出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話986 アンドルー・ラング『神話、祭式、宗教』

 前回既述しておいたように、高木敏雄の『比較神話学』は十九世紀のヨーロッパの神話学の成果を参照して書かれているだが、その研究者名は多く挙げられているにもかかわらず、具体的な書名はほとんど挙げられていない。とりわけ高木はアンドリュー・ラングの人類学的比較神話学に依拠していると思われるけれど、その著書名は『比較神話学』や『日本神話伝説の研究』においても、わずかに『風習と神話』(Custom and Myth)が記されているにすぎない。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h110(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)日本神話伝説の研究(『日本神話伝説の研究』)

 本連載でもずっとラングのことはとりあげなければならないと考えていた。しかしラングの著書はマックス・ミュラーと異なり、主要な著作が翻訳されていないようで、その訳書にも出会えなかったこともあり、それが果たせないで、ここまできてしまった。近年ようやく『夢と幽霊の書』(吉田篤弘訳、作品社)が出されているが、これは民俗学や神話学というよりも、英国心霊研究会員としての立場の著作に位置づけられるであろうし、ラングもまた様々な分野の著書を刊行している。

夢と幽霊の書 
 そこでまず『世界文芸大辞典』(中央公論社)におけるラングの立項を引いてみる。
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 ラング(アンドルー)Andrew Lang(1844-1912) イギリスの学者、詩人、民俗学者。スコットランドに生れ、エディンバラ・アカデミー、聖アンドレ大学、オクスフォード大学のパリオル学寮等に学び、後オクスフォードのマートン学寮のフェローとなる。詩は主としてフランスのバラード其他の古詩を学び”、“Helen of Troy”(Ⅰ884-1912)その他の著があり、民俗学の著述には“Myth , Ritual , and Religion”(1887)其他を数へ、歴史的研究にはスコットランドに関するものを主とし、又ギリシャ語学者として、テオクリトスの英訳を完成し、ホメロスの『イリヤッド』『オディシウス』を英訳、最も信頼するに足るものと云はれてゐる。其他童話・小説・随筆等の著も多く、著書の数すべて六十余種、彼の趣味・研究以上の外にも神話・伝説・心霊学等に亙り、一時『ロングマン雑誌』を編輯したこともあつて、稀に見る多才多能の学者として大西洋の東西に多くの読者を持つ。

 これは戦前のラングの立項で、戦後の『岩波世界名著大事典』よりも詳細である。確かに「稀に見る多才多能の学者」のプロフィルが浮かび上がってくるけれど、それが逆にラングのコアの把握を困難にさせたとも推測されるし、日本における主著の翻訳の実現の難しさをうかがうことができる。だがそれでもMyth , Ritual , and Religionは『神話、祭式、宗教』として、『世界名著大事典』(平凡社、昭和三十五年)にその概要を見出せる。もちろん邦訳は出されていないので、それを要約し、紹介してみる。

世界名著大事典 Myth , Ritual , and Religion

 『神話、祭式、宗教』は一八八七年に刊行された。そこでラングはすでに衰退期にあったマックス・ミュラーなどの比較言語学的方法による神話や宗教の研究に対し、比較人類学に基づく方法を確立しようとした。しかも同じ人類学的立場の中で、より一般的な学説、つまり第一段階にアニミズム的な精神の産物としての神話があり、それが純化されて人間以外のものが人間同様の感情(情熱)を持つと解釈する神人同感同情説、もしくは一神論の産物としての宗教が生まれるという学説に異議を唱え、むしろその順序は逆であることを立証しようとした。

 それまでは原始信仰の中に偶然に発見される単一神概念は、キリスト教宣教師の影響だと説明されることが多かった。そこでラングは特にこの影響がまったくないとされるオーストラリア原住民やアフリカのブッシュマンなどの神話伝説を重点的に調査し、これをアメリカインディアンの神話伝説やインド、ギリシアなどのアーリア系の文学的神話と比較した。そしてその結論は次のようなものだ。

 人類進化論上の第一段階に近い第一のグループである未開人は、多神教的神話よりも、むしろ一神教的な原初的存在、もしくは造物主に対する漠然とした信仰心が強く、これは「宗教」に定義できる。これが進化の第二段階の野蛮人になると、「神話」的要素が強くなる。それは以前の漠然とした信仰心情とは別に、自分の周囲の自然現象をはっきりと合理的に説明しようとする努力の表出である。さらに特定の家族や民族の起源と優位性の説明といった社会制度上の要求がこの神話的傾向を強化し、そのためにこれを制度化した「祭式」の誕生を促すことになる。

 かくして『神話、祭式、宗教』は心情的宗教への理解や「聖なる野蛮人」の概念の影響を示し、十九世紀後半の思潮の一端を浮かび上がらせているが、人類学的神話宗教学のひとつの立場の集大成というべきで、一八九九年には改訂版も出されているという。ここに本連載907のタイラーの『原始文化』から始まったアニミズムに端を発する神話や宗教研究の軌跡が見てとれる。高木の挙げている『習俗と神話』の出版は一八八四年である。

f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain:h105(誠信書房版)

 このようなラングの人類学的神話学を背景にして、一九〇四年=明治三十七年に高木の『比較神話学』が送り出されたことになろう。

 なおタイラーの『原始文化』(松村一男監訳、国書刊行会)の新訳が出され始めているが、ラングもいずれ翻訳されていくのだろうか。

原始文化


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古本夜話985 高木敏雄『比較神話学』と武蔵野書院

 前回、高木敏雄の『日本神話伝説の研究 神話・伝説編』の「序」は柳田国男が寄せていることを既述したが、そこには「比較神話学が高木君最初の力作であり日本伝説集が明治末葉の大蒐集であつて、共に最近に覆刻せられた」という一節が見えていた。『日本伝説集』は他ならぬ郷土研究社から大正二年の刊行である。

f:id:OdaMitsuo:20191217170856j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191219114200j:plain(郷土研究社版)

 そのうちの『比較神話学』は入手していて、大正十三年に発行者を前田信とする武蔵野書院から出されている。またその奥付の前田の横には発行兼印刷者として、岡村千秋の名前もあるし、奥付裏には『比較神話学』と並んで『日本伝説集』も広告されているので、柳田のいう「ともに最近に覆刻」を担ったのは武蔵野書院だったことがわかる。またそこには本連載で取り上げてきた郷土研究社の伊波普猷『古琉球』、金田一京助『北蝦夷古謡遺篇』、「爐邊叢書」なども掲載され、武蔵野書院と郷土研究社の親密さをうかがわせている。

f:id:OdaMitsuo:20191222121951j:plain:h115(『北蝦夷古謡遺篇』、甲寅叢書)

 それはいうまでもなく、柳田の出版代行人たる岡村千秋の存在によっているはずだ。それらの事実は「岡村千秋、及び吉野作造と文化生活研究会」(『古本探究Ⅲ』所収)などでふれてきたとおりだ。また岡村と高木の関係もかなり深かったように思われる。実は岡書院の二冊の奥付には、故高木敏雄の横に右相続人高木九一郎の名前が並列され、この二冊の出版が高木の遺族のためのものだとわかる。『比較神話学』の奥付には相続人の名前はないけれど、「板権所有」のところに「まゑだ」の押印があることからすれば、武蔵野書院の前田が、『比較神話学』の印税の代わりに版権を買って刊行したと見なせよう。おそらく『日本伝説集』も同様で、これらも高木の遺族のために、岡村が配慮し、再度の出版にこぎつけたと考えられる。

古本探究3

 『比較神話学』は明治三十七年に博文館から刊行されたが、柳田によれば、「高木君の新し過ぎた学問は、恰かも新し過ぎた葡萄酒の如くに、舶来品歓迎者にすらも、尚賞玩せられなかつた」ようだ。それもそのはずで、日本において神話研究は始まったばかりだったし、高木こそがそのパイオニアに他ならず、しかもヨーロッパの研究にベースをおいていたからだ。その「序」において、高木は実際に多くの名前を挙げ、次のように書いている。人名横の傍線は省く。

