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古本夜話1519 千家元麿『冬晴れ』と新しき村出版部「人類の本」

 前回の佐藤惣之助や『近代出版史探索Ⅵ』1031の百田宗治たちとともに、中央公論社版『日本の詩歌』13 に収録されているのは千家元麿で、彼はやはり同巻の福士幸次郎や佐藤と大正元年に同人誌『テラコッタ』を創刊している。

 その千家の詩集ではないけれど、短篇脚本を入手していて、それは『冬晴れ』である。同書は「人類の本」シリーズとして、大正十三年に発行兼印刷者を長島豊太郎とする新しき村出版部から刊行されている。印刷所は曠野社でその住所は北豊島郡長崎村、新しき村出版部と同じである。

 この「人類の本」は奥付裏に既刊、近刊が十三冊リストアップされているが、紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』を確認すると、幸いにして、次のような書き出しで一章が立てられていた。

大正期の文芸叢書

 「新しき村叢書」「曠野叢書」「人類の本」「村の本」、これらが武者小路実篤と、日向の「新しき村」運動とのつながりのなかで、力強く生み出された直営方式のユニークなシリーズであった。商業的出版社に依存せず、すべて自力で、とくに「曠野叢書」「人類の本」は、出版所も自分たちが運営、出したい本を出し、「新しき村」のためという営みであり、それを周辺の人たちが支持したのである。

 これに続いて、「人類の本」のラインナップも示されているので挙げておこう。

1  志賀直哉 『真鶴』
2  長与善蠟 『或る社会主義者』
3  武者小路実篤 『女の人の為に』
4  千家元麿 『冬晴』
5  木村荘八 『猫』
6  ストリンドベリイ、外山楢夫、外村完二訳 『三部曲』
7   〃
8  木村荘太訳編 『創造的芸術家(一)シエイクスピア』
9  武者小路実篤 『建設の時代』
10  アナトオル・フランス、竹友藻風 『丸太』
1  木村荘太訳編 『創造的芸術家(二)バルザック』
12  長与善郎 『波』
13  千家元麿 『日常の戦』
14  武者小路実篤 『耶蘇』
15  倉田百三 『靜思』
16  武者小路実篤 『三方面』

(『耶蘇』)

 紅野はさらに未刊行に終わった白樺派の園池公致や長島豊太郎の短篇選集にもふれ、「残念きわまる」と述べているが、このふたりの作品集はその後も刊行されていないようなので、私もそう思う。

 またそこには5の『猫』の書影も掲載され、4の『冬晴れ』とまったく同じ四六判、角背の装幀、造本だとわかる。しかも刊行年はすべて大正十三年とあるので、これらの十六冊は同年の二月から九月にかけて半年余の間に続けて出版されたことになる。しかし流通や販売に関する具体的言及はないけれど、主として読者への直販をベースにしていたと推測される。

 この「人類の本」シリーズは短編、脚本、評論、感想、翻訳などの組み合わせからなり、それらのことから判断すると、紅野は著者の意志よりも、「新しき村」のための資金づくりが先行していたと指摘している。それを考慮すれば、取次や書店ではなく、読者への直接販売が目されたことも実感できるし、何よりも関東大震災で、新しき村出版部が当時の書店市場での販売が困難だと見なしていたことも要因のように思われる。

 それらはともかく、ここでは千家の『冬晴れ』にふれておくべきだろう。これは「短篇脚本集」とあるように、表題作を始めとする八つの短篇、脚本「結婚の敵」、対話「狂へる運命」によって構成されている。千家は明治二十一年東京に生まれ、父は西園寺内閣司法大臣などを務めた政治家、母は両国の料亭の長女で、彼に正妻がいることを知らずに元麿を生み、妾の位置に甘んじるしかなかった。そうした複雑な家庭環境から、父に反抗し、学業定まらず、家出したり、上野、浅草を遊び歩いたりしていた。

 その一方で、『万朝報』や『新潮』などに投稿を始め、詩は河井酔茗、短歌は窪田空穂、俳句は佐藤紅緑に師事し、先述したように、同人誌『テラコッタ』を創刊した。そしてそこで武者小路実篤の『世間知らず』(洛陽堂)を激賞したことにより、武者小路実篤との交流が始まり、必然的に白樺派へと接近し、また父の反対する結婚にも至っていた。

(『世間知らず』)

 こうした詩人として出発する以前に、千家は白樺派の理想主義下にあって、『冬晴れ』にまとめられる短篇や脚本を書き、それらを白樺派の自前の新しき村出版部から刊行していたことになる。これらの中で最も長いものは、六四ページと三分の一ほどを占める「結婚の敵」で、この戯曲には千家の結婚の体験が背景となっているのだろうし、「冬晴れ」がそのポジとすれば、こちらはネガとしても読める。なお武者小路の『馬鹿一』は千家をモデルとしているようだ。

馬鹿一 (新潮文庫 草 57-10)

 『冬晴れ』にしか言及できなかったが、紅野は「人類の本」のそれぞれにかなり詳しい解題を添えているので、このシリーズ全体に関しては『大正期の文芸叢書』を参照されたい。また同書には「人類の本」と同様に、白樺派の出版の試みとしての「新しき村叢書」「曠野叢書」「村の本」の解題と明細も収録されていることを付記しておく。


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