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古本夜話251 木星社書院と山岳書、山と渓谷社と朋文堂

福田久道と木星社書院に関しては本連載214、小島烏水が前川文栄閣から出した『日本アルプス』に始まる山岳ブームについては同225でふれておいたのだが、浜松の時代舎で今井徹郎の『山は生きる』を入手し、それが昭和七年に木星社書院から刊行されたもので、巻末広告から、この時期の木星社書院が山岳書の出版社でもあることを知った。

日本アルプス (岩波文庫版)

まずそれらの著者と書名を挙げてみる。冠松次郎『日本アルプス大観』、藤木九三『槍・穂高・岩登り』、各務良幸、麻生武治『山岳大観』などがあり、これらはいずれも四六三倍判、四六倍判の大型本で、『日本アルプス大観』や『山岳大観』は宣伝コピーや推薦文によれば、「山岳大写真集」と見なしていいだろう。

冠松次郎という名前から、以前に同じ時代舎で彼の著書を購入したことを思い出した。それは『雲表を行く』と題された百八枚の写真に文章を添えた大型本だった。アート紙の少なくなった昭和十七年に墨水書房から刊行されたこの一冊は、版を重ね、六千部に達したようだが、私の所持するのは第三版となっている。私が『雲表を行く』を買い求めたのは山岳書への関心からではなく、戦時下の国策会社日配に取次が集約されたことで、大判の出版物が増えていったように思われ、いずれそれを検証する資料としてであった。これも、四六倍判函入であるから、『日本アルプス大観』や『山岳大観』の造本やイメージをも共通しているのではないかと感じられた。

木星社書院と山岳書の結びつきは定かではないが、福田が手がけていた高踏的文芸美術リトルマガジンの『木星』に端を発し、これらの写真集を始めとする山岳書が持ちこまれたのではないだろうか。なおかつての左翼書や文芸書出版の名残を示す、ドイツ人によるソヴェト報告の翻訳『五ヶ年計画と文化建設』(野村儀平訳)、福田自身による翻訳『ジャン・フランソワ・ミレエ』の広告も掲載されている。後者は『白樺』に連載されたカートライトのミレエ伝の改訳版だと思われる。

さて木星社書院の山岳書の著者たちに関しては、瓜生卓造の『日本山岳文学史』(東京新聞出版局、昭和五十四年)なる浩瀚な一冊があり、そこで冠松次郎と藤木九三は、日本山岳会と小島烏水に代表される探検登山に対して、スポーツ登山に属する人物として、一節をあて論じられている。瓜生によれば、冠は明治末期のスポーツ登山の始まりに登場し、黒部の谷歩きを好み、藤木は大正期に日本人を山登りから登山、登攀へ導いた功労者で、その大きな転換期に生まれ合わせたタイムリーな登山家であり、二人とも健筆、才筆の持主にして、前述の他にも多くの山岳書を残したとされている。

川崎吉蔵によって日本登山界の健全なる発展への貢献を目的として、山と渓谷社がスタートし、日本で最初の山岳雑誌『山と渓谷』が創刊されたのは昭和五年のことだった。おそらくそのような動向とパラレルに山岳書出版も盛んになり、それに木星社書院も加わっていったのだろう。

山岳書といえば、思い出されるのが朋文堂で、金港堂出身の新島章男は大正十二年に独立して朋文堂を創業し、当初は書店を営んでいたが、昭和四年から出版業に移行し、その山岳趣味もあって山岳書や雑誌の出版に専念し、六年に山岳雑誌『山小屋』、十四年に『山と高原』を創刊し、山と渓谷社と並んで、山岳図書のパイオニアとして、日本の登山の発展に大きな貢献を果たしたとされる。

戦前の朋文堂の山岳書は見ていないが、昭和三十一年刊行の若山牧水『新編みなかみ紀行』の巻末広告を見ると、「朋文堂山岳文庫」「エーデルワイス叢書」「マウンテンガイドブックシリーズ」「山岳写真文庫」「スキー図書」などのシリーズが列挙され、朋文堂が戦後においても山岳書出版社であり続けたことを教えてくれる。さらに付け加えておけば、中国研究者でマオイストにして、後にヤマギシ会に向かった新島淳良は新島章男の息子であり、一時は発行者とされていたと伝えられている。朋文堂の消滅は新島のヤマギシ会入会と関連しているのだろうか。
新編みなかみ紀行(岩波文庫版)
そして山と渓谷社や朋文堂の他にも、如山堂や前川文栄閣や木星社書院の流れを引き継ぐかのように、戦後も白水社、大修館、二見書房、茗渓堂、日本文芸社などからも多くの山岳書や山岳文学が刊行され、それらが出版の確たる一分野であることを示し、戦前から続く登山の隆盛を支えたことになる。それらの多くの山岳書や山岳文学の書目が瓜生の『日本山岳文学史』に取り上げられ、索引も付されているのだが、出版社にはほとんど言及がないので、それぞれの出版のドラマはたどることができず、残念である。瓜生もまた 山と渓谷社と朋文堂の両社から山岳書を出しているというのに。

しかし山岳書の世界はその時期は確定できないけれど、バブル経済崩壊と合わせるように急速に失墜していったようだ。そのかなり前に朋文堂が退場し、山と渓谷社も『山と渓谷』はまだ発行されているにしても買収され、最近は茗渓堂のお茶の水店の閉店のニュースを聞いている。雑誌の創刊や書籍の刊行を機にして始まり、戦後高度成長期を通じて形成された様々な出版物に象徴される「趣味の共同体」もひとつずつ消えていこうとしているのだろう。

山と渓谷

その後、戦前の朋文堂の山岳書である、中村謙の『上信境の山々』(昭和十三年初版、同十八年訂正再版)を均一台で拾った。その巻末に「朋文堂刊行 山岳図書目録抄」が収集され、近刊も含め、八十冊近くが掲載されていた。それは朋文堂が山岳出版の雄だったことを示していよう。

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