 本書は、此等の民族の神話説話に関しては其材料を悉く欧羅巴の著書に求め、神話上の問題に関しても亦た、多く欧羅巴の学者の意見を参考にしたり。参考せし著述の最重なるものゝ二三を挙ぐれば、プレルレルの希臘神話学、マクドネルの吠陁神話学、ゴルテルの日耳曼神話学、モックの日耳曼神話学、マックス、ミュラー及びラングの神話学的著述、マイエルの比較説話学的論文、ギルの南太平洋神話、バーリング、ゲールトの中世説話の研究、デーンハルトの民間天然科学的説話、ゼーンスの植物説話、フィスクの神話学、ゴールドシーヘルの希伯来神話、デンニスの支那民間説話等なり。「アイヌ」神話に関しては、チェンバーレン並びにバチェラー二氏の著より、その材料を取れり。日本支那の神話研究に関しては、外国人の研究殆んど云ふに足らず。本書中、日本支那の神話説話に関する部分は、凡て著者の創見なり。

 そうして第一章「総説」は神話学の概念由来から始まり、比較神話学説が紹介されていく。それらは神話起原説と比較神話学、人類学的比較神話学、神話伝播説、宗教学的神話学が挙げられ、続いて比較神話学の方法と神話の種類が論じられる。第二章は「天然神話」として、太陽神話、天然物素諸神に続いて、支那と日本神話の天地開闢説が検討される。第三章は「人文神話」で、罪悪の神話的説明と人文神話が語られ、死と火との起原に及ぶ。第四章は「洪水神話」で、まず支那洪水神話の英雄から洪水神話の比較がなされる。第五章は「英雄神話」で、英雄成功物語、勇者求婚説話、怪物退治説話、動物説話がしめされていく。第六章は「神婚神話」として、神婚神話、白鳥処女説話、また仙郷淹流説話における浦島説話の伝承、海宮説話、説話の解釈へと至る。
 
 これらの神話学が科学として研究されるようになったのは十七、八世紀以後で、十九世紀の初期を迎え、歴史学が大きな影響をもたらし、科学としての神話学は発達したことになる。それは人類の同一祖先説を排し、一個の原始民族存在説で、その最初の存在地はインド、あるいはエジプト、若しくは中央アジアの高原だったりするが、「何れもその根源地を東方に求むる点に於ては相一致す」ということになる。神話学のオリエンタリズムが台頭してきたことを意味しているのだろう。

 それゆえに、これも本連載でお馴染みのマックス・ミュラーの言語学的比較神話学が批判され、人類学的比較神話学を創立したアンドリュー・ラングが検証されていくのである。ここに見られるように、十九世紀における神話学の進化は、比較研究の賜物に他ならないので、高木は自らの著書を『比較神話学』と命名したと述べている。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h115(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)

 また「序」に挙げられている研究者とその著作は、当時まだ多くが翻訳されておらず、柳田がいうように、博文館版は「舶来品歓迎者にすらも、尚賞玩せられなかつた」ことが理解される。大正十三年の武蔵野書院版のほうはどうだったのであろうか。


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古本夜話984『郷土研究』と高木敏雄『日本神話伝説の研究』

 続けてサンカをめぐってきたが、その発端ともいえる柳田国の「『イタカ』及び『サンカ』」(『柳田国男全集』5 所収、ちくま文庫)が発表された時代に戻ってみる。

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 大正二年に柳田国男は神話学者の高木敏雄とともに、本格的な民俗研究雑誌『郷土研究』を創刊する。『柳田国男伝』 によれば、明治四十四年十一月の神道談話会の席で、柳田は高木と初めて出会い、急速に親しくなり、雑誌創刊が具体的な方向へと進んでいった。だがスポンサーが現われず、最初の一年分の刊行経費は柳田が負担し、高木が編集を引き受けた。そのために郷土研究社が設立され、その発行と編集事務はこれも岡村千秋が担うことになった。

f:id:OdaMitsuo:20191218102424j:plain:h120(創刊号、復刻)   

 『郷土研究』創刊号は柳田のペンネームも含めて、大半を二人が執筆し、思いの他の売れ行きで、創刊号千部は売り切れ、三版まで発行されたようだ。そこに高木は「郷土研究の本領」(『増訂日本神話伝説の研究』2 所収、東洋文庫、平凡社)を寄せ、「日本民族の文献学的研究の今日までの歴史」は「文明の科学的研究」「文献科学的研究」に基づいていないし、それが「現時の日本文献科学界の最大欠陥」「最大疲弊」であるとし、次のように述べている。

増訂日本神話伝説の研究 2

 この欠陥とこの疲弊とは、いかほど大なる苦痛を忍んでも、何物を犠牲にしても、ぜひともこれを除かねばならぬ、ぜひともこれを救わねばならぬ、という信念の上に立ち、かつ日本民族の文献学の完成は、日本の学者の天職である以上は、この完成の前提たるべき日本民族生活の根本的研究の完成に向かって努力するのは、我々の義務であり、努力するを得るのは我々の幸福である、という信念の上に立って、この方面の研究に向って貢献したい希望から、あえて自ら惴らず、ここに新雑誌『郷土研究』を発刊するに至ったのである。

 そして「この月刊雑誌の運命は」と続いていくのだが、柳田のほうは直接資料の採集や利用を提唱していたから、このような高木の昂揚した「日本民族の文献学の完成」への意志とコラボレーションが成立するはずもなかった。それに加えて、柳田は地方の知的青年層や教員などに向けての啓発的誌面をのぞんでいた。しかし高木は研究者向けのアカデミックな専門雑誌を志向し、新しい郷土研究というコンセプトの共有に至らなかったし、もちろん編集をめぐる二人の性格上の問題も絡んでいたはずだ。

 それらもあって大正三年に高木は編集から手を引いてしまった。わずか一年での柳田との訣別であった。また高木の個人的生活難も作用していた。『郷土研究』に発表した論考をまとめた『人身御供論』(編集山田野理夫、宝文館、昭和四十八年)所収の「高木敏雄小伝」によれば、明治四十五年に年俸六百円で東京高師のドイツ語教授に就任していた。だが大正二年に『日本伝説集』(郷土研究社)を三百円で自費出版したことで家計が逼迫し、そのために『読売新聞』の連載を続けていて、これが『郷土研究』から手を引く決定的な理由となったとされる。その後、高木は大正十一年に松山高校ドイツ語講師を経て、新設の大阪外語学校教授となり、ドイツ留学を控え、腸チフスで死亡している。

人身御供論 (『人身御供論』) f:id:OdaMitsuo:20191219114200j:plain:h110(『日本伝説集』)

 一方で柳田のほうは大正三年に貴族院書記官長に就き、多忙の身であったが、高木に対する意地もあってか、『郷土研究』を単独編集で続刊し、多くのペンネームを使って執筆し、大正六年まで刊行した。『郷土研究』は四年間の刊行だったけれど、柳田が目的とした中央と地方在住者の連携は身を結んだといえるし、折口信夫、早川孝太郎、金田一京助といった学徒も見出され、日本民俗学の歴史のベースを築いたともいえよう。

 しかしそれは柳田と高木の関係に微妙な陰影を伴ったように思われる。高木の死後の大正十四年に、これも本連載でお馴染みの岡書院から『日本神話伝説の研究 神話・伝説編』『同 説話・童話編』の二冊が出され、菊判並製だが、函入で合わせると五七〇ページに及んでいる。前書には高木の高等師範教授時代の写真も掲げられ、柳田の「序」が続いている。それは次のように始まっている。

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 高木君とは一年半ほどの間、殆ど毎日のやうに往来して居たことがあつた。其頃はまだ同君の学問が現今の如く盛に行はれぬ時節であつて、書物や資料の蒐集に色々の不自由が有つたのみで無く、一般に外部の事情には、慷慨せねばならぬやうなことが多かつた。(中略)その上に高木君の気質にも、ぢつと書斎の忍耐を続けて行けるだらうかを、危ましめるものが実は有つた。

