2018-01-01から1年間の記事一覧
前回、本連載146の桜沢如一が戦時下の横光利一の近傍にいたらしいことにふれておいた。桜沢に関しては、その実用的東洋哲学の無双原理=「極東のすべての科学、哲学、すべての大宗教、すべての文明の母胎」の紹介である自著『東洋医学の哲学』(日本CI協…
前回、鎌倉文庫の『人間』に橋本英吉の小説が連載されていたことに加え、彼が横光利一のところに出入りし、その影響を受けていたことを既述しておいた。これは別の機会とも考えていたが、鎌倉文庫と横光といえば、生前の最後の著書は鎌倉文庫から出された『…
前回はふれなかったけれど、橋本英吉の「富士山頂」が鎌倉文庫の『人間』昭和二十一年十月号で、「連載完結」とあった。連載が始まったのは七月号からで、二十三年には鎌倉文庫で単行本化されている。この十月号で見るかぎり、唯一の連載小説だったと思われ…
本連載825などの鎌倉文庫の文芸雑誌『人間』の一冊が出てきたので、これも書いておきたい。 『人間』は『日本近代文学大事典』にほぼ一ページにわたって立項されているように、戦後の雑誌として、思想と文芸、新人と旧人、海外文学なども包含した多角的編…
前々回『若き剣士物語』の森本岩夫が新潮社の『文章倶楽部』の記者だったことを既述しておいた。 『文章倶楽部』は『新潮社七十年』においても、「日本にただひとつの文章雑誌として新潮社より刊行され、文章研究者の手引たると共に新文芸入門者の伴侶たるこ…
前回はふれられなかったが、森本岩夫の『若き剣士物語』の中において、ニューヨークのモルガン邸のマダム・モンの居間の光景が描かれていた。彼女は太郎一が思いを寄せた女学生のモンで、アメリカ人と結婚し、渡米したが、夫を亡くし、未亡人となっていた。…
昭和十九年になって、新潮社から「新作青年小説叢書」として、森本岩夫の『若き剣士物語』が刊行されている。しかし「同叢書」は『新潮社七十年』の「刊行図書年表」を確認してみると、ほぼ同時に和田伝『父祖の声』が出されただけで、その後は続かなかった…
昭和十七年にやはり博文館から刊行された荒木巍の小説集『幸運児』という一冊がある。荒木の名前は本連載782の河出書房の「書きおろし長篇小説叢書」や同785の「短篇集叢書」の著者として名前を挙げてきたけれど、現在ではもはや忘れ去られてしまった…
前回ふれた坂口安吾『吹雪物語』の昭和十三年の竹村書房版は、『坂口安吾』(「新潮日本文学アルバム」35)で書影を見ているだけだが、昭和二十三年に山根書店から刊行された山根書店版は入手している。これは同二十二年の新體社の再版に続く三度目の出版…
本連載840の昭和十年前後の文芸リトルマガジンの相次ぐ創刊が、その後の文学書出版の隆盛へとリンクして行ったと見なすことができる。そうした出版状況を考えると、それは必然的に当時の小出版社の位相へとも結びついていくことになる。 『日本近代文学大…
18年10月の書籍雑誌推定販売金額は991億円で、前年比0.3%減。1%未満のマイナスは16年12月以来である。 書籍は485億円で、同2.5%増。雑誌は505億円で、同2.8%減。 雑誌の内訳は月刊誌が404億円で、同0.3%減、週刊誌は100億円で、同11.5%減。 返品率は書籍が41…
昭和十年代後半には「名作歴史文学」といったシリーズが刊行され、かなりの売れきを示したようだ。これは昭和十八年に聖紀書房から出され、そのうちの一冊の吉川英治『大谷刑部』を浜松の時代舎で購入している。 これは表題作をタイトルとする短編集だが、四…
昭和十年代には小説や外国文学の叢書やシリーズだけでなく、前回の石坂洋次郎の『雑草園』ではないけれど、随筆なども出されている。そのひとつとして、昭和十二年に東宛書房から刊行の「学芸随筆」があり、その一冊である五来素川『動乱の静観』を入手して…
本連載842の正宗白鳥とは異なる意味で、少しばかり意外に思われるかもしれないが、石坂洋次郎にしても改造社との関係は深く、昭和十一年の『麦死なず』、翌年に『若い人』を改造社から刊行し、作家的地位を確立したとされる。しかも前者は同社の『文芸』…
本連載839の新潮社「新日本少年少女文庫」の著者として、前回の高須芳次郎と並んで、林髞の名前も挙がっていた。林は慶應大学医学部出身で、ソ連に留学し、パブロフの下で条件反射理論を学び、大脳生理学を研究し、昭和九年から慶大医学部教授に就任して…
