出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話842 正宗白鳥『現代文芸評論』

 前回の「文芸復興叢書」も含めて、改造社の文芸書の全貌を俯瞰することは難しい。それは本連載でも繰り返しふれているように、改造社も社史や全出版目録が出されていないし、シリーズ物はともかくとして、単行本に関しては実物を見るまで、改造社から出ていたことを知らずにいた文芸書もある。

 そのような一冊として、正宗白鳥の『現代文芸評論』を入手している。これは昭和四年に改造社から刊行された四六判上製、四九二ページの函入本で、巻末にはやはり「白鳥著」として、『文芸評論』の他に、短編集であろう『安土の春』『ある心の影』『歓迎されぬ男』の三冊が並び、この時代に白鳥が改造社と関係が深かったことを伝えている。改造社の円本『現代日本文学全集』21の『正宗白鳥集』の刊行年を確認してみると、やはり昭和四年であることからすれば、両者の関係は『現代日本文学全集』の企画編集の進行過程で結びつき、『正宗白鳥集』に併走するようにして、『現代文芸評論』などの五冊が出されて行ったと見るべきだろう。
現代日本文学全集 (『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20181020112740j:plain:h115 (『正宗白鳥集』)

 『現代文芸評論』は「夏目漱石論」を始めとする作家論と「演芸時評」が柱となっていて、前者は高橋英夫編『新編作家論』(岩波文庫)で何編か読んでいるので見てみると、「夏目漱石論」以外に、「二葉亭について」「徳田秋声論」「岩野泡鳴論」「ダンテについて」が重複しているとわかる。岩波文庫版の「初出一覧」によって、これらと他の作家論のほとんどが昭和二年から中央公論に連載されたもので、まだ中央公論社に出版部がなかったことから、改造社の『文芸評論』と『現代文芸評論』に収録されたのであろう。その『中央公論』連載は、円本の『現代日本文学全集』や春陽堂の『明治大正文学全集』のベストセラー化によって、明治大正の作家論への要求が高まったことで執筆されたようだが、白鳥自身もまたそれらを読むことで、作家、作品論を書いているとわかる。
新編作家論 明治大正文学全集(『明治大正文学全集』)

 それらの円本の出現は読者だけでなく、作家や評論家たちにも、明治大正文学をいながらにして俯瞰することを可能にさせたといえるし、やはり円本はこれまでと異なる文化、出版インフラを出現させたのである。それらは本連載でもずっとふれてきた新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』『社会思想全集』、春秋社の『世界大思想全集』なども含まれているわけだから、世界の同時代的文学や思想の一大パノラマを提出することになった。そこで何かが変わりつつあった。そのことを自覚しながら、白鳥ならではの作家論、作品論を書いているし、「岩野泡鳴論」などにふれていたいのだが、ここではそうした円本と白鳥の関係を考え、「ダンテについて」を取り上げてみたい。
現代大衆文学全集 (『現代大衆文学全集』) 世界大思想全集 (『世界大思想全集』)

 白鳥はそこで『聖書』を「古代史」「人生記録」「素朴なる小説」「純粋なる詩歌」として読み、「一生座側に具へ置くべき愛読書の一つ」だと始めている。それは『聖書』が少年時代からの愛読書であったことも意味しているし、『神曲』もまた同様に位置づけられ、論じられているのである。しかしこのイントロダクションにおいて、白鳥が述べているのは、かつて古書にふれるように『聖書』や『神曲』に親しみ、読んできたような時代と環境が異なってきたことだ。毎日、毎月にふれる文章は新聞、雑誌、新刊書であり、「世に遅れまいとして、現代の雑駁な知識をそれ等から得るのに急がしい。自然速読の習慣がついた、一巻の書物を手にしても、汽車の窓から外を見るやうな態度で読むやうになつてゐる。山を下り谷を渡り、一歩々々移り行く光景を静かに眺め静かに味ふやうなことは稀になつた」と述べ、さらに続けている。

 私は、時としては印刷術の幼稚だつた昔を羨ましく思ふ。欧州の中世紀、日本の徳川期以前には、多数者は殆んど文学を解しないのであつたが、その頃少数の読書力を具へてゐた人々は、自分の趣味に適した書巻を一字一句反復熟読して、そこに含まれた澁味を残るところなく味得したのであつた。私なども幼少の時分には、一篇の小説一巻の史伝を珍重して、殆んど暗誦するほどに耽読したことがあつた。種々雑多の書物の目まぐるしく出版される今日は、書物の有難さ尊さが薄らいだ。
 書物の尊さを云へば、少年の頃、まだ都会の地を踏まない前に、僻陬の郷里の、古ぼけた二階の一室で、東京から取寄せた雑誌や新刊書を読んでゐるうちに、西洋では、ホーマー、ダンテ、シエークスピア、ゲーテといふ人々を、古今を貫いた大詩人として尊崇してゐることを知つた。それは、団菊左の三人が当時の東京の劇団での三大名優であることを知つたのと同様であつて、東京へ行つたら、それ等三名優の芝居を観なければならない、東京へ行つたら早く英語に熟達して、それ等西洋の四大詩人の傑作を読まなければならないと前途に楽しい希望を描いた。

 これは近代出版界における大正から昭和初期にかけての貴重な証言と思われるので、省略せずに長い引用になってしまった。かつて拙稿「正宗白鳥と『太陽』」(『古雑誌探究』所収)で、明治二十年代の白鳥の読書史をたどり、まだ出版社・取次・書店という近代出版流通システムが整備されていなかったために、文字どおり通信販売で「東京から取寄せた雑誌や新刊書」を読んでいたことを既述しておいた。実際に白鳥が書店で雑誌や新刊書を買うようになったのは、明治二十九年の上京後だったのである。
古雑誌探究

 つまり白鳥は岡山の明治二十年代の地方での読書環境を回想し、近代出版業界が発展した現在、すなわち昭和初期の「汽車の窓から外を見るやうな態度で読むやうになつてゐる」ことを語っているのである。しかもその事実を抜きにして、白鳥の文学者として経済もありえなかったのだ。

 なお白鳥が座右に置く「ケリー英訳の『神曲』」は明治三十八年六月に丸善で購入した一冊で、この二十余年間、ずっと読み続けたと始め、「ダンテについて」を語っていくのだが、すでに紙幅が尽きてしまった。この続きは岩波文庫版所収をひもとかれたい。


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古本夜話841 改造社「文芸復興叢書」、深田久弥『雪崩』、広津和郎『昭和初年のインテリ作家』

 本連載でずっとふれてきた本連載でずっとふれてきた昭和十年代半ばの外国文学も含んだ文芸書出版の隆盛は、突然もたらされたものではなく、そこに至る出版ムーブメントの結実と考えるべきだろう。高見順は『昭和文学盛衰史』の一章を「文芸復興」と題し、昭和八年における『文学界』(文化公論社)、『文芸』(改造社)、『行動』(紀伊國屋書店)の創刊を挙げている。

昭和文学盛衰史

 それらの文芸雑誌の創刊に加えて、各社から様々な文芸書シリーズが刊行されてことも「文芸復興」に寄与したと思われるし、『文芸』の改造社はそれを象徴するような「文芸復興叢書」を出している。そのことを知ったのは深田久弥の『雪崩』によってである。これは四六判の裸本で短編集だが、その巻末に「文芸復興叢書」の広告が掲載され、同書がこの叢書の一冊だと判明したのである。

