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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1522 平凡社『や、此は便利だ』と「新しい女」

 平凡社に関してはかつて「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)、『近代出版史探索Ⅱ』240などを書いているけれど、その後 入手したものもあるので、これらを取り上げてみる。

 『平凡社六十年史』には「創業前史」として、下中弥三郎の生い立ちから大正三年までの軌跡が五〇ページにわたり、丹念にたどられている。だがそれは要約しかできないし、また『近代出版史探索Ⅶ』1333でも下中に言及しているけれど、ここでは鈴木徹造『出版人物事典』の立項を挙げてみる。

   出版人物事典: 明治-平成物故出版人

 [下中弥三郎 しもなか・やさぶろう] 一八七八~一九六一(明治一一~昭和三六)平凡社創業者。兵庫県生れ。独学で教員検定試験に合格、小学校、師範学校で教鞭をとる。一九一四年(大正三)『や、此は便利だ』という小型本を著し、成蹊社から出版したが同社が倒産したため通信販売を行い、一四年平凡社を創業した。二三年(大正一二)株式組織として本格的出版活動をはじめ、円本ブームにのって『現代大衆文学全集』全六〇巻、『世界美術全集』全三六巻を刊行、大ヒットし、三一年(昭和六)から三四年(昭和九)にかけての『大百科事典』全二八巻によってその名を高めた。(第二八巻は総索引で昭和十年刊行―引用者注)以来、何度かの経営危機にも瀕したが困難に克ち、多くの事典、全集など重厚長大の出版物が出版界で重きをなした。(後略)

 この『や、此は便利だ』と平凡社創業のことも、『平凡社六十年史』にその初版の書影、内容、奥付なども含んで、八ページに及んでいる。それによれば、大正三年四月に判型は袖珍本、三〇二ページ、定価七十五銭で、成蹊社編輯局を著者とし、発行者を秋永常次郎=東洋とする『や、此は便利だ』が刊行された。だが実質的に編集を担ったのは下中で、埼玉師範で教鞭をとっていた際に、学生の文学知識の足りなさ、用字、用語の使い方の間違い、常識的な外来語、流行語、新聞語に関する無知に気づき、新聞語の解説と文字便覧とを一本化すれば、喜ばれるのではないかと考えたからだ。それを成蹊社の秋永に話すと、「や、此は便利な本ですな」との返事があり、出版を引き受けてくれたので、秋永のその言葉をそのままタイトルとしたとされる。

  

 だが秋永に関して、それ以外のことはわからず、『や、此は便利だ』は好評のうちに版を重ねたが、他の出版物でつまづき、その紙型も債権者に押さえられてしまった。そこで下中は借金をして紙型を買い取り、自宅の谷中初音町を根拠地とし、妻の緑による命名の平凡社を興すことになった。その大正四年と大正九年増補版の書影、及び昭和五年の「増訂百二十八版」のちらし広告を見ると、その後も増補改訂が続き、大正だけでなく、昭和になってもロングセラーとなっていたようだ。

 しかしそれにもかかわらず、古本屋で『や、此は便利だ』を見かけることはなかった。このような実用的辞典は、よく読まれた大正、昭和、戦前の大衆文学単行本と同様に、古書市場においても、もはや稀覯本に近いものになっているのではないかと思われた。ところが前世紀も終わりに近づいた平成十年に平凡社創業八十五年、下中弥三郎生誕百二十年の記念出版として、『や、此は便利だ』の非売品復刻本が恵送されてきたのである。これは本文を大正五年十二月の大増補二十四版、表紙は初版の装丁を採用したもので、ここにようやく「正味ばかりの本」として知られた『や、此は便利だ』を手にすることができたのである。大正五年版ゆえか、本扉には下中芳岳=弥三郎、秋永東洋共編とあるが、奥付の著作兼発行者名は確かに下中緑、発行所は平凡社と記されている。

 とりあえず、第一篇「新聞用語解説」のうちの「最新の例語並に流行語」から「新しい女」の立項を引いてみる。これは「偶像破壊主義(アイコノクラズム)」に続く二番目のものである。

 新しい女
(一)従来、男子に対して、絶対的に盲従(もうじ)し来れる夫人の境遇より覚めて、婦人も人間である、人間である以上、人間(人格)として取扱はれたいとの要求の下に、自覚的に活動せんとする婦人の総称。
(二)右の如き真面目なる主義主張のあるのではなく、徒らに、現在の不健全なる言論に煽動(おだて)られて、徒らに奇を行ひ、新を喜び、我がまゝ勝手なる振舞を敢てして得意がる一群の婦人を侮蔑的意味で呼ぶ語。(婦人問題を看よ)(一)を「覚めた女」などともいふ。


 ここでは「婦人問題」よりも、『近代出版史探索Ⅵ』1054の生田花世などの関係から、「ブルーストッキング」を引いてみると、「ブリュー・ストッキング(Blue stocking)」として立項が見出された。一七五〇年頃、ロンドンの文学美術の会合で、一人の女流作家が青い靴下をはいて加わったことから、ブリュー・ストッキングと仇名されたことが始まりで、我が国の新しい女の一群は、此の名をとつて、青鞜社と称する団体を組織し、機関誌「青鞜」を発行して居る」とある。

 『青鞜』の創刊は明治四十四年で、大正五年までに五十二冊が出されているが、『や、此は便利だ』の「新しい女」と「ブリュー・ストッキング」という「新聞語解説」は明らかにこの「青鞜」という新しい女性メディアの動向に基づいているのだろう。そういえば、近年になって、大正二年青鞜社刊行『青鞜小説集第一』が青鞜社編『青鞜小説集』(講談社文芸文庫)として文庫化されたことを付記しておこう。

 (『青鞜小説集第一』) 青鞜小説集 (講談社文芸文庫)


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