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古本夜話374 三井晶史、『日本思想家史伝全集』、『日本絵巻全集』

三井晶史と東方書院に関して、続けてもう一編書いておきたい。

これは実物を見ていないのだが、三井訳として『新訳楞伽経』『新訳大品般若経』、著書として『仏教思想概説』があり、甲子社書房から出されている。甲子社書房は仏教書出版社で、それは三井の訳著の掲載されている木村善之著『原人論新講』(昭和六年)の巻末目録からも明らかだ。そこには哲学書、教育書なども含まれているけれど、宇井伯壽の『印度哲学研究』全六巻を始めとする仏教書を中心とし、百点ほどが挙げられている。

この出版社の本はもう一冊持っていて、それは友松円諦訳『仏陀の言葉』で、こちらは大正十三年に出され、巻末広告には十数点の仏教書の他に、「宗教哲学教育芸術」の月刊雑誌『感想』の掲載がある。この本の発行者は筒井春香、前記のものは田村初と異なるが、奥付の検印はまったく同じであるので、推測するに甲子社書房は大正時代に雑誌『感想』と仏教啓蒙書から始まり、昭和を通じて次第に仏教専門書を柱とする出版社へと成長していったのではないだろうか。

それは明治末から大正にかけての仏教ルネサンス、及び哲学館(東洋大学)、日蓮宗大学(立正大学)、曹洞宗大学(駒澤大学)、真宗大学(大谷大学)などの仏教専門大学の隆盛とも関係があったと思われる。それゆえに甲子社書房と筒井や田村の名前も注意しているのだが、いまだに出版史の中に見出せていない。そのことは三井も同様なのである。

さて次に東方書院のことにふれると、これも実物は未見であるけれど、浜松の時代舎から東方書院の『日本思想家史伝全集』全二十巻の内容見本を恵贈されている。それによれば、この全集の内容は「建国以来、日本文化を建設せし思想家、一千余名の史伝並に逸話、奇行等を満載して剰す所なし」というもので、そこに全集顧問のドイツ哲学者にして日本主義者の井上哲次郎が「『日本思想家史伝全集』の発刊に就て」を寄せ、次のような推薦の言葉を述べている。

 今般東方書院は儒教仏教神道、其他凡そ我が精神文化に関係ある思想家の史伝(行状、年譜、逸話等を含む)を博く捜索して、仲には稀覯の珍書をも加え、また未刊本の史伝をも含め、最も興味ある形に於て之を発行し、『日本思想家史伝全集』と名ける事になつたのは、実に我が学界の美挙であると共に、実に広く世界の思想研究に従事する学者の要求に応ずる者といつてよい。

その「予約規定」として、昭和三年四月第一巻を出し、以後毎月一巻を発行、一冊二円とあるので、紛れもなき円本だといっていい。しかし書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』八木書店)で確認してみると、二冊出しただけで中絶してしまったようだ。おそらく思うように予約者が集まらなかったのだろう。
全集叢書総覧新訂版

ただ東方書院はこの『日本思想家史伝全集』と並んで、同時にやはり円本の『日本絵巻全集』全十二巻を刊行していて、それが前者の内容見本の裏表紙に掲載されている。これは一冊三円三十銭と高価だったにもかかわらず、また全十巻と巻数は減ったにしても、何とか完結にこぎつけている。

このふたつの全集の編輯や監修の名前を見ていて、ひとりだけ共通する人物がいることに気づいた。それは鷲尾順敬で、この人物の名前が田村晃祐『近代日本の仏教者たち』NHK出版)に確か出てきたことを思い出し、再読してみた。すると村上専精に割かれた一章のところに、その門下として仏教史学者の鷲尾が挙げられていた。
近代日本の仏教者たち

村上は丹波真宗の寺に生れ、京都東本願寺高倉学寮に入り、次いで教師教校を出て上京し、哲学館、曹洞宗大学で教え、浅草の大谷教校校長、東京帝大印度哲学教師、後に教授となっている。その一方で、明治二十七年に仏教史研究の月刊誌『仏教史林』も創刊し、これに鷲尾も携わっていたとされる。つまり鷲尾はどこであるかは不明だが、その創刊以前に村上の門下となっていたと考えられる。しかもその村上が前述の井上と並んで、『日本思想家史伝全集』の顧問に名を連ねていたのである。

本連載371で、三井は高楠順次郎の近傍にいたのではないかと推定しておいたが、このような村上と鷲尾の東方書院に対する関係、及び三井の出版だけでなく、翻訳や著書のことまで視野に入れれば、三井も村上や鷲尾の門下筋に当たるのではないだろうか。あるいはまた『仏教史林』の近傍にいた編集者だったと見なすことができよう。

この際だから、鷲尾の他に『日本思想家史伝全集』の編輯として名前を挙げられている人名を記せば、国学院大学教授岩橋遵成、佐伯有義、高師教授補永茂助、東洋大学教授藤原猶雪の四人で、彼らもまた村上、鷲尾、三井の人脈の延長線上にあり、そのことで編輯へと召喚されたと思われる。

なお『日本絵巻全集』において、鷲尾は監修に名を連ねているわけだが、これもその他の人物名を挙げれば、幸田露伴、禿氏祐祥、内田魯庵で、禿氏はともかく、露伴と魯庵がこのような企画の監修となっていることに奇異な印象を受ける。

しかし三井は背後にこれらの多彩な人脈を抱えることによって、「現代意訳仏教経典叢書」から始まり、『仏教聖典講義大系』や『浮世絵大成』へと結びつけていったと思われる。それと特価本業界との関連もあり、東方書院と三井は予想以上に奥が深い。もう少し探索を続けてみよう。

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