出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話942 赤松秀景と高等研究実習院

 マルセル・モースが弟子の一人として挙げていた「赤松」とは、昭和二年頃にモースの『呪術の一般理論』を翻訳した赤松秀景だと考えられる。これは岡書院の「原始文化叢書」全七巻のうちの一冊だが、それだけでなく、全冊が未見で、いずれも稀覯本と化しているようだ。ただ『呪術の一般理論』は伊藤昌司、山口俊夫訳『呪術の一般理論の素描』として、モース『社会学と人類学Ⅰ』(弘文堂、昭和四十八年)に収録されるに至っている。

f:id:OdaMitsuo:20190829114523j:plain:h120

 赤松秀景の名前は本連載933でも挙げておいたけれど、『民族』にも「オートゼテユードの思出」(第一巻第五号)と「パリ大学土俗学研究所の新設」(第二巻第四号)を寄稿している。前回もふれたように、モース研究会『マルセル・モースの世界』には「モース関係略年表」が収録されているので、それを参照しながら、赤松のレポートをたどってみることにしよう。
 前者において、赤松は次のように始めている。
マルセル・モースの世界

 ソルボンヌの一角、パリ大学の文理両学部と同じ建物に一学院ある。之をオートゼテユードと通称している。特殊の高等教育機関として、已に半世紀許り存続し、然もパリ大学とは全く別個のものである。大学では教授が、科学の結果を説示して、学生に研究の基礎を与へるものとすれば、この学院では、指導院が、已に研究の途にある聴講生を指導して、其研究を試練助成せしむるにある。

 そしてマルセル・モースがそこで未開人の宗教を担当していて、「デュルケミアンの宗教社会学の研究授業を知るために、パリへ出かけた私は、一日、モース先生の家居を訪うて、其の指示に従つて、オートゼテユードに席を置き、同先生に師事し薫陶を受けたのであつた」。

 ここで赤松がデュルケム研究者で、渡仏してモースに師事したことが判明する。オートゼテユードは彼も目次ではなく、本文タイトルでHautes Etudesと記しているように、高等研究実習院=Ecole Platique des H・Eのことで、モースは一八九五年に大学教授資格取得後、ボルドー大学からそこに移り、一旦離れたが、一九二〇年に復帰し、ポトラッチの講義を始めていた。これが二五年の『贈与論』へと結実したのであろう。

 赤松も「デュルケミアンとしてのモース」の講義や研究をたどり、『エスキモー社会の季節的変化に関する研究』、デュルケムとの共著『分類の原始的形式に関する研究』、最近の『贈与論に関する研究、並に、古代社会に於ける支援と形式と理由』、即ち『贈与論』を挙げている。『呪術の一般理論』への言及はないけれど、高等研究実習院での初期の研究であることから、赤松が翻訳することにしたと推測される。

 「パリ大学土俗学研究所の新設」は一九二六年にレヴィ・ブリュルとモースによって創設されたInstitut d’ Ethnologie de L’Université de Paris =民族学研究所をさしている。この創設に関し、赤松は植民地を有する北米、イギリス、ドイツ、オランダなどはその経営と管理の必要から「土俗講座」を設けていた。だがフランスの場合、赤松はこれまで組織だったものはなかったと指摘し、「フランス植民地が、出来うる限り完全で経済的の価値を発揮する為には、唯資力だけであつてはならぬことは、何人も周知の所であり、学者も技術家もなくてはならぬ」からだと述べている。植民地と民族学の密通的関係が語られているし、それらは日本においても本連載で見てきたとおりだ。

 赤松はすでに帰国していたのでふれていないが、一九三一年にモースはコレージュ・ド・フランスの教授に選出される。そして渡辺公三が「マルセル・モースにおける現実と超現実」(鈴木雅雄、真島一郎編『文化解体の想像力』所収、人文書院)で言及しているように、高弟であるグリオールを中心とするダカール・ジブチ調査団を始めとして、多くの弟子が現地調査へと赴いていく。
文化解体の想像力

 そうした中でも、高等研究実習院、民族学研究所、コレージュ・ド・フランスでの講義は続けられていたし、山田吉彦=きだみのるは四年ほど高等研究実習院の講義に通い、岡本太郎は主として民族学研究所での講義に出ていたと思われる。やはり渡辺の「知の魔法使いとその弟子」(『マルセル・モースの世界』所収)には、岡本の蔵書であるモースの『民族誌学の手引き』の原書初版の書影が掲載されている。

 そのような日本人を含めた弟子たちの系譜を簡略にたどってみても、レヴィ=ストロースが「マルセル・モース論文集への序文」(『社会学と人類学Ⅰ』所収)で、「マルセル・モースの教示ほど、いつまでも秘教的魅力を失わないものはすくなく、また同時にこれほど影響を及ぼしたものもすくない」と述べていることが実感できるようにも思われる。


odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら