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古本夜話507 木村鷹太郎と『バイロン傑作集』

岩野喜久代の『大正・三輪浄閑寺』にはここにしか書かれていないと思われる人物のエピソードも含まれているので、それも紹介しておきたい。しかもその人物は本連載83の『プラトーン全集』の訳者にして、『世界聖典全集』の『波斯教聖典』の訳者でもあるからだ。ここまで書けばもうおわかりだろう。そう、あの木村鷹太郎に他ならない。

世界聖典全集 『世界聖典全集』

岩野の同書に「大東出版社」に関する一節があったように、「木村鷹太郎さん」という小見出しが付され、父と一緒に彼を訪ねた時のことが書かれている。父と木村は明治三十年代に市ヶ谷の士官学校で、英語とドイツ語の教官として同僚だった。訪問したのは大正八年の夏休みである。彼女は迎え出た木村夫妻に関して、「大兵肥満の木菟入(ずくにゆう)とそれに圧し潰されたかのように小さく萎びた奥さん」と記し、父と木村は「いわゆる悪友」で、二人の話は「大法螺の吹き合い」、「まるで落語」だったと述べている。

岩野喜久代は木村に対して、そのような辛辣極まりない視線を向ける一方で、彼の思いがけない、父とはまったく異なる「美に対する感覚」に注目し、それを忘れることなく書き留めている。

 そのうち木村さんは立ち上がって私を招き、壁際の書架に並べられた金文字のプラトン全集を示し、「これはみな私が訳したのだ」と誇らしげに言った。その初夏の横に開け放たれた高窓から、郊外下落合の丘や樹木がまるで額にはめられた絵のように美しく見えたので、「よい景色でございますね」とほめると、「そうだ、私は風景画を壁にかけた積りで、この窓を開け放しておくのだ。安普請の家だが、この窓外の景色だけは逸品だ」という。

また床の間には与謝野鉄幹、晶子の歌がかけられ、木村はしきりに晶子礼讃の言葉を発した。与謝野夫妻は何と木村を仲人として結婚していたのだ。このことが機縁で、岩間喜久代は晶子に師事し、新詩社同人となっている。その親炙ぶりをしめすように、『大正・三輪浄閑寺』の最後の章は「与謝野晶子先生」で結ばれている。

前出の本連載83「木村鷹太郎訳『プラトーン全集』」のところで、木村は明治時代にプラトンとバイロンの研究と翻訳において第一人者であり、バイロンについても紹介や翻訳も出しているが、それらは未見であるとも書いておいた。しかしその後、大正八年四月に内外出版協会から刊行された木村鷹太郎訳『バイロン傑作集』を入手することができた。ちなみにその出版は岩野喜久代と父が木村を訪ねる数ヵ月前であり、ひょっとすると彼女の父の訪問はその献本御礼もこめられていたのかもしれない。

『バイロン傑作集』の版元の内外出版協会と発行者の小泉純一のことはすでに本連載221「佐々木邦、長隆舎、山縣悌三郎の内外出版協会」、同222「『独歩名作選集』とその後の内外出版協会」でふれている。実はこれも奇妙な偶然というか、つながりだが、大正三年に内外出版協会の創業者山縣悌三郎は、前々回と前回続けてふれた『新公論』社主桜井義肇の約束手形を裏書し、それが不渡りとなって、内外出版協会は終焉を迎えてしまう。そのために内外出版協会は新たな経営者の小泉の手に渡り、『バイロン傑作集』の刊行は前述したように大正八年であるので、小泉を発行者として出されたことになる。

そのような出版社の事情ゆえか、木村も「序」で断っているが、私が本連載で挙げておいた明治時代の『バイロン文界の大魔王』や『海賊』などを再録したもので、七百五十ページという大冊ではあっても、オリジナルな部分は巻頭にすえられた「友人諸氏よりの書簡―バイロン観」だけだと思われる。そのメンバーは戸川秋骨、大町桂月、岩野泡鳴などを始めとする十六人で、「取り」は与謝野寛に続く晶子の「序にかへて」の五首の短歌で〆られている。そのうちの二首を引いてみる。

 よろづ代にバイロン生くと言ふことの証を君ぞ見せ給ひける
 語りつぐこの君によりバイロンも源氏も同じ夜の夢に見ぬ

どうして与謝野夫妻が木村の『バイロン傑作集』にこのような「序にかへて」を寄せたのか、『大正・三輪浄閑寺』に記されたエピソードから了解されるのである。それにしても、各人の書簡にある「わが日本民族の希臘羅甸的、進んでは希臘羅甸印度的起原を新たに研究する人」(岩野泡鳴)、「最近に於ては我日本人が希臘羅典同族に人種であることを闡明」(清水橘村)、「夙に怪奇なる光芒を放つて雄飛する士なり」(与謝野寛)といった木村評を見ると、明治にあって日本主義者にしてバイロンとプラトンの徒であった木村が、大正に入ると倒錯的新史学へと傾倒していく動向が浮かび上がってくる。それこそ郊外の下落合の外にある丘や樹木にも、ギリシャの風景を見ていたのであろうか。

なおこれは蛇足かもしれないが、最後に付け加えておくと、新しい内外出版協会は先の本連載222でふれておいたように、赤本や特価本のイメージが強いが、『バイロン傑作集』に関しては奥付に木村鷹太郎の押印があるので、これは本来であれば、印税が払われたことを意味している。だが岩野喜久代が木村の家賃を二年も払っていないとの言を書き留めていることから考えると、実際には印税が払われなかったのかもしれない。

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