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古本夜話1521 伊藤整『雪明りの路』、百田宗治、椎の木社

 これも『近代出版史探索Ⅵ』1008の百田宗治と椎の木社にリンクしているので、ここで書いておこう。伊藤整の最初の著書は詩集『雪明りの路』である。同書を収録の『伊藤整全集』(第一巻、新潮社)を確認してみると、日本近代文学館版複刻に先駆け、昭和二十七年に木馬社、同四十五年に伊藤整一回忌に貞子夫人によっても再刊されている。しかも前者の「跋文」において、これらの詩集が「ある意味では自分の全作品の中で一番大切なもの」と述べてもいるからだ。

(第一巻)「詩集 雪明りの路」 伊藤整:著 椎の木社版 特選名著複刻全集 近代文学館 /昭和50年発行 ほるぷ出版 (日本近代文学館)(木馬社)

 『雪明りの路』が百田宗治の椎の木社から刊行されたことは既述したが、この詩集出版は伊藤にとって詩人としてデビューしただけでなく、その後の文学生活へと導かれていく回路を決定づけたのである。彼は『若い詩人の肖像』(新潮文庫)において、『雪明りの路』の自費出版、その体裁、詩人たちへの献本と発送、学校の同僚たちへの選択的贈呈、高村光太郎からの賞讃の葉書、『椎の木』誌上での丸山薫や三好達治たちの好意的書評などが詳細にたどられている。

(椎の木社)若い詩人の肖像 (新潮文庫 草 88-5)

 伊藤はまだ二十三歳で、北海道の中学の英語教師だった。そうした社会的ポジションの中での処女出版とその臨場感は抑えて書いているけれど、『若い詩人の肖像』が戦後の昭和三十七年前後の作品、つまり『雪明りの路』刊行から三十年後に書かれたと思えないほどである。その最初のシーンを引いてみる。

 大正十五年の十二月末になって、私の詩集が出来、宿直室に三百部積み上げられた。組版に取りかかってから五ヵ月目であった。白い切りはなしの表紙に五号四分の一という太目の枠を入れて、真中に「雪明りの路」と一号活字で印刷してあった。糸かがりが下手で、製本は粗末であった。それは四六判で二百四十頁、約百二十篇の詩が印刷されてあった。奥付けの著者名の横に、私は自分の村の住所を入れた。発行所は東京都府下中野上町二七五六番地の椎の木社となっていた。百田宗治は「椎の木」に一頁の広告を出してくれて、多少は売れそうだから、五十冊ほど送ってよこすようにと、言って来た。五十冊売れそうだという百田宗治の言葉を、私は頭の上から光が射すような気持で受け取った。(後略)

 この伊藤の説明によって、手元にある『雪明りの路』の造本や奥付表記などが余すことなく示され、さらなる補遺を必要としないほどだ。これは現在のような大量生産、大量消費の出版状況下においては当事者を除いて実感されないであろうけれど、三百部刊行の詩集が「五十部売れそうだ」との東京からのコレスポンダンスは伊藤をして、「頭の上から光が射すような気持」にさせたことは、それが特筆すべき朗報だったからだ。この時代の詩誌『椎の木』と椎の木社は北海道の無名の詩人といっていい伊藤の処女詩集を、「五十部売れそうだ」という販売予測を立てられるほどに、確実な読者層をつかんでいたことになる。それはかつてと異なる昭和の詩の時代のニュアンスを伝えているのだろう。

 伊藤は『雪明りの路』を「恋愛詩」がメインだとしているが、ここでは「電信柱――十七の年の唄」にふれてみよう。それは次のように始まっている。

 なだらかな緑の山を越えて
 遠く青空のかなたへ続いてゆく電信柱。
 あゝ あの山の向ふに
 どんな懐しい思出が住んでゐる。

 そして「美しい私の夢」や「むかしの夢」が「電信柱」の向こうにあると続いていく。しかしそのような「夢」も、現実の風景によって破られる。

 いつかの春 野山の雪が消えたときに
 山かげから
 変な言葉をつかふ
 電信工夫の群がやつて来た。

 みんなは村の木賃宿へとよつて
 次の日はまた電信柱に添ふて
 段々山の向へ越えて行つた。

 あの変な言葉づかひの
 電信工夫たちの事を私は忘れないでゐる。

「変な言葉をつかふ/電信工夫の群」とは何のメタファーなのであろうか。「十七の年」の頃に自覚した現実、もしくは開発のシーンと重なるような、よそから突然やってきた労働者たちの実際の姿なのであろうか。

 このような道に電信柱が映し出されるシーンを含んだアメリカ映画をいくつも見ている。それは向こうにある夢の象徴のようでもあり、紛れもなく、道路と電信柱しかない現実のイメージを浮かび上がらせているようでもあった。ではどの映画かと問われるとただちに挙げられないけれど、意識せずして、そのような風景をアメリカ映画の中に見てきたと思う。また私的に小学生時代を回想すれば、「変な言葉をつかふ/電信工夫の群」は高度成長期の道路脇に建てられた飯場の風景が重なってくる。そこには蛇が干されたりしていた。

 伊藤の十七歳は大正十年頃だと推定されるが、彼が「序」に書きつけている『雪明りの路』の背景にある「北海道の自然」に何らかの変容が生じ、それがこのような詩へと投影されたのであろうか。


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