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ブルーコミックス論59 諸星大二郎『栞と紙魚子と青い馬』(朝日ソノラマ、一九九八年)

栞と紙魚子と青い馬


私が諸星大二郎を読み始めたのは、一九七八年に「SF怪奇短篇集」として刊行された『アダムの肋骨』(奇想天外社)からなので、三十年以上にわたって諸星のファンだったことになる。
(奇想天外社版) アダムの肋骨 (集英社版)

久しぶりに取り出して見ているうちに、またしてもついつい読んでしまった。それらの短篇集の中でも「礎(いしずえ)」は東日本大震災を体験し、さらに南海トラフ地震も想定されている現在において、かつてよりも奇妙な生々しさを感じさせる。その主人公の贄田生男は都内の地震研究所の事務を担当する庶務課勤めの一地方公務員だが、研究所が一年以内に関東大震災が起きると発表したその日に、地震予防課への転勤辞令を受けた。彼はその課があることも知らなかったし、そこでの仕事も単調な書類作りだった。しかし給料は上がり、バーのママとも関係ができ、生活は変わっていき、それとパラレルに片目が見えなくなり、眼帯をするようになった。ある日都庁によばれ、待っている間に柳田国男『一つ目小僧その他』を読んでいて、昔の祭りのたびごとに一人ずつ神主を殺す習慣があり、その神主となるものは片目をつぶされ、生贄となることを知った。すなわちそれは贄田に他ならなかったのだ。かくして彼は都庁の地下の聖所で、地震という荒振る神の怒りをおさめるために、人身御供となる場面で、この短篇は終わっている。
一つ目小僧その他

八六年の双葉社ムック『諸星大二郎西遊妖猿伝の世界)』の「単行本リスト」によれば、奇想天外社版は八二年に集英社から復刻され、その際にこの「礎」は「詔命」と改題されている。また同じテーマの「鎮守の森」も後に描かれるが、こちらは『ぼくとフリオと校庭で』双葉社)に収録され、そこには「蒼い群れ」も入っている。
諸星大二郎西遊妖猿伝の世界)』 ぼくとフリオと校庭で

諸星はそれ以後、多くの作品を発表し、とりわけ現在も続いている『西遊妖猿伝』が代表作といえる。それゆえにここで取り上げる「青い馬」は小品であり、胃之頭町を舞台とする二人の女子高生コン『栞と紙魚子の生首事件』『栞と紙魚子殺戮詩集』などのシリーズの一編であるので、諸星作品としては物足りないかもしれないが、ブルーコミックス編の一環ゆえに、あえて取り上げることにしよう。実は前出の双葉社ムックに「蒼い群れ」も収録されていて、どちらにしようか迷ったのだが、タイトルになっているし、さらに表紙に「青い馬」が描かれていることから、こちらを選んだのである。

西遊妖猿伝  栞と紙魚子の生首事件   栞と紙魚子殺戮詩集

栞は朝から深い霧に見舞われた町を歩いているうちに胃之頭公園まで足を延ばした。するとそこに青い馬が二頭いて、霧の中を追いかけていくと、見慣れぬ商店街のところに出た。ステーキ屋の看板を持ったおじさんがチラシを配りながらいった。霧が濃い日には回りが見えなくなり、その分自分の心が見えたりする。それでなくても街がちがったふうに見えるから、変ったものを見たりしないかねと。そこで栞が青い馬を見たというと、教えてくれたお礼に福引券をくれた。

その福引券を手にして、栞は人通りのない商店街の路地へと入っていく。すると野菜を高く積み上げている八百屋、ヒトデや深海魚ばかり売っている魚屋、彼らだけでなく、他の商店の人々も奇妙な感じだった。そこに紙魚子も現れた。やはり霧の中を歩いてきたら、この商店街に出て、テンプラ屋で古本を売っていたので、買ってきたという。そんな話をしていると、福引所がそこにあり、二人はステーキ屋の開店サービス食べ放題という四等に当たった。
その後で栞は紙魚子にいう。

 「ねえ、公園で青い馬を見たわ。きれいだったわよ」
 「公園に黒馬(くろうま)がいたの?」
 「黒馬じゃないわよ、青い馬…!」
 「青馬(あおうま)って普通黒馬のことをいうのよ。本当に青い馬なんていないわ」
 「そうなの? でも本当に青い馬だったわ。青白い馬が霧の中に二頭……」

そんな会話を交わしているうちに、二人はゴブリンというあのステーキ屋の前に出た。彼女たちはステーキを食べるつもりで入ると、あのおじさんがいて、店は四等に当たった開店サービス目当ての客で満員になり、肉の奪い合いが始まった。その肉は客たちのカニバリズムだとわかり、二人はそこから逃げ出す。紙魚子はテンプラ屋で買った『幻の博物学』という古本に書かれていた「化け物市」、すなわち霧の深い夜には化け物や幽霊の市が立つというエピソードを思い出した。だがその途中までしか読んでいなかったので、脱け出す方法はわからなかった。

二人は次第に化け物たちに包囲されてきた。そこにあの青い馬が現われ、その角で化け物たちを追い払い、再び霧の街の中へ消えていった。紙魚子はそれが一角獣(ユニコーン)で、小悪魔(ゴブリン)たちの天敵が青い一角獣だと書いてあるのを見つけた。しかしそれは初めて聞く話で、本当かどうかはわからず、霧の深い日は普段と異なることが起きるのではないかと思われた。

この諸星の「青い馬」一編を読んで、「青い馬」をめぐるいくつかのエピソードを想起した。まずはいうまでもなく、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」の共同訳を引けば、「見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた」とある部分だが、残念なことに一角獣のイメージを派生させてはいない。

しかし中野美代子『中国の青い鳥』平凡社ライブラリー)で述べている青と黒のエピソードは、栞と紙魚子の青馬=黒馬をめぐる会話の簡にして要を得た説明となっている。それを引いてみる。

中国の青い鳥

 「青」の字がいわゆるブルーの色を指すのにとどまらないこと、和語の「あお」とほぼ対をなしている。青馬、青牛はいずれも黒い馬と牛であり、青眼は黒目(くろめ)、青系は黒髪(わが「みどりのくろかみ」を想起されたい)である。いずれも、人間や動物の髪や毛や目などのくろぐろとしたさまを、「青」をもって表現している。(中略)すなわち、有機体としての生命力を秘めた黒を、凡百の黒と区別するために、「青」と表現したのであろう。

これは拝聴すべきブルーをめぐる色彩論であり、諸星も中野のこのような部分から、青馬=黒馬説を引いてきたように思われるが、それがどうして一角獣伝説へと結びついていくのかがたどれず、私の推理はそこで途切れてしまう。

パリのクリュニー美術館所蔵のタピスリー「貴婦人と一角獣」を表紙カヴァーに用い、その他にもいくつもの一角獣の図像を援用した杉橋陽一の『一角獣の変容』(「エピステーメー叢書」、朝日出版社)を覗いてみても、それらの疑問は解かれなかった。これは紙魚子が「初めて聞く説」といっているように、諸星の純然たる創作であるのかもしれない。
一角獣の変容

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」58 森岡倫理『青、青、青』(Bbmfマガジン、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」57 伸たまき『青また青』(新書館、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」56 水原賢治『紺碧の國』(少年画報社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」55 吉原基貴『あおいひ』(講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」54 岡崎京子「Blue Blue Blue」(『恋とはどういうものかしら?』所収、マガジンハウス、二〇〇三年)
「ブルーコミックス論」53 ジョージ朝倉『バラが咲いた』(講談社、二〇〇三年)
「ブルーコミックス論」52 原作朝松健・漫画桜水樹『マジカルブルー』(リイド社、一九九四年)
「ブルーコミックス論」51 名香智子『水色童子K.K.』(小学館、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」50 吉田基已『水の色 銀の月』(講談社、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」49 かわかみじゅんこ『軽薄と水色』(宙出版、二〇〇七年)
「ブルーコミックス論」48 大石まさる『みずいろパーフェクト』(少年画報社、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」47 グレゴリ青山『マダムGの館 月光浴篇』(小学館、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」46 豊田徹也『アンダーカレント』(講談社二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」45 漆原友紀『水域』(講談社、二〇一一年)
「ブルーコミックス論」44 たなか亜希夫『Glaucos/グロコス』(講談社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」43 土田世紀『同じ月を見ている』(講談社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」42 marginal×竹谷州史『月の光』(エンターブレイン、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」41 喜国雅彦『月光の囁き』(小学館、一九九五年)
「ブルーコミックス論」40 平本アキラ『俺と悪魔のブルーズ』(講談社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」39 中村珍『羣青』(小学館、二〇一〇、一一、一二年)
「ブルーコミックス論」38 山田たけひこ『マイ・スウィーテスト・タブー ―蒼の時代』(小学館、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」37 山岸良子『甕のぞきの色』(潮出版社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」36 金子節子『青の群像』(秋田書店、一九九九年)
「ブルーコミックス論」35 原作李學仁・漫画王欣太『蒼天航路』(講談社、一九九五年)
「ブルーコミックス論」34 原作江戸川啓視、漫画石渡洋司『青侠ブルーフッド』(集英社、二〇〇五年)
「ブルーコミックス論」33 原作江戸川啓視、作画クォン・カヤ『プルンギル―青の道―』(新潮社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」32 高橋ツトム『ブルー・へヴン』(集英社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」31 タカ 『ブルーカラー・ブルース』(宙出版、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」30 立原あゆみ『青の群れ』(白泉社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」29 高田裕三『碧奇魂 ブルーシード』(新装版講談社、二〇一〇年)
「ブルーコミックス論」28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1