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古本夜話150 刀江書院『シュトラッツ選集』と高山洋吉

刀江書院と訳者の高山洋吉については戦後編でふれるつもりでいたけれども、前回の川崎安の『人體美論』はそれらの著者と著作を範とし、資料も同様なので、隆文館と異なる出版社の話になってしまうが、ここで続けて一編を書いておきたい。

川崎は『人體美論』の「自序」において、次のように書いている。

 書中の引例挿図、固より先輩諸氏に負ふ所多し、特にC.H.Stratz氏の著書に據るもの尠からず、著者はその親友独人S.H.氏(去年来遊、Stratz氏の知人)を介して氏の快諾を経たり。

この「C.H.Stratz氏」はカール・ハインリヒ・シュトラッツであり、その「著書」とは主として『女体の美』『生活と芸術にあらわれた日本人のからだ』である。後者は東京帝国大学講師として日本滞留中の観察と資料収集に基づくとされる。私が参照しているのは西田書店版『シュトラッツ選集』(全七冊)所収のものだが、これは今でも古本屋でよく刀江書院版を見かけることができる。

シュトラッツは一八五八年に南ロシアのオデッサに生まれ、八三年にハイデルベルグ大学で医学博士を取得し、同大学などの付属病院で助手として働き、八七年にオランダ軍衛生士官としてインドネシアのジャワに赴任し、九二年まで病院長を務めた。その後アメリカ、中国、日本に滞在し、九六年からはオランダのハーグに婦人科医として定住するかたわらで、女性美の研究と著述活動を始め、多くの著書を刊行し、一九二四年に亡くなっている。

「人体学的人類学」を唱え、ジャワや日本に関する著作を残したシュトラッツは、『鯰絵』(小松和彦他訳、せりか書房)のC・アウエハントや『古代中国の性生活』(松平いを子訳、同前)のR.H.フーリックといったオランダ生まれの日本、中国、東南アジア研究者たちの先達であり、おそらくオランダ構造人類学の先駆者だったと思われる。インドネシアについての研究はヨセリン=デ=ヨング他『オランダ構造人類学』(宮崎恒二他編訳、同前)を参照されたい。

古代中国の性生活

このようなシュトラッツの著作と川崎安の『人體美論』(明治四十一年、一九〇八年)の関係であるが、『女体の美』『生活と芸術にあらわれた日本人のからだ』は一八九九年と一九〇二年に初版が刊行されている。したがって川崎はこの二冊をデータベースとし、写真や図版を引用し、「人體美の何なるかを始めて西欧人士より学んだ日本人士」が「之に縁りて幾らか世人の人體美趣味を開発する事が出来たら」との目的で、『人體美論』の一本を編んだことになる。シュトラッツからの写真、図版、例証などの引用を挙げていくときりがないので、あの発禁の原因となった「理想的西洋裸体美人」は『女体の美』における「16歳になるウィーンの少女」、表紙の豊国の行水の浮世絵は『生活と芸術にあらわれた日本人のからだ』にカラーで掲載された「化粧中の女」であることを記すだけにとどめる。

さてこの二冊を含んだ『シュトラッツ選集』の翻訳と出版にたずさわったのは刀江書院によった高山洋吉である。それらの事情について、『選集』に「刀江書院高山洋吉」として記されている。その「発行所より」などを読むと、『女体の美』は昭和三十年代初めに二千名近くの会員制頒布として出版し、その再刊も含めて、昭和四十五年から翌年にかけ、『選集』全七冊が刊行されたとわかる。そして西田書店は四十九年からその発売を引き受け、刀江書院版の品切に伴い、西田書店新装版へと移行していったとも記されている。

この刀江書院は大正八年に尾高豊作によって創業され、民俗、歴史、経済、教育、社会学などの多くの専門書を刊行し、また雑誌『郷土』や『児童』を創刊し、戦前の人文社会系の出版社としてよく知られている。本連載でも何冊か取り上げてきたが、そのベストセラーとして著名な鳥山喜一の『黄河の水』(昭和二年初版、同十四年三十版)を見てみると、この少年少女のための「支那小史」は鮮やかな黄色の装丁に、十一行というゆったりとした組みに百三十近くの写真資料が添えられ、刀江書院の出版物のひとつのスタンダードを示しているかのようだ。
黄河の水 角川文庫版

しかしこの戦前の刀江書院と『シュトラッツ選集』の刀江書院は、社名は同じでも異なっていると考えられる。前述したように刀江書院を名乗っている高山洋吉は『近代日本社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ)で立項され、その肩書は「翻訳家、刀江書院常務」となっている。それによれば、高山は明治三十四年に長野県に生まれ、東京帝大在学中に新人会の活動に加わり、卒業後にスターリンやレーニンの翻訳と出版に携わり、プロレタリア科学研究所の設立に参加し、検挙、投獄されている。そして戦後の軌跡は次のようなものだ。
近代日本社会運動史人物大事典

 敗戦後、再建された日本共産党にいち早く入党。翻訳活動を再開。戦後は政治・経済文献にとどまることなく、民俗学、・風俗文学文献などはば広く翻訳紹介に尽力した。62年、刀江書院を設立。その常務を務め、翻訳・執筆、編集などの業務に携わった。

これらを評してからなのか、「出版業務を通じて民主主義運動、社会主義的啓蒙に尽力、貢献をなした」とされ、昭和五十年に亡くなっている。とすれば、『シュトラッツ選集』の翻訳と出版をほぼ最後の仕事として鬼籍に入ったのであろう。それゆえにその発売は高山の死の前年に西田書店へと移されたと考えられる。

戦前戦後の刀江書院についてだが、本連載146でふれた関根康喜との関係も承知しているし、福島鑄郎編著『新版編戦後雑誌発掘』(洋泉社)によれば、刀江書院は企業整備によって旺文社に吸収統合されている。また戦後を、日本出版協会編『出版社・執筆者一覧1951年版』(日本出版協会事業部、復刻金沢文圃閣)などで確認してみると、代表者を中村正明とする神田神保町の住所の記載があるが、具体的な出版部門と雑誌のところは空白になっているので、名目だけの休眠会社かもしれない。

これらに示された刀江書院の事情、昭和十九年に没している尾高と高山の関係は不明だが、高山が戦前の刀江書院を再建するようなかたちで、昭和三十七年に戦後の刀江書院をスタートさせたと見なしてかまわないだろう。しかしそのスポンサーは誰だったのだろうか。また川崎安が挙げている明治四十年来日のシュトラッツの知人で、川崎のいう「その親友独人S.H.氏」とは誰のことなのだろうか。

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