 ここに『郷土研究』を去られた、柳田の高木に対するアンビヴァレンツな思いが滲み出ているように思われる。そして『比較神話学』に始まる「高木君の新し過ぎた学問」である神話学と、柳田のイメージする民俗学の相性の悪さが、問わず語りのようにほのめかされていよう。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h120(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)

 柳田の「序」が終わると、岡村千秋名での「凡例」があり、そこに著者も生前に本書の出版を企てたようだが、実現せずに帰らぬ旅に立たれたとあり、「今回はからずも本書の刊行を見、故人の霊前に捧ぐるを得たるは、偏に岡書院主人岡茂雄氏の好意の賜物である。茲に遺族と共に編者は深く感謝の意を表したい」と記されている。

 しかしそのためには柳田に対する大いなる配慮が必要であった。先述の高木の「郷土研究の本領」は『同 説話・童話編』の末尾に収録されているが、タイトルは「日本土俗学研究の本領」と改題され、しかも先に引用した部分と末尾の四行は削除されている。これが柳田における初期民俗学の政治的本領ということになろうか。


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古本夜話983 田山花袋「帰国」と『サンカの民を追って』

 本連載484の『現代ユウモア全集』第2巻に堺利彦の『桜の国・地震の国』があり、そこに「山窩の夢」という一文が収録され、田山花袋がサンカ小説「帰国」を書いていることを知った。この短編はこれも本連載262の『花袋全集』第七巻所収だとわかったので、いずれ読むつもりでいた。

f:id:OdaMitsuo:20191217104425j:plain:h115(『桜の国・地震の国』)花袋全集

 ところがそうしているうちに年月が過ぎてしまい、思いがけずに「山窩小説傑作選」とサブタイトルが打たれた岡本綺堂他『サンカの民を追って』(河出文庫、平成二十七年)が出され、そこには花袋の「帰国」も収録されていたのである。これは山から山へと旅を続け、村里の農家にささらや椀の木地や蜂の巣などを売るサンカたちの生活を描くことから始/まっている。彼らはそのように旅しながら、一年に一度は故郷の国に帰ることを楽しみにしていた。そこはやはり山路の果てにある峠の上に位置しているようで、その会合には大勢の人々が集まり、各地のめずらしいご馳走が出され、酒もふんだんに飲み、若い男女も年寄も一緒に歌を唄い踊った。その「宴会の歓楽は、言葉にも言い尽すことが出来なかった」のである。

サンカの民を追って

 それがこの短編のタイトルの由来で、サンカ生活のハレとケを描き、その特異で謎めいた存在を伝えようとしている。次のような記述も見える。「幼い頃から親に連れられ、仲間に伴われて、草を杖に、露を衾に平気で過して来た習慣は、全くかれ等をして原始の自然に馴れ親しませた。それにかれ等の血には放浪の血が長い間の歴史を持って流れていた」。それゆえに「白い服を着て、剣を下げた人達」=「警官達」の監視と排除のシステムにさらされていた。それは次のような部分に表出している。

 かれ等は一番多くこういう人達を怖れた。そしてこういう人たちは、きまって、かれ等に籍の存在を聞いた。しかしかれ等はそういうものを何処にも持っていなかった。強いて詰問されると、かれ等はかれ等の頭領から持たされた木地屋の古い証書の写しのようなものを出して見せた。それは七八百年も前の政庁から公に許可されたようなもので、麗々しく昔の役人達の名と書判がそこに見られた。全国の山林の木は伐っても差支えないというような文句がそこに書かれてあった。

 これは偽書に他ならない、所謂「河原巻物」で、サンカがそれを持ち歩いているという記述は初めて目にするものである。盛田嘉徳の『河原巻物』(法政大学出版局)や脇田修『河原巻物の世界』(東大出版会)を確認してみたけれど、サンカと「河原巻物」との関係は取り上げられていない。それならば、花袋はこのようなサンカについての情報をどこから入手していたのだろうか。

河原巻物 f:id:OdaMitsuo:20191217112657j:plain:h110

 この「帰国」は大正五年に『新小説』に発表されたもので、それに先駆ける明治四十四、五年に柳田国男は『人類学雑誌』に「『イタカ』及び『サンカ』」(『柳田国男全集』4 所収、ちくま文庫)を書いている。その記述は「サンカの生活状態」も含み、花袋の「帰国」の描写を彷彿とさせる。これらの事実からすれば、花袋は柳田を通じてサンカと「河原巻物」のことも教えられたのであろう。