 深田は明治三十六年に石川県大聖寺町に生まれ、一高を経て東大哲学科に進み、在学中から改造社編集部で働いている。そして「オロツコの娘」(『文芸春秋』掲載)やカリエスを病んだ津軽娘が明るくけなげに生きようとする「あすならう」(『改造』掲載)などを発表して作家生活に入り、昭和八年には小林秀雄や武田麟太郎たちと『文学界』を創刊している。このような深田の経歴から、「文芸復興叢書」の著者に選ばれたこと、及び『雪崩』の中に「あすならう」が収録され、それらの短編の多くが女性を主人公としていることなどが了承されるのである。私などにしてみれば、『日本百名山』(新潮社)やアルプス研究などの山岳家の印象が強いので、そのようなたおやめぶりは意外だった。だがその妻だった北畠八穂による代作問題や、「あすならう」が八穂をモデルとしていることを知ると、代作は初期の頃から生じていたのではなかとも思われる。
日本百名山

 この「文芸復興叢書」のラインナップを示す。例によってナンバーは便宜的にふったものであることを了承されたい。

1 横光利一 『花花』
2 川端康成 『水晶幻想』
3 深田久弥 『雪崩』
4 張赫宙 『権といふ男』
5 芹沢光治朗 『勿体ないご時世』
6 林芙美子 『散文家の日記』
7 武田麟太郎 『勘定』
8 藤沢桓夫 『燃える石』
9 林房雄 『青空』
10 広津和郎 『昭和初年のインテリ作家』
11 宇野浩二 『湯河原三界』
12 徳田秋声 『町の踊り場』
13 十一谷義三郎 『通百丁目』
14 龍膽寺雄 『跫音』
15 井伏鱒二 『逃亡記』
16 中河与一 『レドモア島誌』
17 宇野千代 『オペラ館サクラ座』
18 阪中正夫 『馬』
19 岸田国士 『職業』
20 杉山平助 『文芸従軍記』
21 小林秀雄 『様々なる意匠』
22 谷川徹三 『文学の世界』
23 三木清 『人間学的文学論』
24 正宗白鳥 『我最近の文学評論』

f:id:OdaMitsuo:20181019170926j:plain(『町の踊り場』)

ここではタイトルだけを挙げておいたが、この叢書は『日本近代文学大事典』に立項され、その収録作品の明細まで掲載されているし、この時代の「文芸復興」の内容を表象しているかのようでもある。その解題によれば、「『文芸復興』の先駆という自覚の下に改造社満一五年を記念して出版されたもののひとつ」とされ、発行年月日は昭和九年四月から五月だが、『改造』五月号の広告では「堂々弐拾四冊一斉発売」とあったという。

 その特色は作家たちだけでなく、20の杉山平助から23の三木清に見られるように、評論家も加えられていることにあるし、24の正宗白鳥にしても、タイトルどおり評論集となっている。それらの評論にしても、小林秀雄の「様々なる意匠」は昭和四年の懸賞評論で、昭和六年刊行の『文学評論』に収録されていたが、あらためてそれを21のタイトルとしてここに出されたことになる。それは「様々なる文芸復興」のメタファーのようである。

 それからさらに興味深いのは10の広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』で、私はかつて「広津和朗と『改造』」(『古雑誌探究』所収)を書き、それらに関して論じている。広津は『改造』の昭和五年四月号に「昭和初年のインテリ作家」を、続けて七月号にその補足と見なせる「文士の生活を嗤ふ」を発表しているのだが、ここにその両者が収録されていたことを初めて知った。
古雑誌探究

 そこでもう一度「昭和初年のインテリ作家」にふれてみる。そこで広津らしき主人公の中堅作家北川、及び尾崎士郎がモデルである新進作家須永が「インテリ作家」と規定され、これは当時出現してきた「プロレタリア作家」に対応するタームとして使われている。つまりここで二人は古いタイプの作家で、功利主義と無縁な人生と芸術についての「純粋なアイドル・シンカー」と規定される。つまり作家は偶像にして考える人なのだ。

 しかし出版大資本主義の台頭に他ならない円本時代の到来と、雑誌のアメリカニズム化を迎え、この二人にしても、もはや「純粋なアイドル・シンカー」であることは許されない状況に直面していた。そこで北川は作家たちの「芸術協会」(文芸家協会)をバックとし、出版資本主義に対抗するサンディカリズムを提案するのだが、賛成者はわずか二人だけで、インテリ作家もプロレタリア作家も沈黙と守るばかりだった。かくして「文士の生活を嗤ふ」は「与へられたものによつて悲観し、与へられたものによつて楽観する―文士といふものは、昔から自分の生活を人まかせである」と結ばれている。

 それは現在に至るまで変わらなかったし、出版業界にしても同様に思える、


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古本夜話840 誠文堂新光社「僕らの科学文庫」と二神哲五郎『ひかりの話』

 前々回の新潮社の「日本少国民文庫」の他にも、多くの「少国民」をタイトルにすえたシリーズ、及び同じく前回の「新日本少年少女文庫」のような科学的色彩の強いシリーズも、戦時下において増えていったと見られる。その双方と備えた企画として、岩波書店から「少国民のために」というシリーズが出されている。これは未見だが、『日本児童文学大事典』の解題によれば、戦時下の進行によって、社会科学書の啓蒙的出版は困難となったが、科学的読物の企画はまだ出版可能だったようだ。
少国民のために(「少国民のために」、『渡り鳥』)

 おそらくそのような分野の出版として、誠文堂新光社の「僕らの科学文庫」は成立したにちがいない。小川菊松は『出版興亡五十年』において、昭和十年に誠文堂が新光社を合併し、誠文堂新光社となってから、出版活動もさらに隆盛となり、社員も百名を超え、大出版社へと飛躍したと語っている。そして十五年までの全集物として、『最新科学工業大系』を始めとする二十余種を挙げ、岩波書店と同様に、雑誌の買切制に移行したことが述べられている。これらのことは生産を担う出版社の存在が高まり、昭和十年代前半において、支那事変などが起きていても、本連載でもたどってきたように、出版業界は全盛を迎えていたことを伝えていよう。
出版興亡五十年 

 そうした出版状況を背景として、「僕らの科学文庫」も出されたと小川は証言している。しかし留意しなければならないのは、創業者にして出版業界の裏表に通じた小川であっても、「僕らの科学文庫」は五冊出ただけだと述べていることだ。これは誠文堂や新光社はもちろんだが、例によって、誠文堂新光社が全出版目録を刊行していないことに起因している。私の手元に「僕らの科学文庫」の一冊があり、それは二神哲五郎『ひかりの話』だが、その「児童文化の黎明」とのコピーを付した巻末広告で見ても、十冊出ているとわかるし、また同時に原田三夫『植物採集と標本の作り方』などの「少年技師模型製作ニューハンドブック」シリーズも刊行されていたのである。原田と小川と誠文堂新光社の関係は、拙稿「原田三夫の『思い出の七十年』」(『古本探究Ⅱ』所収)を参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20181018115314j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20181018121054j:plain:h110 古本探究2

 『ひかりの話』に戻ると、著者の二神は旧習帝大教授、理学博士である。その「序」は期せずして、戦時下での科学と軍部の関係が問わず語りのように述べられている。「今日は技術本部の将校が私の研究室を見に来られる」から始まり、学部長に案内されてきた将校に、「軍に関係のありさうな部分だけを御説明」するシーンにつながっていく。先ずディディミウム硝子で、これは光線を吸収し、明るいナトリウムランプの光を薄い紫色にし、戦車の窓に使えば、外を見るに不都合はなく、中に光は外にもれない。次は板硝子で、これは潜水艦の窓やボイラーの覗き窓に使われる。

 このような「御説明」が強化硝子、偏光板、X線を利用した色眼鏡、紫外線探照灯などにも及んでいく。そしてその将校はいう。精巧な機械ができても、今日の兵士は機械に慣れておらず、使えないので困る。「青年の機械に関する知識を向上さすには、小学校からの心掛けが肝心であらう」と。それに対して、二神は答えるのである。「只今、そんな目的で私の専門の方の光学に関する基礎的のことを、小学生の児童に判るやうに書いた書物を作つています」。つまりこれが『ひかりの話』ということになる。

 この会話から推測されるように、科学を始めとする啓蒙的実学書は戦時下において最優先される企画となっていたのだろうし、誠文堂新光社や岩波書店ばかりでなく、多くの出版社からも同じように刊行されたと判断できよう。手元にある『ひかりの話』は裸本だが、新四六判函入、初山滋装幀とされているので、おそらく全巻が挿画も含め、戦時下とは思えぬ児童書に仕上がっているのであろう。

 それでも念のために、『日本児童文学大事典』を確認すると、立項が見出され、解題とラインナップが掲載されている。それによれば、判型は最初四六判だったが、昭和十七年から四六判、重版本は菊判とあり、造本の異同を教えられるし、これも原田三夫の企画のようで、全巻に索引がついているのも、原田の意向とされている。それでは最後にそのラインナップを示しておく。昭和十五年から十七年にかけて十五冊が出されている。

1 光川ひさし 『宇宙旅行』
2 早坂一郎 『化石の世界』
3 鳩山道夫 『原子の話』
4 白井俊明 『火と焔』
5 川島四郎 『僕らの栄養と食物』
6 関谷健哉 『船』
7 野満隆治 『僕らの海』
8 二神哲五郎 『ひかりの話』
9 吉岡修一郎 『算術と数学の歴史』
10 山崎好雄 『僕らの飛行機』
11 作井誠太 『力』
12 山崎好雄 『飛行機の話』
13 藤木源吾 『僕らの理科実験』
14 緒方規雄 『顕微鏡と微生物』
15 佐野昌一 『僕らのラヂオ』

船 (『船』)

 なお8の巻末広告には近刊、続刊として、星野昌一『家の話』、千葉扎一『汽車と電車』、隅部一雄『自動車の話』、田口泖三郎『音の世界』、篠遠喜人『植物の話』、丘英通『動物の話』も挙げられていたが、それらは未刊に終わったようだ。


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古本夜話839 新潮社「新日本少年少女文庫」と『日本文学選』

 『新潮社七十年』は「日本少国民文庫」に続いて、昭和十四年から島崎藤村編「新日本少年少女文庫」全二十巻の刊行を始めたが、内容は「日本少国民文庫」と大同小異であるが、福永恭助『国の護り(陸・海・空)』を第一回配本としたことはすでに時局の緊迫を思わせる」と述べている。
f:id:OdaMitsuo:20180806153457j:plain:h118 f:id:OdaMitsuo:20181010114303j:plain:h118(『国の護り』)

 この明細が『日本児童文学大事典』に収録されているので、それを引いてみる。なおここでは23まで挙げられているが、刊行は20で終了したと見なし、それらは省く。

1 高須芳二郎 『日本とはどんな国か』
2 菊池寛 『海外に雄飛した人々』
3 加藤武雄 『愛国物語』
4 福永恭助 『国の護り』
5 太田正孝 『資源と産業 国の宝』
6 石原純 『私達の日常科学』
7 寺尾新他 『動物と植物の生活』
8 林 髞 『私達のからだ』
9 百田宗治 『僕らの文章・私達の詩』
10 豊島与志雄 『世界探検物語』
11 吉江喬松選 『心を清くする話』
12 佐藤春夫選 『日本文学選』
13 大佛次郎選 『現代日本文学選』
14 佐藤春夫選 『支那文学選』
15 島崎藤村選 『西洋文学選』
16 島崎藤村選 『新作少年文学選』
17 吉村新吉 『海洋の話』
18 武富邦茂 『南方の国めぐり』
19 遠山潤三郎 『空の神秘』
20 今野武雄 『数の図書館』

f:id:OdaMitsuo:20181010234454j:plain:h110 心を清くする話

 このように実際にリストアップしてみると、著者の菊池寛や石原純が共通しているだけで、「内容は『日本少国民文庫』と大同小異」ではない。4の福永恭助は海軍少佐で、戦時下をうかがわせるし、全体の内容も科学読物の色彩が強い。

 「文学」と銘打たれているのは12から16で、そのうちの12の『日本文学選』が手元にある。先の『日本児童文学大事典』において、この12だけは明細が収録されていないけれど、これは『古事記』の「神武天皇の御東遷」から始まって、瀧沢馬琴『弓張月』に至る三十編からなるアンソロジーである。編者の佐藤の「序」によれば、「むかしの時代をふりかへつて見ると、大きな山脈のやうにわが国の立派な文学が遠い神代までつづいて、ところどころに大きな峯の頂が見える。その高い峯の一つ一つを指し示して、その山々の特長やその山々のつづきぐあひを説明したりしてみたのがこの本である」ということになる。それらに合わせ、装幀は「日本少国民文庫」と同様の恩地孝四郎だが、挿絵は鴨下晃湖、長谷川路可、吉田貫三郎、松田青風が担当し、本連載769の柳田国男の『火の昔』ではないけれど、「ヤングアダルト」向きの一冊に仕上がっている。

f:id:OdaMitsuo:20180308144325j:plain:h120

 その事実は「日本少国民文庫」が「小国民」に対する児童文学として提出されたことに対し、「新日本少年少女文庫」は科学的啓蒙色が強く、それより年齢層が高い「少年少女」、すなわち「ヤングアダルト」を読者として想定したことによっているのではないだろうか。だがそれはともかく、『万葉集』の「海行かば 水漬く屍(かばね) 山行かば 草むす屍 大皇(おおきみ)の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という大伴家持の長歌が引かれ、これが「海の戦ならば水浸しの屍にならう。山の戦ならば草むらに埋もれ朽ちる屍にもならう。願わくは いつも 天皇陛下の御役に立つて 陛下の御側近くに死なせていただきたい」という軍人の覚悟を歌っていると説明される。

 しかしその一方で、『伊勢物語』の「からごろもきつつなれしにしつましあれば はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」、あるいは「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありあなしやと」といった歌が引かれ、「昔おとこありけり」の物語のコアを伝えんとしている。『万葉集』から『伊勢物語』へ向かう回路は、「むかしの時代」の「山々の特長やその山々のつづきぐあひ」を浮かび上がらせているようで、『源氏物語』や『平家物語』を経て、『奥の細道』や『蕪村全集』にまでの旅が続いていることになる。

 そのことを考えると、確かに「佐藤春夫選」となってはいるけれど、「序」は「編著者」とあり、佐藤選は付されているが、実際の「編著者」は別にいたように思えてくる。それは大東亜戦争下における「編著者」独自の日本文学アンソロジーとしても読めるし、この12に続く13から16にかけての各文学アンソロジーも同様なのかもしれない。そうすると、さらに大東亜戦争下における出版の謎は増していくばかりなのである。


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古本夜話838 山本有三編「日本少国民文庫」と吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

 前回に続いて、この際だから児童書にも言及してみる。『新潮社七十年』において、昭和十年に刊行された山本有三編「日本少国民文庫」全十六巻は「新潮社の誇るに足る出版」として、その一章を当てている。だがそれらは全巻の書影が見えているだけなので、「新潮社刊行図書年表」をたどり、まずこのラインナップを示そう。ただ現実的にはこのリストどおりに刊行されなかったようだ。

f:id:OdaMitsuo:20180806153457j:plain:h115 

1 山本有三 『心に太陽を持て』
2 廣瀬基 『発明物語と科学手工』
3 山本有三選 『世界名作選(一)』
4 菊池寛 『日本の偉人』
5 西村真次 『日本人はどれだけの事をして来たか
6 石原純 『世界のなぞ』
7 下村宏 『これからの日本これからの世界』
8 山本有三選 『日本名作選(一)』
9 飛田穂洲、豊島与志雄 『スポーツと冒険物語』
10 恒藤恭 『人間はどれだけの事をして来たか(1)』
11 山本有三選 『世界名作選(二)』
12 山本有三 『人類の進歩につくした人々』
13 水上瀧太郎 『人生案内』
14 石原純 『人間はどれだけの事をして来たか(2)』
15 里見弴 『文章の話』
16 吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』

f:id:OdaMitsuo:20181005151900j:plain:h120(新編日本少国民文庫)

 これは山本有三が著者や選者として、五冊担当していることからわかるように、山本が企画した叢書であった。山本は新潮社が大正十三年に創刊した『演劇新潮』の編集主任を務めたことで、それは翌年廃刊となってしまったけれど、新潮社との関係が深くなっていた。『新潮社七十年』によれば、次のような事情と経緯によっていた。まず山本は中学生のわが子に読ませるべき書物が乏しく、俗悪な伝記類ばかりであることを痛感するに至っていた。

 もともと教育者としての素質に富んでいる山本は、このような俗悪な読物から子供たちを守り、次代のすぐれた日本国民を育成するために、彼自身の手で真に少年少女の精神の糧になるような書物を作成することを決心した。(中略)
 まず彼の信頼する吉野源三郎を編集主任とし、吉田甲子太郎、大木直太郎、石井桃子たちをそれに参加させて、綿密なプランを作り上げた。少年少女たちの胸にひびく感動的な読物を与えること、彼らに世界史的な見方を教えること、進歩的なものの見かた、考えかたを教えて人類の将来に大きな希望を抱かせること、などが基本的な方針であった。

 また菊池寛や豊島与志雄も著者として加わっているだけでなく、山本の求めに応じ、様々な助言をしていて、装丁は恩地孝四郎で、「この種の読物としてはまさに画期的な出版であって、識者の好評を博し、売行も良好で、度々版を重ねた」とされる。

 この「日本少国民文庫」の現物は入手していないが、平成十年に復刊された3の『世界名作選(一)』が手元にある。これは世界文学アンソロジーで、昭和十年代初頭を飾る記念すべき一冊かもしれない。英米、ロシア、ドイツ、フランス文学が詩から小説までセレクトされて編まれ、それでいてエーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』だけは全訳が収録されている。私はこれを岩波書店の『ケストナー少年文学全集』の一巻として読んでいるが、ここにすでに訳されていたことを初めて知った。また本連載809などでふれてきたアナトール・フランスの「母の詩」の岸田国士訳、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」の豊島与志雄訳もあり、何とカルル・ブッセの詩「山のあなた」の上田敏訳も見開き二ページを使って収録されている。「山のあなたの空遠く/「幸(さいわい)」住むと人のいう。/噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて/涙さしぐみかえりきぬ。/山のあなたになお遠く/「幸」住むと人のいう」。

f:id:OdaMitsuo:20181010102808j:plain:h115(昭和十年版) 点子ちゃんとアントン

 これは明治三十八年の上田敏訳詩集『海潮音』(本郷書院)に収録されたものだが、上田は大正五年に亡くなっていることからすれば、ここで「山のあなた」は「日本少国民」の詩としてあらためて召喚されたということなのであろうか。
f:id:OdaMitsuo:20181009235556p:plain:h120 (日本図書センター復刻)

 そしてまたトルストイの中村白葉訳「人は何で生きるのか」は、16の吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のタイトルへともリンクしていったにちがいない。その刊行は昭和十二年で、支那事変が起き、国家総動員法の公布も迫りつつあった。そのような戦時下において、「少国民」たちは「山のあなた」をどのように読んだのだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20181005150627p:plain(新編日本少国民文庫)

 それに加えて、吉野の著書はマガジンハウスによって『漫画 君たちはどう生きるか』としてコミック化され、現在、二百万部を超えるベストセラーになっている。マガジンハウスは平凡出版時代には『ブルータス』で「ぜいたくは素敵だ」という特集を組んだりして、いわば遊び続けることをモットーにしてきた版元だった。それが一転して、『漫画 君たちはどう生きるか』を刊行し、ベストセラーとなっているのは、そこに時代の逆説を見るしかないように思われる。かつてはその先に大東亜戦争が待ち受けていたように、現在の果てには何が起きようとしているのだろうか。

君たちはどう生きるか f:id:OdaMitsuo:20181010112230j:plain:h115


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