて、そこに平田禿木が「『デカメロン』に就て」という一文を寄せている。そこで禿木はチョーサーの『カンタベリイ物語』、『千一夜物語』と比較して、同じ短編集成であるけれど、ボッカチオの『デカメロン』はフィレンツエの町に大疫病が発生し、大量の病者と死者が発生するという陰惨な背景にもかかわらず、イタリア的な「明るい感じ」を覚えると書いている。それにボッカチオは「古往今来ストオリイテラア」で、それぞれの話が「東方の物語、古代欧州の物語、フランスの物語、イタリイ青年の出来事、逸話、醜聞沙汰といった、多種多様の出自を有つた題材をば、長短相錯綜して巧みにこれを排列していくその手際、鮮かなその手腕に至つては、真に驚嘆に価する」とのオマージュを捧げるのである。

f:id:OdaMitsuo:20210822101518j:plain (『世界文学全集』2)

 これは読み巧者の禿木ならではの『デカメロン』評と思われるが、「月報」ということもあってか、「平田禿木全著作目録」(『禿木選集』第三巻所収、南雲堂)には見えていない。ここで禿木を挙げたのは、前回『デカメロン』の内容にふれなかったこと、彼が森田草平の関係した国民文庫刊行会の中枢とでもいえる翻訳者であったことに言及したいからだ。

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 前回の「世界名作大観」だけでも、禿木の翻訳はディケンズ『デエヴィッド・カパフィルド』、ワイルド『ドリアン・グレエの画像』、ハーディ『テス』、コンランツド『チヤンス』、ラム『エリア随筆集』、『沙翁物語他』、メレデイス『我意の人』、サッカレ『虚栄の市』、『英国近代傑作集』と最も多く、全五十巻のうちの十七冊に及んでいる。

f:id:OdaMitsuo:20210823153446j:plain:h120(『デエヴィッド・カパフィルド』)f:id:OdaMitsuo:20210823153112j:plain f:id:OdaMitsuo:20210823094340j:plain(『英国近代傑作集』)

 「平田禿木略年譜」(同前)をたどってみると、明治四十三年にまだ玄黄堂を名乗っていた鶴田久作と知り合い、翌年に戸川秋骨、森鷗外、高橋五郎、馬場孤蝶、森田草平とともに、国民文庫刊行会の「泰西名著文庫」全二十冊、次の「泰西名著文庫」全二十四冊の企画、翻訳の仕事に携わるとある。それから明治四十五年から昭和四年にかけて、ほぼ毎年「国民文庫刊行会の訳業に従う」と記されているので、「泰西名著文庫」から始まって、その改訳総集編としての「世界名作大観」に至るまで、禿木は鶴田の国民文庫刊行会と併走してきたことになろう。

 この「泰西名著文庫」の『英国近代傑作集』上下は入手している。これはB6判の「世界名作大観」と異なり、菊判で、上巻はウォッツ=ダントン、戸川秋骨訳『エイルイン物語』で、すでに拙稿「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)で言及し、「近代の珍書」として、『世界文芸大辞典』の解題を引き、その物語を紹介している。必要であれば、そちらを参照してほしい。しかしそれから十五年ほど過ぎているのだが、作者に関しても作品についても、新たな知識や情報が得られず、『エイルイン物語』は相変わらず異形の物語のままであり続けている。

f:id:OdaMitsuo:20210823095805j:plain:h115 (泰西名著文庫)

 その一方で、『英国近代傑作集』下巻は禿木訳のヘンリー・ジェイムズ、トマス・ハーディ、ジョージ・メレディスの中短編集である。ハーディはともかく、ジェイムズもメレディスも禿木が初めての翻訳者だったと見なしていいように思われる。だがここではジェイムズに限り、巻頭に収録された『国際挿話』を紹介してみたい。それに本探索との絡みからすれば、ジェイムズは一八七五年にパリに居を構え、フローベールやツルゲーネフたちとも交わっていたのである。

 禿木はその序に当たる「ヘンリイ・ジエムス」において、彼が七十二歳で、アメリカ生まれだが、イギリスを中心としてヨーロッパ各地で暮らしていることから、アメリカ人でもイギリス人でもない「一人の世界人(コズモポライト)だと述べている。そして、長編『鳩の翼』は難解で読了できなかったけれど、『国際挿話』は彼の世界的な冷静の眼で観察され、「余程の明晰なる頭脳」による「明るい色」を反映した作品だとして、次のように続けている。

 英米といふものが社交の場に互ひに持するその態度、また困惑、親愛、反抗のそれとなくこんがらかつた一種の思ひを以て、斯く相対する二つの面に於ける複雑委曲した表情が、如何にも微細に、皮肉にこゝにも描かれている。

 まさに穿った指摘で、後にいわれる「国際テーマ」(アメリカ対ヨーロッパ)を鮮やかに表出した作品であろう。『国際挿話』はイギリスの若い二人の貴族が夏のニューヨークにやってくる。そのラムベス卿とバアシイ・ボオモントは友人から紹介された親切なアメリカ人ウエストゲエトの事務所を訪ねる。彼は「素敵に別品の細君を有つてるんだ。馬鹿に客好きな親切な男で―もう何だつてしてくれるよ」という振れ込みだった。するとウエストゲエトはニューポートに別荘があるので、避暑を兼ねて船でお出かけ下さい。私の妻とその妹のオルデンがいて歓待してくれるでしょう。そしてたちまちのうちにウエストゲエトは二人の船室まで手配した。ニューポートではウエストゲエト夫人と妹が待ち構え、そこはアメリカ人の社交場でもあり、二人のイギリス人貴族もそこに加わることになった。これが前半で、後半はウエストゲエト夫人と妹がロンドンに向かい、二人と再会する。そこから何が起きるかは書かないでおこう。

 この『国際挿話』は四十年後の昭和三十一年に上田勤訳『国際エピソード』(岩波文庫)として刊行されている。なお『エイルイン物語』のほうは『エイルウィン:ルネサンス・オブ・ワンダー』として杉浦勉訳でkindle版が刊行に至っている。
 
国際エピソード (岩波文庫 赤 313-2) エイルウィン: ルネサンス・オブ・ワンダー

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