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古本夜話943 赤松智城『輓近宗教学説の研究』

 『民族』の寄稿者にはもう一人の赤松がいて、それは「古代文化民族に於けるマナの観念に就て」(第一巻第三号~第六号)を連載している赤松智城である。彼は前回の赤松秀景と異なり、『文化人類学事典』(弘文堂)に立項が見出されるので、それをまず引いてみる。
文化人類学事典 

 あかまつ ちじょう 赤松智城 1886~1960 宗教学者。1886(明治19)年12月山口県徳山市に、明治期の浄土真宗本願寺派の指導僧赤松連城の孫として生まれる。1910(明治43)年京都帝国大学哲学科卒業、松本文三郎に師事し1915(大正4)年東京帝国大学と提携して宗教研究会を設立し、翌年その機関紙『宗教研究』発刊に尽力した。1927(昭和2)年から京城帝国大学教授となり、朝鮮、満州、モンゴルの宗教を研究し、秋葉隆とともに実地調査を行った。また外国の宗教研究を広く紹介し、“宗教史”の概念、方法、組織について検討した。秋葉との共著『朝鮮巫俗の研究』(上、下 1937年)と『満蒙の民族と宗教』は東アジアにおけるシャマニズム研究の代表的業績である。(後略)

 なお国家社会党党首を務めた赤松克麿は弟、婦人運動家の赤松常子は妹であることからすれば、赤松秀景も縁戚関係だと推測される。

 この赤松智城の『輓近宗教学説の研究』を入手している。これは昭和四年に同文館から「宗教研究叢書」第一篇として刊行されたようだ。その「序言」によれば、同書と「叢書」の発刊は宇野円空、古野清人、紙本治一郎たちの厚情によるものとされる。実は前々回の松本信広の『日本神話の研究』にしても、昭和六年に同文館の「フランス学会叢書」の一冊としての刊行だが、「同叢書」も古野の尽力によっているとの言がある。しかし同文館の社史『風雪八十年』にはそれらに関する言及は見られず、この二つの「叢書」も何冊出たのかも不明のままだ。ただ同文館の「年表」をたどってみると、大正十五年のフランスのドラクロアの古野訳『宗教心理』が挙げられているので、この翻訳がきっかけとなり、赤松や松本の著作や各「叢書」へとリンクしていったとも考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20190819105355j:plain:h120(『日本神話の研究』)風雪八十年

 それらはともかく、これも赤松がいっているように、『輓近宗教学説の研究』は『宗教研究』や『民族』などに掲載した十数年来の諸論文をまとめたもので、上編「宗教学説の諸類型」と下編「宗教本質論上の諸問題」に分類された各三論文から成立している。これらの掉尾を飾るのは大正十五年の「マナの観念」で、先述した『民族』連載の「古代文化民族に於けるマナの観念に就て」に加筆修正し、七〇の「注」を付したものに他ならない。それゆえにここではこの論考にふれるべきだろう。

 赤松は「現今民俗学、人類学、乃至宗教学の研究上一般にマナ(mana)という言葉で総称されて、甚だ重要な一の意義をもつてゐる原始民族の神秘的観念」と始めている。この言葉はメラネシア群島地方の土語で、英国人宣教師コッドリントンの著書『メラネシア人』(一八九一年)によって広く知られるようになり、フレイザーやマレットたちがその重要なる意義を認め、その他の様々な原始民族にも、それが等しく発見されることになった。

 コッドリントンの報告によれば、メラネシア人はマナと呼ぶ「一の超自然力(スーパーナリュラル・パワー)に対する信念」を有し、「然もそれはあらゆる方法を以て善事のためにも悪事のためにも働らくのであつて、従つてこの超自然力を所有し又はこれを御することは、彼等未開人に取つては最も大切な功徳」と見なされた。とすれば、マナは「原始の神秘的観念といふよりも、寧ろ神秘力(ミステイツク・アワー)若くは呪力(マヂカル・パワー)」と判断すべきだろう。

 そして赤松はコッドリントンの挙げるマナの実態に言及し、それらの例を示し、次にメラネシア以外の原始民族のアメリカ・インディアン、日本のアイヌ人、マダガスカルのマラガシー人、オーストラリアのカビ族などにおけるマナと同様の観念を見出していく。これらのマナの広い「学問上の意味」からして、それはアニミズムと異なると見なし、マナの力は「原始の聖なる呪法や宗教を産み出す神秘の母胎であつた」と位置づけられる。

 それゆえにマナは原始的自然民族の言葉であり、これを古代の文化民族にまで拡張して考察しようとするのは、一種の時代錯誤にして余りに不当な延長となる。その事実を確認するために、古代のエジプトを見てみれば、古代エジプト人は死と死後の神秘に多くの考慮を払い、現世の努力をすべてといっていいほど彼方への用意にささげ、死後の永生を確保しようとしていた。それは『死者の書』が伝えているし、ピラミッドや神殿建築が物語っている。その特異な神秘は古代のエジプトにおいて「カー(ka)」と呼ばれ、「近代語には訳し難い一種の神秘力の観念」を意味する。

 はたしてこれはマナと通底しているのか。それが検討され、さらにセム民族やヘブライ民族、古代インドや支那や日本へとたどられていく。そしてマナに類する諸観念は長い文明と哲学的説明を経て発展し、今では未開の思想信念とリンクしているのかを見極めるのに困難なほど複雑になっている。しかしマナの探究は呪法と宗教の本質規定には重要な要素を有しているといえる。曖昧な結論で終わっているのだが、これが当時のマナの位相だったと考えるしかない。


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