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古本夜話582 日本評論社と『新独逸国家大系』

 前回ふれた美作太郎の『戦前戦中を歩む』の中で、昭和十年に日本評論社から『ムッソリーニ全集』が刊行されたことについて「この『兆候』は、ひとり日本評論社に限られたものではなかった」し、すでに数年前からファシズムやナチズムに関連する本が多く出されるようになったと述べられている。

 しかしその後、美作もそのような出版に関するようになり、それを同書における「『新独逸国家大系』始末記」で語っている。この企画は、『現代法学全集』の責任編集者の東大教授末弘厳太郎を通じて面識を得ていた平野義太郎から持ちこまれたものだった。平野は東大助教授だったが、昭和五年に「共産党シンパ」事件で起訴され、罷免されていた。その後、彼は本連載119「ハウスホーファー『太平洋地政学』と太平洋協会」、同120「平野義太郎と『太平洋の民俗=政治学』」で既述しておいたように、太平洋協会に属し、地政学に基づく大東亜共栄圏構想へと接近していたのである。

 美作によれば、ナチス・ドイツ国家を総合的に取り扱う大部の翻訳出版である『新独逸国家大系』全十二巻は平野の紹介と推輓があり、しかも時流に合っているということも相乗し、日本評論社からの出版が決まった。ドイツ大使館の後援もあったようだし、その用紙も「特配」された上質紙を使ったものだった。

(『新独逸国家大系』)

 だが美作は仕事が進むにつれて、ナチスのゲルニカ無差別空撃、オーストリア併合、ユダヤ人迫害といった国際情勢の中で、この『大系』はどのような役割を演ずることになるのか、また平野はどのような考えでこの出版企画を持ちこんできたのかという疑懼に捉われるようになったのである。それについて彼は次のように記している。

 なるほどこの『大系』は、普通に考えられる扇動的文書とはいえないほど体系化され、専門的に編集されていた。当今の時勢からこそ、ナイツ・ドイツを研究するには好適の文献である、という理由も、それなりに受容されそうにも思われた。訳者の中には、住谷悦治、小林良正、風早八十二、大河内一男、上原専禄の名も見られた。
 しかし、と私は考えた。この『大系』の原名は「民族社会主義国家の基礎、建設及び経済秩序」であり、明らかにナチスの公的文書である。その日本版出版の経路にも、ドイツ大使館が介在している。まえがきには、海軍中将伍堂卓雄、伯爵二荒芳徳、侯爵木戸幸一、首相近衛文麿が名をつらね、ドイツ側の執筆者はオットー大使のほか、あの悪名高いルドルフ・ヘス、アルフレト・ローゼンベルクが顔を出している。この顔触れは、大衆向けでない、知識層相手の出版物としては、最も有効な宣伝文書になりうるのではないか。

 このように書きながらも、美作はその売れ行きと反響について何も記していない。昭和十四年から十六年にかけて刊行された、政治篇、経済篇、法律篇の各三巻からなる『大系』は本当にどのように読まれたのであろうか。『ムッソリーニ全集』全十巻は売れなくて、四巻で中絶してしまったことに比べれば、出版助成金の問題は別としても、それなりに売れたと考えるべきだからだ。

 実はこの『新独逸国家大系』全十二巻を入手している。箱入は五冊で、あとは裸本だが、装丁は堅固な学術書的で、「特配」らしき上質紙を使っていることがわかる。ただ「凡例」を見ると、この『大系』は原著『民族社会主義国家の基礎、構成及び経済体制』全三巻の全訳とあり、美作の記述と若干異なっている。巻頭に「ヒトラー総統の演説」写真がすえられ、続いて伍堂が「伸び行く新興ドイツは世界の驚異である」と始まる「『新独逸国家大系』刊行の辞」、「独逸大使オット」がこの『大系』を「独逸指導者国家の構成を説明する最初の大なる試み」と述べる「日本版への序詞」を寄せている。

 そして確かに原著にある「指導者代表ドイツ国大臣」ルドルフ・ヘスの「序文」も置かれ、その末尾に見えるドイツ語のままの「Heil Hitler」が生々しい。また「ナチス党中央指導者」ローゼンベルクの「民族社会主義・宗教及び文化」が最初の論考としてある。そこではただちに「全民族を一つの世界観の魔力のうちに保留し、そしてこれらの諸国民をこの世界観の争闘的な支持者にまで形成することが成功するであらうならば、その時こそはじめて、一時期の新しい国家思想も創立者とともに死滅せず、しかし、将来にまで生々発展の姿をもつて持ち運ばれることができる」という言葉が迫ってくる。これは本連載114で取り上げたやはりローゼンベルクの『二十世紀の神話』の要約といっていいし、訳者も同じ吹田順助である。また林健太郎が『昭和史と私』(文春文庫)の中で、『大系』の第一巻はローゼンベルクの著書だったと書いているが、この一文は二十ページ余で、それが間違いなことも指摘しておこう。
昭和史と私

 さらに美作は「あの悪名高い」ヘスとローゼンベルクと述べているが、それは戦後になっての認識であり、当時はそうではなかったと思われる。とりわけ後者の場合、『二十世紀の神話』は前記の中央公論社版だけでなく、丸川仁夫訳の三笠書房版も刊行されている。それはローゼンベルクが単に「あの悪名高い」という言葉で片づけられない存在であったことを意味していると考えられよう。

 それから巻は飛んでしまうけれど、最終配本の第八巻を見てみると、冒頭に内閣総理大臣近衛文麿の「『新独逸国家大系』の完結を祝ふ」が寄せられている。その「我が大日本は、現在、肇国の精神に則り、国体の本義を顕現し、万民翼賛の体形を整へ、高度国防国家体制を確立し、一億一心、堅い決意を固めて、大東亜に新秩序を建設し、我が東洋に永遠の平和を招来せんとしつつある」との始まりは、昭和十六年の日本の現在認識だったと見なしていいだろう。そして「東亜とヨーロッパに於てわが日本と独逸は全世界の新紀元を画すべき世界新秩序を創建するといふ絶大なる偉業に参画し、夫々の持場に於て旧秩序の打開より民族の新しい生活空間の創造、即ち我が建国の理想たる八紘一宇の実現に向つて相互の共通に努力をなすべき役割を分担しつつある」。それゆえに「本大系の如き文化の交流は、かかる秋に当つて誠に欣快に堪へない」ので、ここに「祝詞」が述べられていることになる。

 また巻末には編纂事務主任の平野義太郎名の「新独逸国家大系の完結に当りて」も掲載され、奥付の編纂代表者として、同刊行会々長二荒芳徳の名前が挙げられているけれど、それは平野が実質的な編集長だったことを示している。そしてここには『大系』に関わった多くの人物の名前が列挙されていて、興味深い。今回は長くなってしまったのでそれらに言及しないが、いずれまたふれる機会があるだろう。

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