出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル143(2020年3月1日~3月31日)

 20年2月の書籍雑誌推定販売金額は1162億円で、前年比4.0%減。
 書籍は713億円で、同3.2%減。
 雑誌は448億円で、同5.2%減。
 その内訳は月刊誌が370億円で、同4.6%減、週刊誌は78億円で、同8.2%減。
 返品率は書籍が31.8%、雑誌は41.5%で、月刊誌は41.2%、週刊誌は42.9%。
 書店売上は書籍が2%減だが、学校の一斉休校もあり、小学ドリルなどの学参は12%増、学習漫画などの児童書は5%増で、新型コロナによるプラスということになる。
 まだ2月の書籍雑誌推定販売金額に、新型コロナの影響は実質的に表われていないといえるかもしれないが、3月にはかつてないマイナスとして現実化するだろう。
 それは出版業界の生産、流通、販売のさらなる未曽有の危機として表出していく。
 すでにその渦中にあると考えるしかない。


1.『文化通信』(3/2)が一面特集「新型コロナ・ウィルスの影響が広がる」で、新聞、出版、広告業界のイベントや会合中止を伝えている。
 出版業界では「全国トーハン会代表者総会」、5回目の「本のフェス」、丸善ジュンク堂の「丸の内BOOKCON2020」などが中止。
 また『新文化』(3/5)も同じく一面特集「新型コロナ 店頭売上に影響およぶ」として、「住宅地・郊外型」の書店では比較的影響が少ないが、「大型施設や駅前型」の書店は前年比10%近くの減少で、大きなダメージを受け、ある地方書店では20%マイナスも生じているとレポートしている。

 これらは3月上旬の記事であり、その後のイベントや会合中止はさらに増加し、3月の書店売上もさらに減少しているようだ。
 日本百貨店協会の発表によれば、3月1日から17日の百貨店売上高は前年比40%減となり、1965年の統計開始以来、過去最大の落ち込みになるという。2月の売上高は同12.2%減。
 本クロニクルはその根底的視座として、高度資本主義消費社会は平和と安全が前提だと認識してきたが、それが思いがけない新型コロナによって侵蝕されてしまったのだ。グローバリゼーション化と相俟って、リーマンショックや東日本大震災を超える経済不況に見舞われつつある。



2.株式市場も急落しているの、上場企業書店と関連小売業も見てみる。

 

■上場企業の書店と関連小売業の株価
企業18年5月
高値
18年11月21日
終値
19年11月21日
終値
20年3月20日
終値
丸善CHI363348377348
トップカルチャー498382345250
ゲオHD1,8461,8401,3261,334
ブックオフHD8398081,082808
ヴィレッジV1,0231,0781,110856
三洋堂HD1,008974829814
ワンダーCO1,793660726484
文教堂HD41423915995
まんだらけ636630604492
テイツー4223

 本クロニクル139で、同じリストを掲載したばかりだが、トップカルチャー、ワンダーCO、文教堂は株価が急落しているといっていいだろう。
 しかも新型コロナによる売上減少が反映されるのはまだこれからだし、これら以外の大手チェーンに及んでいくことは確実だ。
 また2月の書店閉店状況を見ても、ジュンク堂だけでなくTSUTAYA5店、ヴィレヴァン4店、文教堂2店、それから廣文館やフタバ図書の大型店も閉店している。
 おそらく新型コロナによる書店売上マイナスは何よりも大型店を直撃し、どこまで高い家賃コストに耐えられるかという状況へと追いやられていくだろう。
odamitsuo.hatenablog.com



3.『新文化』(3/12)に、図書館に勤めている20代の匿名の女性による寄稿「図書館サービス制限に違和感」が掲載されている。
 これは新型コロナによる図書館イベントやサービスの中止、とりわけ「レファレンス」と「資料の閲覧」ができなくなったことをさしている。彼女の言葉を引こう。

 中止されたサービスの内容が、私には信じられないものでした。主に資料(新聞を含む)の閲覧、閲覧席の利用、利用者が調べる内容に関しての相談(レファレンス)、館内に設置されているパソコンでのインターネットの使用などです。
 これは、利用者の滞在時間を短時間にすることと、対人接触を可能な限り避けることを目的としています。そうして残ったサービスは、予約資料の受取り、資料の返却、館内の検索機またはホームページを使用してのセルフ検索くらいです。

 続けて彼女は「図書館の自由に関する宣言」に言及し、これらの「今回のサービスの制限」に疑問を呈している。

 こうした新型コロナの影響が図書館現場において、広く実施されているのかどうか、詳らかにしないが、かなり休館に及んでいることは仄聞している。
 かつてであれば、このような図書館状況は『出版ニュース』で報じられていただろうが、休刊となった現在ではそれも不可能となってしまった。
 多くの出版社のデジタルコンテンツ無料公開は、業界紙でも報じられているけれど、まさに図書館に関するレファレンスも、これから難しくなっていくことを知らしめているのかもしれない。



