出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1510 室生犀星『蒼白き巣窟』の削除と復元

 室生犀星は『性に目覚める頃』に続いて、大正九年にやはり新潮社から『結婚者の手記』『蒼白き巣窟』と三冊の小説を上梓している。これらの二冊は未見だが、昭和十一年に『近代出版史探索Ⅲ』436の非凡閣から『室生犀星全集』が刊行され、その第七巻がそれらのタイトル作を含めた初期作品集として編まれている。

     (非凡閣)

 ここで取り上げたいのは短編集『蒼白き巣窟』で、いくつかの犀星の「年譜」にはこの「青白き巣窟」が講談社の『雄弁』に掲載予定だったが、目次にタイトルが残されただけで、全文が削除されたとある。しかし犀星としても、愛着があったようで、そのまま捨ておけず、内務省の検閲を経て、短編集のタイトルとすることで収録し、新潮社から刊行に至ったことになる。おそらく非凡閣版『室生犀星全集』第七巻所収の「蒼白き巣窟」はこの新潮社版をそのまま踏襲していると思われた。

 だが戦後になって、犀星の死後、昭和三十九年から新潮社の二回目の『室生犀星全集』が刊行され始め、その第二巻に「蒼白き巣窟」が収録されたのである。それは「私はいつも其処の路次へ這入ると、あちこちの暗い穴のやうな取り抜けや・・・・・・(初版本五千五百字削除)・・・・・・」と始まっていて、非凡閣版はこの冒頭の部分を全文カットし、「おすゑの家もその燐火箱の奥まった一軒で」を冒頭としていることがわかった。また新潮社の第二次全集は自社の初版本に依拠していることも。しかしこれだけでは削除された部分を想像することは難しかった。

 ところが昭和五十二年に新潮社版の恩地孝四郎装幀をそのまま復元して、冬樹社から『蒼白き巣窟』が刊行され、しかも削除された全文が初めて公開されたのである。娘の室生朝子の「あとがき」によれば、城市郎の『発禁本百年』(桃源社「桃源選書」、昭和四十四年)をあらためて読み、城が『蒼白き巣窟』の生原稿を所持していることを知り、それを拝借し、生原稿をそのまま編集し、単行本化したとある。

(冬樹社)

 城の『発禁本百年』を探すと、幸いにも出てきたので見てみると、大正九年のところに『蒼白き巣窟』の生原稿と新潮社版が写真入りで紹介され、一万字近い削除があると述べられていた。かつて読んだはずだが、すっかり失念していたことになる。冬樹社版はそれらの写真に加え、見開きの生原稿や『雄弁』の大正九年三月号の表紙や目次も示した上で、その削除部分を赤字で復元している。この小説は浅草十二階下の私娼窟を生々しく描いたことによって、発表を禁じられ、戦後も削除されたままで読まれてきたのである。

 前述した新潮社版の先の書き出しに続く部分を引いてみる。

 墨汁のやうな泥濘の小路から吐き出される種々な階級の人々を見た。職工、学生、安官吏、または異体(ママ)の知れない様々な人々が、みんな酔つぱらつて口々に何かしら怒鳴つたり喚いたりしながら、同じ路次から路次を蠅のやうにぞろぞろと群をつくつて、熱心な眼つきで、その路次の家々の障子硝子の内に、ほんのりと浮いてゐる白い顔を見詰めてあるいてゐた。家々の軒燈はあまり明るくないため、燐寸箱を積み重ねたやうにぎつしり詰つた路次は、昼間も日光がとと(ママ)かないので、いつも湿々してゐる溝ぎわの方から、晩方の家々の炊事の煙が靄とも霧とも分らない一種の茫とした調子で、そこらの板囲ひや勝手口の風通しのわるいあたりをうす暗くしたばかりでなく、障子硝子の窓ぐちに座つてゐる女等の顔をも暈して見せてゐた。ちやうど路次を通る人々はすこし背をかがめるやうにすると、内部から硝子窓にぴつたりと顔を押しつけるやうにして座つてゐる女等の眼が何よりも最初に眺められるやうになつてゐた。かういふ巣窟にありがちな家々の藍ばんだ何だか埃つぽい薄暗さは、仮面のやうに濃く白い顔をくつきりと浮き上らせ、ことに魚族のやうな深い澄んだ光をひそませた女等の眼が、じつと、わいわい騒いだり悪口をついたりしながら行く人々の上に注がれてゐた。それはまるで眼ばかりで働くやうに利巧で艶々しく、その上、それ自身が微笑をふくんで、くらい暗のなかにほんのりと漂ふてゐるやうな、しづかな誘惑の味深い光をもつてゐた。

 長い引用になってしまったが、当時の内務省検閲の実態の一例であろうから、省略を回避したことによるし、このイントロダクションはまさに「蒼白き巣窟」へのチチェローネになっているからでもある。それにまだ復元部分は五ページにわたって続いていくのだ。しかもこの冬樹社版は同じ赤字復元が他にも三カ所、二十二ページに及ぶし、当時の削除の意図も浮かび上がってくる。そのためにふたつの『室生犀星全集』版とはまったく異なる作品のような感触をもたらす。それは引用文からも察せられるだろう。

 この『蒼白き巣窟』は犀星の浅草十二階下の体験をベースにしているし、娼婦のおすゑにしてもモデルが存在すると思われる。彼女は『自叙伝的な風景』において、「お末は有りふれた淫売婦の中の一人だった。千九百十年代の文明を代表した、廃頽的な上に、さまざまな優しい最後の日本的な女を標準化した」存在として描かれている。そして彼女は『蒼白き巣窟』におけるように、自分の木綿の襦袢を縫ってくれたり、餅を食わせてくれたり、また何度も姿を隠したり、現われたりしていた。さらに犀星は姿を隠した彼女を訪ねてもいるのだ。これらは『蒼白き巣窟』とまったく重なるものである。ただ小説と異なるのは、それから二年後に本郷動坂の通りで邂逅した際に、彼女は丸髷を結っていたことだ。これは彼女が結婚したことを意味していて、何か救われたような気になる。それは犀星も同様で、それゆえに彼も最後にそのことを書きつけたと考えられる。

 かつて吉本隆明は『吉本隆明歳時記』(日本エディタースクール出版部、昭和五十三年)において、正宗白鳥の「微光」(『微光』所収、籾山書店、明治四十四年)の囲い者のお国にふれ、彼女が白鳥のかかわった女性をモデルと見なし、次のように続けている。「お国のような女の存在は、若い日の白鳥のような存在なしにもありえた。けれど若い日の白鳥が形成されるには、お国のような存在が不可欠であった」と。それをもじるならば、若い日の犀星が形成されるには、おすゑ=お末のような存在が不可欠であったともいえるであろう。

   


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら