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古本夜話39 田中直樹『モダン・千夜一夜』と奥川書房

前回取り上げた田中直樹について、もう少し付け加えておこう。彼には著書が一冊だけあり、それは『モダン・千夜一夜』で、昭和六年にチツプ・トツプ書店から刊行されている。菊半截判、二百ページ弱の小著だが、本文とは別に五十枚余の西洋人女性の乳房もあらわで扇情的なヌード写真が収録され、当時のことゆえ、たちまち発禁本になってしまったようだ。私が所持する『モダン・千夜一夜』の見返しにも、以前の所有者が書いたと思われる「発禁本」なる言葉が黒インクでしたためられている。この一冊は金沢のオヨヨ書林から購入したものである。

本文は主として百有余の艶笑コラムからなり、通読してみたが、とりたてて紹介するようなコラムはひとつもない。田中直樹もそれを自覚していて、「自序」で『犯罪科学』に毎月書かされた「埋草」だと述べている。しかし彼の言う「愛すべき埋草」は昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス時代の風俗や世相のニュアンスが表出し、田中が『犯罪科学』や『犯罪公論』の編集者らしい、世俗に通じた人物であったことを彷彿とさせる。ただ『犯罪科学』連載以外のことは何も書かれていないので、『モダン・千夜一夜』に田中の手がかりはつかめない。

だが田中と『犯罪公論』は思いがけないところに姿を現わす。それは猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』(小学館)においてである。猪瀬は次のように書いている。
ピカレスク 太宰治伝

 編集長の田中直樹という人物は小学校しか出ていないが、なぜかあの菊池寛とつながりがあり『文芸春秋』の仕事をしていたらしい。その後、興文社で『小学生全集』の編集に関わった。さらに三省堂の子会社四六書院に入り、『犯罪公論』を創刊する。『犯罪公論』で経営が安定したら『中央公論』のような総合雑誌を出すんだ、が口癖で、とうとう文化公論社を創業した。

おそらくこの部分の出典は猪瀬が「参考文献」に挙げている、田中の「『文学界』創刊の思い出」(『文学界復刻版解説』所収、日本近代文学館)、及び久保喬の『太宰治の青春像』(六興出版)ではないだろうか。

久保喬は太宰の仲間で、川端康成の紹介で創刊された『文学界』の編集を手伝っていた。そして久保は太宰に田中を紹介する。意外なのは田中の風貌で、「痩身の若い男で、丸ビルなどではたらく背広に身をかためて隙を見せないビジネスマンふうであった」。田中は太宰に大衆が求めている作品、すなわち犯罪小説の執筆を勧め、太宰は自らの心中事件を題材とした探偵小説「断崖の錯覚」(『太宰治全集』第10巻所収、筑摩書房)を書き上げる。だが『犯罪公論』は廃刊になってしまい、それは『文化公論』の翌年四月号に黒木舜平のペンネームで掲載された。しかし『文学界』の二月号廃刊に続き、『文化公論』もこの号で終わり、文化公論社は倒産に至るのである。このことによって、太宰は探偵小説家への道を閉ざされたと猪瀬は指摘している。
『太宰治全集』第10巻

一方で田中はどうなったのだろうか。彼はその後も出版界でしぶとく生き永らえていた。『ピカレスク 太宰治伝』が刊行されたほぼ一年後に、末永昭二による「田中直樹とエログロ雑誌」(『彷書月刊』〇一年九月号所収)が書かれ、田中が昭和十一年に『犯罪実話』の編集長としてカムバックしていることを教えられた。末永は同じ頃、『貸本小説』(アスペクト)を刊行し、私は同書と彼の『城戸禮人と作品』(里艸)に言及した「貸本小説、春陽文庫、ロマン・ブックス」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収、編書房)なる一文を書いている。
文庫、新書の海を泳ぐ

猪瀬や末永の記述、及びこれまでの「古本夜話」の流れから推測するに、田中のプロフィルは鮮明ではないにしても、北海道出身の田中は少年社員のようなかたちで興文社に入り、円本の『小学生全集』の関係で菊池寛の知遇を得る。その一方で上司だった柳沼沢介と一緒に武俠社を立ち上げ、『犯罪科学』と本連載31で既述した『近代犯罪科学全集』や『性科学全集』の編集に携わる。そして四六書院を経て、文化公論社の創業と倒産、『犯罪実話』編集長へと至ったのであろう。ただ末永もその後の田中の動向はわからないと述べている。

私が末永の一文に最も驚いたのは田中のことではなく、『犯罪実話』の版元に関する既述だった。末永によれば、この雑誌の前身は昭和六年創刊の『探偵』で、翌年に『犯罪雑誌』に改題となる。版元は水泳書、エログロやプロレタリア文学を出していた駿南社であった。ところが田中が編集長に就任した時、その版元は『実用雑誌』を発行する実用雑誌社に変わり、発行人は奥川栄となっていた。さらに奥川は奥川書房、『釣之研究』という雑誌を出す釣之研究社の社長だった。奥川書房=釣之研究社は実用書や大衆小説の他に、水谷不倒、中村古峡、尾佐竹猛の再刊本も刊行していたと末永は書いていた。

これを読んで、定かでなかった日本の釣の雑誌や本の出版の背景の一端が示されていると思った。私は『古本探究』(論創社)でアテネ書房が昭和五十四年に復刻した『「日本の釣」集成』、及び昭和初年の春陽堂の『クロポトキン全集』のことを書いている。実はクロポトキンの訳者の一人である安谷寛一が昭和七年に『釣の新研究』、九年に『鮎を上手に釣る』をそれぞれ駿南社と奥川書房から出していて、そこにはどのような事情が潜んでいるのかと考えていた。それにこの二冊は見つからず、現在に至っても入手していない。
古本探究

アテネ書房の復刻には昭和十六年に釣之研究社が刊行した金子正勝の『毛鉤釣教壇』という三五判の一冊も含まれ、その奥付には発行者の奥川栄の名前もある。そしてまた『解題「日本の釣」集成』には奥川は出てこないが、同誌の編集長を務めた岡部丹虹の「私の『釣之研究』時代のこと」も収録され、雑誌の表紙も見ることができる。

そして巻末に置かれた金森直治の明治から終戦時代までの「《釣り文献》刊行目録」を眺めていると、ここに釣をめぐる近代出版史が集約されているとわかる。そのかたわらで田中直樹のような編集者やアナキスト安谷寛一が併走していたのであり、そこにはマルキシズムとアナキズム文献、エロ・グロ・ナンセンス出版の果てに見出された、もうひとつの出版の世界が示唆されているように思われる。


[付記]
前回の[古本夜話38]に、ExLibris は続きがあるとも想像せずに、自分のほうがよく知っているという相変わらずの「勿れ」の御託宣を飛ばしてきている。そこまで自己を主張したければ、実名で言うがいい。彼が誰だかわかっている。研究者をよそおっているばかりで、まともな論文も書かず、匿名でこのような御託宣ばかり飛ばしていると、恩師が泣くぞ。私の書くことが気に入らないのであれば、中村古峡にしろ、井東憲にしろ、拙文をはるかにしのぐ優れた一文をぶつければいいのだ。何のためにブログをやっているのだ。恩師のほうは、お役に立てばといって、過去の論文を恵贈してくれたことがあった。それに比べれば、尊大なだけのExLibris は不肖の弟子であろう。

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