出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話888 岩田豊雄『海軍』と獅子文六『娘と私』

 火野葦平の『陸軍』に先駆けて、昭和十七年の『朝日新聞』に岩田豊雄の『海軍』が連載され、十八年二月に単行本として刊行されている。岩田はいうまでもなく、獅子文六の本名である。『朝日新聞出版局50年史』によれば、火野が公職追放されたことに対し、岩田は追放指定を受けたが、訴願によって免れたという。
f:id:OdaMitsuo:20190304174603j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20190304180513j:plain:h120 (朝日新聞社)

 それも作用してか、火野の『陸軍』と異なり、岩田の『海軍』は昭和四十三年刊行の『獅子文六全集』第十六巻に収録され、また早くから新潮文庫化されていたこともあり、読むことに対し、開かれた作品であり続けたことになる。あらためて前者を確認してみると、その「付録月報」に、獅子による「『海軍』その他について」が寄せられ、彼は次のように述べている。
f:id:OdaMitsuo:20190305115901j:plain:h120 (第十六巻)

 戦争中に書いた「海軍」その他のものに、私は本名を用いたが、これは一国民としての意識が強くなり、筆名で文学に遊ぶ気持がなくなったからだった。戦争の衝動がどんなものだったかは、「娘と私」の中に書いてあるから、参照されたい。とにかく、それまでの私の文学は「遊び」で、戯作者として終始するつもりだったが、戦争になって、日本が勝ためなら、何でもする気になった。したがって、戦争中に書いたものは、すべて実用の文学である。

 最後の「戦争中に書いたものは、すべて実用の文学である」との言葉は、文学のみならず、大東亜戦争下のすべての出版やジャーナリズムにも実用の言説だったことを伝えていよう。この発言に加えて、獅子が特異なのは自らの朝日新聞社からの全集に、この「すべて実用の文学」を収録したことである。それを自分の意志で実行した文学者は獅子だけではないだろうか。その第十六巻には『海軍』を含め、岩田名で発表された海軍をめぐる小説や随筆のすべてが収録されている。それもあって、早くから『海軍』が新潮文庫化されていたことになろう。
f:id:OdaMitsuo:20190305120532j:plain:h115(新潮文庫)

 『海軍』は太平洋戦争における真珠湾攻撃に際し、特殊潜航艇に乗りこみ、勇士の一人として戦死した横山正治をモデルとする主人公谷真人の短かりし生涯を描いている。それは海軍や勇士を神格化する戦争文学というよりも、地方のまじめな若者が海軍をめざして成長していくというビルドゥングスロマンの色彩が強く、火野の『陸軍』とは趣を異にしている。それゆえに獅子が『海軍』で追放の仮指定を受けたことにはどのような経緯と事情が秘められていたのか。

 このことを確認するために、獅子が挙げている『娘と私』(『獅子文六全集』第六巻所収)を読んでみた。いってみれば、『娘と私』も『海軍』と同様にノンフィクションである。この作品は獅子のフランス人との結婚、日本での生活と娘の誕生、妻の病と帰国と死、獅子の再婚から娘の結婚に至るまでをたどった自叙伝と見なせるだろう。そのために当然のことながら、戦時下に書かれた『海軍』にもふれられている。「太平洋戦争は、事件として、私の生涯の最大なものであった」とされる。以前には岸田国士が大政翼賛会の文化部長に就任したことに驚き、新体制運動や国家総動員にも不振の目を向け、対米開戦は大暴挙だと考えていた。だが「開戦の日ほど、印象の深いものはなかった」し、その「翌日から、翌年の春にかけて、次ぎ次ぎに発表された、空想的な戦果が人を酔わせ、狂わせた」のであり、「私も、いい気になって、万歳を叫んだ者の一人だった」。
 獅子文六全集6 (第六巻)

