本探索でも挙げてきたように、詩歌に関する全集類として、中央公論社の『日本の詩歌』(全35巻、別館1巻、昭和四十四年)を参照している。本来であれば、中学時代に馴染んでいた新潮社の『日本詩人全集』(全34巻、同四十一年)のほうが望ましいのだが、古本屋で先に『日本の詩歌』の揃いを安く購入し、いずれ『日本詩人全集』も見つかるだろうと思っているうちに、三十年近くが過ぎてしまった。
(『日本詩人全集』)
なぜこのように書き出したかというと、昭和四十年代までは先の二つの外に、記憶にある全集やシリーズ名を思い出してみると、創元社の『現代日本詩人全集』、角川書店の『日本の詩集』に加えて、白凰社や弥生書房からも詩のシリーズが刊行され、出版の分野に詩も確固たる位置を占め、詩の時代であったといえよう。しかし今世紀に入ると、思潮社の「現代詩文庫」は刊行され続けているものの、もはや詩の時代とはいえないだろう。
(『現代日本詩人全集』)(『日本の詩集』1)(「青春の詩集」14、白凰社) (「世界の詩」74、弥生書房)(「現代詩文庫」)
そのことを実感したのは山村慕鳥の『聖三稜玻瑠』に関して書くつもりでいたからだ。同書は大正四年の初版が手元にあるけれど、もちろん本当の初版ではなく、近代文学館の「名著複刻詩歌文学館〈紫陽花セット〉」(ほるぷ、昭和五十八年)としての一冊で、それも特製五円のほうの複刻だと考えられる。ベージュの夫婦函入に、もえぎ色の題簽が貼られ、並製ながら茶色の薄皮の表紙、天銀一〇〇ページの体裁で、大正時代の詩の出版の意気込みを象徴する一冊に他ならない。それもそのはずで、版元は本郷区千駄木町のにんぎよ詩社、発行者名は室生照道、すなわち犀星である。
この『聖三稜玻瑠』のことを確認するために、『日本の詩歌』を見てみると、その13の『山村暮鳥福士幸次郎裏千家元麿百田宗治佐藤惣之助』に収録されていた。ところが『日本近代文学大事典』を繰ってみると、山村の立項は二ページに及び、その半分近くは『聖三稜玻瑠』を始めとする三詩集の解題に当てられていた。この『同事典』第三巻の刊行は昭和五十二年であり、これも詩の時代の反映で、山村の立項と詩集解題もその表象ということになろう。
室生犀星はその序文「聖ぶりずみすとに与ふ」において、「貴兄の詩篇に鋭角な玻瑠状条韻律を発見したのは極めて最近である。其あるものに至つては手足を切るやうな刃物を持つてゐる。それは曾ての日本の詩人に比例なき新鮮なる景情を創つた」と述べている。それを示すためにどの詩を紹介すべきなのか、いささか迷ってしまった。「手足を切るやうな刃物的」な「囈語」「比類なき新鮮な景情」の「風景」を考えたが、やはり「鋭角な玻瑠状韻律」の特色は最も長い口語詩「À FUTUR」に求められるように思われるので、その第一連を引いてみる。
まつてゐるのは誰。土のうへの芽
の合奏の進行曲である。もがきく
るしみ転げ廻つてゐる太陽の浮か
れもの、心の向日葵の言葉。永遠に
うまれない畸形な胎児のだんす、そ
のうごめく純白な無数のあしの影
私の肉体(からだ)は底のしれない孔だ
らけ……銀の長柄の投げ鎗で事実
がよるの讃美をかい探る。
このような言葉とリズムによって一八ページが続いていき、次のように結ばれている。
わたしの騾馬は後方(うしろ)の丘の十字架
に繋がれてゐる。そして嬾(ものう)くこの
日長を所在なきに糧も惜まず鳴い
てゐる。じょう
この「À FUTUR」は『日本の詩歌』13の山村暮鳥アンソロジーにも収録されていないし、犀星が示す「玻瑠状韻律」にふさわしいのか留保がつくかもしれないが、暮鳥のキリスト教入信と洗礼、伝道としての経歴と離脱、ボードレールへの傾倒、萩原朔太郎、室生犀星との出会いと人魚詩社の設立、「卓上噴水』の創刊といった回路をたどると、「À FUTUR」がそれにバイブレーションしているのではないかと思われるのだ。
それらに加えて、この『聖三稜玻瑠』の一冊は犀星がいうように、「もはや官能や感覚上の遊戯ではない。まことに恐るべき新代生活者が辿るものまにあの道」をたどって近代詩上に一紀元を画したとされる。並製のほうは見ていないのだが、おそらく時代からいって、取次・書店ルートでも流通販売されたはず、どのような読者と出会ったのか、気になるところである。
なお本探索1516の『生理』にも加わっていたし、戦後になって先述の弥生書房から『山村暮鳥全集』が刊行されている。
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