4.戸田書店静岡本店が5月に閉店。
 静岡本店はJR静岡駅北口前の複合商業ビル「葵タワー」の地下1階から2階までの3フロアで、文芸書から専門書なども含め、60万冊を揃えていた。
 2002年に旧長崎屋静岡店ビルを取得して開業し、07年に再開発事業に伴い、一次退去したが、10年に「葵タワー」完成とともに再オープンしていた。
 また戸田書店の富士店、富士宮店(いずれも静岡)、桐生店(群馬)、長岡店(新潟)、三川店(山形)の5店舗は丸善ジュンク堂の運営となり、丸善CHIグループの傘下に置かれることになった。

 静岡呉服町通りには、かつて御三家とされた谷島屋、江崎書店、吉見書店があった。それに戸田書店も加わったわけだが、いずれも閉店という事態を迎えた。
 通りにはTSUTAYAだけが残り、静岡の書店の一時代が終わったことになろう。駅ビルに谷島屋、新静岡駅ビルに丸善ジュンク堂があるにしても。
 戸田書店の静岡本店は地元のデベロッパーに売却されるようだが、その背後には栗田と大阪屋、大阪屋栗田から楽天に至る取次買掛金の問題が潜んでいるだろうし、その清算はどうなるのだろうか。
 それと同時に、戸田書店は2の三洋堂と並んで、1970年代後半からの郊外店出店の先駆けだった。
 今日の事態は書店の郊外店の終わりを告げていよう。



5.『出版月報』(2月号)が特集「コミック市場2019」を組んでいる。
 その「コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移維」と「コミックス・コミック誌 推定販売金額推移」を示す。

■コミック市場全体(紙版&電子)販売金額推移(単位:億円)
電子合計
コミックスコミック誌小計コミックスコミック誌小計
20142,2561,3133,56988258874,456
20152,1021,1663,2681,149201,1694,437
20161,9471,0162,9631,460311,4914,454
20171,6669172,5831,711361,7474,330
20181,5888242,4121,965372,0024,414
20191,6657222,3872,593コミックス
コミック誌統合
2,5934,980
前年比(%)104.887.699.0129.5129.5112.8


■コミックス・コミック誌の推定販売金額(単位:億円)
コミックス前年比(%)コミック誌前年比(%)コミックス
コミック誌合計
前年比(%)出版総売上に
占めるコミックの
シェア
(%)
19972,421▲4.5%3,279▲1.0%5,700▲2.5%21.6%
19982,4732.1%3,207▲2.2%5,680▲0.4%22.3%
19992,302▲7.0%3,041▲5.2%5,343▲5.9%21.8%
20002,3723.0%2,861▲5.9%5,233▲2.1%21.8%
20012,4804.6%2,837▲0.8%5,3171.6%22.9%
20022,4820.1%2,748▲3.1%5,230▲1.6%22.6%
20032,5492.7%2,611▲5.0%5,160▲1.3%23.2%
20042,498▲2.0%2,549▲2.4%5,047▲2.2%22.5%
20052,6024.2%2,421▲5.0%5,023▲0.5%22.8%
20062,533▲2.7%2,277▲5.9%4,810▲4.2%22.4%
20072,495▲1.5%2,204▲3.2%4,699▲2.3%22.5%
20082,372▲4.9%2,111▲4.2%4,483▲4.6%22.2%
20092,274▲4.1%1,913▲9.4%4,187▲6.6%21.6%
20102,3151.8%1,776▲7.2%4,091▲2.3%21.8%
20112,253▲2.7%1,650▲7.1%3,903▲4.6%21.6%
20122,202▲2.3%1,564▲5.2%3,766▲3.5%21.6%
20132,2311.3%1,438▲8.0%3,669▲2.6%21.8%
20142,2561.1%1,313▲8.7%3,569▲2.7%22.2%
20152,102▲6.8%1,166▲11.2%3,268▲8.4%21.5%
20161,947▲7.4%1,016▲12.9%2,963▲9.3%20.1%
20171,666▲14.4%917▲9.7%2,583▲12.8%18.9%
20181,588▲4.7%824▲10.1%2,412▲6.6%18.7%
20191,6654.8%722▲12.4%2,387▲1.0%19.3%

 19年のコミック全体の販売金額は4980億円、前年比12.8%増。その内訳は紙のコミックスが1665億円、同4.8%増、電子コミックス2593億円、同29.5%増で、2年連続のプラスとなった。
 電子コミックは14年の統計開始以来、過去最高の売上で、ついに紙のコミックスとコミック誌の販売金額を上回った。これは「漫画村」などの海賊版サイトの閉鎖も大きく影響しているはずだ。
 紙のコミックスの増は『鬼滅の刃』(集英社)の大ヒットによるもので、12月発売の18巻は初版100万部、19年末には18巻累計で2339万部に達し、2000年2月の19巻は初版150万部、電子版を含めると累計が4000万部を突破している。
 19年の書籍扱いコミックスの販売部数が2375万部であることを考えれば、大ブレイクと呼ぶしかない『鬼滅の刃』の売れ行きだ。出版業界においては、久方ぶりの明るいニュースだ。

 だが留意すべきは、毎年のようにこうした大ブレイクが起きるわけではないし、コミック誌は722億円、前年比12.4%減で、14年の半分ほどの売上となっている。それはまだ続くだろうし、『鬼滅の刃』にしても、『週刊少年ジャンプ』がもたらした大ブレイクであり、紙のコミック誌の存在を抜きにしては語れないことを忘れるべきではない。
鬼滅の刃 鬼滅の刃



6.講談社の決算は1358億3900万円、前年比12.7%増で、2年連続の増収増益。
 その内訳は「製品」643億円、同3.9%減、「広告収入」59億円、同18.4%増、「事業収入」は613億円、同38.5%増。
 「事業収入」の「デジタル関連収入」は465億円、同39.2%増、「国内版権収入」は81億円、同36.5%増、「海外版権収入」は66億円、同39.5%増。
 年間を通じて、電子書籍売上が好調で、版権収入も映像化による配信、商品化ビジネスが拡大、ニューメディア、デジタルメディア広告も伸長した。
 それにより、営業利益は89億円、同293.8%増、当期純利益は72億円、同152.9%増となった。

 講談社の2年連続の増収増益はの電子コミック市場の伸長と連動しているし、それはコミックを柱とする他の大手出版社の決算にも表われてくるだろう。
 しかしそこでも問題なのは、電子コミックの隆盛は取次や書店に対してほとんど寄与しないし、リアルな流通や販売にとってはマイナス要因でしかない。それこそ大手出版社のマス雑誌とコミックは中小書店によって支えられていたにもかかわらず、現在ではもはやそうした関係は切断されようとしている。



7.丸善CHIホールディングスの決算は売上高1762億5800万円、前年比0.5%減。
 営業利益34億5400万円、同6.8%増、当期純利益は21億8900万円、同14.3%減。
 その内訳は図書館サポート事業が278億円、同5.2%増、受託館数は1489館、大学・研究機関向け設備工事の文教市場販売は536億円、同5.0%減、丸善ジュンク堂などの店舗・ネット販売事業は737億円、同0.5%減、店舗数は88。

 文教市場と丸善ジュンク堂などの店舗・ネット販売事業のマイナスを、図書館サポート事業の伸びが補っていることになる。
 期初の受託感寸は1356館だったことからすれば、133館の増加で、公共図書館はそれほど増えていないわけだから、TRCに切り替わったところも多いと考えられる。これから公共図書館にしても、著しい増加は期待できないし、ゼロサムゲームの中で、図書館の所謂帳合変更も必至ということになるのだろうか。
 なお21年の決算予想について、新型コロナ問題もあり、現時点での予想は困難で、未定としている。



8.日販とトーハンは「物流協業」において、雑誌返品業務を出版共同流通(株)蓮田センターで実施すると発表。
 出版共同流通は日販、楽天、ブックネットワーク、日教販、講談社、小学館、集英社が出資し、蓮田センターは日販、楽天、日教販の雑誌返品業務を受託していた。
 これにトーハン、中央社、協和出版販売の雑誌返品も受託することになる。これらはトーハンの東京ロジスティクスセンターが手がけていたが、同センターは新たな物流拠点として活用していくとされる。

 日販やトーハンの物流拠点として、まだ多くの流通センターがあるけれど、東京ロジスティクスセンターの取次の新たな物流拠点としての活用は難しいだろう。
 雑誌にしても、書籍にしても、この20年で物流は半減してしまったのだし、しかも下げ止まってもいないからだ。といって他業種の3PL物流への移行も困難である。
 そのような視点から見れば、不動産の有効活用が模索されているはずだが、そこで「文喫」やホテル「本箱」は展開できないので、やはり高齢者施設ということになるのだろうか。



9.日販GHDは新会社の日販セグモと日販ビジネスパートナーズの設立を発表。
 前者は各種イベントを運営するエンタメ事業会社で、社長は日販GHDの安井邦好執行役員、後者はグループの管理部門を手がけるシェアードサービス会社で、社長は同西堀新二執行役員。


10.CCCグループの徳間書店は平野健一社長が取締役となり、小宮英行取締役が社長に就任。
 また同じく主婦の友社の社長に平野が就任する。

 日販の新たな2社は、本クロニクル131で示しておいた「グループ体制の概要(予定)」に基づくもので、「エンタメ事業」と「シェアードサービス」として予告していたものだ。
 日販セグモのほうは「エンタメ事業」であるがゆえに、CCCの移行に寄り添っているはずだ。とすれば、ほぼ同時期に発表されたCCCグループの徳間書店や主婦の友社の社長人事にしても、そうした動向とパラレルであるのかもしれない。
odamitsuo.hatenablog.com



11.デイズ・ジャパン社が破産。

 DAYS JAPAN (最終号)

 『DAYS JAPAN』に関しては本クロニクル131などで、発行者の広河隆一のセクハラ問題を取り上げてきた。
 同誌は19年3・4月号で「広河隆一性暴力報道を受けての検証委員会報告」と「性暴力をどう考えるか、連鎖を止めるために」を特集し、それが最終号となっていた。
 ところがその後に「性暴力」損害賠償請求が積み上がり、結局のところ破産するしかなかったようだ。
 そのために『DAYS JAPAN』はセクハラで休刊となり、会社自体もそのことによって破産するという不名誉な記録を出版史に残したことになろう。
 ただそれとは別に、写真による原発特集などは、他では見ることも読むこともできなかったものであることは記しておく。



12.1953年創刊のアメリカの男性誌『PLAYBOY』が終刊。

 創刊号はマリリン・モンローのヌードを掲載し、72年には700万部を超える部数に達し、インターナショナルな雑誌神話を確立した。それを範として、多くの男性雑誌が各国で創刊されていったことはいうまでもないだろう。
 『PLAYBOY日本版』が集英社から創刊されたのは1975年であり、それは日本が消費社会化した時代のとば口においてだった。
 70年代後半から80年代にかけては、その影響下に多くの男性雑誌が創刊され、雑誌の時代の輝きを放っていたことはまだ記憶に残っている。
 アメリカ版を最初に見たのは高度成長期下の1960年代半ばで、その多くのグラビアと華やかさは当時の日本社会とかけ離れたもののように思えた。だがその後10年で、日本もまたアメリカ的消費社会を迎えたことになろう。
 それらはともかく、終刊もコロナウィルスの感染拡大を受け、版元の決断も早められたという。
PLAYBOY f:id:OdaMitsuo:20200326142105j:plain(『PLAYBOY日本版』、1975年創刊号)



13.風船舎の古書目録第15号が届いた。
 特集は「異郷にて」で、536ページ、5731の出品が並び、多くの未知の手紙や写真が満載である。


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 風船舎の目録は音楽が中心となっていて、私はその分野に門外漢なので、あまり購入していない。そんな私にも恵送してくれるので、とても有難い。
 ただ知人の言によれば、音楽関係者にとっては不可欠の古書目録であるようだし、少しでも多くの目にふれればと思い、紹介を試みている次第だ。



14.平凡社の編集者の松井純が51歳で急逝した。
 『週刊読書人』(3/31)に明石健吾「追悼 松井純 二〇〇冊に及ぶ本の産婆役」が掲載され、編集書名がリストアップされている。

 面識はなかったけれど、その編集書はかなり読んでいて、人文書院時代の鈴木雅雄/真島一郎編『文化解体の想像力』は拳々服膺させてもらった。奇しくも同書の編集覚書「そんなものはエグゾティスムだと非難されるかもしれない」は松井自らの手になるものだった。これで『マルセル・モース著作集』の実現は遠のいてしまったと考えるしかない。
文化解体の想像力



15.今月の論創社HP「本を読む」㊿は「『マラルメ全集』と菅野昭正『ステファヌ・マラルメ』」です。
 『近代出版史探索Ⅱ』は5月連休明けに刊行予定。

古本夜話1009 伊藤整と島崎藤村『飯倉だより』

 前回の伊藤整『若い詩人の肖像』の中で、伊藤は昭和三年四月に上京し、北川冬彦と梶井基次郎たちの麻布の飯倉片町にある素人下宿に移り住む。すると北川からその谷底の路地に島崎藤村が住んでいると教えられる。すでに梶井は訪ねていたようだ。
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 伊藤も実際にその家を目にする。それは「いかにも日当りの悪そうな二階家」で、階下に格子窓があり、「島崎藤村はこんな所に住んでいるのか、と私は思った」。藤村は『新生』に描かれる実姪との恋愛事件をおこし、フランスへ逃れ、それから日本へ戻り、大正七年頃からその家に住んでいたようで、伊藤は続けている。

 島崎藤村という、明治から大正にかけての文壇の第一線の小説家、そして近代日本の詩の創始者のような大家が住む家として、その家が特に貧弱だとは私は思わなかった。しかし、私が偶然移り住んだこの飯倉一丁目の、私の下宿の鼻先に彼の家があるというのは、少し突然な感じがした。

 そして五月の初めに伊藤は半白の髪に着物姿で日和下駄をはき、「買いものの包みをさげた老人」に出会う。それは写真で見ていた藤村よりもずっと老けていたが、彼自身に他ならなかった。

 私は稲妻のような早さで、自分が十六歳の時に読んだ藤村詩集が私を市の世界に引き込んだことを考え、その詩集の口絵写真にあった若々しい三十歳ぐらいの島崎藤村が、いま多分六十歳近くになって、自分の前に立っていることを考えた。そこにいるのが島崎藤村だということが、私には当り前のように思われ、またあり得べからざることのように思われた。これがあの島崎藤村だと思うと、私の背中を軽い戦きのようなものが走った。

