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古本夜話734 小池新二『汎美計画』

 前回、山岳書の翻訳者の小池新二にふれ、彼が日本工作文化連盟を組織し、デザインや建築の面からの国策協力を推進していたことにも言及しておいた。

 その小池の主著『汎美計画』が手元にある。昭和十八年に発行者を福山須磨子とするアトリエ社から初版二千部が刊行され、定価は五円二十銭と、菊判三一六ページにしては高価な設定だと考えられる。
f:id:OdaMitsuo:20171208113140j:plain ( 『汎美計画』)
 だがそれには理由があって、ひとつは装丁だろう。函の有無は不明だが、本体は異例といっていいジュート装で、それに加えて、ドイツを主とする欧米の道路、建築、芸術写真を多く収録していて、大東亜戦争下の書籍のようではない印象を与える。それらにより、定価が高くなったのであろう。ただ本文用紙の粗悪さが奇妙なアンバランス性を露出させ、戦時下を表象しているかのようだ。

 小池の「紀元二千六百三年四月」の日付が記された「序」によれば、新聞や雑誌にも書いた雑多な文章から生活、造形、建築、展示に関するものを集めて編んだ一書が『汎美計画』である。そのタイトルは、小池の「世にあるもの須らく美しかるべし」を念ずる夢と、それに関する「色々な計画」の集成の意味がこめられていることになる。先に挙げた生活、造型、建築、展示に関する三十三編が、それぞれ第一部から第四部までのセクションに分類され、さらに興亜院の委託を受け、支那の工芸を視察した昭和十七年の「中国旅行日誌」が付され、それにも工芸品などの写真が添えられている。

 第一部の冒頭にある「新しい生活の理念」は次のように始まっている。

 畏くも大東亜戦争の、大詔が渙発せられてから、日本の全国は、老も若きも男も女も、悉く緊張してこの難局を突破すべく、心を協せて、困苦欠乏に堪える戦時生活を決意した。北は樺太の奥から南は台湾の果てまで国民の決意は火の玉となつて、日常の起居動作にまで現れてゐることは疑ひのないところであらう。

 そのためには「吾々の生活について確固たる信念」を持たなければならないし、今度の戦争の「文化的意味」をも考える必要がある。これまでの世界を支配してきたのは英米を中心とするアングロ・サクソン文明で、その思想は自由主義、政治は民主主義、経済は資本主義、生活は個人主義だった。それに対抗する「文化の転向」を伴う「新しい生活」の理念が提唱される。

 これに対抗して世界の新秩序を建設せんとする枢軸諸国の文化は、倫理主義を基礎とし、政治は民族的団結を目標とし、経済は全体主義であり、その生活は意志主義である。そこでは生活を戦ひと観じ、勤労を讃へ、努力によつて理想を達せんとする。この倫理的で民族的で意志的な新しい文明の建設こそ、今次大戦に課せられたる世界的課題であつて、大東亜戦争はこの世界史的転回を大東亜ブロツクにおいて実現せんとするものである。

 それは具体的にいえば、鎌倉時代の武家政治の理念に「科学を基礎とするところの新しい技術性」をリンクさせ、「高度の倫理的文化」を形成するところに求められている。

 これまで本連載で見てきた大東亜戦争下の文化的イデオローグの発言と共通するもので、お馴染みの言説といっていい。

 それをバックアップするのが、第二部の「全体主義国家の芸術政策」や「独逸の工芸政策」であり、ナチスドイツは世界観、文化観の革新によって、社会革命を成就したとされる。その中で大きな役割を果たしたのは芸術政策に他ならず、それを通じて自由主義の知性文化に対立する意志文化を建設し、力と意志による新文化の創造を民族社会主義はめざしたことになる。それはすなわち、美術も芸術家も民族社会主義理念に奉仕するし、建築家、造園家、工芸家、意匠家なども例外ではない。

 ここでは日本の芸術政策の範として、ナチスの事例が紹介され、さらに進んで自動車道路、ドイツ的風景、建物、開発計画の写真や見取図が添えられ、都市計画までも範とされるに及んでいる。大東亜共栄圏における芸術政策や都市計画の誘導を試みているように読めるし、それが興亜院や本連載719の大東亜省に在籍していた小池の立ち位置だったのであろう。また昭和十一年に彼が建築家の前川国男や堀口捨已と立ち上げた日本工作文化連盟にしても、同様な回路をたどったと考えらえる。

 小池の『汎美計画』に収録されたドイツの芸術政策を範とする紹介は、啓蒙とプロバガンダの色彩が強く、あまり感心しないけれど、第一部の「部落の生活文化」のほうは、支那事変以後の武蔵野の農村の変化を伝えて興味深い。小池はこの部落に住みついて十五年を過ごし、その間に起きた変化について報告している。それは「これまで武蔵野農民として曲りなりにも伝統的な生活文化を辛うじて維持してきた部落の人達にも時局の大きな力が及んできた」事実を伝えている。年を追うごとに農家は減り、農地は工場や分譲住宅地となり、都会からの移住者が増え、村には町制がひかれ、町長が大政翼賛会の役員となる一方で、新体制での生活は常会や寄合、生活造型や工芸にしても文化性に欠けるようになったと。そこで小池は大東亜戦争下における「新しい生活の理念」と逆の現象が起きていることを問わず語りに告白していることになる。これこそは『汎美計画』の逆説となろう。
 f:id:OdaMitsuo:20171208113454p:plain:h120(『汎美計画』、ゆまに書房復刻版)


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