出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話979 三角寛とサンカ小説

 本連載974の「山窩」の補注のようなものを何回か書いてみたい。
 「サンカ」という言葉を知ったのは昭和三十年代後半の中学時代だった。テレビで連続時代劇『三匹の侍』が放映されていて、谷川で女性が半裸になり、背中を見せるシーンがあった。現在では何の驚きもない画像でしかないが、当時としてはテレビでそのようなシーンが映ることはなかったので、いささか驚いてしまい、しかもその女性がサンカの娘とされていたのである。
三匹の侍

 『日本映画テレビ監督全集』(キネマ旬報社)などで確認してみると、フジテレビの五社英雄をディレクターとし、丹波哲郎、平幹二郎、長門勇共演の『三匹の侍』は昭和三十七年に放映が始まっている。テレビとしては初めての人を斬る音を入れたりするリアルな殺陣で人気番組になり、三十九年には松竹で、やはり五社監督、同共演により映画化もされ、こちらもリアルタイムで観ているが、テレビのほうの印象が強い。先のサンカの娘の半裸姿が強烈だったこともあり、他の記憶は残っていないけれど、そうしたエロティシズムとリアルな殺陣が五社ならではの特色だった。

f:id:OdaMitsuo:20191209123000j:plain:h115

 それでサンカという言葉を覚えた。また当時の書店には三角寛のサンカ小説が売られていて、まだサンカ小説の時代は終わっていなかったのである。戦後に彼はサンカ小説を書いておらず、学位論文『サンカ社会の研究』『サンカの社会 資料編』に取り組んでいたとされる。しかしたまたま最近、二冊の合本『瀬降の天女』(日本週報社、昭和三十五年)を入手し、読んでみると、これは敗戦占領下を背景とするサンカ小説というべきで、まだ三角の執筆は続いていたことになる。だがこの作品は平成十二年から刊行され始めた『三角寛サンカ選集』(全十五巻、現代書館)には収録されていない。また近年、水上準也の『山窩秘帖』(河出文庫、平成二十七年)も復刻されたが、この原本は昭和三十年の若潮社版によるとのことで、倶楽部雑誌や貸本屋ルートの時代小説を含めれば、サンカ小説は三角だけでなく、書き継がれていたことなり、それが『三匹の侍』にも流れこんでいたのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20191209122315j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191209164945j:plain:h115 三角寛サンカ選集 山窩秘帖

 だがここでその本流たる三角を紹介しておくべきだろう。『日本近代文学大事典』の立項を引いてみる。

 三角寛 みすみかん 明治三六・七・二~昭和四六・一一・八(1903~1971)小説家。大分県生れ、本名三浦守。一〇歳で仏門に入る。日本大学法科卒。大正一五年三月、朝日新聞社に入社。社会部勤務で警視庁詰めとなった体験を生かし、犯罪実話ものを執筆することになった。昭和五年六月から六年八月にかけ「婦人サロン」に『昭和毒婦伝』を連載、文壇に進出(第一回のみは山村秋次郎の名前を用いた)。七年から独自の取材研究による山窩小説三部作『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』などを発表し、この分野では他の追随を許さぬ第一人者となった。一二年一二月、山窩ものの名作として名高い『山窩血笑記』(講談社)が書かれた。(後略)
f:id:OdaMitsuo:20191203140826j:plain:h115(『山窩血笑記』)

 三角の新聞記者時代における昭和初期の「説教強盗」に端を発するサンカとの邂逅から犯罪実話の書き手を経て、サンカ小説へと至る経緯は『山窩が世に出るまで』(『三角寛サンカ選集』第八巻所収)などに詳しい。また同巻には立項に見える山村名での「昭和毒婦伝」も収録され、それを読むと、紀州の村にあって「淫欲の匂い」を撒き散らす美しい「姉は、勇敢な猛獣のように、進んで男の中に餌を漁った」し、「妹は、姉の虐げた男ばかりを好むようになって行った」という姉妹の犯罪とを死刑判決までを描いている。それは扇情的な筆致で語られる犯罪実話に他ならず、姉妹は村の娘でサンカではないけれど、そのイメージは後のサンカ小説における女性像へとリンクしていくものだ。

山窩が世に出るまで

 それは初めてのサンカ小説「山窩お良」へと継承され、十九世紀西洋文学の謎めいた出生と生い立ちという宿命の女に加えて、サンカ特有の土蔵破り、「ウメガイ(双刃の凶器)」「セブリ」などのサンカの隠語や符牒を散りばめ、処刑に至る物語はまさに「犯罪実話」にふさわしい色彩に覆われている。

 その「犯罪実話」の成立を考えてみれば、昭和円本時代における探偵小説も含めた西洋文学とアメリカ文化の流入、新聞と雑誌ジャーナリズムの隆盛、映画などに表象されるエロ・グロ・ナンセンス時代の到来が挙げられる。それらに加えて本連載でたどってきたように、大正時代からの『民族』を始めとする民俗学や民族学の展開も挙げられるのではないだろうか。そこでは「山人」「まれびと」「異人」が見出されているように、「犯罪実話」にあっても、「サンカ」が発見、造型されたのではないだろうか。

 それに先駆けて、柳田国男は『被差別民とはなにか』(河出書房新社、平成二十九年)として一本にまとめられるほどの、「非常民の民俗学」ともいうべき論稿を発表していたのである。それを伝えるかのように、「山窩お良」の後の「毒婦・妖女」シリーズは、「山窩奇譚/日本怪種族実記」のサブタイトルが付されるようになったという。それは三角が戦後になって『サンカ社会の研究』『サンカの社会 資料編』に取り組んだことにも示されているのではないだろうか。

被差別民とはなにか

 そうした『民族』などとのコレスポンダンスは、『三角寛サンカ選集』の表紙カバーのサンカの娘らしき絵にもうかがわれる。それは松野一夫によるもので、松野は『民族』(第一巻第六号)の表紙画を担当している。また東洋大学に提出した『サンカ社会の研究』を支持したのは、これも『民族』編集委員だった田辺寿利だと伝えられている。

 それに吉本隆明が『共同幻想論』(角川文庫)で同書を参照し、サンカ伝承に基づく『古事記』解釈に言及しているのも、三角がサンカを大和朝廷と異なる出雲系の人々ではないかとの注視に及んでいるからで、そこには「サンカ小説」や「犯罪実話」から離れた三角の一面が投影されているように思える。

共同幻想論

 さらに付け加えれば、今井照容が「昭和四年の三角寛を起点として」(『サンカ 』所収、「KAWADE 道の手帖」)で指摘しているように、昭和四年の説教強盗事件は三角のサンカ小説のみならず、梶井基次郎の「闇の絵巻」も生み出したのである。


odamitsuo.hatenablog.com

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら