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古本夜話931 北村寿夫『笛吹童子』と宝文館「ラジオ少年少女名作選」

 フランス社会学などの話が続いてしまったので、ここで箸休めの一編を挿入しておきたい。それは前回宝文館にふれたことに加え、浜松の典照堂で、戦後に宝文館から刊行された北村寿夫『笛吹童子』全三巻を入手したことによっている。
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 これは昭和二十九年に刊行された宝文館の「ラジオ少年少女名作選」のうちの一作で、その巻末広告には『笛吹童子』の他に、同じく北村『白鳥の騎士』、青木茂原作・筒井敬介脚色『三太物語』、菊田一夫『鐘の鳴る丘』『さくらんぼ大将』が並んでいる。

 私は昭和二十六年生まれなので、これらのラジオ放送をリアルタイムで経験していないけれど、『笛吹童子』の巻頭に置かれた主題歌の「ヒャラリ ヒャラリコ ヒャラリ ヒャラリコ だれが吹くのか 不思議な笛だ」と始まるメロディと歌詞は記憶にある。これは北村作詞、福田蘭堂作曲である。そのことを考えるために、その時代に戻ってみる。

 私たち戦後世代にとって、テレビが家で見られるようになったのは昭和三十年代半ばを過ぎてからで、それまではラジオを聞いていたのである。ちなみに当時はテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの電化製品はまだ普及しておらず、それはガスや水道にしても同様だった。自動車に関してはいうまでもないだろう。昭和三十一年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言していたが、現実の日常的生活はまだ戦前と地続きで、そのようなものだった。それゆえに現在からは想像もつかないほど、メディアとしてのラジオは大きな役割を占めていた。

 日本放送協会編『放送五十年史』(昭和五十二年)は昭和二十二年から二十五年まで、ほぼ週五日、十五分連続放送された菊田の『鐘の鳴る丘』が戦災浮浪児救済をテーマとしていたこともあって、ラジオを通じての新しいドラマを提供し、そうした物語が戦後の日常生活に組み入れられていったと指摘している。

 つまり先述した「ラジオ少年少女名作選」シリーズはその書籍化であり、前回ふれたように宝文館は戦前から放送物を手がけていたので、やはり一世を風靡した菊田の『君の名は』とともに、これらの出版権を得たことになろう。北村の場合、「NHK放送新諸国物語」として、『白鳥の騎士』や『紅孔雀』まで含まれているので、『紅孔雀』も宝文館から「ラジオ少年少女名作選」シリーズとして刊行されたはずで、放送劇台本の小説化を代表するものとされる。そしてこの北村の「新諸国物語」三部作が東映で映画化されたことによって、ラジオでは聞いていなかったけれども、『笛吹童子』を観ることを通じ、主題歌のメロディと歌詞を覚えたのかもしれない。ただそれらの細切れの記憶は残っていないが、映画『紅孔雀』は数部仕立てだったことは確かだ。
f:id:OdaMitsuo:20190629172903j:plain:h110 笛吹童子 紅孔雀

 そうしたビジュアルアーカイブとしての平凡社の『子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年』(「別冊太陽」)には、北村の三部作の書影や東映映画『紅孔雀』のポスターも収録され、私たちがふれてきた戦後の文化のクロニクルを形成している。また日本児童文学学会編『児童文学事典』(東京書籍)の北村の立項によれば、「『新諸国物語』は連続放送劇としてヒットし、主題歌の『笛吹童子』のメロディとともに一〇年間にわたって茶の間の人気を博した」とある。ということは映画だけでなく、長きにわたって『笛吹童子』の歌が様々に流れていたことになるのだろうか。

子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年 児童文学事典

 しかし当然のことながら、『笛吹童子』のほうはまったく思い出せず、宝文館版で初めて読んでいくと、この物語が室町時代、しかも応仁の乱が背景となっているのである。その社会状況は次のようなものだ。

 花の都はやけ野と化し、天下また麻のごとくみだれ、野盗は横行し、人は家を失い、世の秩序はうしなわれてしまった。強い者は斬りとり強盗勝手しだい、いやはやお話にもならない暗黒時代である。
 がんらいが、応仁の乱というのは、足利幕府の権臣、執事職の細川家と侍所の大将である山名氏との勢力あらそいから起ったもので、この大乱は前後十数年もつづいた。そのために天下の大名もそれぞれの勢力にわかれて、いたるところ平和の里なく、ために世はかりごもと乱れ切ったのだ。

 まさに意外な時代設定であり、近年のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の呉座勇一にしても、この時代小説でもある『笛吹童子』が応仁の乱を背景としていることを知らないだろう。だがそれは応仁の乱を浮かび上がらせるというよりも、敗戦と占領下の戦後社会のメタファーを意味しているのかもしれない。
 応仁の乱

 それはともかく、応仁の乱における丹羽の満月城は一団の野武士によって包囲され、襲撃を受けていた。城主の丹羽は幕府に助けを求めたが、何の支援もなく、城を屈服せずに守っていたが、老臣の上月右門とその息子の左源太を始めとする籠城の将士たちは食にも窮するところまで追いこまれていた。そうした中で、右門が姿を消し、左源太も父を探すために城を出て、援兵を頼むために丹後の三本松城へと向かう。すると吹雪の中で、何者かに襲われ、格闘となるが、それは思いがけずに父だった。父は城主の密命を受け、城を脱け出していたのである。父と別れ、左源太は三本松城に向かうが、そこはすでに野武士の手に落ち、それは満月城も同様の運命にあった。

 そして『笛吹童子』のタイトルの由来が明かされる。丹羽城主には双生児の萩丸、菊丸という息子があり、貿易船を有し、明国や朝鮮との交易を行なっていたことから、萩丸は貿易船の宰領として海外に、菊丸は明国で面作りを学んでいた。菊丸は小さい頃から笛がうまく、師から名笛をもらい受け、笛吹童子と呼ばれるようになっていた。そしてここから実質的に『笛吹童子』の物語が始まっていくことになる。

 このイントロダクションは昭和三十四年から始まる白土三平の『忍者武芸帳』を彷彿とさせるし、また角田喜久雄、柴田錬三郎などの伝奇時代小説のイメージと重なってくる。おそらくこのような物語コードはラジオを通じ放送劇として広く伝播し、それから映画、貸本マンガ、紙芝居などだけでなく、テレビドラマへとも継承されていったのではないだろうか。

忍者武芸帳  


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