 この「自分が十六歳の時に読んだ藤村詩集」は『伊藤整』(「新潮文学アルバム」66)に書影と藤村の口絵写真も掲載され、それが春陽堂版『藤村詩集』だと確認できる。しかしこの伊藤の藤村との遭遇は「軽い戦き」だけで終わったのではなく、戦後に至るまで「明治から大正にかけての文壇の第一線の小説家」「近代日本の詩の創始者のような大家」のイメージとして、伊藤の内部でさらなる波紋を拡げていったように思われる。
伊藤整  f:id:OdaMitsuo:20200312105834j:plain:h110(『藤村詩集』)

 伊藤は昭和二十八年から全十八巻に及ぶ『日本文壇史』(講談社)を刊行し始めるが、そこで最も自らを投影して描いているのは藤村であり、彼を含めた『文学界』の人々ではないだろうか。とりわけ藤村が信州で『破戒』を書き進め、それを「緑陰叢書」の一冊として、取次の上田屋から自費出版するまでの物語、及び北村透谷の自死に至る過程は『日本文壇史』の白眉といっていいのではないだろうか。
日本文壇史 f:id:OdaMitsuo:20200312111052j:plain:h115

 また当の藤村にしても、大正時代の飯倉での「感想集」を『飯倉だより』として、大正十一年にアルスから刊行している。私の所持しているのは同年九月六版とあるけれど、この時代にも、藤村は「文壇の第一線の小説家」であり続けていたはずだ。それはともかく、同書にも藤村の口絵写真が掲載され、半白の髪の着物姿で、おそらく伊藤が遭遇した藤村は、このポートレートに近かったと思われる。
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 この『飯倉だより』は「感想集」とあるように、様々な雑誌などに発売したエッセイなどが主体だと推測されるが、そのうちのかなり長い二十ページほどの「北村透谷二十七回忌に」は、それこそ若かりし頃の島崎藤村の姿が重なっている。藤村は「私が初めて透谷に逢つたのは麹町三番町にあつた巌本善治氏の家の応接間で、透谷は二十五歳、私はまだ漸く二十一歳の青年であつた」と始めている。そして「私の透谷を愛する心はそれから三年の後、彼が僅かに二十七歳で早く斯の世を去つた時まで続いて行つたばかりでなく、その心は死後になつてますます深くなつて行つた」と続いていく。さらにまた透谷の絶筆の評伝『エマルソン』(民友社)は、藤村が未完成の原稿を整理したものの、また遺稿としての『透谷集』(文学界雑誌社)も藤村によって編まれ校正され、七百部を印刷し、そのまま絶版にしたという出版にまつわるエピソードも語られている。そして藤村は告白する。「彼こそはまことの天才と呼ばれる人であつたと思ふ」と。
f:id:OdaMitsuo:20150430174810j:plain:h120

 そうして藤村は透谷の短く先駆的な生涯を紹介していくのである。これは透谷をモデルとする『春』の要約とも見なせるので、これ以上トレースしないけれど、伊藤も『日本文壇史』において、透谷を書くに当たって、これらを参照しているはずだ。その際にも伊藤は飯倉の路地で藤村と遭遇したことを思い浮かべていたにちがいない。
f:id:OdaMitsuo:20200312170720j:plain:h120(日本近代文学館復刻)

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話1008 伊藤整、百田宗治『椎の木』、北川冬彦『詩・現実』

 前々回、武蔵野書院の『詩・現実』にふれ、そこに伊藤整も辻野久憲、永松定との共訳で、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシイズ』を連載したことを既述しておいた。
f:id:OdaMitsuo:20200309173808j:plain:h115

 その伊藤の長編小説『若い詩人の肖像』(新潮文庫)は自伝であると同時に、大正時代後半の詩人と詩誌の状況を浮かび上がらせている。そのチャートを示せば、大正十三年に創刊された『日本詩人』(新潮社)が当時の詩壇の代表的な雑誌で、その編集は「詩話会」のメンバーである川路柳紅、萩原朔太郎、百田宗治、室生犀星、佐藤惣之助、福士幸二郎たちによっていた。その頃、詩を書き始めた伊藤はこの雑誌を定期購読し、詩壇における一般的な詩の形式や表現法を学んだ。その特色は近代日本詩史の中で、韻律の支配を受けず、また意味が明白なことだった。
f:id:OdaMitsuo:20200308161628j:plain:h120

 そして大正末年になると、『日本詩人』と競合するようなかたちで、北原白秋の『近代風景』(アルス)、内藤鋠策の『抒情詩』(抒情詩社)、大藤治郎編輯『詩聖』(玄文社)、渡辺渡創刊の小野十三郎、草野心平、吉田一穂たちの『太平洋詩人』(太平洋詩人協会)、田中清一編輯『詩神』(聚芳閣)、百田宗治の『椎の木』(椎の木社)などが出されていった。
f:id:OdaMitsuo:20200308161354j:plain:h120(『椎の木』、三人社復刻版)

 ちょうど伊藤は処女詩集『雪明りの路』を自費出版しようとしていたので、百田に手紙を書き、その発行所に椎の木社の名前を借りたいと申し出た。それは了承されたばかりでなく、百田は『椎の木』創刊号に一ページ広告を出してくれたのであり、伊藤の処女詩集は最初から恵まれていたといえよう。さらに献本した『月明りの路』に対し高村光太郎から賞讃の葉書が届き、丸山薫や三好達治などの書評も出て、伊藤は北海道の中学教師から詩壇における詩人として認知され始めた。伊藤は『若い詩人の肖像』の中で書いている。この昭和の初期が自分にとって最も幸福な時で、数え年二十三歳の青年詩人として、詩集も多くの賞讃によって迎えられたと。
雪明りの路 (日本図書センター復刻)

 それに加えて、伊藤は東京商大の入学試験も兼ね、百田を訪ねた。そして三好や丸山とも知り合い、昭和三年からは大学に通い始め、さらに百田を介して北川冬彦と出会い、梶井基次郎にも紹介される。二人は三好や淀野隆三たちも含め、『青空』の同人で、麻生の飯倉片町の素人下宿に同宿していた。やはりそこで同宿することになった伊藤はとりわけ梶井に心を引かれた。それは彼が「自分自身を整理し切っており、文学という魔術にもたれかかっていない大人、という感じがした。それが私を、おや、この男は違う、と思わせた。その落ちついた明るさには、他人の考えを受け容れ、他人を頼らせるような余裕が感じられた」からだ。

 そして北川冬彦とその詩に関しても言及される。彼の詩集『検温器と花』に見られるように、「私が書いていた自由詩系統と違って、唐突なイメージを対比させ、一種のドギツイ効果を出すものであったから」「奇妙な歪んだイメージの風景描写詩だ」と思われたのである。さらに実際に北川の詩も引用され、これから『詩・現実』にも具体的な記述に至るのではないかと考えられる。だが伊藤は父の危篤の知らせを受け、夜汽車で上野を発ち、父の一生を考え、涙を流してしまう。そこで唐突に『若い詩人の肖像』は終わってしまうのである。
f:id:OdaMitsuo:20200308181022j:plain:h110(『検温器と花』、日本近代文学館復刻)

 しかし幸いなことに、『若い詩人の肖像』が収録されている新潮社版『伊藤整全集』第6巻には、その後日譚としても読める「詩人伝」という短編が見つかる。これは百田の家で知り合った宍戸儀一が昭和二十九年に四十九歳で死んだことをきっかけとして書かれている。そこにようやく『詩・現実』が出てくる。
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 春山行夫と北川冬彦が編輯人になって、厚生閣から「詩と詩論」という季刊雑誌をこの年の三年ほど前に創刊した。その雑誌は、超現実主義と形式主義による新風をもたらし、大正期の詩人たちの詩風に反抗したグループを作っていた。もっともその雑誌には、三好達治と吉田一穂、佐藤一英というような古典派が居り、また西脇順三郎、北園克衛、上田敏雄、滝口修造、原研吉という超現実主義者もいて不統一であり、かつまた北川冬彦はマルクス主義の影響を受けて、編輯当事者の春山と意見が合わず、この昭和六年に分裂した。北川は淀野隆三や三好達治などの第三高等学校の同窓生と共に、別な季刊雑誌「詩・現実」を作った。

 おそらく春山行夫が昭和七年に『詩と詩論』を改題し、『文学』を発刊したのはこのような北川と『詩・現実』の創刊も影響しているのだろう。しかもその第二冊はジョイス特集で、『ユリシイズ』の訳者の伊藤や永松たちも動員されているのは、春山の編集者としてのポジションの反映であろう。伊藤によれば、「私の印象では、『詩と詩論』は、昭和詩人たちの出発として、画期的なもの」だったとされるが、昭和六、七年にはすでのポスト『詩と詩論』時代を迎えていたのではないだろうか。


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古本夜話1007 梶井基次郎、「闇の絵巻」と説教強盗

 あらためて梶井基次郎の『檸檬』を初版で、といっても、近代文学館とほるぷ出版の復刻だが、読むことは文庫や文学全集などの場合と異なる読書体験であると実感してしまう。私はかつて「梶井基次郎と京都丸善」(『書店の近代』所収)を書いているので、とりわけそう思う。
f:id:OdaMitsuo:20200307120311j:plain:h115 書店の近代

 初版の刊行は昭和六年五月で、四六判函入、二七一ページ、定価一円五十銭、函にも本体にも梶井の自筆によるタイトルと作家名が記されているだけである。この素っ気ない装幀の「梶井基次郎第一創作集」がプルーストの『スワン家の方』の巻末に広告掲載されていることを既述したが、そこには次のような内容紹介がしたためられている。ここでしか見られないかもしれないので、全文を引いてみる。

