出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話978 和歌森太郎『修験道史研究』

 前回、堀一郎との関係から、和歌森太郎が『民間伝承』に寄稿するようになり、昭和二十四年には編集委員、二十六年から翌年十二月号の終刊まで、編集兼発行者を務めていたことを既述しておいた。
f:id:OdaMitsuo:20191205172628j:plain:h120

 だがそれらについて、『[現代日本]朝日人物事典』の和歌森太郎の次のような立項には記されていない。それはどうしても、編集や出版への関わりは当人の業績からすれば、立項担当者にとって単なる寄り道的エピソードに過ぎないからだが、とりあえず引いてみる。

[現代日本]朝日人物事典

 和歌森太郎 わかもりたろう 1915・6・13~77・4・7 日本史学者、民俗学者。千葉県生まれ。1939(明14)年東京文理大助手となり46年助教授、50~76年教授。76~77年都留文科大学長。日本宗教社会史を専攻し、中世修験道の研究から民俗学に近づき、日本の社会史について民俗学と歴史学を結びつけた幅広い研究を行った。歴史学の研究成果の普及にも務め、多くの啓蒙的歴史書を著し、また建国記念日問題についても歴史家の立場から積極的に発言した。(後略)

 私たち戦後世代にとって、ここに示されているように、和歌森は『日本史の虚像と実像』 (毎日新聞社、昭和四十七年)などの啓蒙的な日本史家の印象が強いが、中世修験道の研究から始まっていたのである。それは数年前に古本屋で、和歌森の『修験道史研究』を見つけ、彼の原点を知らされたことになる。この河出書房の菊判上製三六〇ページの一冊は無地のカバーに黒い活字のタイトルと著者名だけが縦書きで記され、あたかも山伏の姿が浮かんでくるようなイメージをもたらしてくれた。

f:id:OdaMitsuo:20191209113428j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191208150032j:plain:h115

 奥付を見ると、定価四円五十銭、昭和十八年一月初版、五月二版で、その部数は千部とあった。とすれば、初版は二、三千部と推測され、大東亜戦争下にあっても、このような専門書が刊行され、順調に売れていた事実を伝えている。ただそれらの詳細は判明していないので、そうした意味においても、これまた戦前を含めた河出書房の全出版目録が出されていないことが惜しまれる。

 そのような近代出版史の問題はともかく、和歌森はその「序」において、「山伏といふものは、昔話や伝説を通じて、私にとつては幼いときから親しいものでありました」と始めている。それが「或時には天狗妖怪の如くうす気味悪く、或時には神仏にもまして頼もしいもの」で、「殊に不思議としたことは、落人や密使が身を隠してわびしい旅をなすとき、きまつてといつてよいほど山伏の姿に変装すること」だったと続けている。ここに提出された山伏のイメージは、戦後になっても時代劇や映画を通じて変わっていなかったし、私たちもそのように受容してきたといえよう。

 和歌森はそれから長じて東京高師で歴史を専攻するに至り、このようなイメージの山伏と吉野山と朝廷の関係を通じ、あらためて修験道と山岳宗教の問題に行き当たる。そして山伏の姿は、現在でもよく見られる白装束の行者姿での敬虔な登山者、遭難するアルピニストなどへとリンクしていく。そのきっかけは和歌森が京都の本屋で購入した本連載945など山窩山窩の宇野円空の修験道に関する論文であり、それは当時の「修験道研究の最高段階」に位置づけられるものだったという。これは後の記述によって、「神道講座」(宮地真一編、昭和六年)所収の「修験道の発生と組織」、「日本宗教大講座」(東京書院、同四年)所収の「修験道」、「郷土史研究講座」(雄山閣、同六年)所収の「修験道と郷土」のいずれかだったと思われる。この三つの「講座」は未見だが、これらに寄稿された宇野の論文はほぼ同様だったとされる。

 それらの影響に加え、その後の和歌森の『民間伝承』寄稿者、及び編輯兼発行者となることを考えれば、どうしても堀一郎や柳田国男との関係を想起せざるを得ない。和歌森はやはり「序」において、堀の『大東亜文化建設研究―東亜宗教の課題』(国民精神文化研究所、昭和十七年)にふれ、そこで堀のいう日本仏教における「惟神道の仏教的展開」が修験道にそのまま当てはまるものだと述べている。

 また「緒論」において、柳田の『山の人生』(岩波文庫)が引かれ、柳田が提出した日本特有の山のイメージと物語から、和歌森が大いなるインスピレーションを受け、山伏と修験道研究に向かったと推測できよう。ただ『山の人生』にはダイレクトな山伏や修験道への言及はないけれど、本連載960の『山島民譚集』から始まる柳田民俗学における山のイメージや伝説のエンサイクロペディアとでもよぶべき著作である。これは大正十五年に郷土出版社から刊行されている。

山の人生

 これらを背景、ベースにし、『修験道史研究』の第一章「修験道の由来」と第二章「修験道成立と特権」も書かれたと見なせよう。そして修験道の「理想的祖師」として、役小角が挙げられる。それに関しても思い出されるのは、空海を高野山へと誘った狩場明神(高野明神)のことで、彼らは水の神や山の神とも称されている。和歌森が修験道の由来を役小角から始めているのも、そうした伝説をふまえているからだ。

 続いて和歌森は第三章「教派修験道の形成と特性」、第四章「中世修験道の近世的変質」へと進めていく。そしてその「結語」において、「宗教意識から超然としつつ、しかし、いろいろな派の趣、傾向を併せ含んでゐるといふ点に特異性を帯びてゐる修験道の特色は、実に日本民族のもつ特色と互いに触発し得る関係において意義をもつた」と述べているのは、戦時下での和歌森の修験道研究の位相を物語っているように思える。

 それもあってか、平成十二年の久保田展弘監修山の『山の宗教―修験道とは何か』(「別冊太陽」)の「主な参考文献」の筆頭に挙げられ、それを受けてか、昭和四十七年には平凡社の東洋文庫でも復刻されるに至っている。またそれらに先駈け、昭和五十三年には和歌森を編者の一人とする「山岳宗教大研究叢書」(全十八巻、名著出版)が刊行され始めていたのである。そうした修験道研究史の発端こそは、和歌森の『修験道史研究』を抜きにして語れないことを意味しているのだろう。

山の宗教―修験道とは何か 修験道史研究 (東洋文庫版)


odamitsuo.hatenablog.com 

odamitsuo.hatenablog.com