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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話53 戦前戦後の二見書房

昭和初期 艶本時代の梅原北明を中心とする出版人脈について、様々に言及してきたが、具体的に名前が挙がっているのは氷山の一角であり、その他にも編集者、翻訳者、洋書輸入業者、画家、それに印刷、製本、用紙関係者を含めれば、たちまち数倍の人数に及ぶだろう。その中でかなり重要な位置を占めていたのは、印刷業者だったのではないだろうか。

例えば、以前に書いておいたが、竹内道之助の「薊(あざみ)」(『地獄の季節』所収、三笠書房)は艶本時代を描いた実に興味深い短編で、モデルは竹内自身と梅原に加えて、印刷者の福山福太郎とその甥の大野卓である。実質的に「変態文献叢書」を刊行したのは福山と大野で、編集者は竹内だった。だが福山の印刷所は警察の捜索を受け、彼らも留置され、本もすべて押収されてしまい、最終的に出版事業から手を引くことになる。

この福山と大野は城市郎のあの「“昭和艶本合戦”珍書関係者系譜」(『発禁本』所収、平凡社「別冊太陽」)のチャートに挙げられているが、彼らの他にも何人もの知られざる印刷者が関係していたにちがいない。
発禁本

前回取り上げた『エル・キターブ』(風俗資料刊行会)の奥付に、異なる印刷者名の記載がある。そこには東京市牛込区山吹町、堀内文次郎と記されている。そして堀内も後に福山と同様に出版社を立ち上げることになり、その社名は二見書房という。現在の二見書房の前身である。だから立場は異なるとはいえ、三笠書房も二見書房も梅原の出版人脈から始まった出版社と見なせるだろう。

現在の二見書房の堀内俊宏が煥乎堂の小林二郎のインタビューに答え、『出版トップからの伝言』小学館)の中で、戦前の二見書房と父について語っている。堀内文次郎は山梨県の出身で、上京して懸命に働き、三十歳で自分の印刷工場を持つようになり、昭和十六年に二見書房を始めたという。社名は印刷会社と出版社の二つの会社を見ること、それに水にちなんだ岩波書店や新潮社の社名を見習い、二見ヶ浦にあやかるつもりもあり、二見書房と命名された。
出版トップからの伝言

  父が出版社を始めたのは、昭和十六年の戦時中のことです。出版のメインになったのは、美術書や芸術専門書といった豪華本でした。いまも神田の古本屋に、父のつくった本を見つけると、ウインドーごしにも、父の本作りの情熱が感じられ、これらの本は、父がむすこへ残してくれた、最高の財産であると思っています。

戦前の二見書房は新庄嘉章訳のモーパッサン女の一生』や『ロートレックの生涯』などの文学や芸術書の出版が主だったようだ。私はポール・グゼルの『ロダンの言葉』(昭和十七年)と森銑三『学芸史上の人々』(同十六年)の二冊しか持っていないが、後者の巻末広告には同じく森の『新橋の狸先生』や福田清人の評論集『現代の文学者』、それに川口松太郎山中峯太郎の小説が並び、翻訳書だけでなく、日本の文芸書も幅広く手がけていたことがうかがわれる。またこれらの企画からして、編集者が誰であったのかも興味をそそる。だから福山と異なり、堀内文次郎は書物に思い入れと愛着をこめていたのだ。それに出版社と印刷所の両輪がうまく稼働していたのだろう。

しかし戦後の昭和二十年代の出版不況に巻きこまれ、その両輪が狂い出し、二見書房は解散し、本当に堀内印刷だけを再建するしかない状況に追いやられ、堀内俊宏が再び二見書房を立ち上げたのは、昭和三十五年になってからのことだった。そして直木賞を受賞した佐藤得二『女のいくさ』、束見本にヒントを得た『白い本』のベストセラー化、『日本昔ばなし』のような豆本と、絶えず話題の本を刊行していくことになる。
白い本


だが私たちの世代にとっての二見書房は、『ジョルジュ・バタイユ著作集』を始めとする翻訳書の出版社であった。バタイユだけではない。昭和四十年代半ばから五十年代当初にかけて、二見書房の翻訳書は訳の問題はあったにしても、異彩な輝きを放っていた。それは先代の出版企画の反映であったのかもしれない。

ジョルジュ・バタイユ著作集

カスタネダ「ドン・ファン」シリーズ、ピエール・ギュイヨタの『五十万人の兵士の墓』と『エデンエデンエデン』、マンディアルグ『みだらな扉』、ミシェル・トゥールニエの『魔王』、それにもはや忘れ去られているだろうが、ジーン・マリーンの『ブラックパンサー』、マール・イレル他の『狂気の家畜人収容所』などが、まさに艶本時代を彷彿させる『エマニエル夫人』『O嬢の物語』と並んで、二見書房らしく刊行されていたのだ。そして二見書房が特異な輝きを放っていたのも、ひとえにこのような翻訳書のラインナップにあったのだ。しかし当然のことながら、その特異な輝きは時代とともに消え去ってしまった。それもまた出版社の宿命なのだ。

ドン・ファン  エマニエル夫人O嬢の物語

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