出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話390 文化学会と『社会思想全集』

ずっと平凡社の円本にふれてきたが、ここで『社会思想全集』も取り上げておきたい。これは何度か断片的に言及しているけれど、まとまった一文は書いていないからでもある。それに『社会思想全集』は春秋社の『世界大思想全集』と並んで、岩波文庫の社会科学書や思想書のラインナップの参考となり、また戦後の河出書房の「世界の大思想」や中央公論社の「世界の名著」といった企画の範ともなっているからだ。

世界大思想全集 『世界大思想全集』

すでに半世紀近く前のことになってしまうが、私たちが若かった時代には、どこの古本屋でも円本がかなり売られていて、その中でも赤い造本の『社会思想全集』は発売されてから四十年近くが経っていたけれど、ここにしか収録されていない著作も多く、それらを買ったりしたものだった。

例えば、第三十三巻所収のポール・ラファルグの『財産進化論』(荒畑寒村訳)などもそのようにして読んだし、彼がマルクスの娘婿でフランスの社会主義者であることは、『怠ける権利』(田淵晋也訳、人文書院)の刊行によって初めて知らされたのである。もちろんそのような未知の著者と著作のラインナップは『世界大思想全集』にも共通するものであったけれど。ただその後『財産進化論』が高畠素之によって、すでに大正十年に大鎧閣から刊行され、また荒畑訳は昭和四年に改造文庫に収録されていることを知った。

怠ける権利

その『社会思想全集』について、『平凡社六十年史』は次のように述べている。

 「社会思想全集」は、文化学会に所属した岡悌治や山下一夫、それに本田開らによって企画・編集されたものだ。文化学会が一切の編集を担当し、校正から紙型をとるところまですべてやり終え、発表だけを平凡社がひきうけた。
 文化学会は大正八年に発足したリベラルな学者・思想家の団体で、早稲田や慶応の少壮学徒が名を連ねていた。島中雄三がその主宰者だったが、下中もはじめから幹事役に加わり、月例の集会や講演会にも出席していた。(中略)
 四六判、総クロースの函入の本で、全四十巻、そのほとんどが新訳であり、既刊のものも大幅に手を入れてあった。訳文の正確さと平明さに注意を払ったといわれるが、短期間のうちに企画・出版されたために玉石混交の面もあった。しかし今日これだけのものを企画するとなると、容易なことではあるまい。文化学会の協力を得て、はじめてそれも可能だったのだ。

編輯顧問として、赤松克麿安部磯雄石川三四郎、猪俣津南雄、堺利彦高橋亀吉、室伏高信、山川均、吉野作造の名前が挙がっているが、奥付には「社会思想全集著作代表者」と島中雄三の名前が記載されていることからわかるように、これらはすべて文化学会の企画、編集、製作によることが示されているし、実際に第三十九巻、四十巻はそれぞれ島中と山内房吉共著『社会思想史』、島中編『社会問題辞典』となっている。

島中と文化学会に関しては、本連載197で既述していることもあり、ここでは下中が自ら執筆している島中のプロフィルを抽出してみる。これは『日本人名大事典』の補巻『現代』に下中が寄稿したものである。

 しまなかゆうぞう 島中雄三 一八八〇―一九四〇社会運動家、政治家。明治十三年二月十八日奈良県に生る。東京法学院(中央大学)中退。在学中から平民社に関係し、『婦女新聞』『サンデー』『新公論』などを主宰、大正八年(一九一九)文化学会を設立し、黎明会、新人会とともに日本社会運動の先駆者として活躍した。(中略)同十五年安部磯雄、鈴木文治、片山哲らとともに社会民衆党を結成し、(中略)昭和四年(一九二九)東京市会議員に立候補、最高点で当選し、同七年社会大衆党の創立に協力し、同執行委員長に就任した。(後略)

なお省略してしまったが、彼は中央公論社の島中雄作の兄にあたる。

『社会思想全集』の刊行は昭和三年から八年にかけてであり、その間に文化学会によっていた島中は政治家となり、社会大衆党を創立するに至っていたことになる。それは『社会思想全集』にこめられた「社会思想」とは「社会変革の思想」に他ならず、その実践を意味していたのかもしれない。

本連載197で、文化学会が手がけた『世界文豪代表作全集』や『小川未明選集』にふれておいたが、『社会思想全集』は文化学会の集大成とでもいえる大型出版企画であったのだろうし、それをスプリングボードとして、島中は政界へと打って出たとも考えられる。

それらはともかく、大正から昭和にかけてのすべての社会運動が出版活動を伴っていると繰り返し指摘してきたが、その中でも『社会思想全集』は平凡社とタイアップしたことで、流通や販売、読者への影響も含め、広範な影響を様々にもたらしたように思える。下中は文化学会と並んで、黎明会、新人会も日本の社会運動の先駆者としているが、黎明会や新人会も円本企画に関係していたのではないだろうか。そのことに関し、私も本連載162で、「誠文堂『大日本百科全集』の謎」を書いているので、よろしければ参照されたい。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら