地方史・郷土史ブームと地方出版と地方開発の連動
A : 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)の内容を簡略に説明してみる。
江戸時代半ばに蝦夷の後裔である東北の覇者安藤(東)の系譜を引く羽州土崎の浪人秋田孝季が、その妹婿の津軽飯詰の庄屋和田長三郎とともに、安藤(東)氏の故事来歴を調査するために、諸国を行脚し、苦心惨憺して収集した雑多な資料をもとにして編纂した秘蔵の書とされる。
それは津軽藩によって抹殺された古代以来の津軽の歴史の真実を記したものであったために、秋田家に正本、和田家に控えの副本がそれぞれに伝えられたが、前者の正本は焼失し、和田家の副本のみが残ったとされ、この「和田文書」をベースとして、『東日流外三郡誌』が編纂刊行されていったのである。
これでアウトラインはつかめるし、偽書の問題は齋藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物往来社、平成21年)、藤原昭『偽書「東日流外三郡誌」の亡霊』(河出書房新社、同31年)などに詳しいし、「古史古伝」に関しては『危険な歴史書「古史古伝」』 (「別冊歴史読本」、新人物往来社、平成12年)が参考になる。
こんなところでいいかな。
小田 : それでいいと思うよ。さらに偽書問題に踏みこんでいくと、色々と錯綜してくるので。
それでもひとつだけ付け加えておくと、『東日流外三郡誌』の謎の神アラハバキは柳田国男の『石神問答』 に出てくるし、この書簡からなる著書において、最も多い書簡は山中共古によるものだ。ここでも『見付次第/共古日録抄』が関係はないにしても、つながってしまう。
A : いや、それだけでなく、『東日流外三郡誌』が刊行されたのは、そちらの薬師如来の文化財指定と同じ昭和50年で、それをめぐって、複数の寺の住職が絡んでいることも共通している。
それにこれはあなたもご存じだろうけど、『東日流外三郡誌』は弘前の北方新社からも出版され、次に東京の八幡書店が続き、全国で読まれ、億を超える売上になったと聞いている。「古史古伝」の中でも最も売れた文書だったといえる。
小田 : 私も『東日流外三郡誌』を買っている。これは地方・小出版流通センター経由で、書店でも購えたからで、その後の八幡書店版は購入していないが、村史資料として公刊されたのは郷土史家による努力と編纂によるとされるのだが、未見です。
北方新社版は文書の発見者、保管者の和田喜八郎の協力を得て、郷土史家と教育委員が写本のすべてを原稿化したもので、全6巻に及んでいる。私が所持しているのは第2巻だけだけれど、初版は59年4月で、8月に第2刷だから、売れているとわかる。
A : この北方新社版のことは先の斎藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』にも出てくる。編者に名を連ねているのは郷土史家と和田文書の所有者とされる教育委員で、郷土史家と地元の出版社の功名心が背景にあったことが語られている。
その出版の発端は私も知らないではない津軽書房の和田喜八郎『東日流蝦夷王国』(昭和58年)だったことを教えられる。すると私も『東日流外三郡誌』の出版に無縁でなかったことになり、私も地方史と偽史問題にリンクしてしまう。

小田 : 北方新社版『東日流外三郡誌』にしても、「書肆アクセス取扱品」というスリップがはさまれているので、それが地方・小出版流通センター経由で書店に届けられたことがわかる。
A : それから、やはり時代というものもある。昭和40年代から国鉄のディスカバージャパンや各地におけるタウン誌の隆盛もあり、柳田国男の再評価と絡んだ地方史ブームが起き、郷土史を中心とする地方出版物も多く出されるようになっていた。
そうした出版状況を背景として、地方・小出版流通センターも立ち上げられていった。『東日流外三郡誌』にしても、そのような時代的環境の中から出現してきたといっていい。










