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[古本夜話] 古本夜話494 南條範夫『駿河御前試合』と山口貴由『シグルイ』

村雨退二郎の歴史考証随筆『史談蚤の市』『史談あれやこれ』(いずれも中公文庫)は、新しい歴史文学を構想するにあたって大きな影響を受けた三田村鳶魚の衣鉢を継ぎ、これまでの時代小説に描かれている間違った歴史事物について、多くの言及に及んでいる。
史談蚤の市 史談あれやこれ

例えば、『史談蚤の市』の「剣豪小説の種本」において、剣豪、剣士、剣技の種本は大正四年に国書刊行会から出版された『武術叢書』で、杜撰でいかがわしい伝記や机上の空論的なものがかなり入り混じり、武術の奥義の文字化などは不可能だし、門外漢が読んでもわからないと述べている。また「寛永御前試合の真相」ではこれが勝海舟の作り話と講談によるもので、そのような大規模な上覧武術大会は催されていないが、三代将軍家光が亡くなる慶安四年に四十余日間にわたって、城中に旗本以外の剣士や槍術家を招き、上覧試合をさせ、これが始まりにして終わりだったと記している。

この村雨の考証にヒントを得て、南條範夫駿河御前試合』が書かれたのではないだろうか。南條は村雨が戦後におこした歴史文学研究会のメンバーで、同様に『サンデー毎日』の懸賞小説の入選者であり、稲垣史生、大隈三好などの他の会員たちの名前もそこに見出される。

私の所持している『駿河御前試合』は昭和四十九年の東京文芸社版であるが、収録の十二編はその残酷物語形式からいって、南條が先駆けとなった昭和三十年代の連作だと思われ、第一編の「無明逆流れ」は次のように書き出されている。

 世に云う寛永御前試合なるものが、いつ頃から、何びとによって、如何なる経路を経て伝承されるようになったものかは不明であるが、それが史実にあらざることは明白である。

そして南條はその試合当日に家光が日光参詣中であったから、将軍不在中にこのような試合が行なわれるはずもないと続けている。これらの記述は村雨の「寛永御前試合」の指摘をふまえていることは明らかだろう。

しかし南條はこの虚構の寛永御前試合のモデルとなる事実が存在したと書き、それが寛永六年の駿河御前試合だったと記している。そしてこの試合自体が空前絶後の残忍凄惨な真剣勝負であったことに加え、徳川忠長が反逆の意図を疑われ、領地没収、切腹に至ったために、世に流伝禁止されたからだと説明している。つまり村雨のいう慶安四年の武術上覧をもうひとつのフィクションとしての駿河御前試合へと仕立てることで、この連作を成立させたと推測できる。

その第一試合にあたる第一編の「無明逆流れ」の登場人物と粗筋を述べれば、盲目跛足の伊良子清玄と、片腕の藤木源之助によるもので、前者には凄艶な年増女、後者には若い清楚な美女が付き添っていた。二人の不具者と二人の美女の組み合わせだけでも、試合場の列座の好奇心を湧きたたせるものだった。かつて二人の剣士は岩木虎眼を師とする同門の相弟子で、伊良子に付き添う年増女は師の愛妾、藤木に従った美女は虎眼の一人娘にして伊良子の愛人だったという。この奇妙な縁にある四人をめぐって興味と好奇心が昂まる一方で、伊良子の体得したとされる「無明逆流れ」と称する秘剣は限られた数名しか見ておらず、どの流派にもない奇怪な構えを有する、言語に絶する妙技と伝えられていた。

何とも読み心をそそる書き出しではないか。しかもこのような試合をめぐる物語が「無明逆流れ」から始まって十二編が収録され、『駿河御前試合』は連作構成されているのだ。物語の連環構造と十二の試合の果てにもたらされる血まみれのクロージングについては言及しないが、昭和三十年代の南條の残酷小説の頂点に位置する作品のように思われる。

しかし近年の時代小説の隆盛の中にあっても、南條や残酷小説は忘れ去られていたかのようだった。ところが『駿河御前試合』は今世紀に入って、めざましい復活を遂げた。それはコミックにおいてであり、山口貴由『シグルイ』として蘇ったのだ。『シグルイ』はまず「無明逆流れ」をベースとして、〇三年から秋田書店の『チャンピオンRED』に連載され、現在までに単行本は二十巻近くに及んでいるし、これは未見であるが、〇七年にはアニメ化もされ、『駿河御前試合』はコミックとアニメによって新たな息吹を伴い、小説とは異なる残酷にして異形な世界を出現させたようだ。
シグルイ シグルイ

山越の肉体と血に関する描写は、かつての『女犯坊』などのふくしま政美を彷彿させ、コミックによるマニエリスムとでも呼んでみたくなるほどで、その戦いと血まみれの世界はスプラッター映画の影響を受けていることは歴然である。したがって山口の『シグルイ』は、南條の残酷小説とスプラッター映画技法が重なっているように思える。
女犯坊

この『シグルイ』のタイトルには宮本武蔵『五輪書』の「死狂い」からとられ、そして山口は藤木に「封建社会の完成形は少数のサディストと多数のマゾヒストによって形成されるのだ」と呟かせている。ここに山口が南條から受け継ぎ、『シグルイ』へと昇華させた残酷小説のコアがうかがわれる。

なお『駿河御前試合』は『駿河城御前試合』として徳間文庫に収録されていたようだが、長らく絶版状態にあり、ようやく〇五年になって『シグルイ』の原作ということで多くの復刊要望を受け、新装版が出された。また「公式完全解説書」として、『シグルイ奥義秘伝書』も〇七年に秋田書店から出されている。
駿河御前試合(河出文版) 駿河城御前試合(徳間文庫版) シグルイ奥義秘伝書

また『駿河御前試合』のコミック化は平田弘史とみ新蔵の他に、二〇一一年になって、森秀樹により、リイド社版も刊行されるに至っている。
駿河御前試合(平田弘史) 駿河御前試合(とみ新蔵) 腕〜駿河城御前試合(森秀樹)

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