出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話929 デュルケム『社会学的方法の規準』と田辺寿利

 前回デュルケムの『宗教生活の原初形態』の他にも、戦前には彼の著作が翻訳されていたことを既述したが、それらは田辺寿利『社会学研究法』(刀江書院、昭和三年)、鈴木宗忠、飛沢謙一訳『自殺論』(宝文館、昭和七年)である。 
宗教生活の原初形態

 前者の初版は未見だけれど、昭和十七年に『社会学的方法の規準』と本来のタイトルに解題され、創元社の「哲学叢書」の一冊として刊行に至っている。私が所持するのはその昭和二十二年版で、戦後のこの時代特有の並製の粗悪な用紙による一冊だけだが、「訳者前がき」は初版をそのまま継承し、昭和に入っての日本におけるデュルケムとその学派の受容状況を伝え、興味深いので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20190617222817j:plain:h120(創元社)

 昭和二年(一九二七年)十一月十六日、私の関係してゐる「フランス学会」と「東京社会学研究会」との共同開催のもとに、デュルケムの没後十週(ママ)年祭を行つたそして講演者として、コレージュ・ド・フランス教授で当時東京日仏会館フランス学長であつたシルワ゛ン・レヰ゛氏、宇野円空氏、赤松秀景氏、及び私の四人が、デュルケムの学的活動の諸部面を明らかにした。なほこの集りには、デュルケムの高弟の一人で当時外務省の法律顧問として来朝中のジャン・レイ博士も出席され、集会者も非常に多数で、仲々の盛会であつた。
  十五年を経過した今日から、この十週(ママ)年祭の光景を回想すると、まことに感無量である。その夜レヰ゛博士は、デュルケムの盟友として、デュルケム及びデュルケムの協力者たちについて感激をもつて語られたが、世界の誇りであつたこのサンスクリット学者も、今はこの世の人でない。また赤松氏は、デュルケムの教育学的業績について熱心に述べられたが、氏もまた春秋に富む身をもつて、数年前故人となられた。すなわち今回の私にとつては、デュルケムの十年祭は、レヰ゛博士と赤松氏とを回想するための十年祭でもある。

 田辺訳『社会学的方法の規準』は絶版となって久しいし、これらのデュルケム十年祭にまつわる事柄も、ここでしか述べられていないと思われるので、省略をほどこさず、長い引用になってしまった。田辺にとっても、この十年祭をきっかけとして、『社会分業論』の翻訳にかかっていたが、それを中断し、『社会学的方法の規準』の翻訳に着手し、「何と難解な『規準』よ」と嘆息しながらも、翌年に『社会学研究法』のタイトルで公刊に及んだのである。

 しかしこのデュルケム十年祭とその学派の聖典『社会学研究法』の翻訳刊行が、デュルケムの他の著作の翻訳へとリンクしていったのであろう。岩波文庫版『宗教生活の原初形態』の古野清人による「訳者序」には「田辺寿利氏の熱心な慫慂によって着手」と記されているし、『自殺論』にしても同じような文言が見つかるのではないだろうか。ただ『社会分業論』は田辺が翻訳予定だったので刊行されず、昭和三十七年に亡くなってしまったこともあり、昭和四十六年の田原音和訳『社会分業論』(『現代社会学大系』2、青木書店、ちくま学芸文庫を待たなければならなかった。それは宮島喬の新訳『自殺論』(『世界の名著』47所収、同四十三年)、同じく『社会学的方法の規準』(岩波文庫、同五十三年)にしても、田辺以後の戦後におけるデュルケム受容と紹介ということになろう。

社会分業論 (青木書店) 社会分業論 (ちくま学芸文庫) f:id:OdaMitsuo:20190618114445j:plain:h115(『自殺論』) 社会学的方法の規準 (岩波文庫)
 
 さてそのデュルケム研究の先達としての田辺だが、『[現代日本]朝日人物事典』には北海道生まれの社会学者で、デュルケムを中心とするフランス社会学の導入と研究に努め、大正十年東大社会学科選科中退、戦後は東洋大学、東北大学、金沢大学の各教授を歴任とある。しかし作田啓一の『デュルケーム』(『人類の知的遺産』57、講談社)にはその名前は見られず、もはや忘れられた社会学者とも考えられる。だが私はかつて拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究Ⅲ』所収)において、田辺に言及している。それは柳田国男を幹事役とする郷土会から始まり、その会員に『人生地理学』(文会堂、明治三十六年)を著した牧口常三郎がいた。いうまでもなく、牧口は後の創価学会の創立者である。

[現代日本]朝日人物事典デュルケーム 古本探究3

 柳田は「新興宗教の開祖」となった牧口に「大変な興味」を寄せ、それはその周辺人物だった「北海道出身の社会学者田辺寿利という人」にも及んでいく。牧口の『人生地理学』は地理学をふまえた総合社会学ともいうべき著作で、彼は田辺のデュルケムの社会学と教育論を読み、その影響と教えを受け、『創価教育体系』(聖教新聞社、昭和五年)を集大成として観億する。その序文を書いたのは柳田だった。

人生地理学 (聖教新聞社)創価教育体系 (『創価教育体系』1)

 一方で田辺は、柳田が大正十四年に岡正雄と創刊した『民族』の編集同人の一人となり、先に引用した『社会学的方法の規準』の「訳者前がき」に見える「フランス学会」や「東京社会学研究会」に関係し、「社会学叢書」や「社会学研究叢書」などの翻訳や出版に携わっていたようだが、それらの詳細は判明していない。だが新しい学問が誕生する時、それに寄り添う出版社と編集者が必ず存在していたように、社会学に関しては田辺がその役割の一端を担っていたにちがいない。

 なお未来社から『田辺寿利著作集』全五巻が刊行されていることを付記しておこう。
田辺寿利著作集5


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら