出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話333 長田秋涛と中村光夫『贋の偶像』

前回安谷寛一の記述に、思いもかけない長田秋涛の名前を見出したこともあり、ここで長田に関する一編を挿入しておきたい。ただし秋涛は二重表記とする。

まずは『増補改訂版新潮日本文学辞典』の長田の項を引く。

増補改訂版新潮日本文学辞典

 長田秋涛おさだしゅうとう 明治四・一〇・五〜大正四・一二・二五(一八七一―一九一五)仏文学者、劇作家。本名忠一(ただかず)、別名酔掃堂。静岡県に幕府の仏学者硑太郎の長男として生れ、数年間英仏に遊学、フランスで演劇に興味をもち、コメディ・フランセ―ズの楽屋に出入りした。帰国後、演劇改良を企て、市川団十郎(九代目)、川上音二郎らと提携した。創作戯曲『菊水』(明二八刊)のほか『王冠』(明三二刊)などの翻案の戯曲小説が多い。小説『椿姫』(明三六刊)の訳はとくに世に行われ、尾崎紅葉訳の『鐘楼守』は彼の協力によるものであった。晩年には南洋開発を志し、遺著『図南録』(大六刊)がある。

『日本近代文学大事典』の立項はこの三倍以上の長さなので、新潮版を採用したのだが、前者によって少し補足すれば、樺山資紀や伊藤博文に従い、台湾や欧米視察に同行し、帝国ホテルの支配人にもなり、日露戦争中は露探の嫌疑を受けたりもしている。また早大の教壇にも立ち、ヒマラヤやサハラ砂漠の秘境探検記を多く訳し、帝国劇場設立にも関与し、兵庫県垂水の自宅で没している。
日本近代文学大事典

これらの長田に関するふたつの立項は中村光夫によるもので、中村はこの長田を主人公にして、『贋の偶像』筑摩書房、昭和四十二年)を書いている。そして他ならぬ安谷寛一も、モデルとして登場しているのである。それは安谷の長田に関する言及によって、ようやくそれが安谷だとわかったのであるが。

中村の『贋の偶像』は次のような一文から始まっている。「長田秋濤は完全に忘れられてゐる。友人たちに『秋濤を研究してゐる』といつても、彼の名を知つてゐる者はほとんどゐない」。これは長田の研究者である新井教授のノートに記された言葉であり、主としてこの「ノート」、及び新井の秋濤研究を手伝う大学院生の佐川の「手記」が交差して進み、その過程で新井と秋濤の姪との情事、佐川と新井の妻との関係などを絡ませながら、秋涛の生涯が追跡され、描かれていく。その肖像は新井の「ノート」にも見えているように、文士、国士、粋人のどれにも専念できず、良質の仕事を残すことのなかった曖昧な軌跡に終始している。そのような秋涛の人生と、新井の屈折した研究者としての立場をオーバーラップさせる意味で、『贋の偶像』なるタイトルが採用されたのだろう。いや、そればかりでなく、二葉亭四迷に象徴される骨太の真の偶像の代わりに秋涛のような存在を、メタフィクション的に描くことに対する中村光夫の眼差しを表象しているのかもしれない。

そしてフランスの同時代演劇状況に通じ、デュマの『椿姫』のいち早い翻訳者だった秋涛が、台頭する自然主義文学に拮抗し、田山花袋『蒲団』などをしのぐ戯曲や小説を残せなかったことを惜しんでいるように見える。それゆえに中村は、秋涛の明治四十一年から大正四年にかけての神戸での晩年の生活を描くことに重点を置いたのではないだろうか。

椿姫 蒲団

『贋の偶像』において、昭和四十年の今になっては秋涛の没後五十年であり、彼と言葉を交えた者は「晩年の彼に青年として近づいた人々」しかいなくなってしまったと新井の口から語られ、新井は最近になって小雑誌に秋涛の回想を書いていた人物に手紙を出す。その人物について、次のように書かれている。

 そのひとりに、かつての秋涛追悼のために結成された秋涛会の世話人であり、いまも秋涛の弟子と名乗る安川老人がゐる。秋涛会からは、二冊のパンフレットが、ひとつは彼の死の直後、他は二十年後に出版されてゐるが、これは両方とも彼の執筆になるもので、そこに秋涛が一方ならぬ経緯と愛情とをこめて描かれてゐる。
老人はのち大杉栄などに近づき、アナーキストとして一部の人に知られてゐたが、その後消息を絶ち、生死不明のやうに云はれてゐた。

この「安川老人」はモデルというよりも、明らかに安谷寛一のことをさしているし、この既述、及び新井と安川の会話はほぼ事実に基づいていると思われる。すなわち中村は『贋の偶像』を書くにあたって、安谷に取材していたと判断していいし、他の登場人物に比べ、圧倒的にリアリティと存在感がある。『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)によれば、安谷の戦後史に関する言及はないが、昭和五十三年までの生存が確認されているので、中村が安谷と出会い、『贋の偶像』に出てくる秋涛に関する証言を得ることは可能だったはずだ。

日本アナキズム運動人名事典

安川は新井に語る。神戸のフランス領事主宰の講習会で秋涛にフランス語を習い、それをきっかけにして妾宅での授業と酒の相手が始まったこと、妾の芸者ぽん太はかつて役者と関係があり、秋涛と彼女の間に生まれた一人娘もどちらの子なのかわからないといわれていたこと、その一人娘に死なれたこと、本宅の正妻のこと、生活の出所とそれを代わりにもらいにいったことなどが述べられていく。

新井はそれらを聞き、「ノート」に、寛濶でけちくさいところがなく、「さびしがり屋」の秋涛に、「未来のアナーキストは本気で傾倒し、可愛がられ」、「云いがたい魅力に捕へられ、一生彼の『門下』と名乗つて悔いない気持になつたのであらう」と記している。

これらの「安川老人」の口から語られる秋涛のことと二人の関係から推測し、安谷がアルス版『昆虫記』第十一巻のルグロの『ファブルの生涯』の「訳者序」において、「明治年間を代表したデカタニスト秋涛居士」にその一文を捧げている理由を了解した次第である。

なお秋涛の『椿姫』は筑摩書房『明治翻訳文学全集』(『明治文学全集』7)に収録されている。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら