出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話731 昭和十七年の『大興安嶺探検』

本連載719などの今西錦司がモンゴルの張家口に新設された蒙古善隣協会の西北研究所長として迎えられたのは昭和十九年四月で、京大からも所員が召喚された。それには前史があるので、たどってみたい。

 昭和十四年に今西は、会長を羽田亨京大総長とする京都探検地理学会を発足させる。そして十六年に京大の興亜民族生活科学研究所にいた今西を隊長、そこで彼の助手だった森下正明を副隊長とし、ミクロネシアのポナペ島学術調査隊が送り出される。その十人のメンバーには京大の学生だった梅棹忠夫、藤田和夫、伴豊、吉良龍夫、川喜田二郎たちがいた。それはポナペ島が日本の委任統治領に属し、南洋興発という会社がサトウキビを栽培していたことによっているが、それはこの調査隊も南進論とリンクしていたこと、及び実質的には翌年の大興安嶺探検のためのトレーニングを意味していた。この調査隊レポートは未見であるけれど、今西編著『ポナペ島―生態学的研究』(彰考書院、昭和十九年)として刊行されている。

 昭和十七年に、これも今西を隊長とし、前出のメンバーを主とする大興安嶺探検が送り出される。それは五月から七月にかけてのことで、本田靖春の『評伝今西錦司』においても、第4章「地図の空白部」として描かれている。そこにはこの探検隊が満洲国治安部(軍事部)と関東軍の許可が必要で、治安部からその資金として二万五千円が出され、本隊、支援隊の他に、地理的空白地帯を突破する漠河隊が新たに付け加えられたことが述べられている。

『評伝今西錦司

また戦後になってのことだが、『大興安嶺探検』(毎日新聞社、昭和二十七年)も出されている。後者は探検後の昭和十九年に刊行されるはずだった報告書の再刊で、文部省研究成果刊行助成金を得ての千部の出版であった。それゆえに入手困難になっていたところ、昭和四十五年に責任編集梅棹忠夫『砂漠と密林を越えて』(「現代の冒険」1、文藝春秋)に復刻収録されるに至った。しかし毎日新聞社版『大興安嶺探検』自体が探検後に脱稿され、戦災により出版社もろとも焼失した報告書の、戦後のリライト版である可能性も否定できないし、文藝春秋版も抄録であることを断っておくべきだろう。

大興安嶺探検(毎日新聞社版)f:id:OdaMitsuo:20171022115452j:plain:h110

それをふまえ、文藝春秋版を読んでみる。その前に地図も収録されている大興安嶺をラフスケッチしておこう。戦前の日本のアジア大陸認識において、大興安嶺は最大の秘境であり、探検の聖地のようなイメージを伴っていた。とりわけハルピンからシベリアに通じる鉄道以北の大興安嶺北部は、北海道を上回る広さの地域が密林に覆われ、一大高原をなしていて、オロチョンと呼ばれる狩猟民=北方ツングース民族を除き、ほとんど定住集落もなく、交通路もなかった。

だがそれゆえに科学的にも軍事的にも探検の機会が待ち望まれたけれど、大陸性気候の極寒地で、夏は気温が上がるにもかかわらず、地下には永久凍土層が広がり、谷筋は湿地、それもスゲ類の株=野地(ヤチ)坊主の間に水をたたえた湿原となっていた。これは馬や馬車による探検には決定的な障害で、昭和七年の満洲国建国以来、軍などの調査隊が北部大興安嶺の踏査を試みたが、すべて失敗に終わっていた。しかし周辺部では測量隊の活動と航空写真の撮影が進み、探検時には北部大興安嶺の最中心部などを除き、水系はほぼ明らかになっていたので、探検の主目的は北部大興安嶺の縦断の達成、航空写真で未撮影の白色地帯の水系の確認に置かれていた。本田の大興安嶺探検に関する章が「地図の空白部」と題されているのはこの事実によっている。

 この文藝春秋版『大興安嶺探検』はまず探検隊メンバーが示され、そのうちの五人の集合写真の掲載がある。それらは今西、吉良、藤田、梅棹、川喜田の五人で、ただちにポナペ島探検隊のメンバーがコアとなっているとわかる。実際に大興安嶺探検隊とは、ポナペ島での北部大興安嶺探検構想から始まっている。これはそれぞれのセクションを吉良龍夫、川喜田二郎、森下正明が分担して書いているのだが、この三人の観察力に充ちた叙述、精密な自然と動物描写、探検における、主従にわたる人間関係や現地の人々の生態などの捉え方は見事なものであるといっていい。とりわけ吉良のナチュラリスト的散文は簡潔に見るべきものを伝えている。探検隊のトラックはシベリア的世界とモンゴリア的世界の境に位置する三河地方の中心地の部落に向かう。探検隊はここで八人のコサックの馬夫や車夫を雇うためだった。その部落の描写を引いてみる。

 ステップの部落は、水のあるところにできる。ドラチェンカの町のまんなかには、大きな泉があって、水くみでにぎわっていた。このあたりを町の中心にして、レンガづくりの役所や商社の建物、丸太組みのロシア風の農家が、まばらに立ちならび、ゆきちがう顔つきの雑多な人間が国境の町らしいふんいきをふりまいた。役所の筆頭は旗公署で、旗という政治単位といい、旗長がモンゴル人であることといい、この三河地方が、ロシア人の侵入以前にはモンゴル人の生活空間であったことをものがたっている。しかし、いまでは、ときおり町の大通りをかけぬけてゆく、とんがり帽子のプリアート・モンゴルが眼を引くくらいで、モンゴル人の数はごくすくない。このプリアートそのものも、移住者で、ロシアの放牧家畜の番人をつとめているにすぎない。モンゴル人の旗長とは名ばかりで、実権は日本人である参事官の手ににぎられ、さらにその黒幕として、特務機関が隠然たる勢力もっていた。町はずれには、わずかながら、日本軍も駐屯していた。