柳田国男全集

 それは花袋だけでなく、この『サンカの民を追って』に収録された作品も同様なのではないだろうか。発表年を見てみると、岡本綺堂「山の秘密」は大正十年、中村吉蔵の戯曲「無籍者」は同十四年に書かれていた。これらのことは柳田のサンカをめぐる論稿を端緒として、大正時代にサンカ小説が萌芽し始めたことを示唆していよう。

 本連載977で既述しておいたように、三角寛が本格的に『怪奇の山窩』を始めとするサンカ小説を発表していくのは昭和七年からであり、彼は大正時代に書かれたサンカ小説と犯「罪実話を結びつけることによって、新たなサンカブームを招来させたといっていいだろう。

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 また木地屋に関しては、折口信夫に「木地屋のはなし」(『折口信夫全集』第十五巻所収、中公文庫)がある。これは昭和十二年のもので、明治四十一、二年に、やはり柳田国男が木地屋に関する研究「史料としての伝説」(同前)を念頭に置き、それから近江国愛知郡の神社と美濃国揖斐郡の寺で見つかった、これも「河原巻物」と呼んでいいだろう図を掲げている。これらは諸国を歩き、後に山に籠り、ろくろを発明したと伝えられる器地=木地屋の祖神、小野ノ宮=惟喬親王をまつった図である。つまり自分たちの村から木地屋が諸国に出ているので、「その木地屋の氏神をお守りして、諸国の木地屋を監督してゐる」ことを示すものだと折口は述べている。その一方で、木地屋は「まづ大半の山々を渡り歩いてゐるので、一定の家を持たない特殊民だと自他ともに考へてゐたようです」とも語っている。

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 これは花袋の「帰国」におけるサンカと木地屋の関係、もしくは共通性を物語り、花袋も柳田からこのような話を聞き、それを「帰国」へと流しこんだように思われる。


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古本夜話982 夢野久作「骸骨の黒穂」

 菊池寛と三角寛、『オール読物』とサンカ小説の関係からすれば、やはり昭和九年に『オール読物』に掲載された夢野久作の「骸骨の黒穂(くろんぼ)」にふれないわけにはいかないだろう。実はこの作品もサンカをテーマとしているからである。

f:id:OdaMitsuo:20191217090223j:plain:h120(「骸骨の黒穂」、角川文庫版)

 この「骸骨の黒穂」という短編は明治二十年頃の「人気の荒い炭坑都市、筑前、直方の警察署内で起った奇妙な殺人事件の話・・・・・・」として始まっている。その直方の町外れに一軒の居酒屋があった。それは街道沿いの藁葺小屋で、三坪ばかりの土間に木机と腰掛、酒樽が並び、壁棚に煮肴や蒲鉾類が置かれ、六十がらみの独身者の老爺が営み、坑夫、行商人、百姓たちが飲みにきて繁盛していた。店主は刺青があり、太った禿頭だったが、一パイ屋の藤六と呼ばれ、人気があった。この藤六には妙な道楽があり、それは乞食を可愛がることに加え、周囲の麦畑でその黒穂を摘む癖も見られたけれど、誰も怪しむ者はいなかった。ただこの藤六がいることで、直方には乞食が絶えないとの評判にもなっていた。

 その藤六が明治十九年の暮に死んだ。残されていたのは仏壇に幾束もある麦の黒穂と、奥にあった古ぼけた茶褐色の人間の頭蓋骨だった。それから出てきた藤六の戸籍謄本によって、彼が四国生まれで身寄りがないとわかり、直方の顔役が金を出し、近所葬(とむらい)となった。そこに行商人体の若い男がやってきて、仏の甥と名乗り、叔父が死んだと聞き、泣き出してしまった。その名前は銀次といい、四国生まれの三十二歳で、放蕩を重ね、中国筋から大阪へ流れ、そこであらん限りの苦労の末、鉋飴売りの商売を覚え、四国に帰ったが、故郷には誰もおらず、叔父の藤六が直方で酒屋をやっていると聞き、ここまで訪ねてきたのだった。

