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古本夜話383 実業之日本社『芳水詩集』と『少年世界』

前回書きそびれてしまったけれど、吉屋信子の洛陽堂版『花物語』の判型は、吉武輝子の言葉を借りれば、「大きさは葉書大」、つまり菊半截判、あるいはA6判ということになり、ほぼ現在の文庫本サイズであった。それはほるぷ出版の復刻からも確認できる。
花物語 上 (国書刊行会

交蘭社版は未見なのだが、福田正夫『夢見草』が同様だったことを考えると、こちらも同じ菊半截判だったのではないだろうか。とすれば、『花物語』という感傷的な物語は現在の文庫サイズの大きさだったことも相乗し、広く読まれる一因となったのかもしれない。大正時代には様々なフレーズをかぶせられている。しかし『花物語』に象徴される少女が感傷に目ざめた時代だったとも考えられる。

いや、それはひょっとすると、少女ばかりでなく、少年もまた同じように、しかもそれはやはり菊半截判の詩集によって先導されていたのではないだろうか。その著者は有本芳水で、大正三年に出された『芳水詩集』が代表作とされる。芳水は明治十九年姫路市に生まれ、早大国文科を卒え、島村抱月の推薦で実業之日本社に入り、『日本少年』主宰として、同誌に毎号少年詩を発表し、当時の少年に愛誦され、後年文学者となった人々に多くの感化を与えたとされる。『芳水詩集』については、『日本近代文学大事典』に解題があるので、それを引く。
日本近代文学大事典

 [芳水詩集]ほうすいししゅう 大正三・三、実業之日本社刊。菊半截判。竹久夢二装丁挿画。序に「われは旅人なり、つねに旅を好んで止まざるなり。(中略)されば人生は旅なり、ああわれは旅人なり、さらばいつまでもかく歌ひつづけむ」とあるように巡礼の心をもって旅した諸国の風物詩を主とした浪漫的感傷風のもので、藤村の『若菜集』白秋の『思ひ出』などの影響が見られる。「馬の背にしてかへり見る/春暮れ方の紀伊の国/松原かげに旅人の/すげ笠あまたゆきかひて/赤き夕日は橘の/花咲くうへに匂ふかな」(中略)。七五調の甘美なこうした感傷の吟誦性が少年の心を大きく引きつけ三〇〇版近くもの版を重ねたのである。

手元に実業之日本社による昭和三十五年の復刻、同四十九年復原七版の一冊がある。その「序」には「ただすぎ去り少年の日の記念(かたみ)とし、かつはそのかみの思ひ出をしのぶよすがとせば」と記されてもいる。それは吉屋の『花物語』の「はしがき」にあった「返らぬ少女(おとめ)の日の/ゆめに咲きし花の/かずかずを/いとしき君達へ/おくる」という言葉、あるいはまた福田正夫の抒情詩に共通するノスタルジアに充ちている。
芳水詩集 (実業之日本社

近年になって、私たちはノスタルジアとは後期資本主義の商品の他ならないというフレデリック・ジェイムソンの言葉を知ることになるのだが、それは日本において、前期資本主義が形成されつつあった大正時代にいち早くめばえ、これらの少年少女の詩や物語として表出し始めていたのであろうか。『芳水詩集』に続けて、大正時代に『旅人』『ふる郷』『悲しき笛』『海の国』が出され、同じ菊半截判のかたちで、流通販売され、読者のもとへと届けられ、読まれていったのである。

芳水詩集 続 海の国

その判型と『旅人』『ふる郷』のタイトルを見ると、芳水も親しんでいた若山牧水『別離』を思い浮かべてしまう。以前に拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)において、この明治末期に出された牧水の第三歌集がやはり菊半截判で、それが旅に象徴される「近代人の孤独」を歌い、そのことによって作者と読者の内面が通い合い、それによって大正時代に多くの近代文芸書出版が立ち上がったのではないかとの仮説を提出しておいたのだが、『花物語』『芳水詩集』はそれを証明しているようにも思われる。
『別離』  古本探究

山本夏彦『私の岩波物語』(文春文庫)の中で、「少年雑誌は大正の十年までは『日本少年』(実業之日本社)の天下だった。有本芳水という主筆が毎号感傷的な詩を書いて一世を風靡した」と書き、「松原かげに旅人の」という「粉河寺」の一連の詩を引用している。同じく『実業之日本社七十年史』 もこの詩を引用し、この頃が『日本少年』の全盛期だと述べている。

私の岩波物語

また芳水の後に主筆となった渋沢青花も、『大正の「日本少年」と「少女の友」』(千人社、昭和五十七年)において、芳水の歌の中で「すべての自然、人生が、美化され」、それに「リズムの美しさ」も加わり、「当時の少年の心を魅了した」と回想している。しかしここで渋沢が少年雑誌の変遷に言及し、明治時代が博文館の『少年世界』、大正時代が『日本少年』、昭和時代には『少年倶楽部』がそれぞれ代表的なものだとしていることに留意すべきだろう。

おそらく『日本少年』から『少年倶楽部』へと全盛が移り、佐藤紅緑『ああ玉杯に花うけて』吉川英治『神州天馬侠』佐々木邦『苦心の学友』といった小説が人気を得る中で、感傷とノスタルジアに色どられた芳水の詩の世界も後退し、失墜していったようにも推測できる。そしてそれによって菊半截判の時代も終わっていったのではないだろうか。
神州天馬侠

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