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【自治会、宗教、地方史】No. 16 第一部 14 登記事実には記されていないこと

登記事実には記されていないこと

小田 : そう、登記事実を至上とするのであれば、他の自治会が行なった、法人化に際しての有力者から自治会名義への移譲はまったくありえないことになる。

(編注:登記の経緯については「No. 12 第一部 10 記録として残る登記の事実と、記録として残らない真実」を参照のこと。繰り返し述べているように、J寺はO寺を末寺としている)

odamitsuo.hatenablog.com

      【 O寺の土地建物登記の推移

昭和 19 年  前の建物 東南海地震で崩壊
昭和 24 年  O寺再建  登記なし
昭和 26 年  土地 ~大蔵省  ⇒ 土地 ~T応寺(=O寺)
昭和 28 年  土地 ~J寺
昭和 31 年  土地、建物 ~J寺

A : そのような登記への経緯と事情は、あなたがいっていた戦時下の企業整備や宗教団体法の改正、及び戦後のシャウプ税制による土地登記問題が絡んでいると。

 そういえば、野口悠紀雄が『1940年体制』(東洋経済新報社)で、シャウプ勧告のターゲットになったのは、戦時立法である源泉徴収だと指摘していた。

1940年体制: さらば戦時経済

小田 : そういうことで、不動産登記の事実だけで、それが正しいと言い切れるのか、きわめて疑わしい。まあ、歴史というものはそういうものだというしかない。

 J寺の弁護士の「受任通知」にも、そのことは記されていた。それを示します。

  ところで、問題となる出来事発生の時期が今から70年前後以前の昭和25年から31年にかけての激変の時代である上、J寺及び関係寺院も激変し、残念ながら当時の関係資料の保存状態も芳しくなく、加えて、J寺側には当時の登記手続き等に関係し、その状況を的確に伝えることができる者は見当たらない状況で、(中略)今のところ限られた僅かな公文書等の資料を基に当時のことを推測するほかありません。

A : とどのつまり、このような70年前の公用地に関する真相は、残された登記事実をたどるだけでははっきりつかめないと言っているわけだね。 
 これはまだ裁判ではなく、事前協議みたいなものだと考えていいのだが、こうした分野における裁判や判例はあるのかな。

小田 : こんなことをいうと、また不謹慎だとそしられるかもしれないが、「受任通知」にしても、宗教法人法第42条〈合併の効果〉などが出てくる。
それでしょうがないから、こちらもブックオフにいって、有斐閣の『小六法』を100円で買ってきた。ついでに『判例六法』もあれば購入するつもりでいたが、さすがにこちらは売っていなかった。

A : 『判例六法』まで踏みこむことはないよ。それは裁判における弁護士間でのやりとりに必要なだけだし、そこまで勉強することはない。このところ、ブックオフはしばらく行っていないけれど、『小六法』などは100円で売っているのか。

小田 : 図書館の場合、辞書と同様の禁帯出だから買うしかないわけよ。まあ、当年版はないにしても、数年前の版であれば、いくらでも売っているんじゃないかな。有斐閣、三省堂、岩波書店版など色々とあるからね。
 

【自治会、宗教、地方史】No. 15 第一部 13 自治会問題の弁護士化(歴史的経緯と道義的責任/登記の整合性)

自治会問題の弁護士化(歴史的経緯と道義的責任/登記の整合性)

小田 : それはともかく、あなたもご察しのように、2カ月経っても、何の返答も戻ってこなかった。そこでしょうがないから、文書として質問状を出した。もちろん自治会長と建設委員会監事にはかった上でのことだ。

 質問内容は先述したO寺の土地建物は登記上そちらの名義となっているが、実質的には自治会に属するし、この地域の他の自治会でも法人化に際し、有力者名義から自治会名義に移行している。
 とりわけ土地は 450 坪に及ぶもので、この問題に関して、法律にも歴史的経緯にも通じた専門家、もしくは信頼できる第三者、調停者を交えての場を設定して欲しいとの自治会からの要請はどうなっているのかというものだった。

 そうしたら弁護士に依頼したので、そちらと話してくれといってきた。

A : 何かそれもすごいね。自治会とそこに古くからある寺なのだから、寺の総代とか有力な檀家がいるはずだし、司法書士や行政書士にしても、周りにいるでしょう。まずそれらの人々に相談し、協力を得た上で、自治会との話し合いの場を設けるのが筋だ。それをいきなり法的判断に委ねる弁護士依頼とは社会通念に欠けているし、非常識じゃないのかな。

小田 : それは市の関係者も前代未聞だと言っていた。

           [中略]