 とりわけ最初の戦果をもたらした海軍、その中でも死ぬことを自覚し、小さな潜航艇に乗り、真珠湾に入っていった若い士官たちの行動に深く感動した。その頃「私」は『朝日新聞』から連載小説の依頼を受け、士官の出身地の鹿児島、呉の軍港、江田島の海軍兵学校を取材し、彼が「平凡温健な青年である」ことを確認し、「軍神」ではない本当の姿を描こうとして、『海軍』を書き始めた。その作品に自信がなかったが、日を追うに従い、これまでになり好評を博し、四つの映画会社と七つの出版社から映画化と単行本化のオファーが出され、さらに初めての受賞というべき朝日文化賞を得て、朝日新聞社から出された単行本も記録破りの売れ行きを示したのである。

 敗戦後にこれが前提となり、『海軍』を書いた「私」は「特別な眼」で見られるようになった。敗戦を迎えた世間は日毎に目まぐるしく変わっていく。その状況は次のように述べられている。

 昨日までは、最も貴重視されたものが、最も軽蔑すべきものに、転落していく有様は、凄まじい見ものだった。そして、誰も、それを訝しまず、よい加減に、自分を順応させていく様は、もっと、不思議なものだった。

 そして戦争責任者、戦争犯罪人というタームが新聞に現われるようになる。それは妻の郷里の疎開先にも聞こえてくる。その戦犯使命社は占領軍司令部=GHQと日本共産党によるものだった。実際に出版界においても同様のことが起きていた。しかし戦犯と目される文士たちは掌を返すような言論に励んでいた。それは「私」に「文士廃業」を思い起させたし、出版社や新聞社の連載小説の依頼を断わらせていた。

 その一方で、異常な出版景気に見舞われている東京に戻り、新聞小説の構想を立てている時、『海軍』を書いたことにより、GHQからの追放仮指定を受けたことを知る。それに対し、「私」は戦争中に「聖戦、八紘一宇、大東亜共栄圏」という三語を使用したことがないという「異議申立書」を提出し、それがパスし、仮指定は解除に至る。そして敗戦後の日本の姿を『てんやわんや』として『毎日新聞』に連載し始めるのである。
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古本夜話887 火野葦平『麦と兵隊』から『陸軍』へ

 大東亜戦争下の昭和十八年五月から十九年四月にかけて、『朝日新聞』に火野葦平の小説『陸軍』が連載された。それが単行本として刊行されたのは昭和二十年八月のことで、『朝日新聞出版局50年史』は次のように述べている。

 『陸軍』(B6判・六八八ページ・五円・三万部)は印刷日八月十五日、発行日八月二十日の予定になっていたのである。敗戦を察知した山川武祐(当時刊行部長)は、しきりに印刷所を督励した。「せっかく苦労して、そのまま闇に葬るにはしのびないというわけで昼夜兼行、製本に馬力をかけ、十日から配本を始めて、十五日の終戦までに、とうとう売りつくしてしまった」と、山川は当時を回想している(中略)。
もっとも、本社裏(別館まえ)に大八車を屋台代わりに使って、これに山積みして即売までしたとのことである。それでもなお、御茶ノ水駅前などの街頭にうず高く積まれて、投げ売りされていたという(『週刊読書人』昭和42・8・21)
 『九州文学』の同人・岩下俊作は言う。
 「あれは戦争如何にかかわらず、陸軍の歴史ともいうべきもので、小倉の維新から明治初期の有様が非常によく書いてある、北九州の郷土史としても優れていると思う」(後略)。

f:id:OdaMitsuo:20190304174603j:plain:h120(朝日新聞社)
 しかし火野は『土と兵隊』などの兵隊三部作と『陸軍』によって戦争協力者として、三年にわたり、公職追放された。
土と兵隊

 それを確認するために、『日本近代文学大事典』を繰ってみたが、文筆家追放指定への言及はあっても、『陸軍』に関してはそのタイトルすら挙げられていなかった。昭和四十一年に戦史類を出していた原書房から『陸軍』が復刊されたにもかかわらず、それは文学アカデミズムにおいて、またタブー的なニュアンスが残っていたことを意味しているのだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20190304173851j:plain:h120(原書房)

 それでも改造社から出された「兵隊三部作」は火野の代表作として立項され、徐州会戦従軍日記『麦と兵隊』がベストセラーになり、火野が脚光を浴びたことを伝えている。手元にある中川一政装丁による『麦と兵隊』は、巻末に軍報道部の写真班員の梅本左馬次の「フオト・ノート」が収録されているように、火野=陸軍歩兵伍長玉井勝則のポートレートも含んだ写真を伴った戦争ドキュメントと見なせるだろうし、そうした編集がベストセラーならしめた要因のひとつであろう。
麦と兵隊

