出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

「葉っぱのBlog」への返信

「葉っぱのBlog」が私に言及していて、そこで拙著『書店の近代』(平凡社新書)について、彼が栗山光司名で、刊行時の03年にbk1で書評していることを初めて知らされた。
http://www.bk1.jp/review/0000221424

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書) 出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉  出版業界の危機と社会構造

そして続けて、ブログに00年8月の『図書新聞』に寄せた私の講演「検証・近代出版流通システム」を掲載してくれたので、それは論創社版『出版社と書店はいかにして消えていくか』に収録した旨をメールで伝えた。すると彼から返信があり、そこに60年代から70年代にかけて、今泉正光、田口久美子、丸山猛たちと一緒にキディランドで仕事をしていたことが記されていた。このことに関しても書きたいのだが、それは後回しにしよう。栗山は『書店の近代』書評の最後のところで、次のように私に呼びかけていたのである。
 出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉 (論創社版)

 「再販制度は新聞も含めて、見直すべきですよ」
 「小田さん、そう、思いませんか?」

 私は彼の呼びかけをこれまで知らず、返信を発してこなかったので、ここで遅ればせながら、書いておきたいと思う。そしてまた彼がキディランドという書店の現場にいたゆえに、その呼びかけは拙著の「あとがき」に書いた、私の次のような言葉に対応していると了承されたからでもある。

 私は二十代後半から三十代にかけて、ずっと書店の現場にいた。私の書くものにいくばくかのリアリティがあるとすれば、ひとえにこの事実によっている。
 それにしても、一九八〇年代から九〇年代にかけて、私だけでなく、なんと多くの人たちが書店から去っていったことだろう。そうした人々に本書をささげたいと思う。

 図らずも70年代後半であるが、栗山もその一人だったことになる。私はここで「書店から去っていった」理由として、ひとつには再販委託制を想定して書いている。再販委託制という護送船団方式によってがんじがらめになり、責任販売によってマージンが獲得できる書籍の自由な仕入や値づけもできないシステムに限界を覚え、退場してしまった人々も多い。

 70年代に書店の人材は、リブロに代表されるように急速にハイレベル化し、出版社や取次と伍す位置にまで至っていた。これは『出版業界の危機と社会構造』の中でも書いておいたが、彼らにすれば、来月分の新刊リストを見て、全点自らの判断で、店売適正部数を注文し、ほぼ完売することができたと思う。そのことによって、書店のプロのレベルがさらに進化したであろう。そのようなプロセスを経て、再販委託制から低正味買切制、自由値づけ販売へと進めば、多彩な古書も含んだ書籍を中心とする、文字通りの書店が全国的に立ち上がっていたと思われる。例に挙げて恐縮だが、京都の三月書房のような店が何十店もあれば、書店環境はまったく異なっていたはずだ。しかしそのような方向に進まなかったことで、逆に小倉の金栄堂や仙台の八重洲書房は消滅してしまったのである。

 これもまた何度も書いてきたことだが、70年代半ばに日本は消費社会化し、そこで近代は終わったと考えられる。したがってこの時代に近代出版流通システムの役割は終わり、新しい現代出版流通システムへと移行すべきだった。そのことに最も自覚的だったのは書店の現場にいた人々だったと思われる。

 消費社会が進行するかたわらで、新しい雑誌店としてのコンビニが、また新しい書店としての郊外店が誕生し、販売に関しては現代システムがすでに稼働していた。だがその一方では筑摩書房の倒産に象徴されるように、人文書の危機の時代を迎え、書籍の売上も頭打ちになっていた。それは販売の現場が現代化しつつあることに比べ、生産や流通は近代のままで、出版業界そのものが跛行的状態を続けていることを意味した。さらに問題なのはそれが現在まで続き、出版業界全体を危機に追いやってしまったと考えるしかない。今になって考えれば、出版業界の売上は上昇し続けていたように見えるが、それはひとえに新しい雑誌店としてのコンビニが支えていたにすぎない。

 だからこの時代に、新しい雑誌店としてのコンビニが誕生したように、低正味買切制による自由な仕入れと自由な値づけを基調とする新しい書店を出現させるべきだったのだ。もし再販制が外れれば、70年代にハイレベル化したリブロを始めとする書店の人々によって、それが実現されたと思われる。そのことを証明するかのように、リブロ出身者の多くが低正味買切制とも言うべき古書店へと転じている。それは再販制の存続によって、そのような書店の実現が不可能だったからではないだろうか。

 だが雑誌をベースにして組み立てられた近代出版流通システムの主役である大手出版社、取次、書店は、その後90年代から現在に至るまで、再販制維持を訴えてきた。
大手出版社、取次、書店からの再販制についての幅広い啓蒙を意図して刊行された一冊がある。それは97年に講談社から刊行された『いま出版が危ない!!―マンガでわかる再販制度』(原作 小板橋二郎、漫画 東海林秀明)だ。この中で、彼らは勢揃いし、さらに自民党の政治家、日本文芸家協会理事長の江藤淳、読売新聞社長の渡辺恒雄まで総動員し、それこそ護送船団方式で再販制を擁護させている。

いま出版が危ない!!―マンガでわかる再販制度

そしてその構成メンバーが定かでない、活字文化に関する懇談会の『次世代に伝えよう わたしたちの活字文化』を援用し、「再販制度が廃止されるとどうなるか(シミュレーション)」チャートを提出している。それによれば、次のような経緯をたどる。(当時の状況は日本雑誌協会 日本書籍出版協会50年史 Web版に詳しい。)

1 再販制廃止
2 書籍の価格が流動化し、値引き競争激化
3 薄利多売になるので、大規模量販店が台頭
4 中小書店の経営が悪化、倒産
5 大規模量販店は売れる本のみを店頭陳列するので、売れる本が出版されるようになる
6 中小出版社の経営が悪化、倒産
7 専門書等の点数激減と価格高騰
8 教育・学術・文化水準の著しい低下

 しかし皮肉なことに、その後の出版状況が告げるのは「再販制廃止」以後に起きるとされることが、すべて再販制を存続させたことによって起きているという事実である。2に関してはネット書店の配送料無料競争として現われ、3から8については、もはやコメントの必要はないだろう。

再販委託制を利用するかたちで行われている、書店のバブル出店とバブル閉店のメカニズムについては複雑なので、詳細を知りたい読者は『出版社と書店はいかにして消えていくか』を参照されたい。

 もちろん歴史に if は禁物であるが、70年代から80年代において、再販制が廃止されていれば、出版業界のシーンは現在とまったく異なっていたと思わざるをえない。

「栗山さん、この返信で了承されましたでしょうか?」