  この弁護士依頼にしても、寺は宗教法人ゆえに、そのために役員の了承や議事録などが必要であり、法的な手続きを経た上でのものかどうかという疑念が生じるわけですよ。

A : それはそうだ。もし自治会のほうが弁護士を立てるのであれば、そのための議事録、コストの公開、総会での承認といった手続きが不可欠だし、宗教法人も同様だ。

 ところがそちらの寺は最初からデュープロセスなんてことは念頭にないことを示唆している。それを鑑みれば、登記なるものも同様だと見なすしかない。

小田 : だがら最初から不信感が強いわけだ。そんなところに、弁護士から「受任通知」が届いた。
 それを読んでみると、土地建物の登記に関して、私から「不足があった旨の問題提起がなされた」が、現住職は「不足があったとは考えていない」ので、弁護士に「事の正邪を明らかにしてもらいたい」との依頼を受けたと書かれていた。

          [中略]

A : それはどういう意味なの。

小田 : 私は土地建物登記推移や年表を示した上で、昭和57年に老人憩の家を併設後、O寺だけを薬師堂として登記し、実質的に老人憩の家が抹消されてしまったこと、その際の自治会長が寺の先代だったことは説明責任を必要とするのではないかと。

 それからO寺の前身であるT 応寺の歴史が昭和16年以前は空白で、登記簿も編成されておらず、その中でO寺も再建されていた事実は、それが自治会に属すると認識されていたからではないかといったことが主眼であった。我々旧住民が自ら建設作業も担い、再建されたことは明白だったからだ。

 つまり不動産登記に関してはその事実を覆せないのは自明のことだから、宗教法人法違反と道義的責任を問題としているのに、住職のほうは不動産登記の整合性のことだと受け取り、弁護士に相談したわけだ。

 ところが弁護士も東京都下の出身で、たまたま隣の市の弁護士事務所のイソ弁で、住職と同じように自治会の歴史についてはまったく門外漢であり、登記事実を検証した「受任通知」を送ってきた。

A : 最初からすれ違いということになるのか。

【自治会、宗教、地方史】No. 14 第一部 12 自治会固有の歴史と性格から生じるトラブル(継承されなかった経緯)

自治会固有の歴史と性格から生じるトラブル(継承されなかった経緯)

小田 : そのようにして建設準備委員会を開いたのだが、出席者の中にはJ寺の檀家総代や取り巻きもいて、現住職を呼ぶべきだと言い出した。

 例によって私も浅はかだから、住職は地場の人間ではないけれど、歴史をふまえて土地建物の登記は名義上のものだと了解し、スムーズに委譲してくれるのではないかと考えていた。

 まあ、これも思いこみに過ぎないのかもしれないけれど、先代、もしくはその実子が後継者であれば、それまでの自治会との関係、これからも自治会とうまくやっていかなけれならないので、J寺名義であったにしても、あずかっていただけだと表明し、名義も自治会に移してくれるはずだと認識していた。

 それは私だけでなく、旧住民の観測でもあった。

(編注:ここで「先代」と呼ばれている住職は旧住民で、J寺の世襲者であり、自治会長のみならず市会議員も務めており、政教一致の状況を作り出した人物であった。その一方で、「現住職」は「先代」の実子ではなく、他県からきた弟子として跡目を襲名しており、古くからの自治会と寺の関係やその歴史に通じていたわけではなかった)

A : ところがなんでしょう。

小田 : 現住職は、そういうことで登記しているんだし、寺のものだし、司法書士もそう言っているし、師匠(先代)がやったことに間違いはないとの一点張りなんだ。

 こちらとすれば、他の地区の自治会も有力者名義だったが、法人化に際し、自治会へと名義が移っているといくら説明しても、まったく聞く耳を持たない。

A : 前にも言ったけれど、西洋では神父と医師はインテリのイメージが強いけれど、日本においては僧侶と医者は上流ぶった俗物だと考えたほうがいい。

小田 : 私もこの登記に関わった父親世代の旧住民に遠慮して、失敗したなと思った。それでも弁解がましいが、そのことで思いがけない、もうひとつの手がかりがつかめた。それは後述します。

A : でも基本的認識として、我々はマルセール・モースの『贈与論』(岩波文庫)などを読んでいるので、贈与もまた人間的な営みの在り方だと思っている。でも現実的には欲望の世界であることも事実で、人によってはそちらのほうが露骨かもしれない。

 おそらくその住職というのは金や土地に関する執着がものすごく強いんじゃないかな。

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

小田 : おっしゃるとおりで、それがよくわかる事柄が続出してくるわけです。

A : やっぱりね。じゃあそれをうかがいましょうか。

小田 : 建設委員会で住職に、登記に関する説明責任を求めた。それは先の貸借証書に象徴されるように、16世紀末に建立の寺であるから、それなりの史資料の蓄積は当然のことだし、そこにO寺の登記事情、老人憩の家併設経緯などの文書も残されているはずだと考えたからです。

A : それはよくわかる。地元の古い寺であれば、檀家制度とともに、かつては戸籍係、家系記録者のような役割を果たしてきている。しかしそれは現在において、機能しているのか疑問だ。宗教法人として公益性を重視すべきなのに、葬式仏教に専念し、寺の本来の宗教的活動内容も定かでなく、経理公開も行なっていない。

 あなたのいうところの説明責任というのは、寺の情報公開を意味していることになるので、何をいわれているのか本質的にわかっていないし、伝わっていかない。

 それは地元の古い寺だけの問題ではなく、かなり多くの寺があった場合でも同じで、私的正業であれば、競争原理や好感度が問われるはずだが、まったく機能していないという声も聞こえてくる。寺にとって消費社会における檀家はお客さんなのに、墓を盾にして改革しようとする意識すらもない。冗談半分にいうと、寺にとっての究極の消費者は死者ということになるからね。

小田 : 私も地元の民俗家からそれを聞いているし、地元に宗派も異なる8つの寺があるにもかかわらず、そうした状況にあるといっていた。

【自治会、宗教、地方史】No. 13 第一部 11 自治体法人としての借り入れ(保証人を引き受ける覚悟)

自治体法人としての借り入れ(保証人を引き受ける覚悟)

A : うーん、私のところは都市型郊外の自治会だから、そちらほど歴史もないし、宗教や人間関係や土地問題も入り組んでいない。何か聞けば聞くほど迷路に入っていくような感じだし、私も数年間自治会長を務めたけれど、そちらの自治会だったら続けられなかったと思う。

小田 : でもAさん、これはまだ始まりで、これからが本番なのです。

 法人化に伴い、助成金申請も受理され、令和10年に下りると決まった。そこで私の他に令和2、3年の役員の3人に建設準備委員会の監事をお願いした。この監事というのは幹事ではないことからわかるように、建築プロジェクトの窓口、受け皿という意味で使っています。

A : いい判断だと思うよ。ヒエラルキー形式から始めてはいけないからね。それでどうなったの。

小田 : 監事4人連名で、説明会と建設委員会の立ち上げを通知した。それはここ10年の自治会長と、我々と同世代の旧住民の20人ほどに向けてだった。

 でも自治会法人化をめぐる政教分離のしこり、及びもうそんなことに関わりたくないという思いから、全員の出席はかなわなかったが、そこで建築スケジュールを発表した。

 令和7年に正式に建築委員会を発足させ、会則を定め、正副委員長を選び、8、9年の2年間で建築計画を進め、設計事務所も決め、ゼネコン各社の入札により、10年に完成させるというものだった
 これが令和4年の私の見取図でした。

A : 予算案も発表したの。

小田 : 最初から大風呂敷を広げるわけにはいかないので、自治会自己資金と助成金1千万円、合わせて3千万円を目途とし、自治会員の負担にならないように、不足の建築費は金融機関から借り入れるつもりだった。

 そのために令和6年は農協、信用金庫、地方銀行の3社と交渉し、融資金額と借入期間などの条件を整え、それで最終的な建設費を確定するという計画だった。色々と算段すれば、5千万円ほどは確保できるはずだと考えた。もちろん自治会法人としては初めての借り入れであり、保証人は私が引き受けるつもりでいた。
                                                                                        
A : 自治会長の鑑だね。

小田 : 冷やかさないでよ。これは私の友人の例なんだけど、さびれていくばかりの商店街の自治会長を引き受けた。ところが公会堂がどうしようもなく老朽化し、建て直さないといけないリミットまできていた。自分の生まれ育った町だし、そこで商売をやっているし、この歳になって他のところでの生活は想像できないし、そのつもりもない。

 そのためには町も自治会も続いてほしいので、公会堂の建て直しを引き受けた。ところが自治会自己資金が潤沢にあるわけではないので、銀行借り入れによるしかなく、自分が保証人としてそれをまかなったという。

A : そうか、聞いてみると、確かに色々あるんだね。消防のことを考えると、商店街は店と住居が連なっているので、一店が火事を出せば、その一帯が全焼してしまうこともありうる。それでマイホームからなる郊外とは消防連帯意識がちがうと聞かされたことがある。