 そうしてそれは『土と兵隊』『花と兵隊』の「兵隊三部作」へと結晶し、『陸軍』へと継承されていったのである。だが私が『陸軍』を読んだのは平成二年になって、中公文庫化されたことによっているし、いまだもって朝日新聞社版は未見のままだということも付記しておこう。
f:id:OdaMitsuo:20190304150908j:plain:h120(『花と兵隊』) 陸軍(中公文庫)

 『陸軍』は先に挙げた岩下俊作の言にあるように、「陸軍の歴史」をたどりながら「小倉の維新から明治初期の有様」「北九州の郷土史」が描かれ、始まっていく。そういえば、岩下が『九州文学』に発表した『富島松五郎伝』(小山書店、昭和十四年、後に『無法松の一生』角川文庫)もまた同様の色彩を帯びていたことを想起させる。
 f:id:OdaMitsuo:20190304152919j:plain:h120(『富島松五郎伝』)  f:id:OdaMitsuo:20190304153359j:plain:h120(『無法松の一生』)

 それはともかく、『陸軍』の第一部は最初の章に「三代」が置かれ、高木一家のプロフィルが紹介されていく。高木は小倉を郷土とし、かなり長く続いた商家だったが、明治維新と長州戦争にあって、その影響を受けずにはいられなかった。三代前の友之丞は質屋を営んでいたけれど、「天狗かくしの時」として、武士、百姓、町人が混在する長州の奇兵隊に入り、そこで散兵訓練を受け、「勤王」「殉忠報国」「攘夷」「四民皆兵」などの言葉に耳を洗われた。それまでは小倉藩のためにという小さな忠義だけだったが、「ここではすべてが、皇国のため、日本のために、であった」ことを知った。しかし友之丞の奇兵隊入りはわずか五日と続かなかった。それは彼が小倉の者だと発覚し、放逐されてしまったことによる。だがこれこそが「三代」の始まりに他ならず、友之丞の体験は次のように述べられている。

 この時期こそは、おそらく、友之丞にとって、一生に一度の冒険であったであろう。同時に、彼は、ここに、あたらしい自分を発見したのである。そうして、友之丞のおどろきは、高木一家の家風となって、友彦を経、現在、大東亜戦線の各地に転戦している高木兄弟の血のなかに、あたたかく、受けつがれて来たのである。

 そして奇兵隊を指揮してきた山県狂介は大村益次郎とともに、近代陸軍の創設者となっているし、その一方で、友之丞は小倉鎮台の新しい隊長として赴任してきた乃木少佐を訪れ、水戸光圀の『大日本史』に関する教えを乞うている。友之丞の息子の友彦は日露戦争時に陸軍大尉として、乃木大将のいる旅順ではなかったが、奉天会戦に参加したのだった。その友彦の息子たちの伸太郎、秋人、礼三もまた陸軍に入り、「現在、大東亜戦線の各地に転戦している」。それを『陸軍』は活写していくのである。

 だが火野は二月七日の日付の「後書」で、伸太郎が「散華した」フィリピンの「修羅の巷」「凄絶な戦局」に言及している。火野にしても、敗戦の予感の中での『陸軍』の刊行だったにちがいないように思われる。
   
 
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古本夜話886 『現代海洋文学全集』とグッドリッヂ『デリラ』

 前回の海洋文化社の「海洋文学名作叢書」と同様に、本連載487で改造社の『現代海洋文学全集』にもふれておいた。しかしその際には『現代海洋文学全集』に関して未見であった。だがその後、それを二冊入手しているので、続けて書いておきたい。

 書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』を確認してみると、『現代海洋文学全集』は昭和十六年に全十巻予定で刊行されたが、そのうちの六冊が出ただけで中絶してしまったようだ。それでも判明した既刊分をリストアップしてみる。
全集叢書総覧新訂版