前回の正宗白鳥の証言によれば、『文芸評論』や『現代文芸評論』にしても、改造社の『現代日本文学全集』や春陽堂の『明治大正文学全集』の出現によって、それらの作家や作品を初めて読んだり、再読したことを通じて、あらためて書くことができたという。そ…
前回の「文芸復興叢書」も含めて、改造社の文芸書の全貌を俯瞰することは難しい。それは本連載でも繰り返しふれているように、改造社も社史や全出版目録が出されていないし、シリーズ物はともかくとして、単行本に関しては実物を見るまで、改造社から出てい…
本連載でずっとふれてきた本連載でずっとふれてきた昭和十年代半ばの外国文学も含んだ文芸書出版の隆盛は、突然もたらされたものではなく、そこに至る出版ムーブメントの結実と考えるべきだろう。高見順は『昭和文学盛衰史』の一章を「文芸復興」と題し、昭…
前々回の新潮社の「日本少国民文庫」の他にも、多くの「少国民」をタイトルにすえたシリーズ、及び同じく前回の「新日本少年少女文庫」のような科学的色彩の強いシリーズも、戦時下において増えていったと見られる。その双方と備えた企画として、岩波書店か…
『新潮社七十年』は「日本少国民文庫」に続いて、昭和十四年から島崎藤村編「新日本少年少女文庫」全二十巻の刊行を始めたが、内容は「日本少国民文庫」と大同小異であるが、福永恭助『国の護り(陸・海・空)』を第一回配本としたことはすでに時局の緊迫を…
前回に続いて、この際だから児童書にも言及してみる。『新潮社七十年』において、昭和十年に刊行された山本有三編「日本少国民文庫」全十六巻は「新潮社の誇るに足る出版」として、その一章を当てている。だがそれらは全巻の書影が見えているだけなので、「…
18年9月の書籍雑誌推定販売金額は1215億円で、前年比5.4%減。 書籍は682億円で、同5.3%減。雑誌は533億円で、同5.6%減。 雑誌の内訳は月刊誌が446億円で、同4.5%減、週刊誌は86億円で、同10.4%減。 返品率は書籍が32.3%、雑誌が39.8%で、月刊誌は39.4%、週刊…
昭和十年代には児童書の分野においても、フランス文学の新訳が試みられていた。それはエクトル・マロの『家なき児』で、しかもその訳者は鈴木三重吉である。実はそのことをまったく知らず、それは浜松の時代舎で、童話春秋社から昭和十六年に出されたA5判上…
本連載829で、生田長江訳『死の勝利』が易風社から刊行予定だったという佐藤義亮の証言を引いておいた。 その易風社の本を一冊だけ持っていて、それは永井荷風の『歓楽』で、明治四十二年に刊行されている。ただこの四六判の一冊は初版本だけれども、ほと…
前回、生田長江が『文学入門』で挙げた紅葉、一葉、樗牛の三人の全集はいずれも博文館から出されていて、明治後半が博文館の時代だったことを告げている。 本連載271で『一葉全集』、前回は『樗牛全集』を取り上げたこともあり、今回は『紅葉全集』にふれ…
前回はふれられなかったけれど、谷沢永一は「生田長江」(『大正期の文芸評論』所収、中公文庫)において、生田の『文学入門』は「通俗的読者相手の請負仕事」で、「年少子弟に寄せる砂をかむような処世上の教訓に終わっている」と批判している。 しかし生田…
前回、新潮社が大正時代に入って、本格的な外国文学の翻訳出版を企画し、「近代名著文庫」を創刊したことを既述しておいた。佐藤義亮は「出版おもひ出話」(『新潮社四十年』所収)で、次のように述べている。 (「近代名著文庫」、『サフオ』) 新潮社が翻…
続けて新潮社の『世界文学全集』などに言及してきたが、それは大正時代の「近代名著文庫」に起源が求められる。だが「近代名著文庫」は『日本近代文学大事典』に明細が掲載されていないので、『新潮社四十年』からリストアップしてみる。 1 ダンヌンツイオ …
やはり昭和十年代半ばに「ノーベル賞文学叢書」が刊行されている。これはマルタン・デュ・ガールの『ジャン・バロアの生涯』しか入手していないし、その巻末に三冊の既刊が記載されているのを見ているだけだが、最終的に全十八巻で完結したようだ。 (『ジャ…
昭和十年代半ばに、新潮社も新たな外国文学シリーズを立ち上げている。それは『世界新名作選集』で、まずそのラインナップを挙げてみる。 1 ヘルマン・ヘッセ 『放浪と懐郷』(高橋健二訳) 2 ドリュ・ラ・ロッシェル 『夢見るブルジョア娘』(堀口大學訳) …