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古本夜話378 資文堂『年刊俳句集』

*今回から、[古本夜話]を月曜日・水曜日に、[戦後社会状況論]を金曜日にアップします。ご了承ください。


本連載373の『俳文学大系』を調べるために、『俳諧大辞典』を繰っていると、『日本俳書大系』十七巻が立項されていて、これが『俳文学大系』と並ぶ重要な俳諧叢書に位置づけられていることを知った。『日本俳書大系』は勝峯晋風編、荻原井泉水通説で、大正十五年から全十七巻が同刊行会を発行所、発売を春秋社として出され、昭和三年に三十四巻の普及版も刊行されているが、これも円本だと見なしていい。その他にも円本時代にアルスから『分類俳句全集』十二巻が刊行されている。

俳諧大辞典 分類俳句全集

俳句と出版事情に関しては、村山古郷の『明治俳壇史』『大正俳壇史』(いずれも角川書店)からの知識にとどまっているし、読者としてもそうであるので、門外漢に近い。先に挙げた三つの俳諧叢書にふれていると思われる村山の『昭和俳壇史』をまだ読むに至っていないので、それらの事情の詳細を掴んでいない。それでもかろうじて、村山は『大正俳壇史』の終わりのところで、大正十五年度の俳句史上の三月の主な記録として、『日本俳書大系』と高木蒼梧編『年刊俳句集』の出版を挙げている。

明治俳壇史 大正俳壇史 昭和俳壇史

実は後者の『年刊俳句集』の昭和十年版を一冊だけ持っていて、これは取り上げないつもりでいた。ところが最近になって、あの『蒐書日誌』(皓星社)の大屋幸世が『日本古書通信』(平成二十五年二、七、八、九月号)に、続けて「『年刊俳句集』(昭和十年版)と虚子など」「『年刊俳句集―昭和六、七、八、九年版』をめぐって」を書いているのを読んで、これが『文芸年鑑』に対して、『俳句年鑑』と称してもいい出版物であることを教えられた。だが大屋も私と同様に、古書価も安く、よく見る本であるから、それほど重要な本と思わず、内容を一顧だにせず、書棚に差し入れておいたらしい。しかし「最近何気なくその本へ手が伸びて、冒頭からざっと見てみると、これはどうも読み捨てていい書ではないと思った」のである。
蒐書日誌

私も大屋の指摘を受け、以前に浜松の時代舎で入手していたそれを開き、同じ感慨を抱くことになった。その内容を紹介してみよう。これは昭和九年一月より十二月に至る、六十四の俳誌に掲載された俳句を、各誌の主幹、及び幹部が選択し、これを春、夏、秋、冬、新年に分け、さらに各季節の時候、天文、地理、人事、動物、植物に分類配列し、三百七十余ページに及ぶ一万二千句を収録に及んでいる。もちろん号と掲載誌も添えられ、それに続き、「附録」として、百五十ページ近くの記事目録総覧、出版俳書解題、昭和九年俳壇紀要、俳壇の現勢、俳人住所録、季語索引が加えられている。これだけの説明でも、大屋が『年刊俳句集』を『俳句年鑑』と称してかまわないではないかと述べた理由をおわかり頂けるだろう。

ここで注目すべきは「俳人住所録」に示された俳人数で、それは約六百五十名である。前回『俳文学大系』の月報に予約会員が五千名と記されていることを述べておいたが、俳誌と俳人の数からすれば、あながち誇張でもないように思われた。むしろそうした俳句をめぐるベースを背景にして、円本時代に相次いで、三つの俳諧叢書が企画刊行されたことを了承した次第である。

高木蒼梧が『年刊俳句集』を刊行したのは、岩谷山梔子が京都紫苑社から『年刊句集』を出版したことに影響を受けたためだと、村山古郷が『大正俳壇史』で述べていたが、その高木が「回顧十年」と題する「序」において、「匆忙夢の如く十年を経過した。/大正十五年に三浦十八公氏と共に創業共編し、昭和二年には吉田冬葉氏の助力をかり、同三年以後は松村巨湫氏の援助を得て今日に至つた」と述べている。

ちなみに高木は『俳諧大辞典』に立項されているので、それを引いてみる。

 蒼梧 そうご 俳人。本名、高木譲。明治二十一年一八八八 愛知県犬山に生まる。愛知薬学専門学校卒、万朝報、後、東京朝日新聞記者として二十余年。瓊音・露伴・松宇の教をうけ、『俳諧史上の人々』『俳句評釈』(中略)及び多年に亘る「年刊俳句集」等、編著が多い。
 湯豆腐や煮えて圭角猶存す

なお蒼梧に『年刊俳句集』の刊行のきっかけを与えた山梔子は河東碧梧桐に師事し、俳誌『懸葵』によった俳人、蒼梧に協力した冬葉は大須賀乙宇の門に入り、『獺祭』を主宰する、やはりいずれも俳人で、十八公も同様だと思われるが、『俳諧大辞典』にはその名前が見えていない。

そこで残るのがこの編者を資文堂年刊俳句集編纂所とする『年刊俳句集』の発行者の荻田卯一ということになる。ところが資文堂も荻田も出版史に見つけることができず、また、『俳諧大辞典』にも出てこない。しかし東京市麹町区九段と住所記載された資文堂は巻末広告からすると、現代俳句研究会編『新纂俳句大全』、高木蒼梧篇『古今模範一万句集』、松村巨湫『現代俳句表現辞典』、臼田亜浪などを著者とする「最新俳句評釈叢書」などに加え、本方秀麟『俳人が絵を描くまで』といった俳画関連書まで出していることからすれば、当時の俳界の近傍にあった出版社と見なすことができよう。

私は昭和十年の一冊しか目にしていないが、大屋は同六年から十年までを一望し、収録の句にまで紹介に及んでいるので、興味ある読者はぜひ先述の『日本古書通信』を参照してほしい。

それにしても、全冊揃えれば、昭和戦前期の俳界を俯瞰する絶好の資料であるはずの『年刊俳句集』はいつまで出されていたのであろうか。

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