1 マンフレート・ハウスマン、高橋健二訳 『青春よさらば』
5 ヨハン・ボイエル、内山賢次訳 『北洋出漁』
6 ジャック・ロンドン、村上哲夫訳 『南海物語』
7 マーカス・グッドリッヂ、岡本圭次郎訳 『デリラ』上
8   〃                   下
9 ジョセフ・コンラッド、土屋巴他訳 『海洋短篇小説集』

f:id:OdaMitsuo:20190304102626j:plain:h120(『デリラ』上)f:id:OdaMitsuo:20190304105942j:plain:h120(『南海物語』)

 入手しているのは7と8の『デリラ』である。だがこの巻末には全集のリストの掲載はなく、その明細は不明のままだ。それに改造社も他の多くの出版社と同様に、社史も全出版目録も出していないので、『現代海洋文学全集』の企画経緯、その中絶の理由もよくわからない。ただ先の既刊リストから判断すれば、収録作品の知名度が低く、大東亜戦争下において、外国の海洋文学翻訳という企画自体が不評だったことに中絶理由が求められるのではないだろうか。

 それを裏づけるように、昭和五十三年に自由国民社から小島敦夫編。『世界の海洋文学・総解説』が刊行されているが、『現代海洋文学全集』とその収録作品への言及はないし、また、『増補改訂新潮世界文学辞典』においても、グッドリッヂと『デリラ』の立項は見当らない。それゆえに実際に『デリラ』を読んでみるしか手がかりはないように思われる。 
世界の海洋文学・総解説

 著者のグッドリッヂは見習水兵として海軍に入り、主としてフィリピン群島、支那、日本沿海で長い海軍生活を送り、第一次世界大戦には駆逐艦乗組員となり、その後ジャーナリズムに携わり、十年を要して『デリラ』を完成したとされる。その駆逐艦をモデルとするのが同書の主人公というべきデリラ号で、時代背景はアメリカが第一次世界大戦に加わる一九一六年暮れから一七年初めにかけての数ヵ月間、舞台はフィリピン群島である。

 デリラ号はミンダナオ島南端のサンボアンからスールー島へひとりの神父を送っていく。フィリピン南部の諸島に住む最も精悍なモロ族が反乱を起こし、その鎮定のために神父が乗りこんでいったように、デリラ号とその乗組員たちも、「死か勝利か」の運命にあることを暗示している。デリラ号はスールー島まで全速で走ったが、艦全体に故障が生じ、減速せざるを得ず、マニラ湾に帰り、修理を施すことになった。だがその時、反乱を起こしたモロ族を支援する武器密輸団がパラワン島沿岸で活動しているので、これを捜索せよとの命令が打電されてきた。

 廃艦に等しい航海しかできないデリラ号はいつ日本の軍艦に襲われるかという不安の中を進み、陸戦隊は未開地の密林地帯を探索し、大きな洞窟に至る。それでも海戦隊は無事に帰艦し、デリダ号はマニラ湾に向かい、大修理にかかる。乗組員たちはストレスから酒と女と喧嘩にその発散を求めたりする。だが新装されたデリラ号に帰艦し、アメリカの参戦が告げられた。ボートを揚げろという命令が下され、デリラ号は本来の使命に邁進することになったのである。

 しかし最も留意すべきはこのような『デリラ』の物語に置かれた「上」における訳者の「作品解説」及び「下」の「おへかき」のいずれも最後のところであろう。まず前者から引いてみる。

 この物語は、そのデリラの活躍場面が、フィリピン群島であり、我が国の海軍も時々噂に上る程で、或る意味に於て極東の関心ことを扱っており、他方米国海軍の兵員に対する再認識も与へてくれる。現在の第二次大戦への米国海軍の参戦も切迫してゐる折柄、この一篇の小説が吾が国民に与へるものが、可成り大きい事を信じて疑はない。

 次に後者から引く。

 米国海軍歩兵は無頼の徒の集合だと言はれ、米人自身少なくとも最近まではそれを認めてゐた。その一端はこの物語にも明らかに見て取れる。然し艦と一体となつてよくその気魄を生かし得るとすれば、無頼漢なる故に恐るべきものとならぬだらうか。米国海軍の士官は教養もあり、精神的にも練成された者が多いと聞かされてゐる。かゝる士官の操縦するこの様な兵員を持つた米国海軍は果して弱いであらうか。吾々としてもこの点に一顧を与へる要はないであらうか。冷静沈着な頭脳に率ゐられる狂暴な力、若しそれが米国海軍の持つ真の相であるとしたら、吾々の考へ方にも一応の反省があつて然るべきものと思はれる。