 われわれがこれらの作品に接して抱く感激は著者が驚くべき感受性と特異なる解析力を似つて複雑せる現実事象を剔抉し、人生のリアリテイを余す所なく把握していることである。しかも微細なる陰影が嘗つてかくばかり太々しく洗錬の極点に於ひて表現されたことがあらうか。この鋭き鑑賞の世界を見よ! われわれは断言する、この偉大なる芸術の出現こそはジャーナリズムの貪婪なる毒手に翻弄され見る影もなく醜態を曝しつつある現文壇では稀有の存在であることを。蓋し、「檸檬」一巻は明日の文学の可能を実証するもの、今日の文学に絶望せる人々を救ふ聖典であると云ふも過言ではない。文学に関心をもつ人々は是非とも一本を座右に備へなけれあならぬ。それは文学を愛する人々の義務だ。

 武蔵野書院からの『檸檬』の出版に当たって、淀野隆三と三好達治が尽力したとされるので、この文言も二人のうちのどちらかが書いたと推測することもできよう。かくして梶井の生前の唯一の、十八編の作品を収録した著作集が送り出されたことになる。梶井は印税として七十五円を受け取っているので、十%印税ならば五百部、五%印税ならば千部が初版だったと考えられる。

 だがこの函も含め、シンプル極まりない造本の『檸檬』はどのような流通販売の過程をたどったのだろうか。何ら人目を引きことのない装幀は書店の棚に収められたのか、もしくは京都丸善では平積みとはいわないけれど、何冊かの在庫を持って販売していただろうかと想像してしまう。つまり読むことだけでなく、この初版五百部か千部の新人の創作集の「一本を座右に備へ」るために必要な出版流通販売インフラも、戦前は異なっていたと思えるからだ。

 長い前置きになってしまったけれど、ここでふれておきたいのは、『詩・現実』に発表され、『檸檬』に収録された「闇の絵巻」に関してである。あらためて読み、最後のところに(昭和五年十月)との記載によって、これが昭和五年の作品であることを教えられた。この「闇の絵巻」は次のように書き出されている。

 最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて語つたところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さへあれば何里でも走ることが出来るといふ。その棒を身体(からだ)の前へ突き出して、畑でもなんでも盲滅法(めくらめっぽう)走るのださうである。

 講談社の『昭和二万日の全記録』第2巻の『大陸にあがる戦火 昭和4年~6年』を繰ってみると、昭和4年2月23日のところに、「説教強盗の妻木松吉逮捕される」とある。そして写真、犯行データと現場地図、懸賞金広告、犯人の指紋なども付され、「説教強盗帝都を揺がす」という大見出しで、見開き二ページがそれに当てられている。
昭和二万日の全記録

 「説教強盗」とは犬を飼いなさいとか外灯を付けなさいなど防犯心得を諄々と説きながら金品を奪う妻木松吉のことをさす。昭和3年から4年にかけて、警察の大捜査網下にあっても、「説教強盗」は六二件にもおよび、さらに折からの第一次世界大戦後の不況と金融恐慌を背景とする犯罪の激増は「帝都不安の時代」とも称されたという。

 先に引いた「闇の絵巻」の「最近東京を騒がした有名な強盗が捕まつて」とはこの「説教強盗」の逮捕を意味し、梶井はそれに触発され、「闇の絵巻」を書いたことになる。だがそれはイントロダクションであって、そこから闇の形而上学へと向かい、「闇を愛することを覚えた」「山間の療養地」の体験、闇の風景について語り出す。そして闇の風景に比べ、どこでも電燈の光が流れている都会の夜が汚なく見えるとまで書いている。

 この「山間の療養地」とは伊豆の湯ヶ島のことで、その山に囲まれた闇の深さはよくわかる。それからこれは本連載でも既述しているが、高度成長期以前の日本の農村の夜はまったくの闇の世界で、その中で星と月だけが明るく、まさに「闇の絵巻」のようでもあった。梶井の「闇の絵巻」はその中に身を投じていき、昼と夜、いうなれば、すべてが逆転してしまうという闇の魅惑を語っていて、それは私のように高度成長期以前の農村で育った人間にとってよく理解できるように思う。

 ところでこの「説教強盗」とは当時『東京朝日新聞』記者だった三浦守の命名によるものである。本連載979などでふれておいたように、それらをきっかけとして、三浦は三角寛として犯罪実話を書くようになり、さらにサンカ小説を手がけ、その分野の第一人者となっていくのである。「説教強盗」は梶井の「闇の絵巻」の触媒ともなったけれど、一方では犯罪実話的なサンカ小説も誕生させてしまったことになろう。


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古本夜話1006 武蔵野書院とプルースト『スワン家の方』

 本連載985の高木敏雄『比較神話学』を復刻した武蔵野書院は、昭和六年にプルーストの『失ひし時を索めて』の第一巻『スワン家の方』を翻訳出版している。手元にそれがあるけれど、この菊判並製の一冊は背がはがれ、表裏双方の表紙も同様、解体寸前の状態だといっていい。

 昭和七年の刊行だから、八十年前に近いこと、及びよく読まれたことで、このような状態となったのであろう。それでも稀少本ということもあって、古本屋で保存され、巡りめぐって私の元へと届いたことになろうか。