 あなたの友人の自治会長の町と公会堂に対する認識も、そうした商店街のエトスに基づいていることが実感される。

小田 : だから自治会によっては個々の事柄の受け止め方がちがう。それを一律に処理しようとする市の方策自体に無理がある。

A : だからこれもあなたの論を当てはめれば、自治会のマクドナルド化ということになるだろうね。

小田 : ただトラブルだけはその自治会固有の歴史と性格を有して出現してくる。そのことにふれてみます。

【自治会、宗教、地方史】No. 12 第一部 10 記録として残る登記の事実と、記録として残らない真実

記録として残る登記の事実と、記録として残らない真実

小田 : それから総評系の弁護士相談に際し、登記の事実は動かせないとの判断を下した後で、実は自分のところの自治会も、やはり複数の有力者名義だったので、法人化に際し移譲してもらったことを話してくれた。詳細は相談外で、また他市のことであり、聞けなかったけれど、どこでも法人化に当たっての土地問題は必然的に起きているのだと了解された。

A : 私も色々聞いているが、全国的に見れば、千差万別といっていいくらい多くのヴァリエーションがあるんだろうね。
 何せ 自治会は全国に30万あるというから、そのうちのどれほどが法人化されているのか不明だとしても、その過程において、様々なドラマが繰り広げられているのは間違いない。そのコアには土地に関する欲望も絡んでいるだろうから、こじれたら難しいことになるのは必至だ。

小田 : そう、まさに欲望が絡んでいるから厄介なんだ。

 前述したように、O寺は昭和24年に再建されたわけだが、建物も土地も登記されておらず、26年になって大蔵省、それからT応寺(注:O寺の戦前の正式名称)名義となった。続いて28年に土地が、また31年に土地と建物の双方がJ寺名義になっている。(編注:前述したように、J寺はO寺を末寺としている)

      【 O寺の土地建物登記の推移

昭和 19 年  前の建物 東南海地震で崩壊
昭和 24 年  O寺再建  登記なし
昭和 26 年  土地 ~大蔵省  ⇒ 土地 ~T応寺(=O寺)
昭和 28 年  土地 ~J寺
昭和 31 年  土地、建物 ~J寺


 これは私の推測では占領下の昭和24、25年のシャウプ税制改革に端を発するもので、それまで未登記の土地建物に登記を促したことに起因すると思われる。同時期の神社のほうも神社名で登記されている。

A : それはJ神社のことなの。

小田 : よく覚えていたね。祭絡みでよく挙げていたにしても。

 神社の土地に自治会の公会堂が建っている例はかなり多くて、よく聞いてみると、ほとんど問題になっていない。
それは神社の場合、寺と異なり、居住者はいないし、祭も含めた自治会との密接な関係から、建物を自治会名義とすることで処理されている。

 シャウプ税制改革というのは我々が対談のために参照している『戦後史大事典』(三省堂)などにも立項されているので、引用した方がいいかと思ったが、かなり長いので対談のテーマとずれてしまう。Aさんのほうから説明してもらえませんか。

戦後史大事典 増補新版: 1945-2004

A : 自治会に関連して一言で要約すると、市町村税として固定資産税を付与することが目的のひとつで、いってみれば、地方税制改革の提言と見なしていいんじゃないかな。

小田 : それで何となくわかるな。親しくなった市の職員にシャウプ勧告のことを話したら、懐かしい、地方公務員試験に必ず出されるので、よく知っているといわれた。またその後、司法書士からも同様の発言を聞いている。

A : ところがなんでしょう、GHQ占領下の改革をたどってみると、具体的に市町村レベルで何が行なわれたのかという記録を見出せない。でもほぼ同時期の寺や神社の土地登記はそのシャウプ税制の反映だとしか思えないわけだね。

小田 : ただ寺や神社の土地登記は固定資産税をとれるわけではないので、どうしてなのかという疑問もあるけれど、「まず隗より始めよ」で、公共地と見なされるそれらがターゲットに挙げられたのかもしれない。

 そこら辺の中央から市町村レベルに至る改革はどのようなバイアスを伴っていたのかわからないし、県史までたどっても具体的な記述は見当たらない。それは老人憩の家だって同じだし、厚生局通知をそのまま体現したわけではないと判断できる。

 それに当時の土地は売買の対象でもないし、地価も安く、名義上の登記だと考えても不思議ではない。それでも個人ではさしさわりがあるので、寺の名義にされたのではないかと推測されるわけだ。このことは自治会旧住民の共通の見解でもある。

 ところが問題なのは、それらの登記が70年以上前のことで、当事者とか証人がもはや誰もいない。J寺の先代は亡くなり、自治会の最後の農業者だった80代後半の2人も亡くなってしまった。そのうちの1人からは新公会堂の建設は賛成だ。でも自分は歳だから、よろしく頼むという言葉を得ている。ただ残念なことに彼も昨年亡くなり、話を聞いておけばよかったと悔やんでいる。