2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧
龍星閣といえば、沢田伊四郎の立項にもあったように、「石光真清の手記」全四巻『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』を思い出す。前回の『智恵子抄』の付録にもこの全四巻の完結が謳われ、橋本竜伍が「僕のおじさん」と題する次のような一文…
前回、高村光太郎と智恵子にふれたことからすれば、その『智恵子抄』に言及しなければならないだろう。しかも昭和十六年の初版のかたちをそのまま残している夫婦函入の龍星閣版が手元にあり、しばらく前に浜松の時代舎で買い求めているからだ。 ただその前に…
高村光太郎のことは父の光雲を抜きにして語れないし、吉本隆明『高村光太郎増補決定版』においても、『光雲懐古談』は参照され、この父と子について、「ぬきんでた器量をもって世に出た職人と、そのだいじな優等生の総領息子の関係にほかならなかった」と述…
少し飛んでしまったが、吉本隆明の『抒情の論理』にふれたわけだから、『高村光太郎』(春秋社)に言及しなければならない。その前に高村の『道程』の版元の抒情詩社を取り上げておく。あらためて近代文学館複刻の高村光太郎『道程』を保護函から取り出して…
しばらくぶりで西條八十にふれたので、気になっていたことを書いてみる。大正の詩の時代と多くの詩集の出版が昭和を迎えての雑誌、映画、新聞などのマスメディアの到来にあって、広範な分野に影響を及ぼしたはずだ。だがそれをあらためて俯瞰検証しようとす…
前回、「現代詩人叢書」に西條八十『蝋人形』があることを示しておいたが、『西條八十全集』(国書刊行会)には書影掲載されているけれど、やはり収録されていない。それはアンソロジー詩集という理由にもよっているのだろう。 西條に関してはすでに『近代出…
これも浜松の時代舎で、百田宗治の詩集『静かなる時』を買い求めている。これまで『近代出版史探索Ⅵ』1008で百田が詩話会と新潮社の『日本詩人』の中心人物であり、椎の木社と詩誌『椎の木』を主宰していたこと、また同1031で百田のポルトレを紹介しておいた…
前回、大岡信の「保田与重郎ノート」(『超現実と抒情』所収)にふれ、審美社の『神保光太郎全詩集』に言及したこともあり、当時南北社から『保田与重郎著作集』が刊行されていたことを思い出したので、それにまつわる事情も書いておこう。 昭和四十年代前半…
これも前回の吉本隆明『抒情の論理』を読んでいた半世紀前のことだが、続けて大岡信の「昭和十年代の詩精神」のサブタイトルが付された『超現実と抒情』(晶文社、昭和四十三年)にも目を通している。 そこで同じように三好達治が論じられていたけれど、それ…
前回、三好達治の詩集『寒柝』の初版部数が五千部で、これが国策取次日配による買切制のもとでの出版だったことから、出版社にとっても詩人にとっても、大きな利益と収入をもたらすものであったことにふれた。 その事実を反映してだと思われるが、戦時下にお…
かなり前に三好達治の詩集『寒柝(かんたく)』を入手している。それは均一台から拾ったもので、著名な詩人の初版詩集とはいえ、カバーも半ば破れ、装幀も粗末であり、奥付には五千部と記載されていたからだろう。そのことに加え、『寒柝』は昭和十八年十二月…
『日本近代文学大事典』における辻野久憲の立項には、第一書房に在職し、『セルパン』編集長を務めたとあるけれど、本探索で指摘しておいたように、これは明らかに間違いで、『近代出版史探索Ⅴ』904の福田清人、もしくは拙稿「第一書房と『セルパン』」(『…
『詩・現実』第二冊から第五冊にかけて、伊藤整、辻野久憲、永松定訳のジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』が翻訳連載されるのだが、この三人の訳者たちは同時に『詩・現実』の様々な分野における寄稿者でもあった。伊藤と永松に関しては『近代出版史探索Ⅵ』…
前回の三好達治が詩を寄せていた『詩・現実』全五冊は、発行所を教育出版センター、発売所を冬至書房新社として、昭和五十四年に復刻されている。これも本探索1516、1492などの『生理』『四季』と同様に「近代詩誌復刻叢刊」シリーズである。 もっとも『近代…