 しかしそのような状態でも、表紙にあるMARCEL PROUST A LA RECHERCHE DU TEMPS PERDU TOME1DU CÔTÉ DE CHEZ SWANは、日本語タイトルが記されていないこともあって、今でも強く迫ってくる。それは本文も同様で、ぎっしりと二十行で組まれた翻訳は二百ページに及び、プルーストの息の長い原文を想起させる。まず知られた書き出しを引いてみる。おそらくこれが本邦初訳だったのだ。

 長い間私はいつも早くから寝ることにしてゐた。時どき、蝋燭が消えると直ぐ、私の眼はふさがるので、「眠るんだな」と自分に言ふ間もなかつたほどだ。それから半時間ばかりたつと、眠らなければならない時間だといふ考へが私の眼を覚ます。私はまだ手にしてゐると思つてゐる本を置き、明りを消さうとする。眠りながらも私は、今さつき読んだことを思い続けてゐたのだ。

 訳者は淀野隆三と佐藤正彰で、前者による「後記」において、『スワン家の方』第一冊は昭和四年に三宅徹三、神田龍雄の四人で翻訳し始めたものだと述べている。それが当時創刊予定だった『文学』から掲載を求められ、その第一号から第四号まで連載し、それ以後の全訳を収録しているという。

 この『文学』は昭和四年に川端康成、横光利一、永井龍男、堀辰雄などの七人を同人として、堀が編集を担い、第一書房からの発行だった。第一号にはプルーストだけでなく、ランボーの小林秀雄訳『地獄の季節』の連載もあり、昭和五年までに全六冊が出され、短命だったけれど、『詩と詩論』と同様に、昭和初期の文学にきわめて大きな役割を果たしたとされる。

 その頃、埴谷雄高は『影絵の世界』(平凡社)によれば、肺結核の治療のために芝白金の北里研究所に通っていて、その「薄暗い待合室の机の上に重ねられている小雑誌のなかにプルーストの翻訳を見いだし」、「きらきらと輝く多面体のような感覚的な触発を私の魂にもたらした」のである。この「小雑誌」とは『文学』のことだったのだ。
影絵の世界

 ここで武蔵野書院のことに戻すと、大正時代の『比較神話学』刊行の頃と小石川目白台という住所は変わっていないが、発行者は前田信ではなく、前田武となっている。これは息子、もしくは親族の者が継いだと考えてしかるべきだろう。そして巻末広告を見ると、『スワン家の方Ⅱ』近刊予告に続いて、雑誌として『詩・現実』、単行本として梶井基次郎第一創作集『檸檬』、室生犀星『庭と木』、佐藤惣之助『釣りと魚』、佐藤春夫訳『車塵集』が挙がっている。
f:id:OdaMitsuo:20200309173808j:plain:h118 f:id:OdaMitsuo:20200307120311j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20200307121424j:plain

 『文学』と同様に、『詩・現実』も『日本近代文学大事典』に立項されている。それによれば、『詩と詩論』の同人だった北川冬彦は春山行夫のシュルレアリスム、フォルマリズムに偏向の現実遊離の編集方針に批判的となり、新現実主義(ネオリアリズム)を唱え、昭和五年に新しいクォータリー『詩・現実』を創刊した。編集同人は北川、本連載784の飯島正、同924の神原泰、淀野隆三たちで、プロレタリア文学とも結びついた。ここに発表された主要な作品は梶井基次郎「愛撫」「闇の絵巻」、伊藤整、辻野久憲、永松定共訳、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、中島健蔵、佐藤正彰共訳、ボードレールの評論『浪漫派版芸術』などである。だが『詩・現実』が意図した芸術派とプロレタリア派との結合による新現実運動は実を結ばず、創刊の一年後に第五冊で終刊となっている。しかしこの芸術派と社会派のコラボレーションは昭和初期の詩壇にとっても重要な課題で、『詩・現実』がその問題に先鞭をつけたとされる。

 おそらく武蔵野書院はこの『詩・現実』の発売所を引き受け、併走することを通じて、『スワン家の方』や梶井の『檸檬』などを刊行するに至ったのではないだろうか。淀野や佐藤も『詩・現実』の同人や訳者だったし、先述の梶井の末期の名作「愛撫」や「闇の絵巻」にしても、『詩・現実』に掲載されていたことによって、『檸檬』に収録となったのであろう。

 そのように考えてみると、大正時代の前田信の武蔵野書院は、岡村千秋や郷土研究社の近傍にあったことから、高木敏雄の『比較神話学』や『日本伝説集』の復刻などを手がけた。だが昭和に入って前田武が『詩・現実』の同人たちと交流するようになり、その発売所も引き受けたことで、プルーストの翻訳や梶井の第一創作集を刊行するようになったのではないだろうか。

 なお『詩と詩論』に関しては拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古本探究』所収)を参照してほしい。また『スワン家の方』の判型と造本は太宰治の希望によって、処女作『晩年』へと継承されていたったことを付記しておこう。
古本探究


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