 『デリラ』は『現代海洋文学全集』 の第一、二回配本に当たり、これらは昭和十六年五、六月の日付で出されているが、十二月には日本軍が真珠湾を空爆し、太平洋戦争が始まっている。それを目前にしての警告とでも称すべきものであり、当然のことながら、軍部には目ざわりな発言だったと思われる。中絶したのもそれもひとつの原因だったのではないだろうか。


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古本夜話885 齋藤忠『海戦』と海洋文化社

 本連載487で、昭和十七年に海洋文化社から「海洋文学名作叢書」の一冊として刊行されたコンラッドの『陰影線』を取り上げておいた。

 海洋文化社と発行者の中村正利に関しての詳細はつかめていないけれども、やはり昭和十七年刊行の齋藤忠『海戦』を入手し、「海洋文学名作叢書」以外の出版物を知ることで、この出版社も南進論絡みで立ち上げられた版元と推測していいように思われた。

 そのことにふれる前に、著者とタイトルを挙げたので、『海戦』を紹介しておくべきだろう。このA5判上製の一冊は地味な機械函入だが、本体は銀色で、表紙と背タイトルが赤字で記された貼り込み仕立てで、戦時下の出版物とは思えないスタイリッシュな装丁となっている。だが装丁者名は見えていないことからすれば、著者、もしくは担当編集者が自ら手がけたものかもしれない。

 この『海戦』の内容にふれると、まさに第一次世界大戦における二十五の「海上戦闘の叙事」を描いたもので、著者の齋藤が所謂「海戦マニア」であることを伝えている。それを告げるように、彼は「序」において、「評論と思索のはげしい勤労生活のなかで、このやうな諸篇の執筆は、私にとつては、何よりも心愉しい息抜であつた」と記している。

 しかし著者に関する経歴などは紹介されていない。ただ『現代人名情報事典』(平凡社)には考古学者の齋藤忠が見出されたけれど、これは別人である。『海戦』の著者の齋藤のほうは軍事評論家、大日本言論報国会常務理事で、同時代に春陽堂書店から、続けて『英米包囲陣と日本の進路』『太平洋戦略序論』『日本戦争宣言』を出している。しかしそれらは未見だが、齋藤が戦後になって尾浜惣一名で訳者として参加した元々社の『最新科学小説全集』の端本は手元にあり、出版史における奇妙なリンクを示していよう。

 それはともかく、『海戦』を入手し、巻末の出版広告を見て知ったのは、海洋文化社が「太平洋叢書」というシリーズを刊行していたことである。それらの五冊を示す。これもナンバーは便宜的にふっている。

1 伊藤孝一 『濠洲の現勢』
2 齋藤博厚 『ビルマの現実』
3 秋保一郎 『仏印概要』
4 伊東敬 『カナダ聯邦』
5 平野常治、八百嘉忠 『中南米研究』

 1の伊藤、2の齋藤、5の八百は外務省の肩書が付されていること、従来の南進論とは異なる4のカナダや5の中南米のことを考えれば、この「太平洋叢書」は外務省との提携によって企画出版されたのかもしれない。それに加え、2の齋藤は『海戦』の著者の近親者とも考えられ、前者を通じて『海戦』も上梓に至ったのではないだろうか。

 この「太平洋叢書」の他には単行本として、津村敏行『戦記南海封鎖』、その続編『南海の日章旗』、「我が国はじめての海の傑作詩集」で、丸山薫編『日本海洋詩集』、浜田隼雄『南方移民村』が掲載されている。津村のこの二冊は匿名の現役海軍少佐による帝国海軍記であり、丸山編の詩集は彼が中央公論社特派員として航海訓練所練習船に乗り、数ヵ月間南方洋上を航海したことと関連しているのだろう。
f:id:OdaMitsuo:20190303114009j:plain:h120 『日本海洋詩集』 f:id:OdaMitsuo:20190303180217j:plain:h120