ここには昭和十七年時のシベリア的世界とモンゴリア的世界の境にある「国境の町」の実体が浮かび上がり、本田が『評伝今西錦司』の中で、当時の時代状況を考えると酷かもしれないが、調査や探検の学術的成果だけを称賛するのは視野の狭窄のそしりを免れないとして、書きつけていた一節が思い出される。それは次のようなものだ。

 いまにして振り返ると、朝鮮の白頭山、ポナペ島、大興安嶺、内蒙古と、今西錦司およびそのグループが足跡を記した先々は、いずれも「大東亜共栄圏」の「墓」の跡である。さらにいうなら、彼らの調査・探検は、直接・間接あるいは有形・無形に、帝国主義者およびその追随者になにかしらを負うていた。

それに対するひとつの答えも書きつけている。三河を去る夜に、吉良は岡の中腹に十字架を見つけ、その写真を示しながら、そこには「開拓者の精神」が示されているとし、次のように述べるのだ。

 開拓前線のもつ特有の緊張感は、前戦をよこぎるたびに、いつも強い魅力でわれわれをひきつける。わたくしは、いまさらのように、もうすこし三河そのものを知りたいという欲望を感じた。しかし、前進したいという欲望は、いっそう強い。フロンティア・スピリットは、自然と人間との直面するところにのみうまれる。われわれもまた、みずから自然のなかにわけいって、開拓者の列にくわわりたいのである。そこは、自然がいまなお人間を支配している世界である。

だが「大東亜共栄圏」構想にしても、このような開拓者の「前進したいという欲望」とパラレルに膨張していったことは否めないと思われる。

なお脱稿後に、『大興安嶺探検』は昭和五十年代に講談社から毎日新聞版の復刻が出され、平成三年に朝日文庫化されていることを知ったので、付記しておく。

大興安嶺探検(講談社版)大興安嶺探検(朝日文庫版)


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

odamitsuo.hatenablog.com

古本夜話730 山本実彦『蒙古』とハルヴァ『シャマニズム』

 昭和十年に山本実彦の『蒙古』が改造社から刊行されている。彼は近代出版業界の立役者というべき人物だが、改造社も消滅して半世紀以上経つので、その立項を鈴木徹造の『出版人物事典』から引いておこう。
出版人物事典

 [山本実彦 やまもと・さねひこ]一八八五~一九五二(明治一八~昭和二七)改造社創業者。鹿児島県生れ。日大卒業後新聞記者となり、やまと新聞ロンドン特派員、東京毎日新聞社社長を経て、一九一九年(大正八)改造社を創業、『改造』を創刊。さらに、二二年(大正一一)『女性改造』、三三年(昭和八)『文芸』などを創刊。また二〇年、賀川豊彦の『死線を越えて』を処女出版、ベストセラーとなる。二六年(大正一五)一一月、『現代日本文学全集』の予約募集を発表、画期的成功を収め、円本の先駆となった。四四年(昭和一九)情報局の命令で自発的解散を強いられ、六月号で『改造』を休刊。戦後四六年(昭和二一)復刊。政界にも打って出たが公職追放に指定され、解除後、復帰したが、経営は順調でなく、死後、労組問題もからみ、五五年(昭和三〇)、『改造』は社とともに姿を消した。『小閑集』(改造社)の著書がある。

 ここには山本がジャーナリストから出版者となり、そのかたわらで政治にも関心を寄せていたことが見てとれるし、それゆえに『改造』創刊や、他の出版社に先駆けての円本『現代日本文学全集』の画期的成功ももたらされたと判断できよう。
現代日本文学全集

 その山本は昭和十年六月に蒙古などの視察を思い立ち、四十五日間の旅を続け、それを一冊にまとめたのが『蒙古』である。彼は四年前にも同様の旅による『満・鮮』を上梓していて、『蒙古』はその続篇だとも述べている。

 山本はジャーナリストとして、『改造』の出版者として、このような視察旅行を試みていたのだろう。昭和十年代の満洲や蒙古をめぐる時代状況と、ジャーナリズムや出版社は密接に結びつき、そのような視察にしても便宜がはかられていたはずだし、それは『蒙古』にも明らかである。それに『改造』編集長の水島治男も『改造社の時代 戦中編』(図書出版社)に「蒙彊紀行」なる一章を当て、昭和十二年に蒙彊連合委員会から旅費と視察費全額負担での招待を受け、山本の勧めで張家口に向かい、それを『改造』に発表したことが記されている。これは改造社だけでなく、多くの出版社にも誘いがあったと推測できよう。
f:id:OdaMitsuo:20171114154526j:plain:h115

 それはともかく、山本の『蒙古』に戻ると、序文的な「蒙古の朝」という短い一節から始まり、本連載の関連から挙げると、張家口や内蒙古自治政府、満洲と接する外蒙古とソ連、成吉思汗などにも及んでいる。しかもいずれも写真が添えられ、山本のレポートは文章を補うかたちになっている。その中で最も印象深かったのは、「大興安嶺とオロチヨン」の章に収録された「シャーマンの巫女」と題された一枚の写真である。山本は大興安嶺を越え、その山脈に住む「現代にのこされた自然児」オロチヨン民族に思いをはせる。そしてオロチヨン民族と接触した蒙古在住の日本人から話を聞く。それは馬車で三十日間にわたる過酷な野営旅で、ようやくオロチヨン部落に至る。この語り手はSと匿名で記されていることからすれば、おそらく特務機関の関係者であろう。それからオロチヨン部落の写真や風葬の光景に続いて、「シャーマンの巫女」の写真が示され、次のようなコメントが付されている。

 Sたちは丁度お正月の前の晩、年越しのときに行つたのだつたが、たいへん賑かにはやし立てて変な舞さへあつた。なんでもシヤーマン教による神秘的な舞踏で、舞女は廿二三の既婚者で、大きな銅羅を背中に三個、左右両膝に三列づつさげ、裾には鈴のついた衣裳を着け、左手に直径一尺五寸ばかりの太鼓を、木片で烈しく打たたくので、とてもやかましいものだつた。巫女にたよることは単に視察日の日ばかりでなく、病気の時も一切を彼(ママ)の祈祷に信頼するのだ。

 これらはSが語ったことのリライトと考えていいし、写真に至っては、山本が日本に帰ってから調達したものではないだろうか。それはシャーマンの写真と説明が合致していなことにも表われている。しかしそれでもこのシャーマンの写真はウノ・ハルヴァの『シャマニズム』(田中克彦訳、三省堂、昭和四十六年)の第二十一章「シャマン」に示された写真や図と相似するもので、オロチヨン族と断定はできないにしても、ツングース諸民族のシャマンと判断していい
シャマニズム

 『シャマニズム』には「アルタイ系諸民族の世界像」とサブタイトルが付され、シベリア諸民族の原始的な霊魂崇拝に基づく世界観がシャマニズム、それを担うのがシャマンであることを、多くの実例を挙げて示し、シャマニズムなるタームを広範に定着させた名著といえよう。訳者の田中はこれを「シベリアの金枝篇」と呼んでいるし、ミルチャ・エリアーデの『シャーマニズム』(堀一郎訳、ちくま学芸文庫)もそのベースをハルヴァに負うているのである。
シャーマニズム

 また本連載517でもふれていたように、日本のルーツとしてのウラル・アルタイ語族の仮説を強化するために、シャマニズムに関する注視がなされ、それが日本の神道天皇制の儀式へとリンクしていくという構図のもとに、日本人によってシャマニズムに関する報告も出現していた。山本が『蒙古』で紹介しているSの調査に基づく実話なども、その事実を告げていよう。それにまたしても生活社から昭和十八年にニオラッツェの『シベリア諸民族のシャーマン教』(牧野弘一訳)が出されているのである。
シベリア諸民族のシャーマン教

 またその後、このフィンランドの碩学の著書『シャマニズム』は平凡社の東洋文庫に収録に至っている。

シャマニズム


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

odamitsuo.hatenablog.com

古本夜話729 萬里閣書房『大支那大系』

 これは昭和十年代の出版物ではないけれど、昭和初期の円本時代に萬里閣書房から『大支那大系』が刊行されている。所謂支那シリーズとしては先駈けのように思われるので、ここで取り上げておく。ただ『全集叢書総覧新訂版』で確認してみると、昭和五年に全十二巻予定で始まったが、完結せず、七冊で中絶してしまったようだ。

f:id:OdaMitsuo:20171108113452j:plain:h120(「風俗・趣味篇」) 全集叢書総覧新訂版

 『大支那大系』に関しては拙稿「日置昌一の『話の大事典』」と萬里閣」(『古本探究3』所収)で、タイトルだけを挙げ、またそこで萬里閣の小竹即一が野依秀市の実業之世界社出身であることもふれておいた。私が所持しているのは『大支那大系』第三巻「政治・外交篇第八巻「風俗・趣味篇第十二巻「文学・演劇篇」下の三冊で、第一回配本は第八巻だとわかるし、そこには小竹を編輯発行印刷人とする「大支那大系月報」第一号もはさまれているからだ。

古本探究3

 その最初に松原義人の「内藤先生のこと」が掲載されている。松原のプロフイルは不明だが、次のように始めていることからすれば、萬里閣の編集者であろう。

 わが萬里閣が、大支那大系を計画しだしたのは、昨日や今日の問題ではない。すでに萬里閣といふ名に対しても連想されさうな、そして計画されさうなふさわしい名でもある。
 隣邦支那といへば、資源を多分に抱合したあの広大な土地と、侵略的に、世界還視の的となつて居ることを直感する。そればかりかは、興亡数千年の謎を包んだ国として残つて居る支那だ。これが、人文学的に、地誌学的に、凡ゆる方面から此の尽きざる謎の支那を正解し、紹介せんとする所謂、支那研究書は枚挙に遍なしといふ位。
 茲に於て、これ等の玉石混淆を選択統一し、本支那研究家の最高権威を一堂に網羅し、意義と光輝に満ちた大支那大系を刊行するは、国家的指命(ママ)かにも見られる。

 それゆえに「内藤先生にお骨折りして頂いては」となる。内藤先生とはいうまでもなく、京都帝大東洋史研究室の開祖の内藤湖南で、松原は「骨折り下さるといふ親切ぶり」を拝受したのだった。そうして『大支那大系』の「題簽」が内藤の手になり、「開幀」に周・成王時代南公鼎銘拓本、「装幀」に明・推朱龍鳳文机面模様が使われることになったのであろう。ただそれと同時に、昭和六年に満洲事変が起き、内藤が渡満したことなども『大支那大系』の中絶と関係しているのかもしれない。しかしいずれにしても、ここに支那や東洋に関するシリーズ出版企画には、京都帝大東洋史研究室の存在が不可欠となる発祥を見たように思われる。

 さてその第一回配本の「風俗・趣味篇」だが、これは本連載519でそのプロフイルを紹介しておいた後藤朝太郎が担当である。ちなみに「同月報」第三号には、後藤の『増補支那行脚記』などの三冊、長永義正『グロテスク支那』、村田孜郎『支那の左翼戦線』、長野朗『自由支那へ』、鳥居龍蔵『満蒙の探査』、佐藤進一『不老不死仙人列伝』が萬里閣の支那関係の「趣味と実益の八大名著」との広告が見え、『大支那大系』の企画と併走していたことを教えてくれる。

 それらの「名著」の筆頭たる後藤は、六十点に及ぶ生活風景などの口絵写真をまず示し、『大支那大系』の一番手として、「支那風俗趣味篇の序文」を寄せている。そこで後藤は「日本でこれまで幾度か支那全集ものゝ計画話題に上つてゐても物にならず立消えとなつた」のは従来の漢文や東洋史の堅苦しさから抜けられなかったことに尽きるとして、次のように結んでいる。

 要するにこの小冊子支那風俗趣味篇はその全篇に民国人の民俗性と社会相、並に風俗趣味の人間味のある処が何となくにじみ出てゐること、又その点に自分の多少努力したことさへ読者に見出してもらへるならば本書の目的は達せられる。広い支那文化の全般に亘る趣味の筆の如きは悠久閑雅な気持ちで油の十分に乗つたときでなくては出来ないことである。一朝一夕の速手間で達成的に作り上げる如きは自分の気持ちの許さない処である。聊か我が思ふ処を有りのまゝ叙べて本書の序文となる次第である。江湖の読者幸いに自分の気持に共鳴せらるゝ処があるならば、その閃めきを打寛いだ談笑裏に承る機会を得たいと思つてゐるのである。

 そして支那風俗の現れ方、支那の家庭生活、正月の行楽、田舎の正月、玩具、五味八珍、古名画に見る風俗や趣味、文人の幽斎、宗教や仏教や儒教、支那八選と民衆奇習などが三十章にわたって、しかもそれぞれに写真が添えられ、具体的に論じられていく。私はリサイクル店で入手した、中国の王朝生活を描いた大きな絵画を飾っているが、それは先の支那名画に見る風俗や趣味の記述が重なるようで興味深い。これを購入したことで、私は横浜の中華街で中国服のコートまで買ってしまったのである。

 そのために、この「風俗・趣味篇は興味が尽きないけれど、この際だから他の二冊の執筆者たちも紹介しておこう。「政治・外交篇は岸田英治、榛原茂樹、「文学・演劇篇」下は久保天随、楊蔭深、榛原茂樹、瀬沼三郎、村田孜郎、未見の「財政・経済篇」は長野朗、長永義正で、村田や長野や長永は、先に挙げた萬里閣支那関係の「趣味と実益の八大名著」の著者だとわかる。しかし残念なことに『大支那大系』もまた未完に終わってしまったのである。


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら
 
odamitsuo.hatenablog.com

古本夜話728 創元社「アジア問題講座」

 前回、戦後の出版ではあるけれど、東京創元社の京都大学文学部東洋史研究室編『東洋史辞典』は、平凡社の『東洋歴史大辞典』の延長線上に成立したという推測を述べておいた。それはこれも既述しておいたように、『東洋歴史大辞典』の主たる執筆者たちは東京と京都帝大の東洋史研究者たちだったからだ。

東洋史辞典(『新編東洋史辞典』) 東洋歴史大辞典(『東洋歴史大辞典』)

 さらに『東洋史辞典』の成立にはもう一つの系譜も接続していて、それは創元社の「アジア問題講座」である。書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』で確認してみると、昭和十四年、つまり『東洋歴史大辞典』の完結年にスタートし、全十二巻が出されている。手元にあるのはそのうちの9と12で、前者は「社会・習俗篇」、後者は「アジア人名辞典、総合アジア年表」となっている。

f:id:OdaMitsuo:20171107111726p:plain:h120(経済産業篇) 全集叢書総覧新訂版

 こちらは平凡社の『東洋歴史大辞典』と異なり、B6判並製だが、共通している部分がある。それは奥付の編輯兼発行人が創元社の経営者の矢部良策とされていることだ。しかも検印紙の代わりに「矢部之印」が押されていることは、『東洋歴史大辞典』の検印紙に「平凡社印」があることを踏襲していると見なすしかない。ちなみにこのような奥付処理の意味するところを説明しておけば、いずれも収録原稿は買切で、印税は発生せず、著作権は出版社と発行者に属することだ。そうした共通項からしても、『同辞典』「アジア問題講座」は執筆者のみならず、企画編集者もクロスしていたと考えらえる。

 またこの時代は、本連載284や457でふれておいたように、創元社は大阪を本社とし、東京を支店として出版を行なっていた。その奥付の住所記載からすれば、「同講座」は東京支店による企画編集だとわかる。だがその経緯と事情、及び全容はつかんでいないので、先の二冊から見ていくしかない。

 9の「社会・習俗篇」には編集顧問として、柳田国男、宮澤俊義、橘樸などの十人、編輯委員として、尾崎秀樹、小澤正元、田中香苗、木村重、木下半治、水野成夫の六人が挙がっている。冒頭に「アジアに寄する言葉」という一文を書いているのは編輯顧問の宮澤で、彼は憲法学者であり、当時は東京帝大教授だったはずだ。彼はこの一文を次のように始めている。

 ひとむかし前に神戸からヨオロッパ行の船に乗つたことがある。まづ、上海、香港、ついでシンガポール、ペナン、子ロンゴ、アデン、さらにスエズからポート・サイドと、着く港湾で何がいちばん目についたかといふと、どこでも土着の有色人種が白人の支配権の下に情ない隷属状態に置かれてゐるということであつた。
 支那では日本人と同じやうに黄色い顔をした人間が白人から「犬と支那人入るべからず」式の待遇を受けていたし、マレイ半島では僕自身にそつくりの色の黒い連中が、ヘルメット帽をかぶり自服を着たジヨン・ブルの頤使にあまんじてゐたし、さらにインドでは、見るからに聡明そうな目をもつた土人が数千年前にあの輝しい文化を創造した国民の後裔とはとても考へられぬやうな卑屈な生活を営んでゐた。いったいどうしたことだとかつ慨嘆し、かつ考えたことであつた。

 そしてこうした白人の支配下にあるアジアを解放するためには、白人の政治権力だけでなく、その文化にも対抗できるものを確立しなければならないし、それが「世界史においてアジア人に課せられた光栄ある使命」だと結ばれている。

 編輯委員の尾崎秀実のポジションは朝日新聞社を退社し、満鉄東京支社へ移り、東亜協同体論を提起していた時代に当たる。すでに上海で、アグネス・ススメドレーに出会い、ゾルゲを紹介され、日本で再会していた。また同じく小澤正元、木下半治、水野成夫は東大新人会出身で、転向左翼であり、田中香苗は尾崎が上海で近傍にいた東亜同文書院出身のジャーナリストで、木村重は肩書に「在上海農学博士」とある。さらに付け加えれば、小澤は本連載635などの内外社を大宅壮一と立ち上げ、『綜合ヂャーナリズム講座』の編輯に携わっていたことからすれば、この「アジア問題講座」の企画編集者の一人だとも考えられる。それもあって、9は大学教授ばかりでなく、柳田を通じて民俗学者などの、「社会・習俗篇」にふさわしい多彩な人々の寄稿が得られたのであろう。

 しかし「アジア問題講座」の全巻を見ていないにもかかわらず、断言してしまうのは僭越だが、その圧巻は「アジア人名辞典」を収録した12に他ならないと思われる。尾崎監修によるこの人名辞典は中華民国、満洲国、印度、フイリッピン、タイ国に及び、四一〇ページ、概算で三千人以上が掲載されている。満洲国は四六ページ、三百人ほどだが、アトランダムにその中の一人を抽出してみる。

 孫 徴 Sun Cheng 日本大学政治学科卒業。一九三二年満洲国成立後任実業部工商局長。次で満洲電業会社副社長となる。一九三六年日本人と結婚す。

 この人物のことはここで初めて知るのだが、日本の敗戦後、どのような運命をたどったのだろうかと想像してしまう。このような人名辞典に掲載されたことが裏目に出てしまったのではないかということに対しても。
 「凡例」によれば、満洲国と中華民国関係の辞典としては外務省編纂、東亜同文会発行『人名鑑』が七千名を収録した「最も権威あるもの」とされているようだ。これを編纂したのは誰だったのであろうか。


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com

出版状況クロニクル115(2017年11月1日~11月30日)

17年10月の書籍雑誌の推定販売金額は993億円で、前年比7.9%減。
書籍は473億円で、同5.2%減。
雑誌は520億円で、同10.3%減と2ヵ月連続の2ケタマイナス。
その内訳は月刊誌が406億円で、同12.6%減、週刊誌は114億円で、同1.3%減。
週刊誌のマイナスは17年で最小だが、月刊誌はコミックス、ムックの大幅な落ちこみによっている。
それらも作用し、17年の雑誌のマイナスは初めての2ケタ減が予測される。
最悪は16年の6.6%マイナスだったけれど、それどころではない雑誌状況を迎えようとしている。
返品率は書籍が41.0%、雑誌は44.5%と、双方がまたしても40%を超えてしまった。
10月は台風の影響もあり、他の物販やサービス業も大半が前年を下回っているので、書店の返品率は11月も高いはずで、雑誌の販売額マイナスはそのまま18年も続いていくだろう。
そして18年も続けて2ケタマイナスとなるのではないか。
出版状況は崩壊から解体過程へと向かいつつある。



1.日販の『出版物販売額の実態2017』が出され、その「販売ルート別出版物販売額2016」が『出版ニュース」(11/下)に掲載されている。それを示す。 
 
■販売ルート別推定出版物販売額2016年度
販売ルート推定販売額
(百万円)
構成比
(%)
前年比
(%)
1. 書店1,089,44263.394.0
2. CVS185,92310.897.7
3. インターネット183,05010.6106.0
4. その他取次経由78,9414.697.0
5. 出版社直販184,75710.796.6
合計1,722,113100.095.9

これは本クロニクル103でもふれておいたが、日販のこのデータは15年から生協、駅売店、スタンドルートが「その他取次経由」に一本化され、さらに新たに「出版社直販」が加えられている。それらの合計が1兆7221億円で、前年比4.1%減となる。
そのことによって、16年の出版科学研究所の推定販売金額は1兆4709億円なので、2512億円上回る数字となるけれど、5の「出版社直販」を外すと、取次ルート推定販売金額に近くなる。
しかし3は紙媒体だけで、電子書籍は含まれていないこと、それから5の場合、アマゾンと出版社の直取引を考えると、これらの今後の正確な追跡は難しくなるのではないだろうか。

もちろん出版科学研究所の取次出荷から返品を引いた推定販売金額、本クロニクル110の『出版年鑑』やニッテンの実売金額に基づくデータにしても、書店も含めたドラスチックな出版物市場の変容の中で、第一次資料としての判断が問われるところにさしかかっているように思われる。

odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com

2.丸善ジュンク堂の工藤恭孝社長と岡充孝副社長が辞任し、取締役も退任し、それぞれ会長、副会長となる。同じく取締役の文教堂GHDの嶋崎富士雄社長も退任、後任の社長はDNP常務執行役員の中川清貴取締役が就任し、丸善CHIホールディングス社長を兼ねる。
 丸善ジュンク堂営業本部のもとで店舗運営を担う淳久堂書店も工藤社長と岡副社長が退任し、こちらも中川社長へ移行。
 

任期途中の退任であり、二人はDNPから解任されたと見られる。
本クロニクルでも繰り返し丸善ジュンク堂のバブル大型店出店に関する採算上への疑問や、同109で工藤社長の敗北にも似た告白にもふれてきているが、この1年の売上の落ちこみも相乗し、DNPにとっても、もはや限界を超えてしまったのであろう。
全国90店舗に及ぶ大型店の展開にしても、2014年から赤字続きだったとされる。
淳久堂書店を介在させるその出店のメカニズムが再考され、必然的に店舗リストラが始まるのは必至だ。それはいうまでもなく返品となって、取次と出版社に押し寄せてくるだろう。
出店は10月の「横浜みなとみらい店」が最後となろう。