 それから間もなく、銀次は酒屋を引き継ぐと、乞食の姿が目立って増えてきたが、酒屋の軒先に立つことはなかった。藤六と異なり、銀次は乞食嫌いのようで、商売に身を入れ、店も繁昌してきた。その一方で、直方に集中していた乞食連中はほとんどいなくなり、人々はこの現象を乞食の赤潮といって驚き、警察もしきりに首をひねっていた。

 ある晩、銀次が店を閉めると、表の戸をたたく女の声がして、小柄な女が酒を買うために入ってきた。女が帰った後、銀次は身支度を整え、一時間ほど待っていると、先ほどの「巡礼のお花」が忍びこんできた。彼は彼女を捕え、警察に突き出す。しかし女は銀次を「丹波小僧」と呼び、匕首で殺し、自害してしまう。その四、五日後に物知りの小学校校長から聞いた話を警察署長が語り出す。

 「(前略)人間の舎利甲兵衛に麦の黒穂を上げて祭るのは悪魔を信心しとる証拠で、ずうっと昔から耶蘇教に反対するユダヤ人の中で行われている一つの宗教じゃげな。ユダヤ人ちゅうのは日本の××のような奴どもで、舎利甲兵衛に黒穂を上げて置きさえすれば、如何(どげ)な前科があっても曝れる気遣いはないという……つまり一種の禁厭(まじない)じゃのう。その上に金が思う通りに溜まって一生安楽に暮されるという一種の邪宗門で、切支丹が日本に入ってくるのと同じ頃に伝わって来て、九州北方の山窩とか、××とか、言うものの中に行なわれておったと言う話じゃ」

 そして「この直方地方は昔からの山窩の巣窟」であったことも。それを受けて事件の捜査に当たった巡査部長が続ける。藤六は四国の豪農の息子だったが、若気の過ちで人を殺し、石見の山奥に入り、山窩の親分になった。藤六とお花と銀次は埋葬され、藤六には麦の黒穂、お花には花の束が置かれていたが、銀次の土盛りには糞や小便がかけられていた。それをめぐって、やはり藤六の盃を受けた銀次の兄弟分の雁八の証言が出される。

 丹波小僧は藤六が天の橋立の酌婦に産ませた実の子で、それを銀次は知らなかった。お花もやはり藤六の娘で、九州で巡礼に化け、女白浪となっていたことから、藤六は娘会いたさに、石見の山から直方にやってきた。集まってきた乞食たちは彼の後を慕ってきたのだった。ところが銀次は大阪で殺人を犯し、直方に流れてきて藤六を見つけ、金をためていることを知り、毒殺して、店を乗っ取ってしまった。それを知った藤六の子分たちが直方に集まり、評議し、お花を探し出し、銀次が実の兄であることをかくし、仇討ちをさせたのである。それでお花が自害するまえに発した「……皆の衆……皆の衆、すみません。私はお花じゃが……もう私は帰られんけに、帰られんけ……」という別れの言葉の「皆の衆」が山窩たちだったと判明する。

 この「骸骨の黒穂」は三一書房の『夢野久作全集』3に収録され、「解題対談」の「多義性の象徴を生み出す原思想」で、鶴見俊輔と谷川健一が「乞食の赤潮」にふれ、夢野の「多義的な象徴」を見ているけれど、山窩という設定への言及はない。たまたま同巻には同時期に『オール読物』に発表した「爆弾太平記」「山羊鬚編集長」も収録されているが、それらの関係は定かでない。ただ菊池寛が介在していると推測できよう。
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 それだけでなく、『近代出版史探索』でも既述しておいた、夢野と『ドグラ・マグラ』の松柏館、『白髪小僧』と誠文堂などの出版社との結びつきも、はっきりしたことがつかめない。まさに彼の場合、出版社としての関係も「夢野久作」(うすぼんやり)的だといっていいのかもしれない。
近代出版史探索

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