 『南方移民村』には「問題の長篇小説。南方熱帯地に於ける、日本移民三十年間の苦闘史を描き、今後の南方経営に多くの示唆を与ふ。力強き南方建設の前哨文学」との内容紹介がある。この浜田はここで初めて目にするのだが、幸いなことに『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを引いてみる。

 浜田隼雄 はまだ・はやお 明治四二・一・一六~昭和四八・三・二六(1909~1973)小説家。仙台生れ。家は代々伊達藩の大番士。宮城県立二中より台北高校にすすみ、中村地平、塩月赳らと同人誌「足跡」を出す。東北帝大法文学部に入り、連歌の研究、ついで学生運動、農民運動に参加。卒業後台湾で教師生活をつづけ、「文芸台湾」に連載した『南方移住村』(昭一七・八 海洋文化社)で台湾文学賞を受け、また『草創』(昭一九)なども刊行。戦後郷里に引揚げ、新日本文学会、ついで日本民主主義文学同盟に加入などした。(後略)

 ここで補足しておけば、昭和十八年に日本文学報国会によって大日本文学賞が創設されているが、それとパラレルに外地における賞として台湾文学賞、朝鮮芸術賞、満州文話会賞、満蒙文化賞なども設けられ、本連載471の柴田天馬が『聊斎志異』の研究と翻訳で、満蒙文化賞を受けているという。
定本聊斎志異

 また台湾文学賞は台湾文学社が台湾文学の隆盛をはかるために昭和十八年に制定したもので、第一回は呂赫石におくられている。浜田が受賞したのはやはり同年に皇民奉公会が創設した台湾文化賞の同名の一部門で、浜田の他に西川満『赤嵌記』、張文環『夜猿』が第一回受賞となっている。

 新たに賞が創設されれば、その受賞作をめぐって新たな出版社が登場してくることは近代出版史にしばしばみられる事実であり、海洋文化社もそのような一社だったと見なすこともできよう。おそらく大東亜戦時下にあって、そのような出版社が何社も生まれたにちがいない。


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古本夜話884 高見順とバイコフ『ざわめく密林』

 そういえば高見順も徴用され、南進していたことを思い出し、『高見順日記』(勁草書房、全九巻)を読んでみた。すると第一巻にバリ島やジャワの「渡南遊記」、タイの「徴用日記」、第二巻/上に「ビルマ従軍」が収録され、それらは昭和十六年から十八年にかけてのことだった。
f:id:OdaMitsuo:20190215114646j:plain:h120( 第二巻/下)

 これだけ詳細に徴用記録としての日記を残した文学者は高見の他にはおらず、とても興味深いのはいうまでもない。しかし日記ということもあり、読み続けていくと、高見は昭和十九年になって大本営報道部の応召を受け、六月に支那へと渡り、その半年近い滞在を「渡支日記」として書き、それが第二巻/下に収録されている。ここではこちらにふれてみたい。

 高見は南京から上海に向かい、内山書店にいったり、滞在中の小林秀雄や阿部知二たちに会ったりした後、彼らとともに南京に戻り、中徳文化協会での大東亜文学者大会に出席する。これは『日本近代文学大事典』で「大東亜文学者会議」として立項されているが、日本文学報国会の初代事務局長久米正雄の構想によるものである。大東亜共栄圏の文学者の親善と協力を目的として、昭和十七年に東京と大阪、十八年に東京で開催され、南京は三回目だった。それから北京を経て、満州に入る。甘粕正彦が会長を務める満州芸文協会の発会披露式があり、それにも出席し、甘粕の案内で満映を見学したりする。次はハルピンである。そしてバイコフを訪ねる。

 路地をはいった奥の小さな家だった。バイコフ老とその夫人と娘さんと三人ぐらし。 
 バイコフは今年七十二歳、もうあぶないといわれるくらいの病気をしたあとだという。
 娘さんは母親似で二十四歳、いま日本語を習っているという。

 高見は本連載279の戸川貞雄とバイコフを訪ねているのだが、その理由については述べていない。バイコフは先述の大東亜文学者会議で来日しているので、面識があったとも考えられるし、高見はバイコフの「菊池寛には大変に世話になったと幾度もいうのだった」との言を書き留めている。この言からバイコフの『偉大なる王』(長谷川濬訳、昭和十六年)と『ざわめく密林』(新妻二朗訳、同十七年)がいずれも、菊池寛の文藝春秋社を版元としていることを想起させた。
 f:id:OdaMitsuo:20190227173246j:plain:h120(長谷川濬訳『偉大なる王』、新潮文庫版)
 f:id:OdaMitsuo:20190227174143j:plain:h120(新妻二朗訳『ざわめく密林』、「世界動物文学全集」28 所収、講談社)

 バイコフは一八七二年キエフに生まれ、ロシア軍に入り、満州に送りこまれたが、軍務のかたわらで現地の動植物調査研究に携わり、二三年以降ハルピンに亡命し、満州国成立後もその地で亡命生活を送り、多くの動物小説を発表し、三六年にはハルピンのザイツエフ書店から挿絵入りの『偉大なる王』を出版している。

 それを翻訳したのは長谷川濬で、彼を含めた長兄を谷譲次とする長谷川四兄弟を論じた河崎賢子の『彼等の昭和』
(白水社)によれば、別役実の父である別役憲夫からハルピン土産にもらったことがきっかけだったという。長谷川は満映宣伝課副課長で、売り出し中の李香蘭を担当し、多忙の中にあったが、渡満中の、これも本連載132の富沢有為男とバイコフを尋ね、『満洲日日新聞』に翻訳連載したのである。そしてこれが昭和十六年に同出版部から『虎』として単行本化され、菊池寛が「満洲のジャングルブック」と絶賛したことで、続いて『偉大なる王』とタイトルを変え、文藝春秋社からも刊行の運びとなった。それは富沢の尽力が大だったとされる。
彼等の昭和(『彼等の昭和』) f:id:OdaMitsuo:20190227112541j:plain:h113 (『虎』、満州日日新聞)

 高見も実際に満洲文藝春秋社を訪ね、社員の香西昇との交流も記されていることからすれば、満州文藝春秋社を通じての満洲日日新聞社との折衝によって、改題の文藝春秋社版の刊行が実現したことになろう。その出版をきっかけとして、バイコフは日本での大東亜文学者大会に招待され、それがいずれも菊池の世話になったことから、バイコフは高見を前にして、何度も菊池への謝意を表明したのであろう。

 その『偉大なる王』は残念ながら入手していないけれども、翌年刊行の『ざわめく密林』は手元にある。昭和十七年七月三版五千部との奥付からすると、『偉大なる王』の好調な売れ行きと評価に相乗し、版を重ねていると見なせよう。「序」を記しているのは大仏次郎で、バイコフには二度会っていて、この『ざわめく密林』は「東満の密林」にあった「バイコフさんの若い日の記録」「作りものの小説ではなく、バイコフさんの生活の実録」だと述べている。そして訳者にもふれ、「翻訳者の新妻さんに、逐語訳よりも自由な訳をされるやうに勧めた。新妻さんが、バイコフさんと同じく軍人の経歴を過去に持ち現在は同じハルピンに住んで、一代前のバイコフさんと同じ仕事をしてゐられるのも奇縁である」。

 この挿絵入りの密林動物小説集は二十三編からなり、その「あとがき」において、新妻は長谷川濬からバイコフの話を聞き、予告もなしにバイコフを訪ね、急速な親交が結ばれたことを語っている。それは次のような理由によっている。

 浮世を外に自然と狩猟とを友とする、一種独特の哲人としての風格を、今以て保持してゐる人である事、奇しくも、翁が在満当時の職務である東支鉄道警護の後黒龍兵(ザアムールツイ) の中隊長といふのは、その組織系統に於て、多少の相違こそあれ、また年代に於て三四十年の差異こそあれ、私の現在の職務―満洲国治安部の鉄道警護長と、似たりよつたりであることなどの諸条件であつた。

 新妻は「一介の武弁」だが、それが動機となって「翁の著作を邦訳し、報はれる事の少ないこの老翁を慰めて上げようとした」と述べ、「あとがき」を閉じている。 


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