3.CCCのFCで、栃木県を中心としてTSUTAYAを展開するビッグワングループが、創業140周年記念式典を開催。
 同グループは1887年に肥料店を創業、1960年からガソリンスタンドを始め、CCCのFCには87年に加わっている。
 同式典は『文化通信』(10/30)に詳しく報道されているが、その記事を引く。

「87年にCCCとフランチャイズ契約を結んで複合書店の出店を開始した。
現在はTSUTAYA26店舗、大型複合店の「bigone books」4店舗など、書店32店舗を展開するほか、グループでブックオフ11店舗、「かつや」「道とん堀」「いきなり!!ステーキ」カフェなどの外食店を経営している。」 
 そして大村一夫社長の次のような発言も紹介されている。
「さらに、『業態の変化が著しい』と述べ、これからはスマートフォンではできない飲食と『人と人との出会い』に関わるビジネスに向かう必要があるとし、レンタルとの複合だったTSUTAYAから、書籍を中心とする蔦屋書店への転換を図ると表明。」
 その「新たな成長のスタート」として、12月には佐野市にスターバックスを併設した813坪のTSUTAYA大型複合店も開店する。

ビッグワングループの記念式典は『新文化』(11/9)にも報道されていることからすれば、プロパガンダのために広くリリースされていたのだろう。CCCのFCとしては異例のことで、しかもそのFC業態が公開されたのも初めてのように思われる。
しかもTSUTAYAなどの書店が32店、ブックオフ11店というのも驚きで、ビッグワングループがCCCとブックオフの一定のエリアを独占する地域FCの代表的企業、もしくは様々な業態からなる地域FC企業だと推測される。これまで出版業界で知られていなかったが、このような地域FC企業がCCC=TSUTAYAのコアということになる。

記念講演はCCCの増田宗昭社長、祝辞と挨拶は日販の吉川英作副社長、ブックオフの堀内康隆社長、TSUTAYAの大西一雄社長、乾杯発声はMPDの奥村景二社長で、これらのメンバーがFC企業の式典で勢揃いしたのも初めてだろう。それでいて、出版社からの挨拶はなく、その姿も伝えていないのも異例である。

この事実はビッグワンの式典がCCC=TSUTAYA、日販、MPDのプロパガンダに他ならないことを告げている。そのかたわらで、前回の本クロニクルでふれたように、TSUTAYAの50店に及ぶ閉店が続き、ブックオフも連続赤字で、今期の第2四半期決算も赤字となり、それはブックワンのTSUTAYAやブックオフにも影響が及んでいよう。
そのためのテコ入れとしての関係者総出演の式典と見なせるが、「TSUTAYAから書籍を中心とした蔦屋書店への転換」はCCCの絵に描いたFCスローガンに他ならず、不可能に近く、経営の戦略として間違っているというしかない。TSUTAYA佐野店はどうなるのか、注目しよう。



4.ポール・メイソン『ポストキャピタリズム』(佐々とも訳、東洋景ジア新報社)を読み終えた。テーマは「新自由主義―ゾンビシステムの崩壊」である。
 メイソンは新自由主義に伴って起きた1980年代の「金融化」=financialization に注視する。それは企業社会が金融市場へ向かったことを意味し、まず銀行は従来の顧客から離れ、高リスクな投資業務へ向かう。銀行の従来の顧客だった企業もクレジットカード、様々なローン、モーゲージなどの金融市場に取りこまれていく。
 金を貸すことや借りることにまつわる単純な利子の金融が、複雑な金融となって市場を生み出し、投資家に収入をもたらし、その世界に身を置く人たちが1%の超富裕層を形成していく。
 そうした生産から金融への転換は、労働者の敗北と分断化をもたらし、社会の無秩序化を招き、08年のリーマンショックへと結びついていった。
 これはラフな要約なので、詳細は本書を読まれたい。

ポストキャピタリズム

偶然ながら、この11月に読んだので、この「金融化」のコンセプトを23の大型店出店に当てはめてみる。
2010年代に入って、丸善ジュンク堂やTSUTAYAなどの大型店は、予算達成が困難で、自転車操業的出店へと移行していった。それは「金融化」と呼ぶにふさわしく、大型店初期在庫は長期の支払い猶予が設定されるので、それらは取次による「金融化」支援とも見なすことができる。

すなわちそれは初期在庫の返品による、書店の資金繰りに当てられるからである。それに加えて、かつては一社現金決済がほとんどであったことに対し、書店側の「金融化」も複雑になっている。
例えばA社の新規出店に当たって、出店契約はB社、店舗運営はC社、出版物在庫はD社、DVDなどは消耗品としてE社が受け持ち、棚やレジなどはリースといったように、様々な「金融化」が複雑に絡み合い、それにFC契約と再販委託制が重ねられている。しかもFCではタブーとされる、FCによるFCもかなりあると推測される。

しかしそれらの流通と金融を担っているのは取次に他ならず、取次はこの複雑化した書店市場に対し、ほとんどなすべき手立ても持てずにいる。しかも流通販売の要で有る雑誌の凋落に直面し、そのビジネスモデルすらも揺らいでいる。それとパラレルに丸善ジュンク堂にしてもCCC= TSUTAYAにしても、店舗リストラに向かうだろうし、その際に出版業界のリーマンショックのような事態が起きることも考えられる。

また「金融化」だが、これは出版社にしても同様で、週刊誌、月刊誌は除くにしても、ムック、文庫、新書などは、取次の支払い条件に則った「金融化」出版と化していることも事実だし、それが高返品率として現れているのである。読者や書店のことは二の次になっている。

だからいってみれば、生産、流通、販売をめぐる出版市場のすべてが「金融化」の中にあり、それが臨界点を迎えていると判断できよう。



5.北海道函館市の加藤栄好堂が自己破産。
 創業は1934年で、函館市美原と北斗市、亀田郡七館街に3店舗を展開していた。 負債は3億8000万円。

この書店は知らなかったので、1996年の『ブックストア全ガイド』(アルメディア)を確認してみると、当時は本店が30坪であり、その後出店を続け、リストラなどを経て、今回の事態に至ったと推測される。取次は日販。



6.日本で最初の児童書専門店である名古屋のメルヘンハウスが、来年の3月で閉店。

本クロニクル99で、絵本市場が拡大していることをレポートしたが、45年にわたる児童書専門店には、それが及んでいなかったことを示していよう。
「出版人に聞く」シリーズ11『名古屋とちくさ正文館』の中で、古田一晴が近くにあるメルヘンハウスとのコラボを語っていたが、それも今年で最後となってしまうのである。
odamitsuo.hatenablog.com
名古屋とちくさ正文館



7.同じく名古屋の風媒社の創業者稲垣喜代志が亡くなった。享年84歳だった。

稲垣と最後に会ったのは5年ほど前で、転んでけがをした後だったこともあり、「出版人に聞く」シリーズに出てくれないかと頼みづらく、そのままになってしまった。
稲垣は日本読書新聞を経て手、1963年に名古屋で風媒社を立ち上げ、所謂地方出版の先達で、しかもNR出版会の最初からのメンバーだった。
名古屋にあって、風媒社という出版社が存在したことは、有形無形に大きな文化的意味があったはずで、それが継承されていくことを願わずにはいられない。

なお『出版ニュース』(11/下)の「出版」欄に、インパクト出版会の深田卓による長文の追悼も掲載されていることを付記しておく。



8.桐原書店は株式の51%を図書印刷に譲渡し、図書印刷のグループ会社となる。
 同じく図書印刷の子会社で、主として小中学校の検定教科書を手がける学校図書との事業シナジーをめざす。

桐原書店に関しては、『出版状況クロニクル4』で、15年にTACに全事業譲渡締結とその後の中止を既述しておいた。
2013年に英国のピアソングループから分離独立し、高校の英語や国語教科書、参考書出版に加え、デジタル教材、ベンチャー企業との提携、フィリピン語学支援会社買収などの新事業進出もあり、図書印刷の傘下に入ったことになろう。だが学校図書が先行していたことは知らずにいた。
他の教科書をメインとする出版社がリストラでもめている話を耳にしているが、かつては安泰とされた教科書会社にしても、出版危機は押し寄せているのである。
出版状況クロニクル4



9.日本ABC協会による2017年上半期の雑誌販売部数が出されたので、週刊誌、月刊誌、合計のトータル数字を示す。

■2017年上半期 雑誌販売部数
17年上半期前年同期比(%)読み放題UU16年下期比
週刊誌(34)3,775,809▲12.12,809,94029.4
月刊誌(117)9,460,213▲1.55,678,01526.6
合計(151)13,236,0224.88,487,95527.5

17年上半期のほうは出版社39社、週刊誌34誌、月刊誌117誌で合計1323万部だが、「読み放題UU」は93誌で848万部だから、実質的に紙を上回っており、その成長率から考えれば、来年は逆転してしまうことが確実である。
それに対し、デジタル版は94誌で、合計部数は14万部、16年下半期比4.9%減となっている。

[スマホで雑誌を読むことが主流となる時代に入ってきている。その一方で、デジタル雑誌はすでに下降していることが明らかである。この雑誌、読み放題UU、デジタル版の販売推移は同様なプロセスをたどっていくであろう。
しかしこれはいうまでもないことだが、このデータは雑誌市場の一端であり、ムックとコミックは除外されている。定期誌よりもさらに深刻な状況に追いやられているのは、返品率から明らかにように、ムックと見なせよう。
ムックこそはでふれた「金融化」雑誌に他ならないからで、本クロニクル97で指摘しておいたように、長きにわたるバブル刊行も限界に達していよう]
odamitsuo.hatenablog.com



10.インターネットで海賊版コミックを読むことができるリーチサイト(誘導サイト)の「はるか夢の址」をめぐる著作権違反事件で、運営者やサーバー運営者たち9人が逮捕された。
 この「はるか夢の址」は2008年に開設され、3200人の会員が毎月1万9500件の海賊版リンクを投稿する巨大サイトで、閲覧者数は月に1400万人に及ぶ。
 ダウンロードされたコミックは毎月300万点で、『NARUTO』『ワンピース』『ドラゴンボール』などの人気コミックも含まれ、出版社の被害は2011年以降で、4124億円に上るとされる。

NARUTO ワンピース ドラゴンボール

これは『朝日新聞』(10/31、11/1)の記事によるが、続報が出ていないので、その後のことがわからない。他紙ではどうなっているのか。
「はるか夢の址」はよく知られたサイトで、今年の7月に関係先が家宅捜索され、すでに閉鎖されたが、50万件以上の作品のリンクが投稿されていたという。だがサイト運営者は金銭的利益は得ておらず、リーチサイトが著作権を侵害したのか、多数のリンク投稿者も著作権違反となるのか、この事件はどのような方向に展開されていくのだろうか。
「はるか夢の址」と同様のサイトは海外にも多くあるとされているので、それらも含め、詳細なレポートが望まれる。



11.イオングループのコンビニであるミニストップ2200店は、来年1月から18歳未満販売禁止の成人向け雑誌の販売を中止すると発表。
 さらにイオングループ下にある300店余の未来屋書店なども同様で、それらはミニストップを含めて7000店のすべてに及ぶとされる。

これも本クロニクル106でふれているが、2020年の東京オリンピックを意識してのイオンのパフォーマンスのように映る。また実際に他のコンビニでも、首都圏を中心にして多くが撤去されるとも伝えられている。
しかし出版業界にカストリ雑誌から始まるアダルト誌を置いてみれば、編集者、漫画家、作家にしても、次世代の人材の宝庫だったし、それが出版業界を下支えしてきたのである。
それはこの8月に出された池田俊秀『エロ本水滸伝』(人間社文庫)にお明らかで、1980年代以後の雑誌カルチャーにしても、エロ本業界を抜きにして語れないはずだ。
それからこれは購入して気づいたのだが、人間社は名古屋の出版社で、6のメルヘンハウスやちくさ正文館の近くにある。この出版社も7の風媒社の影響を受けているはずで、奇しくも今回は明暗の暗のほうによってしまったけれど、名古屋の4つの出版社や書店を挙げたことになる。
エロ本水滸伝
odamitsuo.hatenablog.com



12.『日経MJ』(11/24)が「宝島社のすご腕付録姉さん」なる一面特集を組み、付録づくりに日々奔走する「目利き」の桜田圭子マーケティング課課長の行動を追っている。
 これは9のABC調査に基づくであろう、今年上半期宝島社の女性ファッション誌が1位から4位までを独占したこと、及び40代女性向けファッション誌『GLOW』(8月号)が1週間で50万部を完売したことを受けての特集である。それはアメリカの高級スーパー「ディーン&デルーカ」のロゴ付き保冷バッグの付録によっている。
 「付録姉さん」は付録のアイディアをもとめ、雑貨屋、カー用品、地方の大手ショッピングセンター、空港の雑貨店など、週に300~500店をめぐるという。

GLOW おまけとふろく大図鑑

「姉さん、あっしもお伴させて頂きます」というわけにはいかないけれど、雑誌本体ではなく、付録が売れ行きを担っているのも、現在の出版業界を象徴している。
前回の本クロニクルで、日記と手帳の人気にふれ、何も印刷されていない日記や手帳が好調なのは、誠に皮肉なことだと既述しておいたが、付録人気も同様だと見なすしかない。
ただ付録は日本の雑誌の原点ともいえるので、その歴史をテーマとした『おまけとふろく大図鑑』(「別冊太陽」、平凡社)にならって、宝島社の付録史を一冊にまとめて残してほしい。映画『フリークス』のDVDの付録がついた雑誌を買いそびれてしまったこともあるので。



13.祥伝社の女性誌『Zipper』が休刊。
 1993年に月刊誌として創刊され、「カワイイ」というタームを広めた原宿ファッションをメインとし、古着も含め、10代後半の女性の熱烈な支持を得ていた。だが2015年からは季刊となっていた。

Zipper

12の付録は「癒し」系が主流だというので、もはや「カワイイ」はトレンドから外れてしまい、それも休刊の一つの理由となったのだろうか。
エフェメラのようなトレンドは、月刊誌や季刊誌が寄り添っていくのが難しい時代となっているのが実感として感じられる。
これからは流行の消費サイクルがさらに短くなり、雑誌というよりも付録がそれを反映していくのかもしれない。



14.講談社の『小説現代』が来年の10月号で休刊。20年3月号でリニューアル創刊する予定。
f:id:OdaMitsuo:20171129145757j:plain:h110 『〈郊外〉の誕生と死

1963年の創刊だから、半世紀以上にわたって刊行されてきたことになる。
1978年に創刊15周年を迎えて、『小説現代新人賞全作品』(全4巻)が出されている。その「刊行にあたって」に、次のような言が見える。

 創刊直後に「小説現代新人賞」を設け、年2回、作家志望者に広く門戸を開けて新人発掘に勉め、新しい時代の感覚や風俗に応えた。斬新で、かつ才能豊かな新人作家を生み出し、中間小説界随一の登龍門として、「新人賞は小説時代」と評価されるまでに成長してきました。

私などの世代はまさに『小説現代』とともに成長したこともあり、66年に第6回小説現代新人賞を受けた五木寛之の「さらば、モスクワ愚連隊」をリアルタイムで読んでいる。それに偏愛する藤本泉もこの新人賞を受賞している。
「中間小説」という言葉も懐かしいし、実際に『小説現代』編集長も務めた大村彦次郎による「中間小説とその時代」というサブタイトルの『文壇栄華物語』(筑摩書房)が出されている。
だが『小説現代』とともに、中間小説の時代も完全に終わったのである。



15.龍生書林の古書目録『りゅうせい』66(最終号)が届き、「今年で廃業」との言が記されていた。

A5判334ページに及ぶ目録は稀覯本を含めて、近代文学書が満載で、龍生書林が近代文学書にかけては第一人者だったことをあらためて教えてくれる。
写真版以外の「複数冊割引」も示され、2冊は2割引、3冊は3割引、4冊は4割、5冊は5割引となっている。
残念ながら、私は初版本や著名本などに門外漢であるので、注文できなかったが、近代文学書収集者や読者には、垂涎の一冊が見つかるのではないかと思う。まだ1ヵ月残されているし、目録を入手してほしい。
古書業界でも龍生書林の廃業はショックだったようで、親しい古本屋によると、書店に例えれば、紀伊國屋書店が廃業したようなものだと語っていた。
14の中間小説ではないけれど、古書業界においても、近代文学が終わってしまったといえるのかもしれない。



16.ブックオフは通販サイトのブックオフオンラインを、アマゾンのマーケットプレイスに出店。
 ブックオフオンラインは2007年開設で、会員数は350万人、在庫点数は500万点、年間買取点数は3000万点、同販売点数は1640万点とされる。

このブックオフオンラインのマーケットプレイスへの参入と、アマゾンの手数料の値上がりによって、1円販売本のサイトは劣勢で赤字が確実となり、マーケットプレイスからの撤退が続くだろうと予測されている。
新刊書も同様だが、古本も専門書から1円本に至るまで、かつてない激動の只中にさらされている。これは近代、すなわち明治の和本から洋本への過渡期に重なっているようにも見える。
だが基本的に異なっているのは、その時代に古本業界を後戸のようにして、出版社・取次・書店という近代流通システムが立ち上がっていたことに対し、現在は逆にそれが崩壊から解体へと向かっていることだろう。



17. 今月の論創社HP「本を読む」㉒は「自販機本の時代」です。
 

以下次号に続く