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古本夜話260 深海泡浪の春江堂『仏教因果物語』と黎明閣『安珍清姫因果物語』

これまで既述してきたように、特価本業界は各種の人名辞典などにも掲載されていない多くの著者や編集者を輩出させ、それは戦後の倶楽部雑誌の時代まで続いていくことになる。

本連載でもしばしば春江堂に言及してきたが、今回は春江堂とその出版物、著者にふれてみよう。その前に『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』に掲載された「一時代を築いた湯浅春江堂」を要約紹介しておこう。

春江堂の創業者湯浅粂策は明治元年神奈川県伊勢原町に生まれ、十三歳で丁稚奉公に出て、いくつもの職を転々とする。そして深川不動前などで本の露天商を始め、明治三十一年に南千住に店を開き、同三十六年に若松町に移転し、取次と出版の春江堂をスタートさせる。当時の出版物は北島春石などの家庭小説、暦類、絵本から始まり、それに月遅れ雑誌も加わり、薬間堀に倉庫も兼ねた社屋を建てるに至り、多くの人材を育てた。本連載256の金園社の松木春吉と同様に、桜井書店の桜井均もその一人であることは、本連載27で述べておいたとおりだ。

その春江堂が昭和四年に刊行した本に『仏教因果物語』があって、これは深海泡浪を著者としている。深海は本連載166で「博文館と巖谷小波『金色夜叉の真相』」で、石橋思案の弟子と称していることを紹介しておいた。もう一度簡略に説明しておくと、『金色夜叉の真相』は昭和二年に黎明閣という版元から出されたのだが、黎明閣の経営者の武藤精宏は高利貸で、「現代の間寛一」と呼ばれていた。そして巖谷小波が間寛一のモデルだとの風評が流布していたことから、武藤は深海を介して巖谷に会見を申しこみ、それが『金色夜叉の真相』の付録として、深海による「二人寛一の会見」としてまとめられている。そこには巖谷、武藤、深海の写真も収録され、これがきっかけとなって、巖谷の『金色夜叉の真相』の執筆が促されていくのである。その内容やさらなる詳細はそちらを読まれたい。

さてこの黎明閣のそれ以外の本だが、巻末広告はいずれも深海の『安珍清姫因果物語』と『悪鬼は躍る』が掲載されていて、後者は武藤をモデル=ヒーローとする「長編事実小説」で、前編六百余ページ、後編七百余ページ、定価はいずれも二円八〇銭という「一大雄篇」と銘打たれている。

しかしその後しばらく留意していたが、深海の名前にも会わなかったし、『悪鬼は躍る』も古書目録などで見かけることもなく、忘れていた。そのようなときに均一台に転がっていた『仏教因果物語』を見つけたのである。三六判箱入り、定価六十銭とあった。

この『仏教因果物語』を読み進めていくと、これが深海との再会であるばかりでなく、武藤との再びの出会いだったことに気づいた。なぜならば、『金色夜叉の真相』に深海が付録「二人寛一の会見」を付していたように、『仏教因果物語』には武藤が録(ママ)「安珍清姫と私」なる一文を加えていたからだ。

武藤の一文によれば、大正十四年に知り合いが、親の代から伝わる絵巻物を引き取ってくれないかと持ちこんできた。それは『日高川』と題された安珍清姫物語で、画想の奇抜さと筆致の優雅さから、かなり年代を経た土佐派の作品と考えられ、買い取ることにした。しかもその巻末に武藤彦右衛門という署名を見つけ、夢の中に彦右衛門が出てきて、「我は是れ、汝の祖先、武藤彦右衛門なるぞ」というのを聞いた。それから福岡の郷里に帰省する機会を得て、仏壇の奥にしまわれていた過去帳を調べたところ、遠き先祖の名に「小倉藩々士ニシテ大阪陣ヨリ浪人ス、六十七歳ニテ没ス」彦右衛門が見つかったのである。そして帰郷の道すがら安珍清姫の物語の舞台の紀州道成寺を訪ね、その一千年祭挙行計画に参加することになる。それらのことがあって、武藤は「深海氏を遠く紀州に煩はし、本編を世に公にするに至った」という。

もはや察しのいい読者はおわかりかと思うが、この『仏教因果物語』は、黎明閣が昭和二年に出版したと考えられる先述の『安珍清姫因果物語』の改題再版に他ならない。黎明閣版のコピーをご覧あれ。

 紀州日高川のほとり、道成寺の名を聞いたのみで、青春の血が湧く、見よ入相の薄桜、旅の衣にはらゝゝと散る、昭和四年のその弥生の頃しも、安珍清姫の一千年祭が挙行されると云ふ、恋の熱火に滅びた二つの魂よ、今は何処に……著者は親しく南紀に旅して、麗筆を揮つて情熱に因果の物語りを綴り出した。一読恍惚として巻を措くに措はね。

ちなみに念のために付記しておけば、日高川とは清姫が泳ぐうちに大蛇となる川をさす。

さてこの改題された春江堂版『仏教因果物語』はどのように考えるべきだろうか。定価の事実からすれば、黎明閣版『安珍清姫因果物語』は一円だから、四割安くなっている。つまりこれは春江堂が黎明閣から紙型を購入した上での出版であることを示していよう。おそらく早々と黎明閣は昭和四年の安珍清姫の一千年祭を待たずして、出版から撤退してしまったのであろう。

そして春江堂には北島春石のような硯友社傘下の作家たちがいたことで、同じ深海の作品が持ちこまれ、印税ではなく買切原稿のかたちで再版されることになったと推測される。『悪鬼は躍る』もどこかの出版社で再版されたのだろうか。

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